砂浜に沈む火

 夜。私は窓の外を眺めていた。興味深い何かがあるわけでは無い。ただ、机の上の課題から意識を逸らせるような何かを探していた。内容は確かに自分で選んだテーマだったが、どうにも書き進める気が起きなかった。
 果たして、一本の人影が砂浜に立っていた。目を凝らすと、その輪郭は女性と思われる凹凸を備えていることが分かった。真っ先に体格に目が行く程の長身で、ここのような田舎町1にはどうにも不釣り合いに映る。彼女は大まかにこちらを向いていたが、別の誰かに向けて手を振っているように見えた。無感情に彼女を眺めていると、死角から一人の男がやってくる。私には聞こえない言葉を交わし、二人は腕を組んで(誰もいないのに周りに半端に気を遣うかのような触れ合い方が鼻についた)、海岸線に近付いていった。
 月明かりが地面に届くような澄んだ空だったが、波はいつもより荒れているように見えた。例えば、生まれ直しが流れ着いてくる日の前日というのは、大抵今夜みたいな荒波が押し寄せるものだ。鬱陶しい潮の香りと、部屋の中からでさえ微かに聞こえる風音。
 二人は砂浜に寝そべり、交わり始める。嫌悪感を覚える。私以外にも誰がが見ていてもおかしく無いそんな場所で、全く。この町では見かけない体格の女は定住している人では無いのかもしれないと思っていたが、非常識さを鑑みるに、男の方もおそらくは町馴染みでは無いのだろう。波に覆われて、喘ぎ声は聞こえやしないが、荒い息遣いが耳にこびり付くかのように錯覚する。
 それでも、私は淡々とその光景を見続けていた。後から考えれば、課題から目を逸らすのにはこれ以上無いほど都合の良い光景だった。適度に興味深く、それでいて本質的にどうでも良いのが他者の営みというものだ。
 規則的な運動が続く。女が押し倒されていた砂地に、何か煌くものが見える。棒状の、銀色の物体。月光しか頼りの中では、断定的なことは言えない。貝ともゴミとも付かない、何だろうか。
 先よりも注意して様子を伺うと、二人が交わっている場所の丁度下に、金網のようなものがあった。排水溝を、金属製にして、それをそのまま拡大した形だ。そう考えると、金属質には違いないが銀よりかは鈍い色合いだ。
 交尾をするのに適した場所とはいえないのにそれを続けていることも、そもそも砂地にそんな人工物が設置されていることも、それに見覚えがなかったことも、どれも不自然だった。何にせよ私の家の窓から覗ける程度に近しい場所だ。散歩する習慣がなくとも、何度も通ったことのある場所だ。そこに、一体何があるというのだろう。
 疑問を積もらせる間にも、二人は行為を続けていた。意外と長く続くものだ、と呆れまじりの感想を覚える。
 そして彼らの規則的な運動は、女が溶けて消えたことによって唐突な終わりを迎えた。液化した、というべきか。女の輪郭が不定形生物のように歪む一瞬があったかと思えば、女はその空間に存在した水の塊になり、水しぶきを上げながら、砂地に何故か設置されていた排水溝の中に落ちていった。
 金網の下から、ぼうと火柱が立つ。5mはありそうな火柱だ。男の悲鳴は、波音を貫いて辺りに響き渡った。それが熱さによるものか、喪失によるものかは判らなかった。

 男の悲鳴が耳に残っていたせいで、寝つきは浅かったが、翌日は普通通りに経過した。取り乱した男を警察に送り届けたのは隣家のおじさん(町内会に積極的に参加している兼業漁師の人だ)だったらしいと後から聞いた。
 課題の本締め切りはまだ数日先なのと、友人らとの外せない用事がある訳でもないということで、私は放課後に研究所2へ行くことにした。
研究所に向かう時にしか使わないものの、それなりに通い慣れた道を歩く。海より少しだけ林の方に近い、大きめの診療所に見える建物が目的地だ。遠くからも光を反射しているのが見える白い外壁が、医療施設然とした雰囲気を醸し出していた。
