忠誠

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春の朝日が肌を優しくなでる今日、私はある組織の一員となる。人類の繁栄を影から支える組織、世界の終焉に最後まで抵抗する者たち。決して表舞台に出ることなく、太陽の当たらない世界で、太陽を守り生きていく、そんな組織だ。名をSCP財団と呼ぶ。

その建物に到着したのは就業時間の15分前だった。35階建てのビル、この一棟がすべて財団の所有物だという。いや、それどころかこれと同じ規模か、それ以上のオフィスがいくつもあり、中には地下に広大な敷地を持つ秘密基地のようなオフィスもあるらしい。このオフィスにも地下施設がある。まあ、財団ではオフィスではなくサイトと呼ぶことが一般的なようだ。私の前にそびえたつビルは、サイト-81██と呼ばれている。私は自動ドアをくぐり抜け、新しい世界への第一歩を踏み出した。

中に入りまず目に入ったのは、空港の荷物検査場のような厳重なセキュリティエリアだった。数台の金属探知機が並び、それぞれに二人ずつ警備員が立っている。私はその中の一人に、「今日からお世話になります、新崎と申します。ここを通ればいいですか」と尋ねた。警備員は無言でうなづき、探知機を通った私に静かな声で「あちらにお回りください」と奥にある有人のカウンターを指し示した。カウンターで女性に名前を告げると、「お待ちしておりました、新崎研究員。24階の第7会議室にて事前説明会を行います。フロアマップはこちらにございますが、別に案内の者をお付けいたしましょうか」と、やけに丁寧な物言いで私の行くべき先を示してくれた。フロアマップが見やすかったので案内は辞退し、エレベーターで24階へ向かった。

各階のマップを見ると、24階は会議室が集まるフロアらしい。エレベーターホールを出ると、左右に伸びる廊下と規則的に並ぶドアがあった。窓はなく、無機質な蛍光灯の明かりだけが白い壁に反射している。廊下の突き当りのドアに手をかける。黒い木目のドアには、金のプレートに第七会議室と刻印されている。

会議室の広さは学生時代の教室を彷彿とさせるものだった。決して広くはないその部屋に、数人が先に到着していた。皆、白い長机に並べられた簡素な椅子に腰かけている。私もそれに倣い、空いている席に座った。しばらく時間が流れ、その間にもう数名の人間が部屋に入ってきた。最後に入ってきた灰色のスーツの男が後ろ手にドアを閉め、私たちの前に立った。小脇にファイルを抱えている。見たところ30台前半だろうか。小さな演台の上にファイルを置くと、彼が話し始めた。

「諸君、着任おめでとう。新人教育担当の古瀬だ。よろしく頼む」

彼は低く抑揚のない声でそう告げた。途端に部屋中の空気が少し張り詰めた気がした。

「君たちがどんな経緯でここに来たかは知らないが、ここにいるということは"ある程度のこと"は知っているということだな。まさか普通の仕事ができると思って来た馬鹿はいないだろうな」

もちろん知っている。ここが普通じゃないことも、何をしているかも。

「私たちの使命は大げさでもなんでもなく、世界を守ることだ。異常な存在、概念、その他諸々を安全に確保し、収容し、保護する。そのためには、どんな冷徹な手段も辞さないのが私たちのやりかただ。まあ新米の君たちにいきなりK-クラス…すなわち世界の終わりを引き起こすようなオブジェクトを任せるはずはないだろうが、覚えておくべきだ」

彼はそこまで言うとおもむろにファイルを広げ、私たちの顔と交互に見比べ始めた。名前と顔の確認だろうか。

「オーケー、全員いるみたいだな。初めに確認すべきことだったが、そもそも遅刻するような奴が世界を守れるわけがない。では早速オリエンテーションを始めよう」

彼はそういうと手元のリモコンを操作した。すると彼の頭上からプロジェクターが下りてきて、その画面に財団のロゴマークが映った。部屋の明かりが消え、彼が話し始める。

「財団はさっきも言ったように世界を守るのがお仕事だ。そのために君たちが覚えることは死ぬほどある。だが、財団職員として最も必要なのは、知識でも経験でもない。おい神田、お前なんだと思う」

突然の指名にややうろたえた後、私の右後ろの男は答える。

「決断力…でしょうか」

「ああ、間違っちゃいない。どんな時も冷静に、冷酷に判断を下さなきゃならないのも私たちの責務だ。だが一番じゃない。わかる者はいないか、挙手して答えろ」

誰も手を挙げない様子を見て、彼は緩んだネクタイを軽く締め直してこう言った。

「忠誠心だ。財団に命を、人生を捧げる覚悟、忠誠。一度踏み入れてしまった以上、これを破ることは許されない。よく心に刻みこんでおけ」


サイトに来て2週間は毎日講義が行われ、財団職員として知っておくべきことを叩き込まれた。その後、私は縁あってか古瀬の研究チームに配属となった。彼はチームを率いる博士であり、財団での経験はかなりのものだ。私もいくつかのSafeクラスオブジェクトと関わっていた。簡単なものではあったが、何度か実験にも参加させてもらった。古瀬博士の研究チームは17人で構成されていて、主に精神影響を及ぼすオブジェクトを扱っている。私の精神科医学生であった過去を買われての配属だろう。とはいってもまだまだ新米の私には、大したオブジェクトは見せてさえくれない。

