序論
財団職員にとって、悪夢はあまりに身近な存在であり、ほとんどの場合で精神的有効性(あるいは、「財団職員としての精神の正常性」と呼ばれるもの)の然したる脅威になりません。悪夢は決して快いものではありませんが、大抵の職員はいつしか慣れてしまって、気にも留めなくなります。それはいつだって悪夢が荒唐無稽で、現実を占うようなものではないことを直感的に理解できるからです。
では、もし悪夢が恐ろしいほどに一貫していて、しかもあなたの悲惨な未来を予言するような内容だったらどうでしょう? しかも悪夢を見る頻度は徐々に増えていって、やがて不安でまともに眠れなくなってしまう。
かつて"チープフッテージの幽霊"と呼ばれる噂がありました。この幽霊は職員に憑りつき、毎晩のように同じ悪夢を見せるというのです。その悪夢の内容は次のようなものだといいます。
悪夢の中であなたは、自宅や友人、あるいはシェルターなど、あなたを守ってくれるはずのものたちがおどろおどろしく変容していく様をみる。逃げようとして振り返れば、鏡に写るあなたの姿がどんどん歪んで、ホラー映画のような恐ろしいものになっていく。それを止めることはできない。そうして、あなたは錯乱しながら真夜中に目を覚ます──
この幽霊に取りつかれた人間は少しずつ衰弱し、最後には発狂して死ぬといわれ、職員たちを大いに恐れさせました。実際のところ、この"幽霊"はただの噂ではありませんでした。超常現象として登録されていた時期さえあります。
対話部門を始めとする心理学系の研究者たちは、数多くの努力の末に、この幽霊を解体することに成功しました。現在、この現象は自己安定性不信型悪夢障害と呼ばれてます。
このページでは、この自己安定性不信障害の診断と対話について説明します。
この疾患が重篤化することは稀ですが、対応が遅れると合併症を引き起こし、精神的有効性を大きく損なう可能性があります。
超常世界では、悪夢が人を殺すのです。
診断基準
- 過去2週間のうちに少なくとも4回、次の内容を含む悪夢を経験する。
- 自分の顔や身体が変形する。特に異様な歪み、一部の肥大化、変色など。
- 自分の顔や身体が崩壊・消失する。
- 写真、あるいは鏡に映った自分の姿が崩壊あるいは変質する。
- 自分を代表する物品を喪失する。
- 自分が一瞬前の自分と別人であるように感じられ、酷く混乱する。
- 悪夢の内容は概ね一貫している。
- 悪夢は精神侵襲性、あるいは夢界侵襲性アノマリーによるものではない。
- 次のうち1つ以上の症状を、過去2週間のうちに少なくとも4回経験する。
- 入眠時、緊張、恐怖、不安によって2時間以上眠れない。
- 入眠後、多量の発汗や心拍数の上昇を伴って中途覚醒する。
- 睡眠不足に起因して、昼間非常に強い眠気に襲われる。
- 非異常の心的外傷後ストレス障害でよりよく説明されない。
- 患者自身が自己同一性を損なうイベントを経験していない。
- 今後患者が自己同一性を損なう可能性は客観的にみて高くない。
note: 悪夢に患者が過去遭遇したことのあるアノマリーが出現する場合、未知の異常の可能性を考慮し、該当アノマリー担当者へ報告せよ。症状が異常によるものでないのであれば、次に非異常の心的外傷後ストレス障害の可能性を検討せよ。
note: 自己安定性不信型悪夢障害の本質的な要素は、実際には侵襲を受けていないうえ、今後侵襲を受ける可能性も高くない状況下で、自己の変質に対し過度な不安を覚えることがある。したがって、実際に変質を受けている場合および今後の変質の蓋然性が客観的にも高い場合は区別される。
概要
自己安定性不信型悪夢障害の特徴は、内容に自己の変質を伴う悪夢の繰り返しの経験である。
