褫溶(原案)

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 あの廃ホテルですか? なんといいますか、どこにでもある心霊スポット、そういうものの一つですよ。あまり期待はしないほうがいいと思います。
 一応いわくというのもあるそうで、四階の店長室に仏像が設置してあるらしいのですが、どうやらそれがまずい、と。そういうぼんやりとした話は聞きます。仏像自体は本当にあるらしいのですが、「まずい」というのがなんとも、あいまいで、雑な感じがします。
 昔は色々と体験談なども聞きましたが、やはりどれもよく聞くようなものばかりで。ホテル前で車に乗せた女性が消えたとか、死体が見つかったとか、四つん這いの男性がホテルの中を徘徊しているとか……結局仏像だけではインパクト不足なので、何とか話を盛ろうとしているのが見え透きますよね。
 事件ですか? ……心当たりはありませんね。噂があるとすれば、「あの廃墟では昔一家心中があって」と同じような、よくあるでっちあげじゃないでしょうか。
 最近も、特に変わったことはありませんよ。ああ、でも、あまり不良少年たちから話は聞かなくなりましたかね。
 昔はやっぱり肝試しと言えば不良でしたよね。だから、二十年ほど前は不良少年が大手だったんです、怪談の仕入れ先としては。
 でも最近はめっきりで。特にあのホテルの話なんて、十年近く不良からは聞いてないんじゃないんでしょうか。たまにネットに書き込まれてるくらいですよ。
 やはり不良も生きにくい世の中になったってことでしょうかね。いたるところに監視カメラはありますし、周りの目も厳しい。悪いことをすればインターネットで晒されてしまいます。廃墟も、最近は警備会社が入ってるところさえあるらしいですから。それは肝試しも廃れますよね。意味を認められて明るいところに居られる人間以外、要は不良少年のような方々は、いないものとみなされて、どんどん社会からはじき出されてしまう。人でさえこんな有様ですから、怪異の類にも同情してしまいます。こんなにどこでも街灯で照らされたなら、居場所もないでしょうに。


 どれどれ、この写真ですか。お、可愛らしい娘さんですね。ちょうど、私もこれくらいの息子がいまして。まだまだ赤ん坊の延長って感じですけど、あと二、三年もしたら小学生なんですよね。子供の成長って、なんというか早すぎて、怖いくらいです。……え、ここらへんでですか? いえ、見かけたことはありませんね。
 おっと申し訳ない、お話を戻しましょうか。例の話を、ということでしたね。
 今からお話しするのは、私が高校三年の時の出来事です。もう十五年くらい前の話ですね。当時は私もちょっとやんちゃしてまして、暴走族まで行かないですけど、田舎の悪ガキ集団って感じでしょうか、そういった感じのところに所属していました。
 そういう集団って、いわゆる洗礼みたいなものがありまして。一年に一回、その年に入ったメンバーが度胸試しみたいなことをするんです。基本的には肝試しですね。心霊スポットに行くっていうやつです。
 ただ、普通に肝試しするだけだとちょっと物足りないんですよね。ホラ、ご存じだと思いますけど、いわゆる心霊スポットとかって全然何も起こんないじゃないですか。それだと度胸試しにならないってことで、実は「仕込み」をやってたんですよ。その年に十八歳になる面々が、あらかじめ心霊スポットに行って、人形とかお札とか、怖そうなものを置いてくるんです。で、当日も隠れて物音を出したりしてビビらせる。そういう流れがあったんですね。
 ははは、いや、どっちが度胸試しかって話ですよね。まあ実際、十八歳を越えてくると集団の中では兄貴分として結構力を持つことになりますから、そのための通過儀礼的な側面があったのかもしれません。
 で、私もその伝統にしたがって、「仕込み」をすることになったんですよ。
 肝試しの会場は年によって違うんですけど、その年は地元のラブホテルでした。あ、もちろん廃業して廃墟になってるところですよ。当時からすでに、「かなり前からやってないよなー」ってイメージだったので、今はもう残ってないかもしれません。
 ……調べてないんですよ、あそこが今どうなってるか。この話をするってなったときに調べようと思ったんですけど、ちょっとさすがに、気が乗らなくて。
 それで、その年の仕込み役は私と、もう一人のSというやつでした。入ったときはもっと同期がいたんですけどね。そのときにはもうSと俺くらいしか残ってなくて。まあ、時代ですかね。ずっと不良やってるわけにはいかないって意識が、若者の中でもやっぱり強くなってきてたんだと思います。
 Sはなんていうか、ビビりでした。後輩からもいじられてましたし、喧嘩もすごい弱いんですよ。ただやたら人はいいので、周りからのウケはよかったんですけどね。でもやっぱりなんで不良やってるの?って感じで。そこは本当に謎でしたね。家に居場所がないって入ってくる奴らもいましたけど、Sは家庭環境もかなり良かったみたいなんで。
 ああ、そういえばその日も母親に作ってもらった手作りのお守りを持ってきてましたよ。フェルトで作られたやつで、Sの名前が刺繍されてました。「親公認の不良かよ」って小突いたら、さすがにこの肝試しのために作ってもらったわけじゃないと。本当は合格祈願のためだったらしいです。「それほんとに効果あんのかよー」とか言いながらホテルの前で二人で笑いました。それくらいの温度感だったんですよ、そのときは。
 かつての肝試しの怖い思い出が、実は先輩の仕込みだったってわかってたので、余裕があったんですね。むしろ、「俺らが今までにないくらい怖がらせてやろう」って意気込んでました。幽霊とかもほとんど信じてなかったですし。
 それで、私たちが立てた計画は、店長室を人形でいっぱいにするってものでした。もともとそのホテル、店長室に仏像があって、それがヤバいみたいな話だったんですよ。まあ当然私たちはあんまり信じてなかったんですけど、どうせならそれを利用してやろうと。
 イメージとしては、いわくつきの部屋の扉を恐る恐る開けると、そこには大量の人形が……って感じですね。しかも、仏像の写真を至近距離で撮ってこさせることになっていたんですよ。つまり、仏像に辿り着くために人形の中に入っていかなきゃいけないわけです。
 我ながら最高の案だと思ってましたし、Sもノリノリで。わざわざそれをやるために、知人やリサイクルショップを巡って、大量の人形を集めてきました。そりゃもう気合が入ってたので、結構な量でしたよ。登山リュック2つにパンパンに詰め込んでいきましたから。車で送ってくれた先輩も、私たちの姿を見て爆笑しちゃって。さすがにここまでのはみたことがなかったらしいです。
 私たちがホテルに到着したのはすっかり日が沈んだ後でした。一応廃墟も私有地なので、真昼間に侵入するわけにはいかなかったんですよ。車で送ってくれた先輩は面倒見のいい方で、帰りも乗せてあげる、とホテル近くの駐車場に車を停めて待っていてくれることになりました。
 私たちは先ほどのお守りの話など色々駄弁りつつ、懐中電灯を持ってホテルに入って行きました。
 ホテルの中は、意外と綺麗でした。ゴミが散乱して、ゴキブリやらネズミやらの巣窟になってるんじゃないかと覚悟はしてたんですよ。実際私のときの肝試しは木造の住宅の廃墟で、虫とかが酷かったんです。だけど、このホテルは全然そんなことなくて。
