主要な登場人物
劇作家: シェイクスピア悲劇およびその派生作品を専門的に上演する劇団を率いる人物。"劇作家"を名乗る実体自身が演じる。
先王: 劇作家を寵愛していた先代の王。
王女: 先王の娘。
現王: 先王に代わって即位した王。先王の弟。
[衛兵は、"先王"に寵愛された偉大なる"劇作家"と、彼らの劇団が演じるシェイクスピアの悲劇を讃えている。衛兵はまた、病魔で先王が死し、劇作家と彼が率いる劇団が"現王"によって解散の危機に瀕していることを嘆く。また、最近宮廷に出没すると噂される先王の幽霊も、きっとこれを嘆いてこの地に縛られているのだろうと語り合う。]
[現王が登場する。それに追従するように、先王の娘である"王女"が、続いて劇作家が登場し、現王に跪く。]
[現王は劇作家に、新しい皇帝が開催するパーティで、王女を主役とした新しい筋書の劇を披露することを命じる。そうして、劇が成功すれば劇団の解散は取り消すことを告げる。劇作家は命令を受け入れる。]
[現王が退出し、王女と劇作家が会話する。]
劇作家: 王女様、お久しぶりでございます。先王のお膝でお目を閉じながら観劇されていたのがまるで昨日のよう。
王女: 御戯れはおやめになって。そんなことよりも、きっと聡明なあなたなら、王のご真意はご理解いただけたはず。
劇作家: もちろんでございます。すなわち、王女様のお披露目会であると。森の偉大なる巨木からもぎ取った果実を己が手柄と差し出す卑しい農夫のよう。
王女: その農夫もまた果実から見れば強大で、摘まれるに身を任せる他ありません。そうして、新たな皇帝陛下はどうやら果実が何よりの好物とのこと。
劇作家: それは何より。皇帝陛下がすぐにお手を伸ばせるよう、我々ならばどんな果実も美しく飾り付けて見せましょう。たとえそれが泥まみれであっても、涙でそれを流してみせましょう。
王女: 泥まみれとして、必ずしも涙ばかりが必要でしょうか?
劇作家: ――お考えを図りかねます。
王女: すなわち、浅ましき農夫の手で摘まれた果実は、せめて笑顔に見送られることを望むだろうと。
劇作家: つまりは。
王女: 此度の劇、悲劇ではなく喜劇とはなりませんか。
劇作家: ああ、なんということを。喜劇など、いけません。命の本質とは悲劇であって、決して喜劇ではないのです。喜劇は笑いであり、笑いとは理の欠如です。理を欠かねば喜劇的な結末に辿りつかず、それはつまり現実の否定という次第です。いかなる喜劇も胸を打たず、王女様を引き立てるにも、観客を満足させるにも不十分です。
王女: しかし、かのシェイクスピアも喜劇を書いたと。
劇作家: 例えば、私と同じ名の他人がいたとしましょう。その男が書いた作品は、私の作品たりえるでしょうか? シェイクスピア喜劇とは実際のところ、彼と同名の何者かがしたためた駄文に過ぎないのです。仮にそれがシェイクスピア自身の手によるものであるとしても、その手を動かすのは彼の中の他者なのです。そうでなければ、くだらない滑稽などで彼の経歴を汚すことがあり得ましょうか? いかなる喜劇も表層的であり、表層的であるがゆえにシェイクスピア的ではないのです。
[王女の続く言葉を聞かず、劇作家はその場を立ち去る。その途中、劇作家は王女の資質を嘆く。]
劇作家: ああ、偉大なる先王様。どうしてこのような哀れな果実を残して先に逝かれてしまわれたのか。あれはまだ青く、貴方様の漂わせた芳醇な機知も持たず、その佇まいも全く以て洗練されておりません。それだけでなく、劇も人生も全く解さず、才の一つも感じません。劇団員たちのことを考えればと命を受けたものの、あれを主役に妥協せよとは、ああ、どうしてそのような試練を残されたのか。
[取り残された王女は語る。]
