オブジェクトの心について語るには:知能と感情

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このエッセイの想定読者

  • 報告書でオブジェクトの知能(知性)について言及する予定がある方
  • 報告書でオブジェクトの感情について言及する予定がある方

 以上のどちらかが当てはまり、かつ

  • 別に知能や感情について専門的に書きたいわけではない方


このエッセイの結論

  • 報告書で「知能」という言葉は基本的に使うべきではない
  • 報告書で特定の感情を表す言葉(嬉しい、悲しい)等は基本的に使うべきではない

……それに加え、知能と感情の語り方についてのちょっとした具体案


「当該オブジェクトの体は-300度です。」

「水槽は100%塩酸と100%水酸化ナトリウム水溶液の1:1混合物で満たされなければいけません。」


 上の記述は少々──科学的に奇妙ですね。SCP報告書には似つかわしくない記述です。深淵なる意図がない限り、なるべく避けたほうがよいでしょう。

 "そんなこと言われなくてもわかってる"──素晴らしいですね。では、次の記述はどうでしょうか。

「このオブジェクトは非常に高い知能を持っています。」

「収容以降、オブジェクトは激しく怒り続けています。」



 悩ましいですね。なんならたまに見る記述です。でも実のところこういった書き方は、最初の説明と同じくらい非科学的なものと捉えられてしまう恐れがあるのです。

 今回は、『なぜこういった記述を避けたほうがよいのか』ということと、『逆にどう書けばいいのか』を、心理学的な考え方を基に書いていきます。


擬人観

 心理学、特に動物を扱う心理学分野1を学ぶならば、まず絶対に犯してはならない禁忌を教わることになります。それが、擬人観です。

 心理学における擬人観とは、人間でないもの(動物等)が、あたかも人間と同じ心理システムを持っているかのように考えることを指します。
 最も我々が目にする擬人観は、以下の画像のようなものでしょう。

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忌々しい2



 この画像では、非常に可愛らしい猫の画像に虫唾の走るような人間語のキャプションが付けられており、あたかも猫が「会えてうれしいにゃー♪」と考えているかのように描かれています。
 これは、猫が人間と同じ感情、言語処理能力を持っていると仮定している点で、擬人観です。人間如きが勝手に猫様の思考を想像している不躾さもそうですが、こんなにかわいいねこちゃんと同じ心理システムを、穢れた人間が持っていると考えている時点で、思い上がり甚だしく、笑止千万、科学的ではありません。

 人間と動物では少しわかりにくいかもしれません。同じ人間同士で考えてみましょう。こんな状況を想像してみてください。

あなたは喫煙ルームへやってきた。ポケットからキャメルを一本取り出し、火をつける。ヤニで汚れた壁は薄く、隣の部屋の会話が聞こえてくる。

「うわーしまった。家に置いてきちまったよ……あのさ、悪いけど一本譲ってくれない?」

「え、タダでってこと?」

「そうそう、俺とお前の仲じゃん」

「ダメに決まってんだろ! あほか!」

「なんだよケチだな~」



 どうでしょう。あなたもケチだと思いましたか? 

 この会話が行われている隣の部屋も喫煙室だとすれば、確かにケチと思われても仕方ないかもしれません。煙草一本くらい譲ってあげてもよさそうなものです。でも、吸っているのが紙煙草はなく、葉巻だったら? 電子タバコだったら? ██のジョイントだったら? ちょっと譲るハードルは上がりそうですね。

 もしかしたら隣の部屋がそもそも喫煙室でないかもしれません。
 例えば商談の場面で、金の延べ棒の話をしているのかも。スポーツショップで、財布を忘れたからバットをただで譲ってほしいといっているのかも── 少し無理な想像でしょうか? でもこういった場合では、譲れといっている方がヤバい奴ですよね。

 このように、人間は何かを見たり聞いたりしたときに、欠けた情報・前提を、勝手に自分が置かれた環境で埋めて考えようとします。
 今回であれば、隣の部屋は喫煙室で、吸っているのは紙煙草だとあなたは勝手に想像したはずです。これは便利な機能ですが、ときに悪い結果を引き起こします。勘違いや議論の混乱、夫婦喧嘩……。勝手な前提の設定は、妥当でない推論を生みます。

 同じように、動物が何かしているのをみて、我々は勝手に自分が持つ人間の心理システムを前提として考えてしまうのです。
 例えば我々は、犬が口角をあげているのをみたとき、無意識に犬が喜んでいるのだと考えてしまうでしょう。犬に喜びという感情があるかわからないのに。警戒のために牙を剥き出しにしているだけかもしれないというのに。人の心理システムを前提に考えると、動物の行動やその裏に潜むシステムの解釈を誤ってしまうことがあります。

 しかも、「他の動物が人間とかなり異なった心理システムを持っているかもしれない」という想像は、「喫煙室の隣がスポーツショップである」という想像よりよっぽどあり得る話です。
 生物は進化の過程で、非常に単純な構成から始まり、色々な種に分化してきました。心理システムはその中で、それぞれの環境に合うように発達してきたものです。
 もちろん、人間とキリンが両方二つの目を持つように、同じ祖先が持っていた心理システムは共通しているかもしれません。しかし、そうではない部分もたくさんあるはずです。むしろ姿かたちは全く違うのに、心の中や脳だけ一緒だと考える方がおかしな話でしょう。人の心が灰皿の鎮座するヤニ塗れの部屋だとしても、猫や犬の心がそうであるとは限らないのです。


 非常に近い話題に、モーガンの公準があります。これはざっくり言うと、「動物の行動を説明するとき、より低次の認知機能で説明できるなら、高次の認知機能で解釈するべきではない」というルールです。「複雑な仮定を排し、より簡単な解釈をせよ」という意味で、オッカムの剃刀にも似ていますね。