 もちろん経年劣化で所々崩れてるところとかはありましたけど、ゴミとかはほとんど落ちてなかったですね。動物や虫がいる気配もない。むしろ無音で、トン、トンと、私たちの足音だけが響いてました。
 ああいえ、響いていたというか、壁に吸い込まれていくみたいでしたね。狭いところって、壁で何度も音が反響して、なんというか、若干ずれた合唱みたいな感じになると思うんですけど、あそこは音が一度出たら戻ってこないので、静かで、廃墟の中というか早朝の外を歩いているような音でした。
 一階はエントランスでした。カウンターがあって、その奥は従業員用の休憩室みたいになっていました。
 そこが、ちょっと変だったんですよ。
 その部屋には、物がかなり残ってました。備品だけじゃなく、トランプみたいな私物っぽいものまでありましたね。廃業の前にものを整理したとかいう形跡が全然なくて、多少荒らされてはいましたけど、多分ほぼこの状態でこの部屋は使われてたんだろうなーと想像ができるレベルでした。
もちろん、夜逃げとかならものを残していくのもあり得ますし、いらないものならわざわざ持って帰らないとも思います。だから、部屋が片付けられてないこと自体はそんなに不自然じゃないんです。どちらかというと、片付けられていないはずだからこそ感じた違和感で。
 引き出しが何段かついたプラスチックの入れ物あるじゃないですか。今もオフィスによく置いてあるやつで、資料とか入れておくやつです。その中の一段だけ、キレイに空っぽなんです。引き出しの持ち手のところに、もう掠れてましたけど、マジックで直接「名簿」って書いてあったのは覚えてます。だから多分、お客さんか従業員のリストみたいなものが入れられてたんじゃないかなって。
 まあ、名簿がないから何だって話なんですけどね。元々空だっただけかもしれないですし。でも当時の私は、なんでここだけ空なのか、わざわざ持ち去ったのか、とか、ちょっと気になったのを覚えてます。
 一階を一通り探索した後は、階段で二階三階に上がりました。そのフロアは客室になってて、まあベッドとかソファとかがあるわけです。そうなってくるとやっぱり溜まり場としてはかなりの良物件なんですよ。だから、怪奇現象とかではなく、人と鉢合わせる可能性の方を心配してました。だから、Sとくだらないことを話しながら部屋を見て回ってたんですよ。ちょうど熊よけみたいな発想で。
 でも幸い、人はいなかったみたいで。部屋も所々酒盛りした形跡はありましたけど、最近のものはありませんでした。あまりにも溜まり場として人気スポットになってると、肝試し会場としてはあんまり良くないので、そういう意味でも安心しましたね。
 それでSと「問題なくて良かった」とか「次が本題の四階だな」とか話しながら階段に向かって歩いていたんですけど、そしたら突然、プチッ、って音がして、Sが「ウワッ」って飛びのいて。
 私にもその破裂音みたいなのは聞こえてたんで、どうしたどうしたって尋ねたら、何かを踏んだそうなんですよね。足元で何かが弾ける感触があったと。
 Sは明らかにビビり出してて、声が若干震えてました。
 彼がそんな調子ですから、私も内心おそるおそる、Sが立ってたあたりの床をライトで照らしたんですよね。
 そしたら、何か小さく茶色いシミがある。経年劣化のサビとかとは違うもので、キチン質の光沢のようなものがありました。
 私もさすがに不気味に思ったんですが、そこはやっぱりメンツみたいなものがあったんで、顔を近づけてよく見てみたんですよ。そしたらそのシミ、かなり大きなノミが潰れた跡だったんですよね。
 ……思わず、プッと吹き出してしまいましたよ。町育ちとはいえ、まあ道民、田舎っ子ですから。ノミなんか見慣れたもんなんです。親の実家とか行けば大体農家で、馬なり牛なりはいましたし。それはSも同じで、「おいこれタダのデカいノミだぞ」って伝えたら、「え?」って素っ頓狂な声出して。それから自分で確認して笑ってました。潰れたノミ相手に「脅かすなよー」なんて言って。
 懐中電灯で周りを照らしたら、同じようにぷくっと丸っこいダニが数匹見つかりました。まあやっぱり廃墟なんで、虫くらい居て当然というか、むしろ安心したくらいですよ。一階がきれいすぎたので、二階三階には多少ゴミが落ちてて、虫も居て、やっと廃墟らしくなってきたぞ、と。 
 気を取り直して四階にあがって、まず驚いたのはいきなり扉があったってことです。
 あー、ちょっとわかりにくいですよね。えっと、他の階は階段の踊り場と廊下って、別に壁や扉で隔てられてなかったんですよ。まあ、非常階段でもない限り自然な状態です。でも四階だけ、廊下と踊り場が防火扉のようなもので隔てられていたんです。たぶんですけど、四階は従業員専用の階だったんでしょう。だから、お客さんから見えないように、わざわざ防火扉を閉めていたんだと思います。その上の五階は客室があると聞いていましたから、五階に行くお客さんへの配慮なんでしょうか。
 そもそもなんで四階っていう中途半端なところに従業員用のスペースを作ったんでしょうかね。四が死を連想するから客室に向かないって話でしょうか。ラブホなのに、なんか几帳面ですよね。
 ごめんなさい、話を戻します。それで防火扉があったんで、開けて中に入って行きました。やたら重かったんですけど、何とか開けて。
 店長室は廊下の突き当りにあったので、手前から順番に部屋を見ていきました。色々モニターがある警備室とか、掃除用具が詰まったところとか、物置とか、あとは休憩スペースとかですね。一階にあったのが事務室だとすれば、それ以外の大体の機能が四階に詰め込まれているイメージでした。
 四階に入ってから、Sがやたらと鼻をすするようになったんですよね。最初は気にならなかったんですが、あんまりにもひどいので、途中で「風邪でもひいてるのか」って聞いたんです。そしたら、「なんか変な臭いしない?」って言うんですよ。
 確かに私も空気の違いは感じていたんですが、きっとそれはこの階の埃っぽさのせいだと思ってたんです。扉があったせいか、やたらと埃が積もってたんですよね。だから、古臭さと埃臭さが混じってそういう臭いになってるんだろうと。で、Sにもそういったんですが、「なんか違う気がするんだけどなー」って納得いかない様子でした。
 そんなこともありましたが、特に他に気になる点はなく、一通り部屋を見回ってとうとう店長室の前に来ました。そしたらSがまた、「変な臭いがする」というんですよ。しかも、さっきより強い臭いだと。
 私はあまり感じなかったので、きっとSはビビりすぎてあらゆることに過敏になってるんだと思いました。なので、「もしかしたら部屋の中で誰か死んでるかもな」なんて冗談めかして、いきなり扉を開けたんですよ。
 そしたら「うえっ」て。Sじゃなくて、私がですね。何か臭いを感じたわけでもないですが、突然えずいてしまったんです。Sはというと「くっさ!」というだけで、えずいている様子はありませんでした。
 Sは私がえずいたのを見て私も臭いに気づいたと思ったんでしょう、「なにこれ? 嗅いだことある?」っていうんですよ。私は自分がえずいた理由がわからなくて少し混乱してて、だけどもそれをSに悟られたくなかったので、「わからん」とだけ答えました。