ひと月が経ち、その日も実験記録をまとめていた。書きあがる直前に古瀬博士に呼ばれ、彼のデスクの前に立った。

「おい新崎、お前そろそろ一か月経つよな。明日、私の実験に立ち会え。もちろん研究員補佐としてだが。実験計画書を渡しておく。隅々まで読んで暗記しておけ。相手は恐らくEuclidだ。まだ詳しいことは何もわかってないけどな」

早口でまくしたて、パンフレットのような厚みの実験計画書を渡された。暗記ってマジですか。喉まで出かかったが言葉は飲み込んだ。それ以上に、Euclidクラスの実験に参加させてもらえることが嬉しかった。デスクに戻り、書きかけの実験記録を雑にどけて、実験計画書を読み始めた。計画書には親切にも対象オブジェクトの発見報告書が添付されていた。SCP-████-JP。発見されたばかりのオブジェクトで、その異常性は把握されていない。回収したエージェントが錯乱して、その場で同僚を撃ち殺したらしい。精神汚染の可能性ありとしてこの研究室に回されたのだろう。今回の実験は当オブジェクトの異常性の確認、及び特別収容プロトコルの確立が目的となる。計画書には、Dクラス職員を用いること、万一のためにDクラスには電撃首輪を装着することが示されていた。少し、不快感を感じたが、世界のためと無理やり飲み込んだ。

翌日、朝から慌ただしい一日となった。古瀬博士の指示のもと、地下にある実験室に機材が運び込まれていく。脳波測定装置、心拍測定器、万が一のための記憶処理薬など、実験に必要なものが一通り揃えられていく。私も手伝いながら、手が空けば実験計画書を読み込んでいた。実験開始時刻の直前に、オブジェクトが実験室に運び込まれた。人間が直接触れないようロボットを用いてテーブルに置かれた。それは腕時計のように見えた。銀色の金属のバンド、深紅の文字盤に、黒い時針を持っていた。透明なプラスチックの箱に入っていて、竜頭は抜けていた。私たちは実験室に併設されている観察室に入った。マジックミラーを通して実験室を見ることができる。両方の部屋には、音声通信を行うためのマイクとスピーカーが設けられている。参加職員が全員観察室に入ると、実験担当者の古瀬博士が手の平ほどのスイッチを私に渡してきた。誤って押してしまうことのないよう、カバーがついている。

「これを持っていろ。首輪のスイッチだ。なんの首輪かはわかるよな」

なるほど、これがそうか。もちろんわかる。Dクラスを、いや、一人の人間を殺せるスイッチだ。数㎞離れていても作動するらしい。ここにいる実験担当者全員に配られる。皆、平然と受け取り、白衣のポケットにしまっていた。

「そんなことはないと願っているが、もし俺が押せと言ったらすぐに押せ。いいな」

「…わかりました」

私はそれしか言えなかった。命をこの手に握ったのは初めてだった。この先いつか慣れてしまうのだろうか。スイッチを持つ震える右手を、無理やりポケットにねじ込み、胸に渦巻く気持ち悪い緊張を飲み込もうとした。

私の感情など考慮されるはずもなく、古瀬博士の合図によって実験が開始された。私はバインダーとペンを持ち、記録の補佐を担当している。ほどなくして、Dクラスと思われる人間が二人の武装警備員とともに実験室に入室した。オレンジ色のつなぎを着ている彼はD-████-1と呼ばれ、オブジェクトの乗っているテーブルの横にある椅子に座るよう指示された。ここからは、観察室のマイクを通した古瀬博士の指示に、D-████-1が従う形で実験が進行した。

「おはようございます、D-████-1。実験を開始します。まず、目の前のケースを開けて、中にある腕時計をテーブルに置いてください。」

博士の口調が、私たちには使ったことのない敬語だったので少し驚いたが、実験中の決まり事だろうか。それとも、Dクラスという人間たちへのわずかながらの敬意だろうか。

しばらくオブジェクトの外見に関する調査が行われ、実験は予定通りに進んでいた。私はできる限り克明に記録を取った。この記録を基にして特別収容プロトコルを作るのだろう。