王女: ああ、あなたはこちらを向いてくださらない。新月の不吉さをも飲み込む夜の海の闇の如く、滑らかで甘美な響きの声、深い黒を湛えた美しき瞳。その闇に、私ごときが似つかわしくないのは、何よりも私が知っていることなのです。お父様に抱えられ目を閉じたのは、眠っていたからではありません。舞台の暗がりに潜むあなたは、子供には恐ろしすぎたのです。いいえ、恐ろしいだけであれば、子供らしく泣き叫び、劇場から抜け出せばよかっただけのこと。すなわち、私はすでにあなたの闇の虜になっていたのです。だけども、ああ、畏れ多くも、私はずっと怯えているのです。その悲しき夜の闇は、いつかきっと、あなたを――
[王女が退場する。暗転。]
[王女は劇団員の指導の下、ぎこちないながらも日々演技の練習に励む。劇作家は机に向かっているが、その手は動いていない。]
[劇作家が立ち上がり、練習を続ける王女の前を一瞥もせずに通り過ぎようとする。]
王女: いかがですか。私の舞は、台詞は。
劇作家: 申し上げるとするならば、悪魔を演じるのは簡単です。悪魔には心がありませんから。この世という現実では演じたいと思えばいつでも――思わなくとも人は悪魔になれてしまう。それに比べて悲しみを演じるのは難しい。悲しみとは人間の心であり、真の飢え、痛み、孤独を知る者でなければ演じられないでしょう。そうでなければ、登場人物のことをまるで自分のことかのように想い、涙を溜めることなど叶いません。
王女: この劇団の方々はみな素晴らしい悲しみを演じる。
劇作家: ええ。そういう境遇のものから我々はできていますから。だからこそ私は彼らを守らねばなりません。もっとも、宮廷暮らしの王女様は、どうやっても悪魔の演技がせいぜいできる程度でしょう。ですが、欲深い男を誘惑するならば悪魔は適役です。
王女: そんなことを! 私だって父を失っています。
劇作家: 残念ですが、先王様は運命を全うされたのです。病気で死ぬとはそういうことです。そこに幸福の末の悲しみはあっても、悲しみの末の正しい悲しみはございません。
[王女は顔を押さえてうずくまる。劇作家は歩き去り、机の前に横たわる。]
劇作家: 王女様もやがてお諦めになるだろう。それよりも大変なことは―― ああ、やはりやってきた。
[三つの顔を持った悪魔が現れる。それぞれの顔はシェイクスピアの肖像を模している。]
悪魔: おお哀れな劇作家よ。なんという悲劇。その脚本に書かれた駄作で何を為そうというのかね。
劇作家: ええい、黙れ。近頃は眠るといつもこの悪魔がやってくる。忌々しくも偉大なるシェイクスピアの顔を借りて。去れ、去れ!
悪魔: 自分自身が気づいているだろうに。お前の力はもう枯れたのだ。
劇作家: 何を言うか。マクベスでもリア王でも、私を支えてくれる作品は尽きない。その筋書きを借りれば、いくらでも新しい物語など作れるわ。そうやって今までもやってきたのだ。
悪魔: 元よりお前の才は作り出すものではない。美しい布をさらに美しく編みなおすものだ。それが枯れたと言っているのだよ。
劇作家: 聞かぬ。心なき悪魔の言葉など胸に響かぬ。
悪魔: 私ならお前にもう一度才を、そしてお前の劇に力を与えることができる。私はいつでも待っているぞ。
[悪魔は退場する。次いで、劇作家も立ち上がり、頭を抱えながら退場する。暗転。]
[練習が続き、劇団員らから王女にいくつかの試練が与えられる。それらを王女が突破し、劇団員らの抱えた問題を解決するうちに、劇団員たちは王女と打ち解け、王女も彼らに気を許したことが語られる。劇団員は聡明な王女を賛美する。]
[王女と劇団員が歓談している場面。舞台袖から頭を抱えた劇作家が歩いてくる。劇団員と王女はそれに気づいた様子で、悲劇の一場面を演じ始める。王女の舞はより滑らかになり、上達しているのが見て取れる。王女の歌に反応し、劇作家は顔を上げて王女を見る。]
[一場面を演じ切って、王女は劇作家がついに自身の演技を最後まで見たことを喜び、劇作家に感想を求める。劇作家は我に返って、何も言わずにその場を去ろうとする。王女は劇作家の背に向かって呼び掛ける。]
王女: ああ、お待ちください。何も言ってくださらなくとも構いません。私がまだ未熟であることは私の一番よく知るところでございます。ですが、劇作家様、私の演技を少しでもお認めになられたのなら、どうか喜劇を、喜劇を書いてください。
