実験室にいた男

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ふと目を覚ますと、私は暖かい光の下にいた。なぜか、それが日の光だと気づくまでに少し時間がかかった。目の前には噴水があり、それを囲うように円形の歩道が敷かれている。周囲に高い壁はない。看守ももちろんいない。その歩道の外側には、噴水を向くようにしてベンチがいくつか並べられている。私はその内の一つに腰かけているようだ。一面に敷き詰められた緑の芝生が、空間に安らぎと平和をもたらしていた。そよ風が頬を撫で、高いところでは鳥の声が聞こえる。何とも言えない安心感と満足感に満たされながらも、私は得も言われぬ違和感を覚えていた。解放感の中で、私はいつの間にか過去を思い出していた。

私は人を殺したことがある。あの時の感触は一生忘れることはないだろう。こんなにも人はあっけなく死んでしまうのか、それがあの時抱いた感情だった。私には極刑の判決が下り、壁の中での生活が始まった。文字通りの虚無だった。後悔や罪悪感を感じることよりも、ただその状況を受け入れることに必死だった。老いる以外に何も変わらぬ毎日を当たり前に過ごせるようになるまでに数年かかった。そのころになると、定期的に行われる刑務官との面談が楽しみだった。おかしいと思うかもしれないが、間接的にでも外に触れることのできる唯一の機会だったのだ。ああ、そういえば一回だけ、刑務官以外の奴も面談室にいたような気もする。スーツに身を包んだ場違いな男。印象的だった。何か長い話をした気がするが、思い出せない。

█████:報告。ナノマシンからの脳波測定によると記憶領域に微弱の破綻が発生。観察を続行します。

███████:了解。やっぱりそうなるよな。看過できない破綻の発生の際には速やかに報告せよ。

あの時の面談の内容だけはよく思い出すことができない。どこかの研究所の所員だった気がするが、そんな奴があんなところに何の用で来ていたのだろう。思い出せないということは、多分取り留めのないことだったんだろう。たしかその面談のすぐ後に、私は別の刑務所へと移されることになった。きっと元々いたところには執行施設が無かったのだろう。そう思った途端に、私の未来も長くないのかと感じた覚えがある。

新しく収監された場所は思いのほか待遇の良い場所だった。今までは独房で凍ったように冷たい時間を過ごしてきたが、ここではある程度の自由が保障されていた。談話室や娯楽室、グラウンドや図書館があり、日中であればそれらを好きに使って良いということだった。囚人服がオレンジ色のつなぎというのがやや不快ではあったが、そんなことはすぐに気にならなくなった。私はとにかく本を読んだ。聖書からコミックまで、ありとあらゆる分野の書籍を漁った。外に出ることが叶わないからこそ、外で産まれたものに触れたかった。

█████:すごいですね、この██型ナノマシン。試作機のくせに人の記憶が映像化できるなんて。

███████:正確には映像化ではない。第三者が理解しやすいように記憶の形態を変えているらしい。私には、文字になって見えている。

█████:これ、いったいどういう仕組みなんですか。脳波測定どころか記憶の読み取りまでできるなんて。

███████:読み取っているというのもまた少し違う。これは無理やり対象の記憶を記憶野の表層に顕現させているんだとよ。ちなみにその気になればクラスA程度だったら遠隔で行うこともできる。

█████:はあ。ウチの研究開発課は狂ってますねえ。

███████:無駄口は終わりだ。モニタリングを続けろ。

それから一週間ほどが経ち、緩やかに時間が過ぎるようになっていた。私はいつの間にか刑に処されるという不安も無くなっていた。いや、むしろ、あたかも刑から解放されたような感覚もあったような。いや、そんなはずは無いな。私の判決が覆ることがあるはずがない。私はいつもと変わらず本を読んでいた。というよりも、本を読んでいたこと以外思い出せないのだ。たったひと月しかいなかったとは言え、思い出せるのが読んだ本の内容だけというのも不思議なものだ。まて、食堂で食べた鮨がうまかったのも覚えている。一度だけ食わせてもらったっけな。目の前で鮨が握られていくのは目にも楽しかった。やけにおしゃべりで訛りのきついおやじが握っていたが、味は絶品だったな。