 かつて「賢い馬ハンス」と呼ばれた馬がいました。この馬は、なんと数学の問題を解けるというのです。実際に、飼い主が計算式をいうと、その答えの数だけ蹄を鳴らして答えることができました。特にトリックもなく、多くの人がこの現象を目の当たりにして「ハンスは数学の問題が解ける」と信じ込んだのです。
 ここでいう「数学の問題が解ける」とは、第一に「飼い主の言葉を理解する言語処理能力を持ち」、第二に「数字の概念を理解する概念処理能力を持ち」、第三に「計算する能力を持つ」ということを指します。実際に起こっている、「提示された計算問題の答えの数だけ蹄を鳴らす」という行動を、かなり複雑な認知機能で解釈していることがわかりますね。

 この話のオチは、「ハンスは空気を読むのが非常に上手かった」──より正確には、「人々の無意識下の体勢の変化を読み取る能力を持っていた」というものでした。
 ハンスが蹄を鳴らし、答えに近付いていくたびに、観客や飼い主の緊張は高まり、そして答えに辿り着いた瞬間解放されます。その際の体勢の変化を見ておいて、そこで蹄を叩くのをやめれば、なんと計算ができる馬のできあがり。この仮定を裏付けるように、誰も答えを知らないような状況下では、ハンスはほとんど正答できなくなることが確かめられました。

 人間はヒョロガリになる代わりにエネルギーを脳に回し、たくさんの複雑な情報処理能力を獲得したキッショい生命体です。そのため、他の動物の行動をみたときに自分と同じ複雑な処理をしていると思い込んでしまうことがあります。これも一種の擬人観と呼べるでしょう。賢い馬ハンスの例は、擬人観が妥当ではない推論を導いた、一つの例といえます。

 このように、擬人観は妥当でない推論を導く危険が高いため、心理学においては好ましくない態度(科学的ではない考え方)であるとみなされます。同様の理由で、人間でないものの説明をするSCP報告書においても、擬人観は可能な限り避けるべきだといえるでしょう。

知能

知能について

 知能とは一体なんでしょうか。頭の良さ? 認知的能力の優秀さ? 脳の皺の数?

 正直なところ、しっかりとした定義はありません。調べてみれば、抽象的で長ったるい定義がたくさんでてくるでしょう。細かい定義を議論しても仕方ないので、ここではざっくり「認知的能力の総合的な優秀さ」──つまり「頭を使う作業の総合的な上手さ」を知能と呼ぶことにしましょう。

 これだけ定義があやふやなものですから、知能の構造についての理論や測定の方法も多岐に渡ります。

 最も有名な理論はスピアマンの二因子モデルでしょう。
 このモデルでは、様々な認知機能のテストの結果を、一般知能因子(g因子)、特殊知能因子(s因子)の二つから説明できると考えます──これだけだと、ちょっとよくわかんないですね。

 わかりやすく、現実に即した話で考えてみましょう。あなたの知り合いで、学生時代「頭が良い」と言われていた人々を思い出してみてください。彼らは基本的に、多少の上下はあれどどの教科もいい点数を取っていたはずです。
 スピアマンはここで、テストの点数は「各教科の得意さ」という教科ごとのパラメータだけで決まるわけではないと考えました。「各教科の得意さ」に加え、「地頭の良さ」のような全ての教科に共通して影響を与える要因があると考えたのです。この「全ての教科に共通して影響を与える頭の良さ」こそが、「一般知能因子g」です。一方で「各教科の得意さ」のようにそれぞれのタスクに個別に存在している「分野特化の頭の良さ」を「特殊知能因子s」と呼びました。
 雰囲気3を表であらわすと、次のような形になるでしょうか。

教科 g得点 s得点 テストの点数
国語 50 21 71
数学 50 14 64
理科 50 05 55
社会 50 48 98
英語 50 33 83

 それぞれの点数は、「g + s」で決定されます。gは全ての教科に共通ですが、sはそれぞれの教科で異なります。

 一般的に「知能」とひとまとめにいうときは、この一般知能因子gを指していることが多いでしょう。確かに、イメージする頭の良い人は、どんなものにも応用できる地頭の良さを持っていそうですよね。スピアマンのモデルの重要な点は、様々な分野に共通して影響を与える"何か"が存在している、ということで、我々は普段その"何か"を知能と呼んでいるのです。

 ではこの一般知能因子を測定できれば、知能とは何かという問題は簡単に解決しそうですね。
 しかし残念ながら、一般知能因子を直接測定することは基本的にできません。それどころか、一体脳のどこが一般知能因子なるものを生み出しているのかさえ判然としていません。脳の皺の数も、重さも、一般知能因子とそれほど強く結びついてはいないといわれています。しかたがないので、様々な側面から認知的な能力をテストし、その結果を面倒な分析にぶち込むことで、一般知能因子を数値化することになります。しかしこの方法では、行う認知的テストによって当然数値化の程度もバラバラになるので、点数を比べることが難しくなってしまいます。

 この扱いにくい一般知能因子君の代わりに登場するものこそ、皆さんご存知IQです。
 IQ自体はIntelligence Quotient(知能の指標)という意味なので、どれか特別な指標を指すわけではありません。IQにもさまざまな測り方があり、当然それによって点数も変わってくるのです。ただ現実でIQというと、大体ウェクスラー式知能検査の点数のことを指すので、ここでもこのウェクスラー式知能検査について扱うことにしましょう。