「ありがとうございます。ではⅮ-████-1、腕時計を装着してください。右腕でも左腕でも構いません」

古瀬博士の指示通り、実験室の男は右腕にオブジェクトを装着した。

「では、時刻を現在の██:██に合わせ、竜頭を押し込んでください」

男が竜頭を回す様子が見られた後、竜頭を押し込んだ。その瞬間、今まで気だるそうな表情だったその両目が異常なほどに見開かれ、いままで聞いたことのない慟哭がスピーカーから押し寄せてきた。直後、男は実験室のドアに向かって走り出し、扉を蹴破ろうと試み始めた。扉の向こうにいた警備員が入室し、男の静止を試みるが、いとも簡単に突き飛ばされて、動かなくなった。一瞬の内に目の前で起こったトラブルに思考が追い付かず、私はパニックに陥っていた。そんな私の耳に古瀬博士の怒鳴り声が響く。

「実験中止!サイト管理官に連絡!警備員の増員を要請しろ!収容違反は認められない!」

博士のその様子が、私をさらに追い詰める。博士はこう続けた。

「新崎!スイッチを押せ!あのDクラスを終了しろ!」

あらゆる回路がパニックで、何も整理できなかった私の頭は、その言葉を理解したとたんに真っ白になった。何を言っているんだ、こいつは、今、なんと言った、私に、やれというのか。

「迷うな!奴はここにも入ってくるぞ!」

考える暇もなく観察室の扉が開かれ、異常性に暴露してしまったのであろうDクラスが現れた。その両手には警備員の物と見られる拳銃が握られている。もうだめだ。なにもかんがえられない。

どうにか目だけは閉じずに、起こっていることをただ見続けた。博士はその間もずっと私に怒鳴っている。スイッチを押せと。銃声が響き、その度にチームの研究員たちが倒れていく。閃光、閃光。また一人。また一人。簡単なことなんだ。カバーを開けて、押すだけでいい。それだけで、私たちは助かる。簡単なことなんだ。簡単…。簡単なもんか。私は、人を殺せない。無理だ。できない。ここで死ぬのか。怖い。押せばいいんだ。助かる。殺すのか。人を。殺せない。手が震えている。カバーを開けられない。銃口が。カバーを開けろ。目の前に。銃口が。開けろ。目の前に。スイッチを押せ。死が。目の前に。押せ。目の前の。スイッチを…。


銃声。私は確かにその音を聞いた。私を殺したはずの銃声を。

「新崎、財団職員として一番大切なものはなんだ。もう教えたはずだ」

耳鳴りの中、いつも通りの古瀬博士の声が聞こえた。私はまだ、夢を見ている気分だった。

「貸せ」

そういうと博士は私のスイッチをひったくると、カバーを外してためらいなく押し込んだ。ピピピ、ピピピ、と電子音が聞こえる。音のほうを見てみると、オレンジのつなぎの男の首輪が、音に合わせて黄色く光っている。何が起きているんだ。

「残念だが、不合格だ。お前には忠誠心が無い。財団への忠誠とは、自分の意思を捨てることだ。財団の意思をお前の意思にしなきゃならない。お前は、俺たちの仲間には相応しくない。お前のせいで俺のチームは全滅だ。安心しろ。記憶処理はしっかりするし、太陽の当たる世界に帰してやる。嬉しいだろ」

全滅。不合格。言葉の意味がようやく飲み込めてきた。つまり、この実験すべてが嘘だったということか。仕組まれたものだったのか。何のために。仲間のため、引いては世界のために何を選び何を捨てるか。そういうことか。撃たれた連中は次々と起きあがり、後片付けを始めた。薄暗くて見えていなかったが、良く見れば血すら流れていない。数人は「残念だったな」とか、「仲良くなれそうだったんだけどね」とか、無責任な慰めを置いて行ってくれた。オレンジ色のつなぎの男が床に銃を置き、腰の抜けた俺の手を取って立ち上がらせてくれた。

「だますような真似してわりいな。こいつはただの腕時計さ。趣味がわりいからオブジェクトっぽく見えるんでな。いいか、お前は俺を殺さなかった。人の命が平等だと思ってる。それは正しいかも知れない。でも、お前みたいなのがいると、俺たちが死ぬ。そういう世界なんだよ」

そう言って、つなぎの男は博士に時計を返した。博士は何も言わず、不機嫌そうに自分の腕に時計を巻き付けた。私は立ち尽くすほかなかった。ここでは、ためらいなく人を殺せる必要があるらしい。命を天秤にかける冷酷さが。そんなの、無理だ。机の上には、博士が乱暴に置いていったあのスイッチがあった。怒りと悔しさをぶつけるように壁に投げつける。簡単に壊れたそれは、まるで私の描いていた理想のようだった。

放心したまま研究室まで連れていかれて、博士の言葉を聞くこととなった。

「全部忘れて、向こうで生きろ。その方がお前は幸せだよ」

そういうと博士は私に記憶処理薬のスプレー缶を向けて、レバーを引いた。


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