 Sはそのあと色々考えこんでから、「じいちゃん家の臭いかな」と呟きました。それを聞いて、私は少し落ち着きを取り戻しました。いやだって、普通そんなわけないじゃないですか。おじいさんの家の臭いだなんて。きっとSが私の混乱を察して、ボケて場を和ませようとしてくれたんだと思いました。恥ずかしさ半分、感謝半分でしたね。そしてえずきのほうも、気合いを入れすぎて昨晩あまり寝れてなかったので、そのせいかもしれないと思うことにしました。私がふっと笑うと、Sも臭いが消えたといいました。
 満を持して店長室の中に入ると、目の前の壁際に、仏像と思われる影が見えました。店長室という割に物は少なく、左手の壁沿いにデスクと小さい棚があるだけで、店長より仏像がメインなのかと思うくらいでしたね。
 それでSと、ここら辺に人形を置こうとか話しながら仏像に近づいていったんです。少しずつ、暗くてよくわからなかった仏像の姿が見えてきました。
 どうやら仏像が座禅を組んでいる姿だということが分かりました。少しずつ細部が見えてきたんですが、近づくほどに残念な気持ちが募っていったのを覚えています。というのも、その姿があまりに「普通」だったんですよ。顔がぐちゃぐちゃになっているとか、そういう不気味なものを想像していたんですが、そんなことはなく。下手したらお土産屋さんで売ってそうな姿の大量生産製品らしい仏像が、そこにありました。
 「なんていうか、普通すぎない?」と不平を垂れる私に、Sは「もしかしたらプラスチック製の安物なんじゃない?」と冗談っぽく返しました。それで、一線を越えてしまったんです。
 このホテルもほぼ攻略完了した気持ちになっていたので、気が大きくなっていたのもあるんでしょう。じゃあ確かめてみよう、ということで、私は仏像に近づいて、それを両手でがしっと掴み、持ち上げました。
 そしたら、「たぷん」と、音がしたんです。
 仏像は軽くはありませんでした。表面もつるつるで、きっと金属製だったと思います。だけども、金属としてはやや軽い気がしますし、なによりそれ、生暖かったんです。
 それと、「たぷん」という音です。その正体ははっきりしていました。仏像の中に、液体が入っていたんです。それがきっと、この仏像の中途半端な重さの理由でもありました。
 Sも液体が揺れる音を聞いたのでしょう、「え、どういうこと?」と訝しげにつぶやきました。仏像の中に液体をいれるなんていうのは、聞いたことがありませんから。
 私もわけがわからなくて、とりあえず仏像を床に置こうとしたとき、風が吹き抜けたのを感じました。
 いや、おかしいんですよ。四階で、窓も開いていない。埃が積もるくらい、普段から風通しのないところのはずなんですよ。確かに防火扉が開けっ放しだったので、そのせいかもしれません。だけども、それでもおかしいんですよ。
 まず、結構強い風が吹いたと思ったんですが、床の埃が全く舞わないんです。それに、風は前から吹いてきたんですよ。そう、仏像の方から。扉は背中にあるのに。
 それで、私がSの方を振り向こうと足を一歩後ろに引いたら、「プチッ」と破裂音がしたんですよ。足裏に伝わる小さな衝撃。確かめるまでもありません。ダニを潰したんです。
 そしたら今後は部屋のあちこちから、プチプチと音が聞こえ始めます。明らかに異常でした。しかも、変な臭いが漂い出したんですよ。それはだんだん強くなっていく。今度は私にもわかりました。
 そして、私とSは同時に気づきました。ああ、この臭い、獣の臭いだ、と。
 すぐにSがわからなかったのも無理はありません。何種類もの獣の臭いと糞尿の臭いがごちゃごちゃに混ざっているんです。薄い臭いであれば、農家でよく使う堆肥の臭いに似ています。
 こんなところに居られない。私は仏像を置いて逃げようと、もう一度仏像に視線を戻しました。
 そうしたらその仏像、あらゆる場所からドロドロと液体を流し始めてて。
 目とか鼻とか口とか、そういうのじゃないんですよ。本当、しっちゃかめっちゃかで。普通怪談とかって、目とか口とかから水が流れたりしますよね。それって、人の体の構造を理解したうえで、涙とかよだれとか、そういうのを再現してるんだと思うんですよ。でも私が見たそれは違って。たぶん人とか涙とか、そういうの、わかってないんですよ。
 それで私は思わず仏像を落として、そのままSの肩をひっぱたいて走り出しました。部屋から出るまでの間、どんどん臭いは濃くなっていきました。Sは酷く息を切らしながら私の後を必死についてきていました。
 Sが部屋から出たのを確認して、私は店長室の扉を閉めました。臭いは薄くなりましたが、今度は扉の向こうから音が聞こえました。甲高い音と低い響く音が混ざり合った、聞いたことのある音でした。
 それは、鳥やシカ、キツネ、あとは多分、クマも。ありとあらゆる動物の悲鳴がぐちゃぐちゃに混じったような音でした。それが、部屋の中から響いていたのです。
 Sを見るとすでに涙でぐちゃぐちゃになっています。私は彼の手を引っ張って、廊下を抜け、防火扉を閉めて、階段を駆け下りました。二階まで降りた踊り場で、Sが床にへたり込みました。もう、悲鳴は聞こえませんでした。
 私もここまでくれば大丈夫だろうと、階段に腰を下ろしました。気が動転する中で、四階は本当にヤバいところだ、新入りを行かせるわけにはいかない。と、ぼんやり思っていました。
 Sは必死に荒い息を落ち着かせようとしていました。私もしばらく、そうしていました。静かなホテルの壁に、私たちの掠れるような息の音が吸い込まれていきました。
 そうこうしているうちに、Sと私は落ち着きを取り戻しました。ただ今度は別の不安が持ち上がってきます。「仕込み」が終わっていないのです。
 「仕込み」はれっきとした「任務」です。全うしなければ、先輩の指示に違反したことになる。当然集団の中で許されることではありません。そのときの私たちは、きっとそれぞれ怖い先輩の顔を思い出していたと思います。
 それでSと話し合った結果、『この踊り場に人形を並べて「仕込み」はやったという建前は作ろう。ただし、新人は四階にいかせないようにするし、自分たちも当日はホテルの中には入らないようにしよう。この部分は、今車で待っていてくれている先輩に事情を話して、何とか協力してもらおう』ということになりました。
 私とSはそれから、登山リュックの中の人形を一つずつ取り出し、踊り場に並べていきました。ただ適当に転がすだけでは、さすがに建前にすらならないと思ったのです。
 並べている途中、後ろから「ひぃっ」と、Sの小さな悲鳴が聞こえました。見ると、Sの目の前に置かれた人形の頭の上に、まん丸に膨れたノミが乗っていました。
 そのとき私はやっと気づきました。あれ、ノミが、膨れている、と。私とSが踏んだノミも、破裂音がしたということは、膨れていたんだ、ということに。
 正直、遅すぎました。バカだったと思います。もちろん、ただのノミだったらどこにいてもおかしくありません。でも、膨れてるのはおかしいんです。
 ノミは動物の血を吸って膨らみます。それなら、動物がいないここで、ノミは一体何を吸って膨らんでいるのでしょうか? 私とSは、一体何を踏んだことになるのでしょう? 目の前に膨らんだノミがいるということは、一体何を意味するのでしょうか?