 ウェクスラー式検査では様々な得点が登場します。
 分野ごとでいうと、言語理解、知覚推理、ワーキングメモリ、処理速度という4つの分野について得点(指標得点)が算出されます。
 さらに、これらを総合した全検査IQ、そして言語理解と知的推理の値から計算される一般知的能力指標があります。先ほどの一般知能因子の役割を担うのは後者ですが、一般的にIQと言ったときは全検査IQの方の得点に言及していることがほとんどでしょう。ここら辺の解釈の議論に踏み込むと大変なことになるので、全検査IQも一般知能因子も、どちらも総合的な頭の良さ、すなわち知能をある程度表しているのだと考えてください4

 重要なのは、ウェクスラー式で検査されたIQが「言語理解、知覚推理、ワーキングメモリ、処理速度」という四つの分野を基にしているという点です。この分野が選ばれた理由は、ウェクスラーさんが「これが知能を測るのにはこれらの分野がちょうどええんや!」と(ある程度の根拠をもって)思ったからです。もっというと、「人間の知能5を測るには、これらの分野がちょうどええ」のです。

 そう、これは人間のための得点なのです。他の種に使えるものではありません。
 例えば、カケスという鳥は食料である木の実をたくさん埋めて、木の実が取れない冬、それを腐る前に掘り起こして食べることで有名です。もちろん全ての位置を覚えているわけではないようですが、それでも、相当数森の中の位置を覚えて、しかもそれを腐る前に掘りだすというのは並大抵の記憶力ではかないません。
 しかしこの非常に優秀な能力は、おそらくウェクスラー式知能検査では計測できないでしょう。カケスはヒトと比べて、高い知能を持っているのでしょうか?

知能という語を用いる問題点

 さて、もう一度冒頭の文章を振り返ってみましょう。

「このオブジェクトは非常に高い知能を持っています。」

 ここでいう知能とは一体何なのでしょうか? 

 仮にウェクスラー式知能検査の結果だとしましょう。それならば、ウェクスラー式知能検査を用いたと明記すべきです。ここまで書いた通り、知能には様々な定義があり、一体どんな方法を用いて測定したかによって意味が全く異なります。
 さらに、ウェクスラー式知能検査を用いたならば、それ自体も問題になります。人間用の検査を、人間でないオブジェクトに用いてはいけないからです。オブジェクトが人間と同じような──つまり、言語理解、知覚推理、ワーキングメモリ、処理速度の四分野を測定すればそれなりに総合的な知的能力を測定できるような──知的システムを持っていると無批判に仮定することは、擬人観といえます。

 では、一般知能因子gのことを指しているのでしょうか? やはりそれならば、そのように書いてください。
 確かに、一般知能因子g──つまり複数の認知的成績に共通して影響を与える何か──はヒト以外のいくつかの種に存在することが示唆されています。例えばマウスにいくつか適した認知テストをして分析をしてやると、それぞれの認知テストに共通する因子が出てくるようです。
 しかしそれは、ヒトを含めてその他の種と比較できるようなものではありません。だって、やっているテストが違うのですから。マウスには当然言語テストは行っていません。ヒトとマウスのgを比較するのは、砲丸投げと走り幅跳びの記録を比べるようなものです。同じ体を使う競技で結果も長さで表されますが、全く違うものを測定しているのです。
 もちろん、「オブジェクト指定されたマウスが他のマウスと比べて知能が高い」、と書きたいときは「他のマウスと比較して一般知能因子得点が高い」と書くことができるかもしれません。ただこの記述が科学的に妥当になるためには、「マウスという種では一般知能因子の存在が認められている(様々な認知的テストに共通する因子が確認されている)」という前提と、「マウスの知能を測るのに適したテストを財団がたくさんのマウスに行った」という前提が必要です。それ以外にもこの面倒くさい概念を扱う際は気を付けるポイントが色々あるので、一般知能因子gを登場させることはおすすめしません。「SCP-XXXX-JPはマウス用認知機能検査課題において、一般的なマウスの平均よりも高い成績を示します。」等と書いた方が丸いでしょう。

 それならば、「色んな分野で頭が良い」ということを示すために、「高い知能」という抽象的な言葉を用いるのは──やはりこれも避けたほうが良いでしょう。
 まず、何と比較して高いのでしょうか。ウェクスラー式知能検査の得点は、人間の平均的な得点を100として算出しているので、100を超えていれば人間の平均より高いといえます。しかし曖昧な概念である「知能」が高いというのならば、一体何と比較して高いのかを述べなければいけません。比較するならば同じテストを用いて検査する必要があり、検査のためには分野を設定する必要があり──結局ウェクスラー式を用いるか、人間には不適当なテストを用いることになるでしょう。前者の問題点は既に述べた通りです。後者なら──単純に不適当なテストを用いているので、その点数は全然人間の総合的な知能を表していないことになります。
 それに、「色んな分野で頭が良い」ということが分かったとて、結局何ができるかはわからないのです。カケスのように空間記憶能力が秀でている一方、言語は扱えないかもしれません。赤外線から様々な情報を抽出する能力があるかもしれませんが、人間にとっての可視光の処理は苦手かもしれません。つまりこの記述は、「このオブジェクトは何かができます」と言っているようなもので、全くの無意味なのです。

 このように、知能という言葉を用いると、その記述は妥当でないものか、曖昧で無意味なものにならざるを得ないのです。

「頭が良い」を表現するには

 では、「このオブジェクトは頭が良い」を表現するには、どうすればよいのでしょうか。ここでは四つの方策を提案したいと思います。

〇 分野を明記する

 「個体識別能力」「言語処理能力」「概念処理能力」「論理的思考能力」等、特に記述すべき分野の能力を明記しましょう。以下ケースごとに見ていきます。

その種が通常持っていない能力を持つ:

「SCP-XXX-JPは通常のマウスと異なり平均的な成人日本人相当言語処理能力を持ちます。」

  1. 基準が通常のマウスであることを明記します。
  2. 程度を記述します。これがないと、どれだけのことができるかわかりません。人を基準とし、文化差(教育が影響する能力等)・性差(筋力等)が大きいと考えられる能力の場合、それらも記述することをお勧めします。
  3. 分野を明記します。学術的な用語であれば加点要素ですが、何ができるか伝わればひとまず大きな問題にはなりません(コミュニケーション能力等)。

既存種に属するオブジェクトではないが、特記すべき能力を持つ:

「SCP-XXX-JPは、平均的な成人日本人相当言語処理能力を持ちます。」

  1. 基準は不要ですが、程度は記述したほうがよいでしょう。
  2. 分野を明記します。

何かと比較して、高いか低い能力を持つ:

「SCP-XXX-JPは平均的な成人日本人と比較するとより高い言語処理能力を持ちます。」

  1. 比較対象を明記します。
  2. 可能なら程度(何がどれだけできるのか)の記述もあったほうがよいでしょう。
  3. 分野を明記します。
〇 知能検査を用いる

 ウェクスラー式知能検査等、実在・架空の知能検査・認知機能検査を用いるケースです。検査の名前を用いることで、以下のようなメリットがあります。

  1. 能力だけを書くよりも科学的に見える。
  2. 総合的な知能に言及できる。

 ただし大前提として、ヒト用の検査を非ヒトオブジェクトに用いる場合、その検査を用いることの妥当性について言及する必要があります。まずは妥当性の言及の仕方から見ていきましょう(これらの要素は脚注に入れても良いでしょう)。

妥当性に言及する(比較目的・分野の限定):

「一般的なヒトの知能と比較するためWAIS-IV6を実施したところ──」
「言語処理能力におけるヒトとの差異を検討するため──」

 明らかにヒトと共通する知能がありそうな場合、ヒトの知能と比較するためという言い訳を用いることができます。ただし、あくまでこれはヒトの知能の範囲における比較なので、総合的な結果の解釈には慎重にならなければいけません。共通する分野を限定して検査を行うか、総合的な検査を行う場合でも分野ごとの結論を出すことが望ましいでしょう(「それぞれの指標得点はヒトの平均を上回りました」等)。

妥当性に言及する(知能構造の一致):

「SCP-XXXX-JPは複数の認知機能検査の結果ヒトと極めて類似した知能構造をもつと考えられており、」
「行動観察に基づき、予知能力以外について、SCP-XXXX-JPがヒトと極めて類似した知能構造をもつという仮説が立てられています。」

 検査、実験、観察等の根拠のうえで、オブジェクトがヒトと同様の知能構造を持つと考えられる場合はこのような記述を用いることができます。ただしこれを用いるということは、『オブジェクトが童話のキャラクターのように外側が獣でも中身がまるっきり人間である』のを認めているようなものであることには注意が必要です。




 次に、それぞれの知能検査の記述方法についてみていきましょう。

比較する:

「ウェクスラー式知能検査の結果、SCP-XXXX-JPは全検査IQにおいて一般的なヒトよりも有意に高い点数を獲得しました。」
「SCP-XXXX-JPはマウス用認知機能検査課題において、一般的なマウスの平均よりも高い成績を示します。」

 オブジェクトの得点と一般の平均を比較するケースです。やや曖昧な表現ですが、架空の検査を用いることができます。ぶっちゃけ架空の検査名のほうがやりやすいと思います。

全体の中の位置:

「ウェクスラー式知能検査の結果、SCP-XXXX-JPは全検査IQにおいて一般的なヒト集団における上位5%相当の得点を獲得しました。」
「SCP-XXXX-JPはマウス用認知機能検査課題において、一般的なマウス集団における下位30%相当の得点を獲得しました。」

 オブジェクトの得点が一般的な集団の中でどれだけの位置づけになるかを書きます。上位/下位 5% なら異常値だということになるでしょう。30%なら異常ではないものの、やや高い/低いということになります。それ以上なら「一般的なヒトと同等程度の成績を──」等、「その集団においては普通の点数」であることを表現するとよいでしょう。あまり値を小さくしすぎても強調しすぎた感じになるので、頑張っても「上位/下位1%未満」までに抑えておきましょう。

得点を記述する:

「ウェクスラー式知能検査の結果、SCP-XXXX-JPは言語理解において指標得点134を獲得しました。」

 ウェクスラー式知能検査のような既知の検査の場合、点数が意味を持ちます。特にウェクスラー式知能検査の場合は、100を平均として85~115の間に68%の人間が含まれ、70~130の間に95%の人間が含まれるように点数が計算されます。70以下、130以上は異常値とみなされていて、例えばメンサ入会は大体130くらいからといわれています。
 一応架空の検査を作って、架空の点数を書くこともできます(認知抵抗力のような)。ただし架空かどうかに拘わらず、点数だけ書いてもその意味を読み取れる読者はごく少数なので、結局注釈等でどれだけすごいかを言及することになります。粗が出るリスクは増えるものの、上手く使わなければ読みにくくなるだけの書き方でしょう。

〇 行為ベースの記述

 能力、それを数値化した得点……これらはすべて、目に見えない抽象的な概念です。それらを客観的行為の記述で全て消し去ります。

 かつて隆盛を極めた行動主義心理学が心の中をブラックボックス化し客観的な刺激と反応の分析を重視したように、目に見える行為だけを記述するのは常に良い選択肢になり得ます。

可能な行為の記述:

「SCP-XXX-JPは日本語を用いて発話することができ、単純な論理パズルを解くことができます。」

 何ができるかを書きます。限定的な説明になりますが、その代わりに客観性と厳密性を手に入れることができます。

〇 知能の推測: 分野の限定

 未収容オブジェクトで検査や実験ができないオブジェクトの知能について語る場合、断片的な情報から知能を推測する必要があります。多面的な検証をできない以上、総合的な知能について記述するのは非常に困難です。根拠を明確にしながら分野を限定した記述を行うのが良いでしょう。

行動に基づく推測:

「発話の録音記録、逃走経路選択の傾向から、SCP-XXXX-JPは10歳のヒト程度の言語処理能力、空間記憶能力、論理的思考能力を有すると推測されています」



人型オブジェクトの知能について記述する

 人型オブジェクトの場合、ヒトと同じ知能構造を仮定できる場合には知能検査を用いることができるでしょう。オブジェクトを人間として扱うべきではないというのはあくまで共感と倫理の話であり、科学的にはヒトと同様に扱うのが妥当な場合、ヒト同様に扱わなければむしろ妥当でない結論を導くことになります。一方で、ヒトと同じ知能構造を仮定できない場合は何らかの言い訳が必要でしょう。

 後天的に異常を獲得した人間の場合、ヒトと同じ知能構造を仮定するのはある程度妥当でしょう。この場合、単に「高い知能を持ちます」と書いてもそこまで奇妙な記述にはなりません。ただし、心理的なものは見えないものであり、見えないもの・概念の測定については、用いる測定法・尺度によって異なる結果を生じる可能性は念頭においておくべきです。心理学的な見えない概念の記述の場合は、用いた測定法や尺度を記述しておくと、よりクリニカルに見えます7

 後天的異常の中でも、自己の精神に関係する異常を獲得した人間は、知能構造が異常に大きく影響を受けている可能性があります。人間と同様の知能構造を持つ可能性は高いものの、一応妥当性については言及しておいた方がクリニカルでしょう8。ここまで説明してきたように、完全にヒトでないオブジェクトとして記述することも有効な選択肢の一つです。

 遺伝子・発生経緯からはヒトとみなせるものの先天的な異常をもつ場合、「そもそもヒトではない」 / 「ヒトだとしても成育段階で異常の影響が強く、知能構造が異なる」可能性があります。冷酷さとクリニカルを徹底するならば、完全にヒトでないオブジェクトと同様の記述をするとよいでしょう。冷酷さをそこまで出さない場合は、上で出した例のように一応妥当性に言及しておけばよいでしょう9

 遺伝的にも人間と見做せない場合──要はヒトの形をしているだけのオブジェクトの場合、完全にヒトではないオブジェクトと同様の記述をすべきです。


感情

感情について

 感情・情動の話は──非常に難しいですね。心理学者たちは日夜この概念について争っており、あまりに多くのことがわかっていません。

 ここでは、名前のついている「感情」と、特定の名前で言い表せないような「心の動き」を明確にわけることにしましょう。報告書に登場させたいのは、「感情」の方ですね。「このオブジェクトは喜びます」とか、「このオブジェクトは悲しみました」というような記述を通して読者の共感を引き出すため、感情はよく用いられます。では一体、世界にはどのような感情があるのでしょうか?

 感情についての派閥は大きく分けて三つあります。一つは「ヒトは種として共通に持っている感情があるんだ!」と主張する、基本感情派です。
 エクマンの基本6感情モデルが有名で、人間は「怒り・嫌悪・恐怖・喜び・悲しみ・驚き」の6つの感情を共通して持っていると主張しています。それ以外の感情は、これらの感情を組み合わせたものや、状況に応じて名前を変えたものだというのが彼らの主張の大枠です。なんだか直感的な考え方ですよね。その割には、基本感情の数が研究者によって増えたり減ったり、文化によって違う結果が出たりします10。なんでや!

 次の立場は、X要因説派です。基本感情派が言うようにバッチリわかれた感情が離散的に存在しているわけではなく、感情は連続的なものだと主張します。例えば感情が「覚醒度」と「快・不快」で決まると考える2要因派は、「覚醒度も快も高めな感情が喜びと呼ばれているんだな」と考えます。それぞれの領域にたまたま名前がついているだけで、あくまで感情同士は連続的に結びついていると考えます。領域同士の隙間は名前がないだけで、何も感じないわけではなく、心の動きはあります。また、感情の配置は文化によって異なります。

emo_graph.png

非常に簡単な模式図。配置は適当。

 最後の派閥は、感情の構築主義派とでもいいましょうか。彼らは声高らかに「人間に共通の感情"概念"なんてないんだ」と言います──が、この話をする前に構築主義の話をしないといけません。
 我々は普段沢山の抽象的概念を操っています。椅子、数字、車……こういった概念は客観的・物理的に存在しているのではなく、様々な環境や必要性に応じて恣意的に認識上で組み上げられたものであるという考え方が、構築主義の考え方です。……ちょっとわかりにくいですね。もう少し具体的な例をみてみましょう。
 車という概念について考えてみます。ふつう我々が車と言えばタイヤのついた鉄の塊を指しますが、馬車だって車です。乳母車だってそう。バラバラで上手く定義づけられません11。それに、車と言われて連想する形も、材質も文化ごとに異なります。もし概念が客観的・物理的に規定されるなら、そんなズレはおこらないはずです。「これこそが車」というようなイデア、理想形、本質が存在するのではなく、車というのはあくまで社会的な要請の中でゆるーくつながった概念なんですね。

