TEST_デンシャオンナ
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目次

1.

打ちっぱなしのコンクリートに四方を囲まれた小部屋。その黒ずんだ壁面は窓の1つもなく、突けば壊れそうな蛍光灯が弱々しい白光を投げかけるばかりの空間だった。

そんな殺風景極まりない部屋の中央で、1人の青年がパイプ椅子に座っている。いや、座らされていた。彼は肩までかかる長い黒髪をわしわしと掻き乱し、本日何度目かもしれない大きな溜め息をついている。その目は落ちくぼんで生気がなく、一目で疲労困憊の様相が見て取れる有様だった。

彼はやや躊躇した後、もう1度口を開く。

「ですからァ……何度も言ったように、あの〈駅〉に辿り着いたのは、ほーんの〈偶然〉だったんですよ。あんな恐ろしい目に遭うと知ってたなら、初めっからデンシャなんか降りませんでしたよォ~~……この話、またイチから言わないと、ダメ?」

返事は無い。青年は椅子の上に余る長身を窮屈そうに揺らし、伏し目がちに周囲を見渡した。しかし、何の変化も起こらない。やがて、青年  ミツキは、観念したように項垂れて、まるで独り言を漏らすように言葉をこぼし始めた。

「ボクは多分、〈怪談〉……この地下東京に語られるような〈怪異〉の産まれる瞬間に、遭遇してしまったんだと思います。」

そして、ミツキは滔々と語り始める。自身の身に降り掛かった、肉に塗れた恐るべき女の顛末を。


2.

地下東京、それは"大災"と呼ばれる破滅的自然災害によって地上から消し去られた東京が、変わり果てた姿を地下世界に晒したモノ。元来は〈地下鉄網〉と呼ばれたその領域は、今や地上への出口と"空"を失った、無数の人と物と怪異の蠢く迷宮になっている……。

そんな分かり切ったこと、今更キミたちに説明したって、しようがないかもしれない。でも、これから語る話は、そんな地下東京であっても耳を疑うような、いや、ならではの〈怪奇譚〉なのかもしれないということを、心に留め置いてほしい。これは、この地下東京で実際に起こった話なんだから。

とにかく、ボクはその日、いつも通り"ニクデンシャ"に乗っていた。……ああ、うん。キミの思う"デンシャ"で合ってるよ。ご存じの通り、四角いステンレスの車体に、肉塊と触手と粘液をスキマ無く身に付けて、地下東京中を叫びながら走り回っている、アレね。

で、そのニクデンシャに、軽く4~5駅区間は乗っていた時  え? 嘘つくなって? いやいや、常人なら行けて2駅区間だっていうのは知ってるよ。それ以上は、発狂したり、取り込まれたり、忽然と消えてしまうって噂されてることもね。でも……自慢じゃないけど、それがボクの特技なんだ。ニクデンシャに長く乗りつつ自我と肉体を保つには、コツがいる。それを経験的に知っているから、キセル (生贄等、何らかの対価を支払わずにニクデンシャに乗車すること) で何駅も行けるんだよ。一応、珍品専門の行商人やってるのも、この技術のお陰なんだ。

……話が逸れたね。続けるよ。

それで、その日は築地の冷凍マグロ鉱床から仕入れた、"融けないホホ肉"を売った帰りだったかな。いつもよりも商談がまとまるのに時間が掛かって、クタクタになりながら、ホームに滑り込んできたニクデンシャに乗り込んだのを覚えてる。行先表示を見なかったのは、軽率だったと思うよ。でも、その地域その時間帯のダイヤは正確で、ボクも勝手をよく知っているつもりだったんだ。

そう、行先は見なかった。長距離キセルには脱力して意識から余計なノイズを取り除くことが必要だったし、外を見たって暗闇と水銀灯と時たまこびりつく肉苔 (ニクデンシャが壁面を強く擦ると付着して根付く、薄い肉の膜。イトミミズの集合体に似ていて、脈打ち、非常にゆっくり移動する) くらいなものだからね。車内アナウンスだって、笑うタイプも叫ぶタイプも聞こえなかったと思う。