[劇作家は反応せず、机の前に座り込む。王女と劇団員は退場。]
劇作家: なんということだろう。螺鈿ように色鮮やか、美しく滑らかな所作と声! あの才をどうして否定しようか。偉大なる先王の血が、確かに王女様にも継がれている。私はなぜあの才を見抜けなかったのか。どうしてああも無礼に振舞うことができたのか。
劇作家: いや、見抜けなかったのではない。私は確かに感じていたのだ。私は怯えていた。舞台の上から幼い彼女を見下ろしたときから。溢れんばかりの慈愛を受け、そしてその慈愛を惜しげもなく周囲に振り向く彼女の光に。あまりにも暖かで美しい輝き。彼女の光が私の闇を焼き尽くしてしまうと恐れたのだ。
劇作家: 私は劇作家だ。悲劇作家である。私の作品は私の闇から、悲しみから生まれるのだ。暗がりに身を浸さねばならない。一分の光も許されない。もしあったとして、それは見えない深みに抑えられねばならない。暗がりのなかにしか、私は存在できない。
劇作家: だが、私の暗がりが彼女の光を覆い隠してしまうというのなら? たとえ色好みとはいえ、皇帝は皇帝である。見初められれば、あの卑小な現王のもとに居るより、幾分よい暮らしを送れるだろう。その未来を、私の悲劇が、私の卑しい暗がりが、翳らせるというのなら? それは許されない。それならば彼女の望む通り……
[劇作家は机に向かい、新たな喜劇の脚本を書きはじめる。王女と劇団員が登場し、掛け合いが演じられる。劇作家はその間、脚本を書くことと、王女の練習を鑑賞することを繰り返す。王女と劇作家の間には少しずつ会話が増え、関係は改善していく。]
[暗転。]
[夜、劇作家は机に向かって脚本を書いている。そこに先王の姿をした幽霊が登場し、劇作家に話しかける。劇作家は数度の問答の末、それが先王自身であると確信する。]
[先王は、新皇帝が気に入った女性を最後には殺してしまう狂人で、それゆえに次々に妻を娶ること、現王はそれを知りつつ、邪魔になった王女の殺害と権力のために劇を企画したことを明かす。そうしてそれは、現王の妻がついに子を身ごもったためであると説明する。そして最後に、自らは現王に毒を盛られて殺され、王女もそれを知っていると語る。先王は自身の復讐を果たすように懇願して、朝の訪れとともに地獄へ帰っていく。]
劇作家: ああ、どうせよというのですか。私単身、貴方様に見いだされ、救われた身でございます。私の命などいくらでも喜んで差し上げましょう。私とて、現王に毒の剣の一つ突き立てることくらいはできます。ですが、それを為したとて、王を継ぐのは現王の子です。その子が王となれば、やはり王女様は邪魔となって殺されてしまうでしょう。先王様、まさか王女様の命を見捨てて、復讐をなせとおっしゃるのか。
劇作家: いいえ、そのようなことはできません。王女様は父殺しの真実を知ったにも関わらず、それを一人黙っておられた。その意味がお分かりか。仮に現王の罪を告発したとして、王女様はまだお若い身。皇帝が王女様を新たな領主として認める保証がございません。その混乱に我々下々の民を巻き込むまいとしたのでしょう。ああ、私はどうして、幸福の末の悲しみなどと口走ったのか。彼女は孤独にこの悲劇を耐えていたというのに。
劇作家: 嘆けど嘆けど脚本は進まない。私に何ができるというのだろう? このまま流れに身を任せるか、それとも流れに逆らい、先王の復讐を果たすべきか。しかし私には守らねばならないものがある。劇団員たち、そして王女様…… もはや、私が生きるか、それとも死ぬかの問題ではないのです。
[劇作家は机から少しずつずり落ちていき、やがて机の前に横たわる。そこへシェイクスピアの顔をした悪魔が登場する。悪魔は願いを叶える力を与えると、劇作家を誘惑する。劇作家はそれを何度も断るものの、悪魔が王女について語るたびに決意は揺らいでいき、やがて自身の魂と引き換えに悪魔と契約をする。]
劇作家: ああ、そういうことか。つまり、我々の本分を生かせと。
悪魔: まさしく。私はそれに力を与える。あとはお前の願うままになるだろう。