 獣の臭いがしました。私の手から落ちた人形が「たぷん」と音を立てました。
 私とSはリュックも持たずに立ち上がりました。
 その瞬間、あらゆる人形が、まるで吐瀉するように、くぼみというくぼみから粘着質の液体を吹き出し始めました。
 足に掛かった液体は生暖かく、裾にしみ込んできました。むせかえるほどに獣の臭いがしました。上の方で、ぐちゃぐちゃの鳴き声と、重い金属が勢いよく打ち付けられるような音がしました。防火扉が開かれたのだと、すぐにわかりました。
 私たちは出口に向かって走りました。何かを話す余裕も、振り向く余裕もありませんでした。
 一階に降りてすぐ、入り口が見えました。獣の叫びが、急速に近づいてきて、私たちのすぐ後ろまで迫ってきていました。
 私が入り口に到着して振り向くと、Sはまだ少し後ろにいました。
「いやだ! いやだ!」
 情けない声をあげ、Sの顔は涙と鼻水でどろどろになっています。Sの足元で、ノミが破裂しました。
 その瞬間、Sのあしがもつれ、前のめりに倒れそうになりました。息もできないほど獣臭さが強まります。
 私は咄嗟に手を出しました。Sはなんとかそれを掴みます。私はその手を、思い切りぐいっと引っ張りました。

 私とSは、転がるようにホテルから飛び出しました。不思議と、ホテルから出た瞬間、臭いも声も消えました。濡れたと思った裾は乾いていました。
 そのまま私たちは先輩の車のある駐車場に向かいました。尋常ではない私たちの様子を見て先輩は車から飛び出してきました。私たちは先輩にすべて事情を話しました。
 すると先輩は、「よくわからんけど、言ってることは信じる」「今すぐ出発する」と言って私たちを車に詰め込み、猛スピードで車を走らせました。私たちも生きた心地がしなかったので、黙って車に揺られていました。
 少し経って、車はボロアパートに到着しました。先輩が言うには、そこにはこういった現象に詳しいOBの方が住んでいるということでした。
 空いていた駐車スペースに先輩が車を停めた瞬間。運転席の車の窓ガラスが叩かれました。そこにはしかめっ面をした金髪で筋肉質の男性が立っていました。先輩が窓を開けると、
「くせえくせえ! 何しに来たんだオメー!」
 と男性が文句を言います。先輩が簡単に事情を説明すると、男性の顔は一段と険しくなりました。そして私たちを一瞥すると舌打ちをして、
「マジのアタンじゃねえか……」
 と呟きました。正確には、アタンではなかったかもしれません。知らない言葉でした。ただその男性も私たちに何かを教えようという気はないようだったので、私も聞き返しませんでした。
 先輩は車の外に連れ出され、色々と話している様子でした。
 しばらくしてから戻ってきた先輩は私たちをみて少し無理に笑った後、「いやでも無事でよかったよ」と言って車を発進させ、今度は小さなトタン屋根の小屋がある、空き地のような場所に到着しました。
 私たちが車から降りて小屋に入ると、そこにはすでに先ほどの男性がやはりしかめっ面で立っていました。私たちは彼に事情を事細かに聞かれました。思い出したくない部分を少しでも誤魔化すと、恐ろしい剣幕で怒鳴られました。
「人形ォ!? 人形持ってったのか!?」
 私たちが人形を持って行ったと話すと、彼は眉間のしわを一層深くしました。私たちが頷くと、あほかぁ!と、それぞれの頭を一発ずつ殴りました。死ぬほど痛く、その痛みで逆に、生きているという実感が返ってきました。
 続けざまに「仕込み」の計画を聞かれ、中古の人形を集めたといった瞬間、彼は目を見開いて、ガキがおだちやがって!とまた私の頭を殴りました。
 ひとしきり話し終えた後、彼は突然、「よし、じゃあお前ら服を脱げ」と言いました。
 突然のことに戸惑っていると、彼はいらだった声で、
「身に着けてるもの全部おいてけや。鍵とコインは持って帰っていい。でも他はダメだ。全部燃やす。鍵になんかついてるなら、それも置いてけ。持って帰っていいのは、鍵と、コインだけだ。それで二度とあのホテルにも、俺にも近づくな」
 と言いました。もう私たちには従うことしかできませんでした。
 私たちが服を脱ぎだしたのを確認して、男性は、
「代わりの服はないからフルチンで帰れ。車は貸してやるし、お前らの生ケツも我慢してやる」
 と言った後、少し落ち着いた声で、
「安心しろ。あれは人は取れん。フルチンでポリ公に捕まらない限り、帰ったらすべて終わる。あとは俺の方でなんとかしておく」
 そう付け足し、立ち去っていきました。やがてぱちぱちという音が聞こえてきました。どうやら、小屋の外で火を起こしているようでした。
 ああ、本当に燃やすんだなあ、と呟いた私の隣で、Sが複雑な表情をしていたのを覚えています。
 いつの間にか先輩も全裸になっていました。私たちはそのまま男性の車を借りて先輩に家まで送ってもらいました。先輩の車は、そのまま空き地に置いていきました。
 私もSも、この件ですっかり気が滅入ってしまい、不良集団を抜けることに決めました。どちらにせよ「仕込み」がまともにできなかったので、居場所はなかったと思います。最後の挨拶のとき、あの先輩の車が変わっているのに気づきました。先輩は事故ったといっていましたが、きっとあの時に服と一緒に処分されたのでしょう。申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
 抜けてから、Sと連絡は取っていません。あちらからも連絡が来たことはありません。お互いに、あの日のことを遠ざけたかったのだと思います。
 あれ以来、特に恐ろしい目にはあっていません。夢だったと思いたいのですが、夜に野鳥の声が響くと、あの時の光景がフラッシュバックして眠れなくなることがあります。きっと、この記憶からは永遠に逃げられないのだと思います。


 その写真のお子さんですか? ごめんなさい。見覚えはないですね。
 ……ああでも、少し面影の似ている方は知っています。
 え、はい。その通りです。その方です。ご存じだったんですか。そうです。ええ、覚えていますよ。十年以上も昔の話ですけども、いろんな意味で、記憶に残る患者さんでしたから。