気が付くと、ニクデンシャは停車していた。窓の外は一面の薄紅色で、明かりの全てが肉苔に覆われているような、陰気臭い、暗くて小さな駅だった。ボクはあの地域をうろついて長い。誓っていいけど、あんな駅は見たことも聞いたこともなかったよ。唯一の頼みの綱の"駅名標"は、名前の部分が削り取られていて読むことができなかった。それが人為的なものなのか、デンシャとか下水ワニみたいな地下生物の仕業なのかは、ボクにも分からなかったけれどね。

こんな不気味な駅にたどり着いた時、キミならどうするかな? そうだね、停車しているなら、急いで下車した方がいい。絶対に降りるな、なんて輩もいると思うけど。少なくともココ地下東京じゃ、ニクデンシャになんか長居するもんじゃあないからね。既知の地獄と未知の地獄、ハマるなら断然、余地の残る後者の方だ。そうだろう?

そうして、大急ぎで下車して、その"駅"に降り立った時。ボクは……ボクは、息が止まるほど驚愕した。何故かって? ボクが飛び出した扉の、ちょうど両側。まるでモーセが海を割るみたいに……通勤ラッシュの待機列が押し寄せる人並みに少しもなびかないように……ごめん、どっちも今のキミたちは知らないよね。とにかく、両サイドに人が並んで立っていたんだ。満面の笑みで、音も立てず、じっとボクを見つめてね。

今思えば。最初無人駅のように見えたのは、ちょうど彼らが、ボクの降りる扉の真ん前"だけ"に揃って集合していたからなんだろうねェ。20人かそこらといった、若い青少年が妙に多い男女の一団、しかも全員が白装束を身に着けているなんて、地下世界ではとても目立つもの。……そう、白装束。大きな白い布を、ローブのようにゆったりと身に着けていた。大人も子どもも、全員がだよ。ここ地下東京じゃ、汚れていない大きい白布なんて、よほどの高級品なのに、ね。オカシイよね。……それでも、得体のしれない彼らを拒否し切れなかったのは、彼らが待ってましたと言わんばかりにボクを歓迎したからだった。

ボクが呆然としてその集団の中に立ちすくみ、ゆっくりとニクデンシャの扉が閉まって走り始めた頃。その頃になって、ようやく、でも唐突に、彼らは盛大な拍手でボクを出迎えたんだ。

「ようこそ私たちのエキへ! デンシャ様のお導きに会ったジョウキャク様を、私たちは心から敬愛し、おもてなしさせて頂きます」

駅長らしい、一団の中で唯一ひげを蓄えた男が進み出てきて、確かにそう言った。ジョウキャク様、と呼んでボクの身体をべたべた触るものだから、ボクに向かって言っているのは自然と分かる。その意味が、乗客のことなのか上客のことなのかは分からないけれど、外からの訪問者を歓迎して呼ぶ名らしい。その証拠に、誰も彼もがボクを取り囲んでニコニコと笑っていた。

人々はそんな調子だし、乗ってきたニクデンシャはもう発ってしまった。知らない駅じゃあ次発の日時も把握しようがない。だから、しようがないじゃあないか。ボクは腹をくくって、歓迎を受け入れ、その駅を見物していくことに決めたんだ。

「どうでしょう。人・非人問わず〈怪物〉が犇めくこの世界の中、素晴らしく静かで平和なエキだと思いませんか?」

目の前でボクの手を引きながら、嬉しそうに案内をしてくれるのは、トゥと名乗った女の子だった。年の頃は16周期と言ったところかな。真っ白な布をフードみたいに被って、ひまわりみたいに良く笑う娘だったよ。まだ幼さというか、あどけなさの残る少し舌足らずな言葉で、一生懸命ボクにあれやこれやを教えてくれた。この駅の住人はみなそうだけど、ペタペタと素足でプラットホームを駆ける音が印象的だったな。

