Tale下書き「2008年12月14日」

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「恐らく歴史の中でここに到達したのは私を除けば君が初めてだろう。おめでとう、そしてさようならだ。去りたまえ。君の求めるようなものはここには無いのだから」
目の前に立つ老紳士は壮年の男にそう言い放った。

颯々たる風の音が響き、上を向けば月光も射さぬ透き通った黒と極彩色の星々で彩られた天球が我々を見下ろしていた。これほどの夜空はそう易々と見られるものでは無いだろう。

そして、その眼下には「ぎらぎらと下品な光を放つビル群」が敷き詰められている。地上5000mの我々を照らすのは、たった一つの白熱電球であった。

彼が心境を吐露するまでの経緯を説明するには、少々時間を遡らねばならない。

かつて男が住んだ町は農業を中心に栄えた静かな場所だった。春には有りとあらゆる花や虫や動物たちが目覚め、夏には見渡す限りの入道雲がどこまでも青い空に輝き、秋には黄金の稲穂が爽やかな風に揺れ、冬にはしんしんと降る雪が銀世界を作り上げた。それはまさに日本の原風景と言っていいだろう。住民もその町の風景を誇りとし、穏やかに日々を過ごしていた。

男もそんな町の住民の一人だった。若かりし彼が何より愛していたのは、誰もが寝静まった夜に天蓋に散りばめられた星々だった。河が仄暗く輝き、億千の粒が今にも零れてしまいそうな空の下。彼はある歌を聴いた。

あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の  つばさ
あをいめだまの 小いぬ
ひかりのへびの とぐろ
オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを おとす

透くように儚げな肌、汚れを知らぬ銀の髪、およそ人とは思えぬ美貌を湛えたその女性は、暗青の瞳からつうと涙を流しながらイーハトーヴの詩人の唄を唱う。
世人が見れば何と奇異な事だろうと驚き、不気味さを感じざるを得ない光景だろう。しかし、当の彼の頭の中は全く異なる思考に満たされていた。
彼は女性を愛おしく感じたのだ。そう、それは所謂、恋なのだった。

彼女の涙の理由を伺う。
「もう少しで私は消えてしまいます」
何故かと問う。
「私はこの場所から見える星と共に在るのです」
止められないのかと語りかける。
「もうじき町は多くの人で満たされます。人の営みは止められません」
そして彼は暫く黙り込んだ。

男は決心した。
「俺が星を守ります。小さな星の瞬きも、雨の様な流星群も見られるように。だからどうか、泣かないで」
伊達に過ぎるかもしれない。大それた酔狂だったかもしれない。だがその言葉に嘘偽りを感じさせるものは何も無かった。
美しい女性はフッと微笑み、そして跡形も無く霧散した。星の様に輝く涙をその場に遺して。

暫くして町は、異常なまでの発展を遂げた。それが何故に齎されたものであったか知る者はごく僅かであったが、豊かになった生活を手放せる筈もなく、住民は日に日にかつての素朴だが充実した日々を忘れていった。
男はそれからというもの、光害対策を町役場や市に訴えかける毎日を過ごしていた。
山を切り開くなとは言わない。新たなモールを開発するなとは言わない。ただ照明を少し抑えたり、上空へ反射しない様にして欲しい。男は必死に訴え続けた。
だが結果として、この動きに賛同するものは役場どころか町の住民にさえ居なかったのである。
そう、あの美しかった空を愛するものはこの町に男一人しか存在していなかったのだ。

若い青年は、己の無力さに嘆き、慟哭した。

「こんな街、無くなって仕舞えばいいのですよ」
場を包む風の音を遮る様な男の心からの叫び。老紳士はしかし、諫め続ける。
「愛しい人を取り戻そうとする君の気持ちは痛い程に伝わる。だが、今君のしようとしている行いは、別の誰かの愛しい人を奪う行為なのだよ。何処の誰に唆されたのかは分からないが、何にせよ君の本当の願いはここでは叶わぬのだ」
「分かっていますとも」
男は肯定した。
「今までこれを見つけるために多くの時間を費やしました。協力してくれた団体の皆さんには別の目的があったでしょうが…私はそれでも良かった。生贄の様に扱われようと構わなかった。自分のやる事が多くの人を不幸にするかもしれないが、それも消滅する私には関わりのない事だ」
声音からは恐怖の欠片さえ感じられず、
「私は罪を犯します。あの夜に会っただけの美しい人の涙を拭うために。ただそれだけの為に」
温かく光る狂気に満ち溢れていた。
「…何が君をそこまで動かすというのだ?」
少しの間を置いて男は話し始めた。

「今まで、この街の星空に誰も関心を持とうとしなかった。こんなに…これほどまでに美しいと言うのに!」
流れ星が瞬く。
「きっとこれからは、夜空を見上げられる事も無くなっていくでしょう。当然です。何も見えないのですから。言葉で表せられない程の輝きを知る事なく、この街は眠る事なく在り続けていく…。これでは、あまりに彼女が救われない!」
一つ、二つと光が条を帯びて流れていく。
「彼女を…誰かが見てあげなければいけない!ここに彼女が、星空がある事を!」
夜空が、泣いている。

「…それでは、光を落とすといい」
老紳士は静かに告げる。男は顔を上げ、感謝の言葉を呟きながら電灯に近づく。
「ありがとう…」
老紳士はその言葉を聞き取ると、風の中に消えた。

壮年の男は紐に手をかけ、ゆっくりと引いた。

「涙は、拭えたかい?」

街が、眠る。


荒凉たる原野。その中心に老紳士は立っていた。
つい先ほどまで、ここで幾万もの人間が犇めき合っていた街が築かれていたなどと誰が信じるだろうか?

天を見上げれば、シリウスやプロキオン、カペラやアルデバランが、名も無き小さな星々と共に雄大なる星座の物語を紡いでいる。ふたご座の方角からは、絶え間ない流星群が降り注いでいた。
こんなにも美しい星々が見られるのは、この世界においてもほんの数カ所だけだろう。

星の光を忘れたが故、街は歴史から焼失した。
だが、老紳士はそれを良しとする。
何故なら、それもまた人類の愛が齎した結果の一つであったからだ。

命すら投げ打って想い続ける優しさを一体誰が責められようか?

老紳士は、いや、パングロスと呼ばれた男は、徐に羊皮紙を取り出した。しかしその瞬間、ペンを持つ手が止まる。少しの驚愕を滲ませた目が天蓋へと向いていた。

「…そこに居るのか?」

パングロスは静かに呟く。
二筋の光が条を描きながら真一文字に天を切った。

「…あぁ。星々はこよなく美しい」

彼は紙を懐へと仕舞い、ゆっくりと歩き始めた。

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