 その患者さんは、どこかのホテルの前で倒れていたところを運ばれてきたそうです。ちょっと名前は覚えてませんが、たぶん地元では有名な廃墟だったと思います。オバケがでるって噂で。だからその時点で、かなり怪しいじゃないですか。すぐにその患者さんの噂は病院中に広まりましたよ。
 怪しいのはそれだけじゃなかったんですよ。まず、健康保険証をお持ちでなかったんです。結局入院費も全額負担だったらしいですね。それに、これはあくまで噂なんですけど、二の腕にご自身のお名前の形の痣があったらしいんですよ。痣っていうか、火傷の痕。煙草でやる根性焼きってありますよね、あの丸い形のやつが何個も、お名前の形に並んでいたそうです。ジュウッジュウッって付けていったんでしょうね……ちょっと、想像したくありませんが。
 それで、その患者さん、妊娠してたんです。担当の先生がどうやら気づいたみたいで。で、栄養状態も悪かったようなので、もうちょっと入院期間を延ばして検査をしましょうってことになったらしいんです。
 そしたらその患者さん、すごい抵抗して、絶対入院しないといって聞かなかったそうなんです。ただ、体調はあまり回復してなかったし、今退院したらまたそこらへんで倒れそうってことで、どうにか宥めて元気になるまでは居てもらうことにしたんですよ。
 で、これが変な話なんですけど、どうやらその患者さん、入院するにあたって一つ条件を出したそうなんですよね。それが、お腹の中のその新しい命を、必ず「その子」「あの子」って呼ぶように、ってことだったんですよ。正確には、えーっと、こそあど言葉っていうんですかね、そういうのを付けなさいと。要は、色々呼び方があるじゃないですか、新しい命には。そういう呼び方は一切ダメ。特に敬称が付いたやつは、仮にこそあどを付けてもダメだと。いや、無茶ぶりですよね。「その赤」って呼ぶわけにいかないし。それで結局、「その子」「あの子」って呼び方が定着したそうです。
 はは。おっしゃる通り、私もちょっと、その条件を破る気にはなれないんですよ。今でもね。色々とありましたから。
 まあでもすぐに、その患者さんについての噂は下火になりましたよ。
 入ってきたときは、髪もぼさぼさ、肌もぼろぼろで、正直浮浪者の方なのかと思いましたけど、お風呂とか入ってもらうと、もうそんな感じはなくなりましたね。むしろ他の患者さんとの仲も良好で、丁寧な大人の女性という印象でした。看護師の方と談笑しているのも見かけましたよ。それで、そのうち体力も回復して退院されていきました。
 え? その子の名前、ですか? すみません、ちょっとわからないですね。何分、ご出産の前に退院されたそうなので……
 ああそれで、どうしてあの「条件」を今も守っているのか、というところでしたよね。
 あれは、あの患者さんが退院される少し前のことだったと思います。ちょうどその日は、近くの大学の学生さんが、一日看護実習にいらしてたんですよ。看護実習と言っても、想像されるような長期的なやつではなくて、2年生とかが病院の様子を見てみようということで一日だけ病院の仕事を体験されるんです。
 それでその子が、たまたまその患者さんと廊下でばったり会ってしまったんです。
 あとは、ご想像の通りだと思います。気のいい子だったんですけど、だからこそですかね、ちょっと挨拶のつもりだったんでしょう。言ってしまったんです。あの言葉を。
 私もたまたま近くに居たんですが、思わず足を止めてしまいました。周りの雰囲気がガラッと変わったんですよ。突然冬に窓を全開にしたみたいに涼しくなって。それから、患者さんの朗らかな笑顔が写真みたいに固まって、顔から血の気がサーっと引いて。
 いや、実習生の子は悪くないんですよ。だって、知らなかったんですから。一日実習の子に、全患者さんに対する注意事項とかいちいち教えてられないですよ。
 そのあと、今度は患者さんの顔が真っ赤になって…… こういうのは失礼なんですけど、鬼婆っているじゃないですか。絵本とかに出てくる。本当にそんな感じの顔になって。
 それですごい大きな声でその子を罵りだしたんですよ。その子も最初はぽかんとしちゃって。自分が悪いことしたって意識もないですから、最初の方は自分が怒鳴られているってことにも気づかなかったんじゃないですか。でも、あんまりすごい剣幕なので、すぐに自分が何かしちゃったんだって気づいたみたいでした。
 その子もすぐに頭を下げて謝ってはいたんですけど、患者さんの方は全然止まることなくて。最後には実習生の子、泣きだしちゃいまして、他の看護師が集まって患者さんを無理やり自室に戻したんですよ。あの子も、結局看護師になるのはやめてしまったんじゃないでしょうか。次の年の実習には来ていませんでしたから。私も怖くなって、それで今でも条件を守っているんです。
 罵倒の内容、ですか。 えーと、とにかく思いつく限り非難の言葉を並べてるという感じだったので、何を言っていたかはよく覚えていません。でも、一つだけ、はっきり覚えている部分があって。
「間違ったらどうするんだ!」
 って。耳にこびりついて離れないんですよ、あの声が。怒ってるんですけど、何かに怯えてるみたいに震えてる、そんな感じでした。……あれ、どういう意味だったんでしょうか。


『あたぬ』
 名詞。北海道、特に現在の日高郡、沙流群、河西群を中心とする地域の文書に見られる語。実際の使用例は極めて乏しく、この語の意味するところは明らかになっていない。
 この語を含むもっとも古い記録は旧静内郷土資料館(現在は閉館)に収蔵されていた小作料の減免に関する資料で、「川縁の社よりあたぬ出で、馬尽く取られり」とある。続く文では小作料支払い期限の延期が認められており、実際に何らかの被害が生じていたものと推察される。
 上記資料は1890年頃に書かれたものである。その時期と地域から、語源については1870年の稲田騒動の結果移住した淡路島系移住者の影響が指摘される。特に「仇をなす(仕返しをする)」を意味する四国・関西地域で見られる方言「あたんする」を語源とする説が有力である。
 また、以前よりこの地域で用いられていた「ならぬ/ならず」という名詞(こちらも詳細は不明)との混合も指摘される。実際に1880年以降「ならぬ/ならず」の使用はみられないことから、この語の意味上の地位を「あたぬ」が引き継いだと推察される。


 これ、かなり古い写真なんですね。娘さんですか?