 感情概念もこのような構築主義的概念であると、この派閥は主張しています。まず基本感情なんてものはありません。二要因派の「覚醒度」や「快不快」という概念は確かに有用であるものの、素材の一つにしかすぎません。我々は、「環境、状況、体の感覚、予測、覚醒度、快不快」などの様々な要因を解釈して「感情概念」を構築し、それを用いているだけなのです。感情とは、社会が勝手に特定の状況や心身の状態をひとまとめにして名付けたものであって、客観的・物理的に存在するものではありません。したがって強く文化に依存するものですし、外界の状況によって容易に変容するものです。
 ちょっとわかりにくいですが、シャーデンフロイデはよい例になります。シャーデンフロイデはドイツの感情で、特に他人が不幸になっているときに感じる快い感情を指します。ドイツという文化の要請に従って、他人が不幸になっているという状況、そして快さ等、さまざまな要因からシャーデンフロイデという感情は構築されているのです。日本でいう「わびさび」なんかも、似たようなものかもしれません。

 ここまで大変ざっくり書いたのですが、重要な点は、「感情の種類には人間の中でさえ文化差があるかもしれない」ということです。基本感情派でさえ、基本感情を混ぜた結果別の名前で呼ばれるようになった感情があることは認めています。感情を記事中で用いる際は、それが文化依存的で定義の曖昧な概念であることを念頭におく必要があるでしょう。


感情を報告書に記述してはいけないのか?

オブジェクトは死んだも同然: 文字通り、アノマリーの事情は斟酌してはいけません。捨てられているスナックの包み紙よりも価値がありません。
ですから、記述するにあたって同情は無用です。オブジェクトがどのように考えるか、どのように感じるか思い悩んだりしません。それは読者がすることであって、SCPを現実として書くものはアノマリーが何であるかを額面通り書くまでです。

 最近の傾向はわかりませんが、少なくとも私がこのサイトに参加したころは、オブジェクトの感情を直接記述することは避けられていました。一つは、上で引用したclinical-tone-declassifiedの一節が力を持っていたからでしょう。これは確かにクリニカルな文章を書くための有用なアドバイスであり──そしてある面では、直接感情を記述して同情を引くような"チープな表現"への指摘をする際に、主観に基づかない尤もらしい理由として役立ちました。

 だからこそ、敢えてここでは疑問を呈しましょう。「なぜ報告書では感情を描いてはいけないのでしょうか?」

 一つの理由は間違いなく、感情表現のために感情語を直接用いるのはチープな表現になりやすいからでしょう。ですがこのエッセイの主目的から逸れるので、創作上の工夫の話は一旦置いておきます。
 
 最も大きな理由は、感情──心的なものを直接測定することが困難であることでしょう。
 オブジェクトの大きさも、腕力の大きさも、定規や器具を使って物理的に計測することができます。しかし心の中のものは実体として存在せず、ゆえに物理的な定規をあてて測ることはできません。確かめられないものは無根拠な推測にすぎず、したがってクリニカルではないという理屈です。

 これは一見正しいですが、必ずしもそうではありません。目に見えないものを直接測れないことが問題なら、オブジェクトが抱える病すら記述できなくなるでしょう。熱が出るならまだしも、症状が倦怠感やめまいのような物理的に測れないものしかない場合、これらの症状から熱中症と診断するのは非科学的なことでしょうか? そんな主張がまかり通るなら、医療は崩壊です。
 感情だって大抵何かしらの"症状"を伴います。悲しんでいれば涙が出て、行動傾向は抑制的になるでしょう。これらの"症状"から「悲しさ」という病名を診断することはおかしなことではないように思えます。

 あらかじめ、あり得そうな反論にお答えしておきましょう。「悲しさって言ったって色んな"症状"があるだろう。それを基に"診断"するなんて当てにならないよ」──熱中症だって色んな症状があり、一部の症状が出たり、出なかったりします。だからこそ複数の症状や状況を参考に診断をするわけです。

 次に聞こえてくる反論は──「病気の診断、診断基準という定規が用意されているんだ。感情の判定に定規はないだろう」。
 素晴らしいですね。前半部についてはその通りです。でも、後半は本当にそうでしょうか?
 心理学者たちは、日夜「見えないもの」を測るために様々な定規を開発してきました。イメージしやすいところでいえば脳波の測定、質問紙、それから種々の奇妙なテスト12が作り出されています。感情についても"尺度"と呼ばれる質問紙が用意されていて、一定のコンセンサスのもとに測定することができるものもあります。嘘がつけないように間接的に測定する方法もあります。財団ならば感情を測定するために、観察に基づく指標を持っていてもおかしくありません13

 ということで、「根拠/基準がない勝手な推測だから」という理由は消えてしまいました。他にはどんな理由があるでしょうか?

 次によく言われるのは、「わざわざ報告書に感情の記述を入れる必要がない」ということですね。確かにこの言説が正しいこともあるでしょう。一方で、そのオブジェクトの感情を記述することが有用な場合もあります。例えばオブジェクトの隠された経歴を探るために感情的な揺さぶりをかける場合や、ある手順が禁止されていることの根拠として、オブジェクトがその手順に対し感情的な反応を表出することを記述する場合などです。んまあ、身も蓋もないことを言ってしまえば、そもそも報告書は書く必要のないことで溢れています。インタビューとか補遺とか。要約したり、補遺じゃなくて本文に反映したりしなさいよ14