█████:博士、もしかしてこれってSCP-███-JPのことじゃ。

███████:あの雇われの寿司屋か。収容サイトも同じだしそうかもしれないな。

█████:管理官に報告した方がいいでしょうか。

███████:ああ、報告書に盛り込んでおくよ、一応な。

食堂といえばだんだんと思い出してきたが、毎日のように囚人たちの顔ぶれが変わっていたな。あんなに入れ替わりの激しい刑務所があるのは意外だった。よく話す奴も何人かいたが、みんなすぐにいなくなったような気がしている。よく話す?よく話していたのは覚えているが、どんな話をしていたかが思い出せない。誰かが愚痴のようにこぼした「あの糞白衣の連中」と言う部分だけがふと脳裏に浮かんだ。糞白衣か。よく言ったもんだ。ん?白衣?俺がいたのは刑務所だよな。白衣で仕事する奴なんている場所だっけ?白衣なんてそれこそ病院だの研究所だの…。研究所?おかしいな。いや、多分あれは巡回医か何かだろう。そうでなければあんな場所で白衣など着るはずがない。私は考えすぎる癖がある。

█████:博士。やっぱりうまく定着してないみたいですね。

███████:そうみたいだな。まあエージェントも待機してるし、何かあればあいつらが対象を確保するだろうから、もう少しモニタリングを続けよう。

私は大体の時間を図書室で過ごしていた。どのジャンルの本がどこの棚にあるかはほとんど把握していた。娯楽室にも一度行ったことがあるが、周りの奴らがうるさくてすぐに出てきてしまった。その後もすぐに図書室に戻ったっけな。図書室に戻った。図書室に戻った?あれ、どうやって戻ったんだ。図書館はどこにあった?俺はどうやって図書室に行ったんだ。いや、図書室から独房への道も思い出せない。毎日通った通路だぞ?思い出せないなんてことがあるか。俺はいったいどこにいたんだ。思い出せ。思い出せ、思い出せ…

█████:記憶領域の破綻が広がってきました。おそらくじきに崩壊するでしょう。

実験。実験?なんのことだ。まて、きっと記憶の手がかりだ。逃がすな。思い出すんだ。俺は死刑囚だった。刑務所を移されて、実験?白衣、研究所…。D-███-JP…。おれのなまえ?なまえ、名前は████。おれのなまえだ。D…、解放?解雇…。実験。そうだ。俺は確かに日がな一日本を読んでいた。でも俺は聖書なんか読んでないぞ。俺は、俺が読んだのは…、我が闘争、春色梅児誉美、███・████…。その他にも聞いた事のない本や絵画、音声…。読んでいたんじゃない。読まされていたんだ。精神、ミーム?汚染…。あの図書館はどこにあった?窓から何が見えた?何も見えなかった。見えなかった。きり。キリ。霧だ。窓の外には霧があった。どこだったんだ。

█████:間もなく記憶領域が破綻します。博士、指示をお願いします。

███████:続けろ。完全に破綻したらエージェントに確保を指示する。

あのスーツの男に何を言われた?免除、解放、協力…。S…。C………、

SCP

その三文字とともに、決壊したダムのように記憶が流れ込んでくる。私と俺が重なって気持ちが悪い。思い出した。そうだ。あの日、刑務官と一緒に入ってきた男は、刑務官を追い出すと俺にこう言った。

「やあ、████。初めまして。私の名前は古瀬。ある研究所の職員だ。今日は君にいい話を持ってきた。」

そういうとあの男は、俺を死刑から救うとのたまいやがった。ふざけた話だ、と俺が体を半身にそらして頬杖をつくと、あいつはこう続けた。

「警戒したい気持ちもわかるがね。ここにいても君には後がない。それは君自身が一番理解しているはずだ。そうだろう。単刀直入に言うと、君には実験材料になってもらいたい。人体実験?いや、違う。そこまでの危険はないと約束しよう。そしてもし、一か月間我々に協力してくれたなら、君の自由を約束しよう。」