 実は、私その近くの出身でして。ほらこのお店、私が小学生くらいの頃にしまっちゃた駄菓子屋なんですよ。お婆さんが亡くなってしまって。ほら、ここに息子さんが写ってるじゃないですか。ちょうど閉まる直前に店のお手伝いにきていた方なんですよ。元気な方で、一緒に遊んでもらった思い出があります。懐かしいな、もうあれから二十年ですか。
 ああ、すみません。つい思い出に浸ってしまいました。申し訳ないです。
 それで、今回お呼びいただいたのは、あの廃ホテルの十年前の事件について、でしたね。
 まず私は当時、オカルト系のライターをやっていたんですよ。オカルトが今よりずっと勢いがあった時代でした。流行りに乗った、ということです。
 それで私が目をつけていたのが、あの廃ホテルだったんです。
 あそこ、なんだか怪しいんですよね。やっぱり有名なのは祟りがある仏像の話ですけど、まず土地が怪しい。 
 まずあのホテルができるに至る話から行きましょうか。ごみがかなり埋められていたとか、そんな感じで、そもそもあの土地はかなり安く売られていたそうなんですよ。それでその土地を店長が買ったらしいんですよね。それで、あのラブホテルを建てた。
 で、その土地について調べてみたんですけど、なんか出ないんですよ、まともな由来が。昔っから畑もなく、だからと言って家も立っていなかったそうです。じゃあ何に使われていたかって話で、過去の地図を確認しても、やっぱり何も書かれてないんですよね。まるで空き地みたいになっている。どうやら開拓時代は村の共同地みたいに扱われていたそうですけど、当時付近に民家があったわけではなく。村って言ってもかなり離れていたんですよ。ってことは、やっぱりその離れた村のゴミ捨て場とかだったんですかね。
 土地については、それ以上なにもわからなかったので、次に仏像について調べ始めました。
 仏像はあの建物、店長室に最初から設置されていたらしいです。店長は毎朝その仏像に祈ってたらしいですね。
 ただその祈りの言葉がちょっと変だったらしくて、普通祈りと言えば「仏様仏様、お願いします」とか、お経とかじゃないですか。だけどもなんというか、全部断定口調だったみたいで。「あなたは仏様です。私たちの願いを叶えます」みたいな感じですね。英語の機械翻訳みたいな。
 これは私の想像なんですけど、多分熱心な仏教徒の方だったんじゃないですか。それも、あんまり広く信仰されていない宗派の。根拠なしに言ってるわけじゃありませんよ。毎日祈ってるだけじゃなくて、そもそもあの土地の地鎮祭も仏教式だったらしいですから。いや、仏教に地鎮祭ってあるの?って話なんですけどね。あるらしいです。地鎮法っていうらしいですよ。
 大体地鎮祭といえば神道じゃないですか。だけどもわざわざ仏教でやるって、信者さん以外ありえないですよ。
 いやそれだけじゃなくて、当時近隣に住んでいた方のお話ですけども、その地鎮法ってのもすごい手間がかかっていたそうです。まず仏像を埋めたらしいですよ。もうこの時点で、えっ、って感じですけど、埋めたかと思ったら数日後にわざわざ掘り出したそうです。何の意味があるんですかね。もう絶対普通の宗派じゃないですよ。
 で、私はそのときに使われた仏像が店長室にあると噂のあの仏像だと睨んでいたんですよ。
 それで、そこまで調べたところで私はあのホテルに向かいました。それで、可能であれば仏像を持ち帰ってきて調べようと。
 ただ一人で行くのは心細かったので、付近に住んでいるこういうオカルトに詳しい方についてきてもらいました。というか、私がその話をしたらその方が同行を申し出てくれたんですよね。
 はは、行ったのは昼間ですよ。悪ガキの肝試しじゃないんですから。
 別に私も仕事上心霊スポットに行くことは多かったので、特別怖いとかはなかったです。さっさと階段を上って四階に行きました。
 特に何もありませんでしたね。昼間でしたし、強いて言えば薄暗いうえに、風が吹き込んできて寒かったくらいです。さすがに廃墟ですから、窓とか割れちゃってて。冬でしたし。
 それで、店長室の前についたときに、ムワって臭ったんですよね。
 すぐにわかりましたよ。あ、人が死んでる、って。
 昔富士の樹海で死体探しツアーをしたことがあって。今考えたら不謹慎すぎる企画なんですけど、とにかく我々も生き残るのに必死なので。まあそのときに嗅いだことがあったんですよ、死体の臭い。
 それでとんだ特ダネが飛び込んできたと思って、急いでドアを開けたんですよ。でもなんか、想像したのと違って。
 ……ふう、ごめんなさい、一服しながらでもいいですかね。やっぱりあれを思い出すのはちょっと、しんどいので。
 


 そうですか。彼は知らないんですね。
 では、これからする話は、彼に伝えないと誓っていただけませんか? 彼に重荷を背負わせたくありませんから。
 ……ありがとうございます。
 えっと、すでにあのホテルであった十五年前の事件についてはご存知なんですよね。私がそこで運転手をしていたことも。
 では、その続きからお話しします。といっても、時間は飛んで、あの事件から大体五年後、だから今から見て十年前くらい前の話になります。
 そのころには私も「グレた少年」からは当然足を洗っていて、「大人」として真面目に働き、結婚をして子供も授かっていました。
 異変が起こったのは、ちょうど子供が一歳のころです。夜、子供の泣き声が聞こえるんですよ。
 ただの夜泣きだろって、そう思われますよね。でもそのときすでに、うちの子は夜泣きしなくなっていたはずなんですよ。まあでも妻も私も、「また夜泣き再発しちゃったか」くらいに考えてました。
 当時うちの子はベビーベッドで寝ていました。というのも、私も妻も寝相が悪くて、一緒に寝ると潰しかねなかったんですよ。話がそれましたが、夜泣きが再発しても私たちは子供の様子を見には行きませんでした。
 というのも、夜泣きは構ってあげると止まらないと聞いていたからです。実際に夜泣きを無視し続けた結果一旦収まったというのを実感していますから、再発しても無視を続けようと思っていたんですね。
 ことの異常さに気づいたのは、夜泣きが再発してから2週間ほど経ってからでした。その日も私は夜泣きで起き、無視しようとまた布団に潜り込んだんですが、ただ、トイレに行きたくなってしまったんです。
 仕方ないので立ち上がってトイレまで行きました。でも、おかしいんですよ。トイレに入って、ドアを閉めても、泣き声が小さくならないんです。トイレはそんなに離れてないんですが、さすがにドアを閉めたら音は小さくなるはずなんですよ。そうじゃないとトイレの音が外に駄々洩れになっちゃいますし。だけど、トイレの中でも泣き声は変わらず響いているんです。
 それで私は急いで、部屋の電気も付けないまま子供のベッドを覗き、その姿を見て思わず「うおっ」と声を漏らしてしまいました。
 そうしたら、夜泣きで起きていた妻も私の声に反応して眠い目をこすりながらベッドを覗きに来て、そして絶叫しました。
 まず、泣き声が響いている間でも、子供はすやすやと静かに眠っていたんです。口もほとんど動かさず。ということは、その泣き声は、子供があげているものではなかったんです。
 次に、妻が叫んでしまったのはおそらくこれのせいですが、子供の顔に十匹ほど、大きく膨れ上がったダニがくっついて、何かを吸っていたんです。本当に大きくて。少なくともソラマメくらいはありましたね。
 私は必死にそれを取り除こうとしました。でも、はがしてもはがしても、どこからともなくダニは湧いてくるんですよ。私が半狂乱でダニを周りにばらまいていると、床にへたり込んでいた妻が先に正気を取り戻して、部屋の電気をつけました。