悪夢は次のような過程を経ることが多い。まず患者は自宅、あるいはシェルターなどの安全な空間に存在する。しかし、何らかの異常が発生し、自身の体が崩壊したり、変質したりする。それ以外に、鏡に映った自分自身など、自己を代表するようなものが崩壊・変質することがある。また、安全だと思われた空間も徐々に変質し、安全ではなくなる。この中で、患者は自分が過去の自分と断絶してしまったという飛躍した確信や、自身が失われる強い恐怖を経験する。典型的な患者はその場から逃れようとするが、大抵の場合うまくいかず、逃走の試みと失敗を目覚めるまで繰り返すことになる。
なお悪夢における崩壊・変質要素の数は、症状の進行度の指標となる。典型的には顔の変形から始まり、全身の変形、末端の崩壊、顔以外の崩壊、顔の崩壊という順で進行する。末端の崩壊以降は重篤な状態とみなされ、他の合併症を引き起こす可能性がある。
悪夢の内容は患者ごとに一定の一貫性を持ち、慢性的なストレスによる散発的な悪夢や一度きりの悪夢とは区別される。
最も一般的な臨床症状として、悪夢による中途覚醒、あるいは睡眠への恐怖による入眠障害がみられる。これに伴って、昼間、特に周囲に知人が存在する環境下で、非常に強い眠気が発作的に発生することもある。
これらの睡眠不足による突発的な眠気や集中力の欠落は、職場内での社会的地位を大きく損なう可能性がある。また患者自身が、悪夢による不眠を恥ずかしいことと捉え、職場やカウンセラーに悪夢について報告することを忌避することも多い。これはこの疾患の診断と治療が遅れる原因となるため、カウンセラーは不眠の兆候には常に注意を払う必要がある。
この疾患の根本的な病因は、自己の実存主義的安定性に対する不信が過度に増大することであると考えられている。自己の実存主義的安定性(自己安定性)とは、多少の連続的な変化はありつつも、自分は自分自身であり続けるという性質を指す。一般的に、この自己安定性は自明であり、自己安定性不信が過度に増大することもまれである。
一方で超常社会に代表される超常環境下では、自己安定性は常に脅かされる。いくつかのアノマリーは、人間を精神的、肉体的、社会的に変容あるいは抹消する能力を持ち、特に悪意のある現実改変者は自己安定性に対する重大な脅威となる。
このような自己・アイデンティティを変質させるアノマリーとの接触は、例えその被害を直接に受けなかったとしても、自己安定性への脅威を認識する十分な契機となり、自己安定性に対する不信と不安を蓄積させることになる。
自己安定性不信型悪夢障害は、自己安定性不信の蓄積が比較的少ない段階で現れる症状であり、大抵の場合患者は自己安定性不信に対して無自覚的である。そのため、この疾患単体で重篤な人的リソースの損失が生じることはまれである。
ただし、悪夢による継続的な自己変容の経験は、自己安定性不信をさらに増大させることに繋がり、再帰的に症状を増悪させる点に注意が必要である。この疾患の放置は、同じく自己安定性不信に関わるその他の疾患に罹患する可能性を高め、破局的な症状を引き起こす可能性がある。
かつて、この疾患は超常現象に分類されていた。悪夢に登場する要素が患者内で一貫することに加え、患者間でも悪夢の内容が類似することが知られていたからである。
現在この類似性は、悪夢の参照する「恐ろしい自己の変容」の表象が、抽象的な共有された表象であるためであると説明されている。多くの場合、この疾患は、一つの大きなトラウマ的経験だけでは発生しない。むしろ、様々な経験や、非常に多くの伝聞を通して蓄積され、抽象化された「自己安定性への脅威のイメージ」が強く関与している。したがって、この疾患において参照される表象は、何か一つの経験に基づいた個人的なものではなく、集団内である程度テンプレート化された「恐ろしい自己の変容」となるのである。
危険因子及び予後因子
次の属性をもつアノマリーとの接触は強い危険因子となる: 現実改変。記憶侵襲。