会うつもりでいた研究員のハヤノさんは、窓際でタバコを吸っていた。窓から見下ろせる位置に私が辿り着くと、自然と目が合った。今日の所は、窓に小石を投げつける必要は無さそうだった。迷いなく、私は受付でハヤノさんを呼び出して、建物の二階へ移動する。休憩室の扉を軽く二度ノックする。
整えられたソファやベッド。コーヒーマシン。音楽。既に何度か訪れているこの場所は、どちらかと言えばラウンジと言った方が近いのではないかと思う。窓際に立っていたハヤノさんは振り返る。
この人は、きっと出世しているのだと思う。いつ会いに来ても綺麗めな服装で迎えてくる。自分から何かを口にすることには慎重で、不必要に仕事の細かい内容を話題に上げたりしない。同僚や部下の存在を仄めかしたことが数度、彼らに関する愚痴を聞かされたことは皆無だ。真面目ぶった仮面を外さずに人と会話することに慣れているようで、それほどコミュニケーションに熟達していない私は、それを上役との駆け引きで培ったのか、私みたいな迂闊に物を教えられない間柄の人と親交を深める為に習得したのか、と邪推している。
「久しぶり。前言ってた課題が終わって、暇ができたから顔を出しに来たってところか?」とポケットの中にしまったタバコを弄りながら言われる。
「別に。課題はまだ終わってないし、前にここに来たのはたかが4日前ですよ。」
「そうだったかな。いわれてみればそうかもしれない。忙しくてね。」
「仕事頑張ってると時間の進みが違うんだな、って思いますね。ハヤノさんを見てると」大方、私相手には適当な感覚でも大丈夫だと思ってるだけだとは思うが。
相槌とも付かない反応が返される。
「昨日のアレ、やっぱり色々やることあったんですよね。」'やっぱり'と言ったのは、警察と研究所が協力関係にあるのは公然とした事実だからだ。
「そうだね。私達の仕事の範疇だ。」
あくまで、主語は'私達'だ。私はこの人が何をしているのかを知らない。
「昨日、変なものを見たんですよ。だから、少し聞いてもらおうかなって。」
首肯が返ってくる。スツールの前縁を掴んで、ハヤノさんの表情を見据えながら、話をする。世間話の湿度で、余計なことも多分に含めて、昨日あったことを話した。思いのほか滑らかに、言葉が唇の間から流れていった。
要所でうつむく私とは違って、ハヤノさんは良く私を見ている。明るい目ではない、むしろやつれた下層労働者のように虚ろだ。ただ静かな、真剣な風ではあって、私としては十分だ。話が進んでも、表情や仕草は大して変わらない。昨晩に見た火柱を脳裏に浮かべながら私が修辞に悩んでいる時も、彼は眉一つ動かさなかった。
「怖かっただろう、そんなものを目撃して。昨日は眠れたか?」話が一段落して発せられた第一声はそんなところだった。変わらず、虚ろな目が私を見据えている。
「あれが怖かった?」疑問とも反駁ともとれない返答をする。実際、答えはまだ私の中には無かった。寸刻遅れて、私は労わられたのではないかと思い至る。それでも、涙が頬を伝う感触は無い。
静かなピアノ曲と鳥のさえずりだけが部屋を満たしていた。
口を開いてもう一度問いかけをしようとすると、喉が不自然にしか動かないことに気づく。軽くせき込む。途切れた会話の合間に、自分の心情の軌跡を辿ろうとするが、何も無い。ただ、喉のがさついた感触が、最初からあったかのような、嫌悪感。
「人が死ぬところを見たんですから、多少は狼狽えるものじゃないですかね。あまり知らないですけど。」実際、あの女性に対して思うところは無い。ただ、平時は希薄な死の概念と、砂浜に潜む鈍色の輝きが心にひっついて悪さをしていた。
「あれが何か知らないですが、多分、ハヤノさんは知っておくべきことだと思ったので、それだけです。」私は俯いていた。ハヤノさんが優しい視線で撫でてくれることを想像するが、それは単なる想像かもしれない。