聞いてもいないのに、男はつらつらと言葉を重ねた。

「我々の実験はどうしても人が必要になるんだ。何?お前ら自身でやればいいって?最もだな。簡単に説明するとだな、俺たちの実験は爆発物を扱うようなもんなんだ。安全な手順も確立してるし、俺たちの指示に従っていれば危険はない。ただ、万が一もあるだろう。そのためにこうやって君らのような人間に声をかけて回っているんだ。」

あいつはどこか楽しそうで腹が立った。だが、俺も死刑からの解放という誘惑には抗えなかった。俺は首を縦に振った。

俺が移送されたのはあいつらがサイトと呼ぶ場所だった。移送されてすぐにオレンジ色のつなぎに着替えさせられ、大きな会議室のような場所に連れていかれた。そこではこのくそったれな仕事の簡単な説明を聞かされた。核に触れない、上辺だけを。オリエンテーションが終わり、俺はすぐに新たな独房に連れていかれた。

█████:記憶領域の破綻を確認。博士、確保した方がいいかと。

███████:わかっている。対象の記憶領域の破綻を確認。実験中止。エージェントは対象を確保せよ。


新型記憶処理薬採用に当たる臨床試験報告

2███年██月██日 

サイト81██管理官殿

報告者 ██主任研究員

表題の件につきまして、下記の通り報告いたします。

1.目的

財団にて用いている記憶処理薬の効果の増大、拡張を主目標とし、研究開発課によって発見された新たな成分を含んだ新型記憶処理薬(以下、新薬と呼称)の現地実験。

2.実験方法

D-███-JP(以下、対象と呼称)に該当記憶処理薬を投与し、記憶の抹消及び人格の再形成、虚偽記憶の植え付けを試みる。その後ナノマシンでのモニタリングにより対象への効果を確認する。

3.実験経緯

実験日時 ██月██日 ██:██開始

██:██ 対象に新薬を投与。記憶処理を開始。対象は副作用により数回の嘔吐がみられた。対象が平静を取り戻すまで待機し、記憶処理プロセスを再開。

██:██ 対象への記憶処理が完了。昏睡状態の対象をサイト████内のホログラムルームへ移送。対象への不要な刺激を避けるため、一般的な公園のホログラム映像を映写する。

██:██ 対象が意識を取り戻す。ナノマシンによるモニタリングを開始。心拍、呼吸共に正常。

██:██ 脳波、記憶領域共にNP。記憶野からの強制誘引を開始。

██:██ 誘引開始より5分。記憶領域に微弱な破綻を確認。実験に支障なしと判断したため続行。

██:██ 誘引開始より8分。虚偽記憶の顕現を確認。オブジェクトでの実験の記憶が図書館で過ごしたという記憶に置き換わっている。

██:██ 誘引開始より11分。記憶領域に新たな破綻を確認。処理対象となった記憶の断片が顕現したことに留意。

██:██ 誘引開始より13分。さらなる記憶領域の破綻を確認。虚偽記憶の植え付け処理は適切に行われていたため、新薬の処理能力が問題と思われる。対象の心拍数がやや上昇。

██:██ 誘引開始より18分。記憶領域の破綻に加え、虚偽人格の破綻の兆候を確認。心拍数がさらに上昇。呼吸も併せて増加。

██:██ 誘引開始より22分。対象の記憶領域の破綻が規定値を超過。虚偽人格に破綻を確認。この時点で記憶処理は失敗していたと断定できる。対象の真正記憶の復元が開始。

██:██ 誘引開始より24分。対象は完全に真正記憶を復元した。虚偽人格の完全な破綻も確認。実験失敗と判断し、対象を拘束。

実験終了

4.所見

実験に使用した新薬は記憶処理薬として満足のいくものではなく、さらなる改良が求められる。上記の実験記録を通り、記憶の抹消、上書き、改変すべてに失敗しており、財団内で用いるにはリスクしかないと判断する。追加実験の結果によっては、発見された新成分の効能を根底から疑う必要性もあると考慮すべき。

以上


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  1. portal:4201075 (08 May 2020 01:16)
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