トゥが澄んだ瞳で指差す先を見たボクは、確かにそうかもな、と思ったのが正直な感想だったよ。その駅は、長く一直線に伸びるプラットホームを備え、その両側が線路に囲まれていて、比較的手狭な駅のように見ある。ホームの上にあるものはといっても、中心一列に柱が立ち並ぶのと、奥の方に天井から潰れた階段があるばかりだ。素朴、というより、殺風景という方が近い小規模駅だった。

でも、そんな地下の孤島みたいな駅にも、穏やかな家族の時間が流れているようだった。その駅は子どもが多く、狭いホームを縦横無尽に走り回って、黄色い歓声を上げて遊んでいるんだ。大人たちは、それを微笑ましく眺めながら、とりとめもない些細なことを口にして談笑を楽しんでいるようだった。とても産業も経済的余裕もある駅には見えないのに、住人達には精神的ゆとりがある駅のように見えた。都会駅の危険と労働に塗れた住環境とはまるで真逆な、平和で幸せな生活であるように、その時のボクの目には映ったよ。「うん」と頷いたのも、旅人として住人を喜ばせたいという打算よりも、純粋な感想の意味合いが強かったのを覚えている。

とはいえ、得体の知れない駅であることに変わりはなかった。ボクがトゥから目を逸らして少し辺りを見渡してみれば、そこは薄紅色の霧の中のような光景だ。この駅はトンネル壁面の肉苔が富に多く、壁灯をも覆ってしまっているのか、駅全体がほのかに赤く照らされているようでした。

極めつけに気になるのは、やはり駅名標のこと。地下東京のどの駅にもあって、駅の顔やシンボルと言っても過言ではない、重要な設備だというのに。この駅ではそれが悉く機能していない。薄い肉に覆い尽くされていたり、何かで削り取られていたり、散々だ。住人が幸せそうな光景を見ると、かえって余計にそのことが気になっていた。

「この駅の名は、本当はなんというのですか?」

ボクは努めてなんでもないようにトゥに訪ねてみた。トゥは、少し困ったようにはにかんでから、そっとボクが見ていた字の無い駅名標を指でなでる。

「ジョウキャク様。この駅は、単に"エキ"と呼ばれています。かつては名があったらしいのですが、もう捨てられて久しく、誰も覚えてはいません。デンシャ様のお通りにおいても、このエキはほとんどの場合でただ通り過ぎるだけです。それなら、駅名を呼ぶ必要もありません」

生徒に授業する先生みたいに、つらつらと語ってくれる、トゥの表情は真面目だった。それだけに、かえってボクの方は釈然としない。

トゥのように、ここの人たちはニクデンシャのことを単にデンシャと呼んでいた。肉の無い、元来の電車を知らない、世代交代を重ねた地下生まれの人々なのかもしれないと、その時ふと思っていた。

"デンシャ様"という呼び方といい、どうやらこのエキでは〈ニクデンシャ信仰〉がかなり熱を帯びて信じられていると見える。となれば、畑も交易も望むべくも無い、この孤島のような弱小駅は、ニクデンシャの何かの恩恵を受けて生き延びているのかも。信仰自体は地下東京ではよく見るものだけど、このような奇妙な事例はお目にかかったことがなかった。

だから、僕はよだれが垂れてくるのを必死に耐え得ながら、このエキの文化にもっと触れていたいと思った。トゥが引いてくれる手を、少し握り返したのには、そんな訳があったってワケ。


3.