 突然の明るさに思わず目を閉じて、そしてもう一度目を開けたときには、ダニはすべて消えていました。その代わり、大人たちの大きな声でたたき起こされた我が子は目を潤ませて、泣き出してしまいました。
 私はたまらず子供を抱き上げました。そのとき、音がしたんです。「ちゃぷん」と、子供の中で液体が揺らいだような音が。そして、子供の吐息に、かすかに獣臭さが混じりました。
 このとき私は、すぐにあのホテルでの出来事を思い出しました。そうして、正直気が狂いそうなほど怒りました。どうして俺が、俺の子が巻き込まれなきゃいけないんだって。だって、親切心で私は運転手をしたんですよ。それに、車も犠牲にして。
 私はもうすぐに携帯を取り出して、電話をかけました。ホテル事件のあとに頼った、金髪の男性にです。
 彼は結構上の兄貴分なんですが、当時からとりあえず怪奇現象らしきものに悩まされたときは彼に相談する、というのがなぜかお決まりになっていたんですよ。彼自身はただの建築系の職人さんですし、相談に行ったところで大概が「気のせいだ」といって殴られるだけだったので、実際彼にどういう力なり知識なりがあるのかはわかりません。彼の名字はAというんですが、近くの神社の神職さんの名字と同じだったので、何か関連があるのかもしれませんね。
 意外と面倒見のいい方で、ホテルの一件のあと、何かあればということで携帯の番号をいただいていたんですよ。それで、電話をかけられたわけです。まあもちろん、深夜も深夜なので出てくれません。もしかしたらもう何年も会っていないので、電話番号が変わっているのかも、という不安もありました。とにかく焦っていた私は、失礼を承知で祈りながら何度も電話しました。
 十分くらいそれを続けていたと思います。そうしたら、やっとつながって。彼は「何時だと……」と怒鳴ろうとしました。だけども途中で言葉を切って、小さく、「くせえ」と呟きました。
 そして彼は私の話も聞かずに、私の住所を尋ねました。そうして、「今から行く」と。
 私は彼を待つ間、子供を抱えて、ぐったりソファに座っていました。隣に座っていた妻が言うには、祈るように、「大丈夫、大丈夫」と繰り返していたそうです。
 しばらくして彼がやってきました。何やらカバンに色々詰め込んでいるようでした。
 そうして、彼は来るなり子供をベッドに置けと命令しました。そして、私が子供をベッドに寝かせるや否や、突然私の頭をぶん殴ったんです。その場から逃げて警察に連絡しようとする妻を「大丈夫だから」と止める私に、彼は怒鳴りました。
「バカ野郎! なんで免許証捨てなかった!」
 私は彼に言われてハッとして、クローゼットを漁りました。そして奥の方から穴の開いた免許証を取り出しました。あのホテル事件のときに持っていた免許証です。本来はあの場ですべてを置いて行けと言われたのですが、さすがに無免許で捕まるのはまずいということで、免許証だけは持ち帰ってもよいと言われたのです。ただしその際、できるだけ早く自ら燃やして処分するように、とも言われていたのです。
 だけども私は、その免許証を捨てず、あろうことか免許更新の際にわざわざ引き取っていました。その免許証は悪ガキ時代の写真が使われた最後の免許証ということもあって、記念と戒めの意味を込めて手元に置いておきたかったのです。
 もちろん愚かとしかいいようがありませんが、私はあの事件を直接体験していないうえに、車と服を失う以外の実害がありませんでした。なので、彼の言葉をすっかりわすれていたのです。いえ、もしかしたら当時は覚えていたのかもしれません。だけども、正直甘く見ていて、無視してしまったのでしょう。
「まったく、はんかくせえことしやがって……」
 彼は少し老いた声で、しかし昔と変わらない口調でそう言い、免許証を受け取りました。
 いいか、見てろよ。彼がそう言ってライターで免許証に火をつけました。不思議と煙は出ませんでした。
 そこから先が、異常でした。免許証に写る私の顔写真の目、口、鼻から、どろどろとした黒い液体が流れだしたのです。それと同時に、何重にも重なった獣の鳴き声が聞こえました。
 彼はその鳴き声を目を閉じて静かに聞いていました。それは、黙祷のようにも見えました。
 私も自然と彼に倣って、目を閉じました。すると、獣の鳴き声の中に、人の声が含まれていることに気づきました。それは子供ような高い声でした。
 「聞こえたか」と彼は言います。私は目をつむったまま、声に耳を傾けました。どうしてでしょうか。酷く恐ろしいのに、そうしなければいけないと思ったのです。
「ちょうだい、ちょうだい」
 声はきっと、そう言っていました。そのうちに声が聞こえなくなり、目を開けると、免許証はすでに燃え尽きていました。流れ出ていたはずのドロドロの液体も消えていました。
「どうして、今になって」
 そうつぶやいた私に、彼は静かに一言、
「なったんだ」
 と答えました。その言葉の真意と込められた気持ちは、今でもよくわかりません。そうして、間髪おかずに彼は子供が眠るベッドに向かいました。そうして子供を抱き上げ、優しく揺らしました。ちゃぽん、ちゃぽん、という音が部屋に響きました。
 免許証を燃やしてすべてが終わったと思っていた私は、また一気に絶望に叩き落されました。
「子供は、子供は……」
 彼にすがろうとする私を無視して、彼は子供をベビーベッドに寝かし、電気を消しました。すると、またあのノミが、子供の顔に現れました。急いでノミを取り除こうとする私を、彼が静止します。
「これは悪いもんじゃねえ」
 そういって、彼はまた目を閉じて、ベビーベッドに向かって深く頭を下げました。そして小さく「ありがとうございます、ありがとうございます」と繰り返していました。その声は震えているように聞こえました。頭をあげた彼の目は、暗いためによく見えませんでしたが、少し濡れていたと思います。
 そのあと、深くは話さない、と前置きしてから、次のように語りました。
「まず子供は大丈夫だ。ただし夜は早めに電気を消せ。月の明かりはいいが、人工の明かりはダメだ。そうしたらそのうち水の音もノミの数も減っていく。一年くらい続ければ大丈夫なはずだ。ノミは絶対取り除くな。感謝しなくてもいいが、罵ったりしてはいけない。敵意は本能的なものだからすぐに伝わる。
 本来人は取られないんだが、まだこの子が小さいうえに、状況が変わったからこういうことになった。免許証にくっついていたのが子供に飛び火しただけで、もう原因は潰した。だから子供が普通に戻れば安心していい」
 やっぱり言動は粗暴なんですけど、根っこの部分が優しいんでしょうね。子供をベッドに寝かせるときも、とても丁寧におろしてくれました。
 それで、子供は今無事にすくすくと育っています。ノミも消えました。結局何もわからないままでしたけど、子供の無事が何よりうれしいことです。
 ああ、あなたにもお子さんがいらっしゃるんですね。そうですね、やっぱり子供の成長を見るのが一番の幸せですよね。
 ……え、それは、申し訳ありません。そうだったんですか、それで今、お子さんを探してらっしゃるんですね。
 ああいえ、ごめんなさい。こっちが勝手に雰囲気を暗くして。はい。それじゃあえっと、次の話、行きましょうか。
 
 はい。Sの話ですね。結論から申し上げますが、Sは亡くなりました。
 それも、今の話とほぼ同じ時期に、です。ただ、詳しい時期はわからないんですよ。だから彼の死が私の体験の後なのか前なのか、それはよくわかりません。
 第一発見者はあのAさんと私でした。私の一件の後、AさんはSのことをしきりに気にしている様子でした。私ももうこの件にはあまり関わりたくなかったのですが、Sの親御さんと連絡を取れるのは私くらいしかいなくて。まあ、地元では悪ガキしつつも顔は広かったので。