 他の理由で思いつくのは、「感情は定義が曖昧で多義的な概念だから」ということです。
 これについては反論のしようがないですね。そして、あなたは明日から報告書に「車」と記述できなくなりました。
 構築主義者の立場を取るなら、先に述べたように、感情も車も社会的に構築された概念ですし、そもそも言葉というものは恣意的に区切られたものです。世の言葉の大半に確固たる定義なんてものはありません15。確かに厳密性を突き詰めるなら、なるべく定義が明確な概念を用いたいところですが、その果てにあるのは特許請求項を数十倍難解にした文字列です。
 ですから厳密性を突き詰める前に理解していただきたいのは、車や特定の感情が抽象的な概念であって物理的には存在しないとしても、「社会的な現実」として存在しているということです。それは一意に定義できないけども、その社会の中では通じるし、大抵同じようなものを思い浮かべることができます。上司に車を持って来いといわれて、ハンドスピナーを持ってくる後輩はいないのです。
 もちろんなるべく曖昧性の低い言葉を使うように心がけることは好ましい態度です。車というより、四輪自動車と記述したほうがクリニカルでしょう。四輪に限らないならば自動車、馬車も含むなら車でしょう。感情も同様に、可能な限り曖昧性を排除しようという試みはするべきですが、必要なときには報告書に登場しても良いはずです。

 最後の理由は、「擬人観」です。
 人型でないオブジェクトについて感情を記述することは擬人観にあたります。感情システムはあくまでヒトが進化の過程で獲得した非常に高次の心理システムの一部であり、その結果生じる種々の感情もヒトに(おそらく)特有のものであると考えるべきです。したがって非ヒトオブジェクトの心的状態を特定の感情で表現することは擬人観となるので、避けなければいけません。
 逆にいえば、後天的に異常を獲得したヒトや、極めて類似するシステムや感情を持っているオブジェクトである場合、感情を記述することは擬人観にあたりません。ただしそれを確かめるためには多面的な実験・観察を行う必要があるでしょう。また基本感情派以外の考え方によれば感情の分け方は文化依存的なものであるので、オブジェクトが日本的文化に合致した感情構成をしているかも確認する必要があります。

 なお、「観察者からは"怒っている"と表現される──」といった表現を使ったからといって、擬人観から逃れられるわけではありません。それは観察者が擬人観に基づいた報告をしているのであって、観察者が信頼できない情報源とみなされるだけです。そして信頼できない情報源の証言を報告書に乗せるべきではありません。雑な報道機関じゃないんですから、「そういう発言があったということ自体は事実なので発言内容が嘘であってもセーフ」という言い訳は通じません。もちろん感情システムが人間と共通していると見做せるならば、この表現を使っても問題ないでしょう。

 まとめると、以下の条件を満たせば報告書内に感情を記述することができそうです。

  1. 妥当な手続きを経て感情が測定されていること
  2. わざわざ文化依存的で曖昧な概念を用いる妥当性があること
  3. 感情を経験する主体が、ヒトと同様の感情システムを持っていると仮定できること

 かなり条件が限定されてしまいましたね。次の節ではこのような条件を満たし、あるいはかいくぐりながら感情を描写する方法について考えていきましょう。

感情を描写する方法

 物語上の要請として、「ヒトじゃないんだけど感情を描写して読者の共感等を引き出したい」という場面が出てきます。ここからはそういった場合に、報告書でオブジェクトの感情を描写する方法について具体的に見ていきましょう。

〇 行動で記述する

 客観的に観察可能な行動を記述するという方法はclinical-tone-declassifiedでも提案されているとおり、最も手堅く、かつ創作的にみてもクレバーな方法です。

地の文への行動の記述:
「実験後、SCP-XXXX-JPの暴力的な行動、職員への威嚇、命令への不服従が増加しました。」

 「怒っている」と書く代わりに、このように書くことができます。心拍数など、身体の状態の変化を記述することもできるでしょう。ただし、涙を流す等あまりに人間的で典型的な行動は「非常に作為的で人間的」にみえることを忘れないでください。それはある種の擬人観であり、創作的に見れば感情語をそのまま書いているのと変わりません。ウミガメは苦しくて泣いているわけではないのです。

インタビュー・観察記録:

映像記録 - dd/mm/yyyy

00:11 [鎮静剤の効果で、SCP-XXXX-JPは収容室の中央で眠っている]

00:13 [SCP-XXXX-JPが目を覚まし、収容室を徘徊し始める]

00:17 [SCP-XXXX-JPは牙を剥き、壁を執拗に叩き続ける]

00:35 [SCP-XXXX-JPは壁から離れ、収容室の扉に向かって数度吠える]

 時系列順かつより印象的に描写したいのであれば、地の文だけでなくこのような観察記録も手段の一つです。形式は色々あると思うので、書きやすいフォーマットを採用すると良いでしょう。対話可能であればインタビューもよいでしょう。注意点は地の文に行動を記述する場合と同様です。

 

〇 より単純な概念・専門的用語を用いる

 直接的に感情語を用いることを避けたり、心理関係の専門用語を用いたりすることで、報告書のクリニカルな印象を安定させることができるでしょう。
 

単純な概念を用いる:

「無音状態において、SCP-XXXX-JPは高レベルの不快感を報告します」

 快、不快、覚醒度などの概念は、より単純な概念であり、ヒト以外への応用が効く可能性が高いでしょう。なんらかの意思疎通が可能なオブジェクトである場合は、彼らの主張や質問紙への回答を根拠として、このような記述をすることができるでしょう。感情語より曖昧性が低いという意味で、感情語を直接用いるよりクリニカルな印象の減損を防ぐことができます。

 ただしオブジェクトの心理システムに対する推測といくつかの前提を仮定していることには変わりないので、行動で記述する方がクリニカルなイメージを与えられることは考慮しておくべきでしょう。

専門風用語を散りばめる:
 好き・嫌い程度であれば、専門風の言葉で言い換えることもできます。感情などの曖昧な概念を用いる場合は、周囲の言葉をより専門風の言葉遣いにすることでクリニカル成分を補給することもできるでしょう。