「ジョウキャク様、宴の準備が整いました。今日という記念すべき日をお祝いしましょう」

再び駅長、名はソクと言ったか、がボクに話かけてきたのは、トゥの案内が終わってから数時間が経った頃だった。この駅は小さいからすぐに1周してしまったし、ニクデンシャが通る時以外は本当に静かで、ぼんやり過ごすのには打ってつけだったから、まったく苦にはならない。静寂と子どもの笑い声、遠くにかすかに鳴る風の音。それだけが悠然と流れる空間は、例えば新宿か大手町の忙しない人々からしたら垂涎ものだったろうね。景色が紅いのを除けば、正直かなりリラックスできる駅ではあったよ。

そう好意的に捉えていたものだから、エキの女性たちが現れて、にこやかにボクの手を引くのもさして止めはしなかった。見渡すと、宴というだけあってか、ホーム上のほうぼうに散った子どもや男たちがゆるゆると駅中央に向かって歩いて来るのも見えたから。

「ジョウキャク様は運が良い。今は我がエキに伝わるダイヤからすると、ちょうど祭りの時期に当たるのです。我らと繋がって、共に楽しみましょう」

先にホームの中央で座っていた女性たちは、ボクを見てそう言った。少し、顔が赤く見える。それに加えて、ボクの後ろからトゥが顔を出すと、きゃあきゃあ声を上げて彼女を迎え入れ、真ん中に座らせていた。なんだかとても上機嫌そうだ。

そう、彼女たちの様子を見て、すぐにピンときたよ。辺りには、糖蜜のような甘くてしっとりとした空気も漂っていたから。

「さあさ、たんとお飲みください」

ソクが懐から取り出してきた、重たそうな物を見て、ボクはもちろん涎を飲み込んださ。それは、透き通るような琥珀色に満たされた瓶だったから。  ウィスキー、シングルモルト、未開封。信じられないだろう? ボクもそうだった。この地下東京では作れない、大災前に持ち込まれて忘れ去られた、貴重なデッドストック品の生き残りさ。ラベルさえそのまま綺麗に残っていたところを見ると、本当に貴重な品だったんだと思う。それを、当日あったばかりのよそ者に、器に並々と注いでくれるんだから。

「ああ、美味しいわぁ」

横を見れば、トゥが恍惚とした様子で頬を染めて、器を傾けるところだった。初めは、瓶を移し替えただけの、粗悪なイモ酒で騙そうとしているのでは、なんて思ったけれど。どうもそうでも無いらしい。

一口、舌先に浸してみた。甘く、濃厚な味わいが舌先を絆していく。突き抜けるようなアルコールの匂いが、じめじめした地下で忘れかけていた爽快な気持ちを思い起こさせてくれる。……毒見のつもりだったんだけどね、気づいたら一気に飲み干していたよ。その後味の素晴らしさと言ったら……キミたちは飲めないだろうから、このへんで言い控えておく。貴重なお酒を、何杯も気前よく、ともすれば少ししつこいくらいには飲ませてくれた、とだけ言っておこうかな。

見知らぬ駅で正体を無くすほどボクは勇敢にはなれない。だから自分の許容量を見定めて、繰り返し勧められるお酒をいなしながら、にはなったけれど。それでも心地よい心持ちだったよ。エキの景色はほのかに紅くて、それ以外は黒で塗りつぶしたみたいに空のトンネルが伸びるだけの寂しい場所なのに、なんだか大勢に囲まれて賑やかな場所であるように感じていた。不思議とね。

少し、少しだけ気を良くしたボクは、トゥよりは幼い、おそらくそのエキでは子どもとされる年頃の少年少女たちに、駅外の話を聞かせてあげた。南千住のユウレイコブ焼きのこと、大井町駅のコミケ亡衛軍のこと、新宿のオオウツロから覗く"空"というものについて。それから……この世界の果てを目指した、ある"青年団"のお話、とかね。白い外套をもこもこと膨らませた彼ら彼女らは、目をいっぱい輝かせて、「私たちもそんな世界を駆け回りたい!」って、確かに、そう言ってたっけ……。

……そうそう、エキの子どもたちと話しているとね、何故だかその小っこい身体をボクにぶつけてくるんだ。えいっえいって、可愛らしい声を上げてね。聞いてみたのだけれど、これは親愛の印を「貴方と繋がれて嬉しい」を表す児戯なんだって。今思うと、あのエキの人々はどこか距離感が近くて、手を触れたり、身体をくっつけたりすることに躊躇が無かったな。温かい、微笑ましい文化だなと思えたよ。まだ、この時は。