劇作家: 忌々しい悪魔よ。しかし、忌々しい力こそ我々、そして汚らわしき皇帝のパーティーには似つかわしい。
[劇作家は今まで書いていた台本を捨て、新たな台本を書きはじめる。悪魔は退場する。]
[暗転。]
[劇作家は劇団員たちと語り合う。劇団員たちに先王の死の真実と王女が辿りつつある運命を明かすと、劇団員たちは先王の死と王女の運命を嘆き、現王に怒る。そうして、危険を冒しても先王のために復讐を果たし、王女を救うことを決意する。]
[皇帝のパーティーの場面。劇団員と王女らは、現王と皇帝の前で劇を演じる。この劇中劇は、兄を毒殺し王となった弟の周囲に、兄の幽霊が出現し、その言に惑わされた王の周辺人物が狂っていくという悲劇であった。最終的には隠れていた兄の娘が新たな領主となって物語は終わる。劇の終わりには悪魔の高笑いが響く。]
[この劇を観劇した現王とその家族は怒りと恐怖のあまり、狂気に飲まれてしまう。皇帝は王女の才を認め、妻として娶るのではなく、狂った現王の代わりに領を治めることを命じる。ただし、劇作家と劇団員らは、狂気の劇を上演したことの罪として、皇帝から追放刑を言い渡される。劇作家たちは王女と話す間も与えられず、館を追い出される。]
[暗転。]
[城の庭、王女が登場し、川のほとりにある庭で、劇作家のことを思って嘆く。]
王女: 劇作家様、あなたは悲劇を選びました。劇も、私達の結末も。結局私のことは認めてくださらなかったということでしょうか。あなたは今や罪人です。あのような不毛の地に追放されては、もはや生きてはいられないでしょう。あなたを十分に弔うことさえ許されません。せめて、これを。
[王女は庭の花を摘んで花の冠を作る。]
王女: キンポウゲ、イラクサ、デイジー、紫蘭を紡ぎましょう。小さなころに植えた早咲きのスミレは、いつの間にかローズマリーに植え替えられていました。ですから、このローズマリーも添えましょう。そうして、この柳の木へ花冠をかけ、哀れなあなたへの弔いとします。
[王女は柳の枝に花冠をかけようとして背伸びをする。そのとき、王女は足を滑らせて川に転落する。]
[王女は静かに川に流されていき、退場する。]
[次いで、追放され野を放浪する劇団員たちが登場する。彼らは、飢えに苦しみ、次々と倒れていく。劇作家の前に三つのシェイクスピアの顔を持った悪魔が現れる。]
悪魔: なんたる悲劇か。まるでお前たちが演じてきた物語のよう。
劇作家: 我々が悲劇の筋を追うならば、王女様も追うべき筋を追ったということ。
悪魔: その通り。万事契約の通り。彼女は新たな王となり、その後はあれの自由だ。お前は王となった先を書かなかったのだから。
劇作家: 書けなかったのだ。私には悲劇しか書けないのだから―― さあ、それさえ確認できればよいのだ。はやく魂でもなんでも奪いたまえよ。
悪魔: これよりお前たちがゆくのは私の監獄。凍える冥府の中心。そう急がずとも、勇猛であればあるほど、罪人が凍り付くには時間がかかるだろう。
[悪魔の高笑いと共に劇作家が力なく倒れる。暗転。]
[川を流れた王女は凍り付いた冥府にたどりつく。川辺で身を潜めていると、王女の近くを悪魔が通り過ぎる。王女は人の姿のままでは危険だと考え、悪魔を演じることを決める。劇作家がかつて言ったように、悪魔になろうと願うと、その姿は男の悪魔のものに代わる。その後、王女は自身の身に着けていた装飾品と引き換えに、森の近くの家を購入する。]
[劇作家と劇団員たちもまた、凍り付いた冥府で目を覚ます。周囲は森である。劇作家と劇団員たちは近くの洞穴に身を寄せる。みなで生活を整える中、不安に駆られた劇作家は、周囲の氷塊に、王女への憧れと情愛、不安をうたった歌を刻み付けて回る。]
[王女は自分の名がうたわれた歌を発見する。近くで氷を彫る音が聞こえ、それを辿って劇作家と出会う。劇作家は姿の変わった王女に気付かない。]
王女: そこのお前、一体何をしているのだ。何をそう嘆いている。
劇作家: ああ、悪魔か。だが悪魔にでも縋りたい気分だ。私はとても大切な方をあちらに置いてきたのだ。