「わざわざそれを私に最初に言ってくれたんだな、ありがとう。」音楽の狭間に、抑えられた声が送られた。ただの言い訳だ、と心の中で呟く。「吐き出すのも辛かっただろう。私で良ければ、ずっとここにいるし、話を聞くくらいならできる。」
眼下を彷徨っていた視線を上げて、目の前の人の表情を伺う。口元からは分からないが、目の周りを見ると、微かな優しさが感じ取れる。私は痺れた眼球で、しばらく、その表情を眺めていた。
「あの女の人は、生まれ直すのでしょうか。」
「それは分からないな。仮にそうならなくても、救われないと決まった訳じゃない。」
答えは無い。私を満足させる答えはないし、この人にはそれを私に伝える義務が無い。私はただ、先の言葉を自分への慰めだと解釈する他無かった。
やり取りの裏で囀り続けていた鳥は去り、室内で流れる音楽だけが環境を作っていた。
セッションというべきか。心理士でもないハヤノさんへの一方的な吐露は終わって、私は気付けば休憩室の戸の外に立っていた。先ほど、ハヤノさんが肩に手をやって、別れの挨拶をしたのが心象として残っていた。私は大きく深呼吸をして、管理証を返す為に受付に向かって歩き出した。
通い慣れた逆順の道を歩きながら、私が話す前にハヤノさんがどこまで知っていたのか、と自問した。あの人の表情から知識の有無を汲み取る技術を私は持っていない。ただ、状況と文意と、あの人はきっと私に嘘を付いていないだろうという希望的観測に基づいて、推測を重ねるしかなかった。結局、客観的な証言者は他にもいて、私の証言はその補強にしかなっていない、というのが現実的な線だ。無いよりマシ程度の話に、随分と時間を取らせてしまった気がする。それは、本当に、今更過ぎる話なのだが。
家に至る道の途中に、保育所を眺めることができる場所があった。管理上は、研究所と同一の扱いだが、医療施設としての見栄えは欠いていて、年齢の様々の子供を預かって世話をしていた。生まれ直した子もあそこで一時的に預かる手筈になっていると聞く。私は立ち止まって、体感では数秒、ぼけた思考の裏で実際はもっと長くそこにいたかもしれないが、施設を眺めていた。裏口の方向から、車輪付きの大きな籠を運び込む二人組の職員の姿が見えた。私はそれを砂浜のあの女性だと祈りながら、視線を断ち切った。

私の知る限り、生まれ直しとそうでない者を区別する画一的な術は存在しない。出生が皆に知られているのは同年代の人でも一割を超える程度で、残りの人は、自分が"普通の"生まれだと信じながら生活をしている。(それを知ったところで何にもならないが、砂浜に流れ着いた者を下に見る密やかな共通認識があった。)
砂浜に沈んだ女は心の中に引っ掛かりを残していたが、それを取り除く為に何ができるだろうか。
そんなことを考えながら、人通りの少ない小道に置かれたベンチに座り、保育所を出入りする人々を眺めていた。知人とそうでない者が入り混じり、頭の中だけにとどめておくには難儀する情報量だった。生まれて間もない子供を抱え、かつ田舎人に似つかわしくない程度に忙しい者は、多かれ少なかれ保育所に頼っているものだ。だから、全てを記憶することにさほどの意味は無い。私が今求めているのは、研究所の顔馴染みか、あの夜の残された片割れの男か、その男をしかるべき場所に送り届けた立会人だ。それ以外の可能性、救われる可能性を考慮するなら、内部事情に精通している必要がある。一介の学生である私がその知識を持ち合わせているかどうかは、問うまでもない。
出掛けに見遣った海は凪いでいたが、風は夏の平均的な日よりも強い。潮に塗れた大気の匂いが四方から押し寄せ、辟易する。

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