 以下は使えそうな言葉のリストです。本当であれば、心理学についての専門書籍16や心理学の論文を読み、そこから語彙を拝借するのが理想でしょう。

  • ~は有効な正の強化子として働く - ご褒美になって、ある行動を増加させる効果があるという意味です。「~を好む」の言い換えです。条件付けの実験を行っていることが前提ですので、基本動物に使います。
  • ~は有効な負の強化子として働く - 罰になって、ある行動を現象させる効果があるという意味です。「~を嫌う」の言い換えです。ただし、条件付け学習の実験を行っていることが前提ですので、基本動物に使います。
  • ~へ動機付けられる - 「~をしたくなる」という意味です。外部から観察できない内的な状態なので、ヒトの自己報告を前提とします。
  • ~を経験する - 「抑うつ状態を経験します」のように、特定の感情や心的状態になることをいいます。内的な状態なので、ヒトの自己報告を前提とします。
  • ~を形成する - 「対象へのネガティブな印象を形成します」のように、印象や表象など、なんらかのイメージをもつことをいいます。内的な状態なので、ヒトの自己報告を前提とします。
  • ~を報告する - 「強い倦怠感を報告しました」のように、ヒトが内的な状況について証言するという意味です。
  • ~への接近行動をとる - 特定の対象・状況に接近するという意味です。「~を好む」の言い換えです。
  • ~からの回避行動をとる - 特定の対象・状況を回避するという意味です。「~を嫌う」の言い換えです。
  • ~抑制する - 「過剰な照明は摂食行動を抑制します」のように、「しなくさせる」ことを意味します。
  • ~促進する - 「適切な照明は摂食行動を促進します」のように、「するようにさせる」ことを意味します。
〇 直接の感情語の利用
  1. 感情を経験する主体が、ヒトと同様の感情システムを持っていると仮定できること
  2. わざわざ文化依存的で曖昧な概念を用いる妥当性があること
  3. 妥当な手続きを経て感情が測定されていること

 この三点を満たして感情語を用いるケースです。もっとも曖昧な概念を用いることに変わりはないので、可能であれば避けたい選択肢でもあります。また、不要な共感や同情を動機として感情が記載されているのではなく、あくまで科学的に必要だから書かれているということが分かるように書くことが好ましいでしょう。

システムの一致に言及する(感情構造の一致):

「SCP-XXXX-JPは複数の感情検査の結果一般的な日本人と極めて類似した感情構造をもつと考えられており、」
「行動観察に基づき、予知能力以外について、SCP-XXXX-JPが一般的な日本人と極めて類似した感情構造をもつという仮説が立てられています。」

 検査、実験、観察等の根拠のうえで、オブジェクトが特定の文化において一般的な感情構造を持つと考えられる場合、このような記述を用いることができます。より細かく言えば、ヒトと同様の心理システムを有し、さらに特定の文化におけるものと同様の感情構造を持つことを示さなければいけません1718。ただし知的構造の場合と同様、この記述を用いる場合は『オブジェクトが童話のキャラクターのように外側が獣でも中身がまるっきり人間である』のを認めているようなものであることには注意が必要です。

その感情語を用いることが妥当な場合:

「SCP-XXXX-JPの異常性発生のトリガーは驚きの経験です」

 オブジェクトが自身の内的な状況を参照して異常性を発揮するタイプである場合、感情に言及しなければまともに異常性に言及できません。そのような場合は、感情に言及するのが科学的な態度でしょう。このような場合も含めて、感情に言及しなければ正しく報告書を記述できない場合はむしろ感情に言及すべきでしょう。

手続きを明記する:

「想起式標準感情尺度の結果、イベント中オブジェクトが強い不安を経験していることが判明しました。」

 実験や用いた尺度を明記することによって、「適当な推測ではなく妥当な手続きで測定されたものである」ことを強調します。脚注の中に入れても良いでしょう。

報告を転記する:

「オブジェクトはイベント中、強い不安を報告します。」

 オブジェクトの発言をそのまま引用するパターンです。ただし、心理システムの一致が仮定されていないのなら、このような報告には疑ってかかるべきです19



人型オブジェクトの感情について記述する

 大体は知能の項で述べたことと同じです。ただし、オブジェクトがどれだけヒトと同じ精神構造を有していたところで、常に文化差による感情の差と、概念の曖昧さ、報告書にわざわざ感情を書く妥当性という問題が付いて回ることは意識すべきです。


おわりに & 免責事項

 今回はときどき報告書で見かける知能・感情の記述について、心理学的な視点から私的な意見を述べてきました。

 知能については既存のエッセイ群に新しい情報を付け加えられた気がしています。一方で感情については結局のところ、結論はclinical-tone-declassifiedとほぼ同じになってしまうかもしれません。感情を描くことはリスクばかり増えてメリットが小さい行為になりがちであり、基本的に避けるべきことなのでしょう。

 しかし一方で、どうしても感情について記述したいときもあると思われます。そういった場合に、なぜ感情を描くべきでないのかを理解することによって、どのようにやるべきか、どのような点を気にかければいいかを考えることができるはずです。このエッセイがそのお手伝いになれば幸いです。

 なお、本エッセイは私自身若干専門外の部分も含めてかなり噛み砕いて説明した関係上、いくつか正確ではない表現や私の誤解が混じっている可能性があります。したがって、ここで得た知識を飲み会で自慢げに語り、その結果野生の心理学者に論破されたとしても私は責任を取れません。各トピックについて気になった方は、是非専門書籍の購入を検討してみてください。入門ならば、有斐閣アルマシリーズがおすすめです。

 最後に、このエッセイはあくまで私見であって、ルールではありません。あくまで一つのアドバイスとして、批評や執筆のお役に立てれば幸いです。


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