王女: ここは冥府、あちらに置いてきたのならば、それは生者ということだろう。何を嘆いているのだ。
劇作家: ここは冥府、罪人の監獄。ゆえに罪深き思いなのだ。さる方にはあちらにいて欲しい。しかしさる方にはこの場にいて欲しい。ああ、私の気は狂ったか。
王女: 罪人が正気のわけがあるまい。
劇作家: まさに、正気ではないのだ。私などという罪人、暗いものは、あの方に全く似つかわしくない。それほどに輝いていらっしゃる。私はそれを間近で見続けて焼けてしまったのだ。目が潰れたのだ。
王女: なるほど、目の前のものの区別もつかぬほどに。
劇作家: そのために道を見失った。私は影の中にあらねばならないのに、どうしてもあの光が思い返される。愛おしく色彩豊かな光が。私の最も大切な光……
王女: 正気を失った哀れな男よ。だが幸運にも、私は正気を取り戻す術を知っている。
劇作家: 悪魔が正気を語るなどおかしな話だ。だが何でもよい。私を闇の中に戻してくれ。光を取り除いてくれ。
王女: よしわかった。それでは私をその者の名で呼びなさい。それが治療だ。そうすれば、あちらにもその者がいて、こちらにもその者がいるということになる。
劇作家: 確かに、その通り。全く私の望み通りだ。少なくともあの方の話をしていたい。
王女: そうして、また次の日、私の家に来なさい。そこでゆっくり語ろう。私とお前で……
劇作家: わかった。明日の日が昇るころ、お前の家を訪ねよう。
[劇作家、退場。]
王女: ああ、劇作家様、あんなにくたびれ果てて。あなたの闇が貴方を食い尽くそうとしています。それなのに、私を見ていることの、なんと嬉しいことでしょう。私は心まで悪魔になってしまったのでしょうか。だけども、恐ろしいのです。あの心が一時の気の迷いに過ぎないのではないかと。もしこのまま人の心を取り戻すのならば、恐ろしくて動けなくなってしまいましょう。そのために、私はまだ悪魔であらねばなりません。
[王女、退場。暗転。]
[翌日、王女の家。劇作家は約束に遅刻する。劇作家を探すために外に出た王女は、近くに住む男女の悪魔の痴話喧嘩に巻き込まれる。王女がそれを仲裁すると、女悪魔の片方は王女に恋心を抱いた様子をみせる。その後、劇作家は遅れてやってくるが、二三言を交わしたのち、すべきことがあると言って二時間後にまた戻ってくるという。王女はその調子を非難しながら、次は必ず約束を守るように念押しする。]
[王女が劇作家を待っていると、先ほどの男悪魔が女悪魔の恋文を持ってやってくるが、王女はその恋文を皮肉って突き返す。その間に二時間が経過するが、劇作家は姿を見せない。代わりに、劇団員の一人が現れ、劇作家が森の氷塊を割って回っているうちに、落ちてきたつららで酷い傷を負ったことを知らせる。王女はその証拠に突き出された血の付いた包帯を見てへたり込み、一旦家に戻る。]
[洞窟の中、包帯を巻いた劇作家が休んでいる。その元を王女が訪れる。悪魔の男女も続いて現れる。]
王女: どうしてそのような凶行を。
劇作家: 王女様、いえ心優しい悪魔よ。あなたを王女様とお呼びするたびに、あなたの後ろに光を見るたびに、あなたの影の中に私は己のあるべき姿を思い出したのです。離別の苦しみ、その飢え、悲しみ、それこそ私が身を浸しているべき暗闇なのです。だからこそ、私はこの苦しみを完璧にするために、私が歌を刻んだ氷塊どもを壊し続けてたのです。そのような慰めは影を曇らせます。
王女: 哀れな人。どうしてそこまで闇の中にあろうとするのだ。
劇作家: ああ、これは断じて自傷ではないのです。自傷のふりをした贅沢なのです。私が悲劇的であり続けるということは、王女様がこちらにいらっしゃらないということです。私が苦しめば苦しむほど、王女様が強い光のなかにいるような気がするのです。私がもはや、冥府の底でできることは、そうして祈ることののみなのです。私は幸いです。愛しい人に身を捧げることが、恋が、この冥府で許されているのですから。
王女: 本当に? お前にとって恋とは?