加えて、次の属性をもつアノマリーとの接触は弱から中程度の危険因子となる: 人体の変形。記録の抹消を伴う官僚災害。
またこれらのアノマリーによって親しい人物が自己一貫性を損なった経験は、自己安定性不信型悪夢障害の発症を強く予測し、また精神的合併症などを含む重篤な臨床像と関連する。
またこれらの危険因子に関するエピソードと継続的に接触した対話部門職員・医療部門職員は、一般の職員集団に比べてより発症しやすい。またこの接触経験の多さは症状の慢性化・長期化の素因となる。
Big Fiveモデルに基づく外向性の低さと神経症傾向の高さは共に発症率をわずかに高める。
財団への勤続期間の長さは罹患リスクを低減させる一方で、予後不良を予測する。
一般部門の提供する一般性観念教育プログラムによる症状の増悪が報告されているほか、強固な一般性観念が罹患率を高めるとするいくつかの根拠がある。
寛解後のこれらの要因との接触は再発リスクを高めるが、適切な対話・治療が行われている場合、再発による重篤化はまれである。
対話方略
対話療法による長期的な治療が標準的である。また入眠障害・中途覚醒による職務への影響が大きい場合は、睡眠薬を処方し、対症療法を並行することで、リソースの損失を最小化する。
治療の第一段階では、カウンセリングを通して患者の自己安定性不信を言語化し、患者自身が自身の持つ自己安定性不信を認識することを促す。ただし、患者の一般性観念が強固である場合、自己安定性不信の認識に先だって異常融和-受容モデルに基づいた対話実践が推奨される。
超常環境下で生活する以上、一定の自己安定性不信は常に生じるものである。したがって第二段階として、寛解に向けてはこの不信を受容し、過度に不安を生じさせないことを目指す。この受容過程においては、悲観的な展望を重視する思考傾向の軽減など、通常の認知行動療法が有効であることが知られている。
ただし最も根本的な治療は、再帰的に症状を増悪させる悪夢への介入である。
自己安定性不信型悪夢障害による悪夢は、自己の変質・崩壊のほか、安全な空間(安全基地)の消失に特徴づけられる。既に述べたように超常環境下では自己安定性不信の完全な否定は困難であり、自己の変質・崩壊自体への対処も同様である。したがって、対話による介入の焦点は安全基地の確保にあてられる。夢中に安全基地を確保することによって、患者の逃げ場を用意し、自己侵襲の経験を防ぎ、症状の増悪を防ぐことができる。また夢中での対処経験は悪夢に対する自己効力感を向上させ、患者が独力で悪夢に対処する契機となる。
安全基地の確保のためには、愛着形成型対話戦略が有効である。標準的な手続きでは、カウンセラー自らが患者と愛着を形成し、安全基地となったうえで、悪夢内での対処法を教示する。半覚醒状態、あるいは催眠状態を用いた対処の誘導的実践も有効である。
その他の方法について。まず、局所的な記憶処理の効果は薄い。超常環境全体に対する大規模記憶処理は多くの場合完全寛解を可能とするが、まれに再発するうえに、再発した場合は重篤化しやすい傾向にある。
記憶補強剤による夢の記録は、対話による誘導の精度を高めるほか、愛着形成戦略の情報を確保するうえで有効である。ただしほとんどの場合で中途覚醒や入眠障害症状の増悪を伴うため、利用には注意が必要である。
夢界技術を用いた介入は、夢表象における崩壊が夢界実体に波及することを招き、患者と介入者の自己同一性を大きく損なう可能性があるため、避けるべきである。
症状・対話記録
関連資料
- 依存的関係の形成とその応用のための対話的手法 (天羽, 2010)
- 愛着形成型対話方略 (天羽, 2012)
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