祭りはお酒を囲んで語らうことだと、この時までは思っていたけれど。本番はもっと別のところにあったらしい。それを知ったのは、宴もたけなわになり、ちょうど送風坑の夜風にでも当たりたいなと思っていた頃だった。折よく、微かな風がエキに吹き始めたんだ。その事の意味を、この時はまだあまり理解していなかった。

「デンシャ様の通過なされる時間だ!」

さっきまで赤ら顔で伸びていたのが嘘みたいに、やにわに立ち上がったソクが、大きな声を張り上げた。住人たちの、眼の色が変わったのが分かった。ざわざわと声が広がって、ホームの上はにわかに色めき立ち始めていた。

トゥが、ボクの袖をそっと引っ張った。

「本当、ジョウキャク様は幸運ですね。このお祭りは、めったにあることではないんです。このエキに、新たな歴史の1ページが刻まれるのを目の当たりにできますよ」

そう言って、線路の方を向いて微笑む表情は、純粋そのもののように感じられた。このエキは恐らくニクデンシャ信仰のある数多くの駅の1つだろうし、住人たちも皆気さくで優しい。何より、何杯も飲んだウィスキーがボクの心を明るいものにしていた。どれ、ちょっと珍事を見てみようか、なんて気持ちで、線路を覗き込んだのを覚えている。

住人たちは、皆1列になってホームの端、黄色い線の内側あたりに立ち並ぶようだった。小さな駅とはいっても、たかだか20人程度の住人では並ぶのにも十分というもの。ニクデンシャが近づいてくる風を顔に感じながら、ゆっくりと男女が整列していくのをボクは眺めていた。並びは年齢によって決まるようで、1番年長らしいソクがニクデンシャのやって来る方に、そこから順に若くなるにつれて去って行く方に立っているようだ。

暗闇のトンネルの向こうから、ニクデンシャの叫ぶ声がかすかに響き始める。空気がコゥコゥと鳴って、じっとりとした風が髪を揺らすくらいに強まっていた。

その時、トンネルの奥がきらりと光った。地下東京で最も眩しいとされるモノ、ニクデンシャの前照灯だ。それを確認したソクは大きく頷くと、ボクらに向かって静かに合図した。さっと、隣の人同士で手が繋がれる。ボクもそれにならって、隣に立つ男性の手を取り、固く握りあった。全員が連結して繋がることに、きっと意味があるんだろう。

風はコウコウと鳴る音から、ゴウゴウという騒音へと変貌を遂げている。そちらに目を向けなくても分かるほど、ピカリピカリと前照灯に照らされた。その度に、トンネルから漏れて放たれた光が反射して、エキ全体が瞬くように紅く光る。そのちょっと神秘的な光景の中、ソクは厳かに、祝詞の奏上を始めた。

「デンシャ様、デンシャ様。我らの守護神、我らの血肉、我らの生まれ故郷。貴方の光が、我らの弱く脆い身体を照らします。地の底でなお響き渡る雄叫びは、我らの魂を揺さぶります。我ら、デンシャ様と共に在り!」

低く重たい唸りが、腹の底を震わせ始める。トンネルの向こうから伝わる地響きのような振動が、エキ全体を揺らす。圧倒的な力と輝きと叫びの前には、どんな存在も等しくちっぽけだ。一段と、祝詞をそらんじる声が張り上げられた。

「デンシャ様、貴方の御姿は日増しに濃くなり、貴方の御声は日増しに強くなります。駆けよ、吠えよ、前進せよ。貴方から頂いた導きが、我ら地の果ての民を震わせ、生きる意味を与えます」

祈りはもはや絶叫に近い。トンネルの奥底から吹き付ける風圧が凄まじく、目も開けていられない。音は既に鼓膜が千切れるのではと言うほどに量と圧を増し、ほとんど断末魔に等しい叫びに変わっていた。それに応えるかのように、ひと際鋭く祈りが捧げられた。