劇作家: ため息、涙、忍耐、献身。そういったものです。そのために、恋がそういうものだから、私はあなたに恋をするのです。
王女: 誰だ、そのあなたというのは。
劇作家: ここにはいない、この声も届かない方に。
男悪魔: ああ、なんと悲しく冷たい恋だ。
王女: 悪魔の男、お前にとっての恋はなんだ。
男悪魔: 夢見心地、情熱、希望、そういったものです。
女悪魔: 私があなたを思う気持ちもそれと同じ。
王女: もうよい。明日皆揃ってここにやってきなさい。私がいっぺんにその問題を解決して差し上げよう。まずは女の悪魔、私が悪魔と結婚するのならば、私はお前と結婚しよう。そして私は明日、結婚するのだ。次に劇作家、私が人間の恋を叶えるのなら、必ずお前の恋を叶えてやろう。そして、お前は明日結婚するのだ。最後にそこの男の悪魔、お前自身が望むものでよいのならば、私は明日お前にそれをやろう。そして、お前は明日結婚するのだ。お前たちが愛するものを本当に愛しているのならば、必ず明日ここにやって来なさい。
[全員戸惑いつつも同意し、退場する。暗転。]
[翌日、洞窟に一同が集まる。]
王女: まずは約束を。劇作家、お前は恋が叶うのなら、その運命を受け入れると約束なさい。女悪魔、お前は私と結婚したくないのなら、その男悪魔と結婚することを誓いなさい。最後に男悪魔、その女悪魔が私を拒絶するのなら、その女悪魔と結婚することを誓いなさい。
[各位同意する。王女は一旦退場する。その後、人の姿に戻った王女が現れる。]
女悪魔: ああ! 汚らわしい人間だと! 私はお前などと結ばれないだろう!
男悪魔: おお人間、この女悪魔はお前と結ばれないという!
女悪魔: 約束を守ろう。私を思い続けたお前、お前と私は結ばれよう。
[男悪魔と女悪魔は抱擁する。]
劇作家: なんと、王女様。私が浅ましく願ったばかり、冥府に。ああ、あまりに眩しい。体が焼ける思いです、
王女: いいえ、あなたが氷を彫る前から、私はここに居ました。私も罪人なのです。
劇作家: そのような……道理に合いません。
王女: 道理に合わなくてもよいでしょう。私があなたに願ったことは?
劇作家: あなたを認めたなら、喜劇を書くようにと。道理のない喜劇を。
王女: そうです。さあ、演じましょう喜劇を。例え滑稽でも、道理に合わなくても構いません。だからこそ溢れる光もあるでしょう。最初は私が照らします。やがてあなたも閉じ込めた自身の光を見つけるでしょう。
劇作家: もう、悲劇に、シェイクスピアに囚われなくてよいのですか。
王女: ここは冥府、私達を捉えるのは氷の牢獄だけで十分です。さあ、約束を守って。
劇作家: はい。二つの約束を守りましょう。まず、私の恋が叶うのだから、私は運命を受け入れます。そうして、私はあなたと結ばれるのだから、今喜劇を演じましょう。
王女: さあ、笑いましょう。この世の道理など全て忘れて!
劇作家: ええ、笑いましょう。ああ、なんと暖かな光だ! これ以上ない幸福だ! 私はもう悲劇に囚われなくてよい! 悲劇がなくとも、私には光がある! 存在する理由があるのだ。
王女: そうです。シェイクスピアは――
劇作家: シェイクスピアは、もういらない。
[王女と劇作家は向き合って両手を広げ接近し、抱擁を交わそうとする。]
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