Tale「絶望ガエル」
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エージェント・伊田は「カエル」である。

その不気味な眼差しは、獲物を正確にとらえる。
長い舌で、何よりも素早く捕らえる。
獲物は自身が捕らわれたことに気づけない。早い彼の舌が、気づくことを許さないのだ。
獲物は彼の中で自問するのである。自分が何をされたのかを。
そして答えを出す。自分が「絶望」の中にいることを。

それゆえに彼は、「絶望ガエル」なのである。
 


 
「よう、やべっち。今日も元気か?」

今日のような快晴の日によく似合った威勢のいい声が聞こえる。
ここは「サイト-8103」の一室。そこのドアから自身の親友を見つめる、深緑色をしたカエルのバッチをのぞかせる者がいた。

「あぁ、あらたか。元気だよ、僕は。」

ここで生物オブジェクトの研究を行っている新米研究員「矢部 尚登やべ なおと」はそこに立ってこちらを覗いている新米エージェント「伊田 新いだ あらた」に向かっていつものように優しく返事をした。
エージェント・伊田と矢部研究員は引き取られた孤児院が一緒で、同じ時期に財団に就職している。十数年連れ添っている親友であり、同期である。

「…。いや、すまねえ。元気なわけねえよな。」

エージェント伊田は少し表情を曇らせながら言った。その曇った表情は矢部研究員を心配した表情だった。

「僕に気を使ってるのか?君らしくない。」

先々月、このサイト-8103に事件が起きた。
要注意団体のやつらが財団への報復のために襲撃してきたのだ。このサイトは広範囲かつ多くの機動部隊が在籍する。しかし、その襲撃の当日はその機動部隊のほとんどが不在だったため、ほぼ職員だけで迎え撃つことになった。

サイト襲撃事件では半壊状態になったが、オブジェクトの収容違反は起きなかった。死人も幸い一人のみだった。そのことを奇跡だと称する人も多いが、少なくともサイト-8103の職員はそうは思わなかった。

「宇佐 稲葉」サイト-8103の元管理官。人からの信頼も人気も厚く、サイト内の光のような人だった。特に、矢部にとっては。
彼女が死んだと聞いて、矢部は1か月間精神病棟に入らないといけないくらい精神に傷を負った。矢部は捨て子だったから、家族のように接してくれる人がいなかった。そんな幼少期に、財団傘下の教育所で出会った年上の彼女がやさしく接してくれたことが彼の心の支えとなって今まで頑張ってこれた。だから他職員より落ち込んでしまったのだ。

しかもそれだけじゃない。
彼女を食い殺したSCPが先月このサイトに収容され、矢部がその担当になってしまった。そいつは知能を有していて、しかも喋れるし、彼女を食べたことも覚えている。相手は無意識かもしれないけど、そのことについて詳しく話されて、またよこせと言って、挙句の果てには「ウサギ」しか食おうとしないようになった。矢部は相当無念だっただろう。

サイト管理官代理がそのことを知って、気を使って担当を変更しようとしたけれど、矢部はそれを断った。そのころには矢部はむきになってたから、是が非でも変わろうとしなかった。

絶望。矢部研究員のその顔からは、それが見て取れた。

「…。今日は顔見見せに来ただけだから…。無理すんなよ。」

矢部研究員は「わかった。」とだけ返事した。素っ気なく、多分わかってないような返事だった。

親友である自分がどうにかせねばいけないことは分かっていても、何もいい感じのことが思いつかない自分の無力さに腹が立ってしょうがなかった。
時間が経てばどうにかなるのか、そういう問題ではない。彼の傷ついた心を誰かが癒してあげないと、何か取返しのつかないことになってしまうと思えて仕方がなかった。

 

サイト中央にある中庭のベンチで、エージェント伊田は重い溜息を吐きながら一服していた。

「何ができるんだ、俺に。でもなぁ、俺じゃないとあいつのこと助けてあげらんない気がするんだよ…。」

そうエージェント伊田が言葉を漏らしていると、後ろから冷たい缶コーヒーを頬に当てられた。「冷た!」と反射的に後ろを見るとそこには「エージェント斎藤」がニヤニヤと笑顔で立っていた。

「どうした、新。お前らしくもなく悩んじゃったりしてさ。なんかムカつく。」

「なんだよムカつくって。」

ちょっと怒り気味に返事をした。
ベンチに座ったエージェント伊田に冷たい缶コーヒーを渡しながら、エージェント斎藤は当然のように隣に座り、自分の缶コーヒーをジャバジャバと乱雑に飲み干した。

「やべの事で悩んでるのか?」

エージェント斎藤の意外な一言にエージェント伊田は少し驚いた。

「お前いつもは空気とか相手の心情とか考えずにズカズカ話に入っていくくせに、なんでこういう時だけわかんだよ。」

エージェント斎藤は缶を握りつぶしながら「アホか、お前は。やべのことなら俺だって心配してるし、お前が珍しく悩んでいるときは決まって誰かのためだからな。」と大きく返事をした。

財団内にある孤児院「柱真組」は特に絆が深い。日本支部でその名を轟かせたエージェント柱真という男が生前、有能な人材を育成するという名目でSCP関連の事件で家族を失った子供を引き取り、財団内で代わりに育てる施設として作った柱真組は家族を失った子供が揃うことと、エージェント柱真が掲げていた教育方針により、家族よりも深い絆で結ばれている。だから、柱真組出身であるエージェント伊田・斎藤は同じく柱真組出身である矢部研究員のことを心配していた。

「俺もお前と同じでやべのことが心配なんだ。一緒に悩んだっていいだろ?」

「アホ二人で悩むのか?事態が悪化しそうだな。」

二人は少し表情がほぐれ、共に笑い始めた。快晴の空いっぱいに届くくらい大きな声で笑った。


空がきれいな夕焼け色に染まっていた。

結局、二人で考えに考えても何もいい案が浮かばなかった。それどころか話が途中からそれて漫画やアニメの話になったので、やはりアホ二人で話し合うとロクなことがないという事だけわかった。


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