伝統とは、生活とは、なんだろうかと考えた方はあるだろうか。とりたて難しい話をするわけではない。例えば、私の住む京都の街には割と近いところに舞妓さんの住む花街がある。ここは舞妓さんが踊ったり、お喋りして楽しむところなのだが、同時に京都らしさが未だ残る観光地としても注目されている。そこにいる人たちはいつもこれまでこの街に住んできた人々が作り上げてきた伝統と生活を守って過ごしているだけなのだが、今この現在の日本ではこのような生活をしている人々は逆に珍しい。故に観光地となる。
外から見れば観光地として扱われている街を内側から見れば、そこには純粋に自分たちの生活があるだけだ。和服を着て生活するのが珍しく、そして今の大半の人間がそうしていなくても、単にそれは自分たちの生活だからなのだ。
無論、現実はそこまで単純なものではない。観光業は金になるので利用するところ利用する。それとこれは別。あくまでも観光業は観光業として割り切る。
何が言いたいのかわからないかもしれないが、私たち家族は今に至るまでそうやって生きていた。他から見れば奇特に見える風習を保ち、家の中では和服を着るようにしてきた。実際のところそこまで頑なに風習を守る理由は私にもよくわからない。しかし言えることが1つあるとするならば、仁賀保の家はこれからも同じ生活を続けていくのだろうなという確信であった。
仁賀保の家は観光客が簡単に入れるような場所にはない。さしあたって、観光業に適切な場所でもない。もちろん、私たちは常日頃から和服を着ているので、それなりに見所はあると思うのだが、まず観光客は入れない。その理由はいくつかある。第一に危ないから。第二にはこのような家の存在は秘匿していかないといけないからだ。
小学5年生の頃。学校からの送迎の車の中で、帰宅した後に父から呼び出しがあることを爺やから伝えられた。
「お嬢様、お社おやしろに着きましたら旦那様のところにお向かいください」
その時の私は「お父様が私のことを呼ぶなんて珍しいこともあったものだ……」と思った。その頃の私は生物学的には確かに父であるお父様とほとんど会わないような生活をしていたので、その呼び出しはかなりの一大事だ。しかし子供心に「お父様に痘術の修練をがんばったことを褒めてもらいたい」などと無邪気なことを思っていたというのも嘘ではない。微妙な年頃であったのだ。
祇園の花街の周りを儀式的なルートで移動すると仁賀保の家の本拠地である隔禁の社かくごんのやしろにたどり着く。この移動方法は一族の者の他には女将やほんの一部の人間しか知らない。
隔禁の社は俗世のあらゆる穢れから隔離された場所にある。もっと臨床的に言うのならば隔禁の社は「宮川町と重なる多次元空間」に存在し、普通に入ってくる何やらを拒んでいる。だから隔離されて禁呪された社なのだ。
その時はちょうど2月の半ばだったから梅の花が庭に咲いていた。この季節はいつも咲いているが、1週間やそこらで散ってしまう。一度爺やに常に咲いている花があれば良いのに、などと風情を微塵も理解していないようなことを言ったのは秘密だ。
隔禁の社はいくつもの六角形の建物が規則的に並べられたものの総称だ。それぞれの建物は廊下によって繋がっているため行き来は簡単にできる。これが病を退けるのだという迷信が私たちの中にはある。もしかしたら迷信ではないのかもしれないが。
中でも中央にあるお父様の居場所の棟の造りは特別だった。六角形であるということは変わりがないが、その六角形のそれぞれの頂点にまた六角形の建物があり、鳥瞰で見ると雪の結晶のような形になっている。
「お父様……」
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- portal:3442755 (28 Jul 2018 16:30)