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「切るぞ」
開いた鋏の刃を根元につける。ほんの一瞬逡巡する。だが切らなければならない。一息ついて覚悟を決める。
「すまない」
ぐっと鋏を握りこむ。小気味よい金属音と共にぽとりと藤の枝が落ちた。
*
ここは財団のサイト-8173の第8植物園。財団の施設としては珍しい、アノマリーを一切入れない”ごく普通の”植物園だ。研究機関としての役割を持つとともに、異常が日常になりかねないこの財団において、正常が何かを思い出させてくれる貴重な場所でもある。私は数年来ここの植物の手入れを行ってきた。
今は花の咲き終わった藤の剪定を行っている。開花時期を過ぎた藤は、夏の日差しを存分に受けて枝が際限なく伸びる。好きなように生長させると非常に見苦しくなる。そのため、必要のない枝を断つ。
地面にしゃがみこみ、切り落とした藤の枝を拾う。植物特有の香りが切り口から強く漂ってくる。まだ生きているのにと枝から訴えかけられている気分になる。
「すまない」
このところ、頻繁にこの言葉が出てくるようになった。
やらなければいけないことではある。夏前にある程度枝を切らなければ、思うように花が咲かないことがある。また、藤は生命力がひときわ強く、生存のため周囲の樹木に巻きつき、場合によってはその樹木を絞め上げて殺してしまう。こと植物園においては手をかけてやらないと大変面倒なことになる木だ。
だが、それは人間が育てる場合に限る。野生の藤は手をかけずともたくましく育つ。寿命も長い。放置された藤が周囲を侵食していくことがニュースになるほどには強い。藤が生きるために人間の手は必要ない。
私は余計なことをしてきたのではないか。
藤の木を見る。この時期の葉はまだ若く、レースカーテンのように薄い。それらは初夏の穏やかな日光ですら透過し、地面を淡く照らしている。枝から漏れる光と合わさり、さながら美しいベールのように見えた。それを切り落としていく。それが今日の作業だ。
一つ息をつき、割り切れない気持ちをかき消す。何を今更そのようなことを考えているのか。悪い枝を切り、良い枝を残す。それだけを考えれば良い。それにもうそんなことも考えることはなくなる。私は今日で財団を去ることになるのだから。
*
「こんなところで立ち尽くしてどうされましたか。体調でも悪いのですか」
セリフの内容に合わない無感情な声が聞こえてくる。植物園の責任者が私の側に立っていた。どうやら長く考えに耽っていたらしい。考えていたことを悟られないようにタオルで顔を拭い、彼と対峙する。
「大丈夫だ、それより何か御用で」
「休憩の時間です」
彼は手に持った時計を私に見せつける。アラーム音がせわしなく鳴り続けている。
第8植物園は全面を強化ガラスで区切った植物園だ。天気が良いと外気よりも室温と湿度が高くなり、体調を崩す者が後を絶たない。そのため、一定間隔で休憩を入れることが義務付けられている。ここのサイト管理官の方針だという。彼はどんなときでもそれをきっちりと守る。
「もう少しでキリが良くなる。それからでも良いか」
「却下します。サイト管理官の方針です」
「あと5分で良い」
「却下します」
私のささやかな要求をにべもなく切り捨てる。私がここに来た時にはすでに責任者だったが、表情が変わったところを一切見たことがない。必要最低限のことしか話さない。規則を曲げることを是としない。冗談が一切通用しない。まさに"堅物"と言うにふさわしい人物だった。仕方がない。最後の手段を使うことにする。
「俺がここで働けるのは今日で最後なんだ。最後くらい自由に……」
「却下します。それでは」
堅物はそれだけ言うとアラームをカチリと止め、事務室へ早歩きで帰っていった。彼が進むたびに付近の植物がさらさらと音をたてて揺れる。植物よりも寡黙で何も語らないこの人が私はどうも苦手だった。
*
休憩後も黙々と作業を続ける。細い枝を一通り切り落とした後は、太めの枝やツタに手をかける。刃渡り20cmののこぎりを枝にあてがい、力強く引き込む。ガリガリと枝が音をたてる。程無くして2m以上はあるツタが地面に落下する。作業を始めて数時間が経つと、細い枝を切り落とした時に口をついた言葉が嘘だったかのように迷いがなくなる。そして、楽しくなる。