「今日、我らが進んだ分、新たにエキが得た分を、貴方にお返しいたします。デンシャ様。我らの守護神、我らの血肉、我らの生まれ故郷。我らはまた、貴方に連結されるのです!」

ふいに、凄まじい悪寒に襲われる。ニクデンシャの轟音はすぐそこまで迫っている。顔に直接、眩しい前照灯の光が当たる感覚がして。弾かれたように、ボクは目を見開いた。

「お返しいたします!」

そして、穴から飛び出すものがある。絶叫が、飽和して爆発した。線路の上を、絶叫と轟音と共に巨大な肉の塊が走り抜けていく。その一瞬の肉の怪物を、ボクは目で追い、そして……行きつく先を、目の当たりにした。

「「「お返しいたします!!!」」」

全員だ。全員が叫んだ。それはホームの1番遠くに立つ、若い女性も同じ。その女性の手の中には……白無垢の布に包まれたままの、赤子が笑っていた。

「やめ    

パン。乾いた音は突き出された女性の手から呆気なく放たれて、後はチリさえ残らない。唯一この世に残された音も、叫びと車輪の轟音によってかき消された。つんざくようなニクデンシャの絶叫に、耳を塞ぐ。憤りと怒りと恨みと絶望に満たされているはずのその声は、今日は高らかに笑っているように聞こえた。その違和感に周りを見れば、住人たちが目を見張ってニクデンシャの走り去る雄姿を焼き付けようとしている。その表情は、一点の曇りのない笑顔だった。

パチパチと、拍手の音が鳴り響く。ボクはそこでようやく、手が離されていたことに気づく。轟音が過ぎ去り、歓声に変わっていく間。呆気なく、ボクの身体は力を失い、その場にへたり込んでしまった。


4.

「すみません、お気分を悪くされましたか?」

ひょっこりと顔を出した、トゥの心配げな表情で、ボクはようやく我に返った。一連の儀式の後、住人たちはまるで何事も無かったかのように笑顔を振りまき、ボクを含めた皆々を抱きしめ合った後、にこやかに何かを語り合っていたのは憶えている。それで和やかに「宴会へ戻ろう」と言い出す彼らを見て、「少し気分が優れないので」と言い残してホームの端に座り込んだのだった。トゥは、その様子を心配したんだろう。

「……いえ、まあ、ちょっとビックリしただけです。ボクが普段過ごしていた駅系では、こういう儀式はあまり無いもので」

無理にでも、笑顔を作って見せる。今言ったのは半分嘘で半分ホントといったところだった。実際はビックリどころかガッツリ気分を悪くしてはいたし、ここまでの儀式は中々お目に掛かれない。ただ、ホントの部分では、地下東京という閉鎖環境にはこういう形の信仰があり、珍しいにせよ事例が無いわけではないことを理解していた。つまるところ、ちょっと珍しいだけで、異常とは言えないのだ。この程度では。

「そうなのですね……それは、とんだ失礼をしました」

このエキ以外の駅には行ったことが無いという、トゥはそうとも知らずに平身低頭謝ってくれた。そこまでされてしまっては、ボクの苦り切った表情も少しは和らがざるをえないというもの。「いえいえ」とか、愚にも付かない生返事を返してしまった。

その姿があんまり弱弱しかったのか。トゥは神妙な顔をして、「お隣よろしいですか?」と聞いてくる。そう言われてはボクも断る理由も無いので、そっと隣を指し示した。すとんと、彼女の柔らかな身体がボクの隣に収まる。

「私たちのエキも、初めからこうだった訳ではないんです」

少し意外な切り出し方で口を開いたのは、トゥの方だった。


5.

あああ


6.

あああ



tale jp 1998 地下東京奇譚



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執筆者: sanks269
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最終更新: 07 Sep 2023 10:25
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