剪定が粗方完了した。息を一つつき、藤を見る。長年培った技術をもって整えられた藤は美しく、そして、ひどくさっぱりして見えた。あ、と声が漏れる。思わず藤から目を背け、地面に目を移す。花がら、枝、ツタ。藤だった残骸が転がっている。逃げ場はなかった。
「時間です」
ぐいと意識を引き戻される。堅物がいつの間にかそばに立っていた。アラーム音がやかましい。気がつけば日は傾き、赤と黄の混じった光が植物園を包んでいた。
「右手奥のドアから退出を」
助かった。金縛りが解けたような感覚がする。普段と変わらないものへのありがたみをひしと感じる。それと同時に少し心の余裕ができる。最後まで彼の言いなりに終わるのが気に食わなく思えてきた。最後の抵抗を試みる。
「作業はまだ完了してない。最後の仕事だ。中途で終わらせるのはあんたたちにとっても都合が悪いんじゃないか」
「いえ、中途で結構です。右手奥のドアから退出するように」
「なんだい、監督者様は最後の余韻にも浸らせてくれないのかい。それはそれは仕事熱心なことで」
「今日が最後であろうと関係はありません。立場をわきまえるようにD-24377」
堅物がカチリとアラームを止める。
呼ばれたくない名を呼ばれた。人生の半分近くは呼ばれている忌み名だ。財団という狂った奴らに飼われる実験台。それを良いことと信じ続ける前職のおかげで実験以外の作業もあったが、そうでない奴らはすぐに行方が分からなくなる。私といえば運が良いのか悪いのか、何度実験台に上がっても生き残り続けてきた。そのせいで、何年も剪定作業を割り当てられたままになっている。ここのルールもある程度理解しているつもりだ。
だから、今日付けでサイト管理官からDクラス指定を解くと告げられたことにはひどく驚いた。それは憤りからくるものではない。財団がDクラスを解放するという考えられない事実に対するものだ。私の態度が良かったため財団が慈悲を持って私を解放するのだろうか。いやそれはありえない。秘密主義の財団だ。解放などせずにEクラス職員かなにかにしておけば良い。合理的ではない。他にあるとすれば「Dクラスの必要がなくなった」というもの。それは財団にとってあることを意味する。
「分かったあんたの言う通りにする。代わりに最後に一つだけ教えてくれないか」
努めて軽い口調でお伺いを立てる。最後に確かめたい。堅物は振り返り目を合わせてきた。聞く気はあるらしい。それを見て続ける。
「もう駄目なんだな?」
堅物の表情、息遣い、目線、一挙一動を注視する。素直に答えるなどとは思っていない。だから、見る。普段何も語らないやつから答えを引き出す方法はこれしかない。
しかし、堅物は堅物だった。
は、と一つ息を吐く。こいつに持久戦に持ち込んでも結果は変わらないのは分かっている。 この堅物に少しでも期待した自分が恥ずかしい。
「いや、何でもない。世話になったな」
踵を返し、屋内につながるドアに向かう。ドアの向こうでは職員が待機している。その後は記憶処理が施され、私は解放される。この迷いも悩みもすべて無くなる。それで終わりだ。ドアノブに手をかける。
「答えないことが」
無感情な声がした。予期せぬ音に思わず振り返る。
「答えないことが答えである。そのような事例もあると。そう聞いています」
堅物の表情は変わらない。、妙におかしかった。
「なんだ、つまらないことも言える奴だったんだな」
堅物は何も答えない。
「改めて世話になった。そいつのことは頼んだ」
左手のひらを堅物にみせてやる。堅物は軽い会釈をした後、事務室に戻っていった。
植物園に再び静寂が訪れる。息をつき、再び藤の木を見る。ひとり何も知らない藤は来年の開花に向け、青々とした葉をなびかせている。その開花の晴れ姿を、私が残した最後のものを誰かが見てくれると。そう願いながら私はドアノブを回した。
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アクションSFオカルト/都市伝説感動系ギャグ/コミカルシリアスシュールダーク人間ドラマ/恋愛ホラー/サスペンスメタフィクション歴史任意
任意A任意B任意C- portal:4052664 (18 Jun 2018 18:44)
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