 なので、私がSの親御さんと連絡を取って、どうやら彼は今一人暮らしをしているらしいということがわかったんですね。親御さん曰く、連絡も時々とっているし、三日ほど前にも話したと。住所も教えていただけました。
 それで週末に、私とAさんは一緒にSの自宅に向かいました。Aさんは一人でいいと言ったのですが、私も一応ついていくことにしました。後輩ですし、私があんな目にあった後なので、やっぱり気にならないわけはなくて。
 Sの住むマンションが見えたところで、何か変な空気を感じたのを覚えています。なんというか、こっちがSの様子を見に行っているのに、見られているというか、監視されているような。
 Aさんはというと、マンションを見るなりため息をついて、「ああ、取られてるな」って小さく呟いたんですよ。
 それで彼、Sの部屋ではなくて真っ先に管理者のところに行って、「Sの知人だが連絡が取れない。部屋まで行ったが変な臭いもする。鍵を開けて警察に連絡してくれないか」って言ったんですよね。全部嘘っぱちなんですけど、やっぱ顔が怖いのもあるんでしょうか、管理者の方もそういわれると確かめないわけにはいかなくて。
 それで、管理者の方と一緒に部屋の前に行くと、確かに異臭がするんですよ。獣臭さを想像してたんですけど、そうではなくて。なんというかダイレクトに、腐った肉の臭いでした。
 管理者の方もこのかなり強烈な臭いを感じたようで、「どうして見回りしているのに気づかなかったのかわからない。近隣からの苦情もない」と首をかしげながら、何度も部屋のチャイムを鳴らしていました。それでも、一切反応はありません。しばらくして意を決したように、管理者さんは鍵を差し込んで、部屋のドアを開けました。そしたら扉からボトッと何かが落ちて。それは、手作りのお守りでした。フェルト製で何か刺繍されていましたが、焦げたようになっていて読み取ることはできませんでした。
 ここから先、部屋の中はAさんに止められて見なかったので、Aさんや警察の方に聞いた話です。
 まず、間違いなく死後しばらくたっていると。Sの親御さんは三日前に電話したとおっしゃっていましたが、少なくともそれはあり得ないということです。ということは、何者かがSを装ったのか、親御さんが嘘をついている、ということになりますが……私はこれ以上考えないことにしています
 遺体の状況については、「空っぽ」だった、とだけ。詳しい話は、知りません。
 そして明らかに異常だったのは、部屋の中にはいわゆる「お名前シール」、保育園とか小学校で、子供のものに名前を書くときに使うやつですね。それが大量に貼ってあったと。しかも、そのすべてに、同じ名前が書いてあったそうです。
 ……は? ああ、いえ。はい。その通りです。その名前です。
 どうしてこれをご存知なんですか。ちょっと待ってください。状況が飲み込めません。え、娘さん?
 そのお写真のお子さんがどうしたんですか? 見覚えは、ないですけど……
 あれ、ちょっと待ってください、おかしいな。思い出せない。なんで十五年前、肝試しに、あのホテルを選んだんでしたっけ。誰が、だれが提案したんだ、あそこを。
 ごめんなさい、混乱してきました。これ以上は、ちょっと、申し訳ありません。


 あ、気が回らなくて申し訳ない。一本いかがです? どうぞどうぞ、ご遠慮なく。こちらこそ安物ですいません。
 それで、話の続きをしましょうか。死体の臭いがして、店長室に入ったところからでしたよね。
 まず部屋が異常だったんですよ。
 壁という壁に、シールが貼ってある。ほら、ファイルとかにくっつけて、整理のためにマジックで名前を書くための白いあれです。すごい枚数だったんですよ。こんなによく買い占めたなってくらい。
 しかもそれ、全部黒いマジックで塗りつぶされてたんですよ。たぶん全部に何かを書いてたんだと思うんですけど、その上から黒で見えないように塗りつぶしている。意味が分からないんです。どうしてそんな二度手間みたいなことをするのか。きっと途轍もない労力ですよ。床には何本もマジックペンが落ちてましたから、何本もインク切れするくらい、書いたってことですよね。
 あとは、仏像の近くにトンカチとキリが落ちていました。何に使ったのか最初分からなかったんですが、よく見ると仏像の膝のあたり、座禅をしているやつだったので、本当に下のあたりですね、そこに穴が空いていました。たぶんそのために使ったんでしょう。
 で、そういう状態で横に目をやると、デスクの下に何かあるんです。
 私はそちらのほうに、ゆっくり近づいていきました。だってそっちのほうから、異臭がするんですから。
 それは毛布でした。茶色っぽい奴です。それが何かを包むように、デスクの下に収まっている。
 足の先でつついてみたのですが、反応がありません。だから、意を決して私はそれをめくり上げました。そしたら、獣臭いにおいがして。
 毛布の裏側と床にべたっと貼りついてたんですよ、裂けた人の皮膚が。
 人が弾けたのだと思いました。まるで飛び散ったトマトの種が壁にくっついたみたいに、皮膚が毛布や床にくっついていたからです。どうしてその衝撃で毛布が飛んでいかなかったのかは、わかりませんが。、
 ごめんなさい、弾けていた、としか言えません。おそらく服だったと思われる布切れも一緒に見つかりました。でも、血は一切なかったんです。
 まるで風船やくす玉が割れたように。ただ乾いたり腐りかけたりしている皮膚と、髪と、骨か何かのかけらが、毛布の内側に付着し、散らばっていました。
 さすがに私も気持ち悪く、部屋を出て警察に電話をかけました。
 そしたらすぐに警察が来て、私と同行者は一応任意聴取ということになりました。家宅侵入の方で「いい大人が」とこっぴどく叱られました。
 一通り説明を終えた後、終了の間際に、私は一枚の写真を見せられました。どうやらあの皮膚をどけたときにあの床から現れたものだそうで。
 黒いマジックで床に何度も何度も、カタカナで同じ人の名前が書かれていました。もうどんな名前だったか、思い出せません。
 ……いえ、その名前ではないですね。でも、確かに女性の名前だったはずです。 
 あとは、左腕が見つからなかったそうです。あの破片を律義に集めて、検証したんですね。
 結局そのあとオカルト記者はやめてしまいました。ブームも去りましたし、恐ろしかったんですよ。だって、あんな死に方、したくないじゃないですか。


 ははは、そうですよね。本土の方に行くと感じますよね、北海道の歴史の浅さ。お城とか、ほとんどありませんし。五稜郭くらいでしょう。
 いや、正確には、「和人の歴史」の浅さですね。アイヌの方々の文化や歴史は連綿としてあったわけですから。
 だけども私も神職の端くれですから。まあ言ってしまえば、和人の宗教ですよ、神道というのは。どうしてもこの土地で生きていると稀に、肩身の狭さを感じますね。本来、ここは私にとってアウェイなんですよ。気が付けば私がお仕えする神様とは違う神に囲まれてる感覚といいましょうか。
 江戸時代から明治時代にかけて北海道移住が進んだわけですけど、きっと当時移住してきた方々もそういう思いだったんだと思います。和人には和人の神様が必要なんですよ。でも、それがいらっしゃらない。
 もちろん本土から勧請していただく、ということもあったと思います。でも本土からいらした神様にとっても、この土地はアウェイなのですよ。いや、伝承的には神様方にアウェイも何もないのですけれど。だけども実際、「本土からいくら神様を勧請してお招きしても、力を発揮していただけないのでは」、そういう直感がどうしてもある。私のような人間にもあるのだから、一般の方々にはより強くあったのでしょう。この土地の大自然に抗いながら必死に生きていた人々は、特にその"和人の神様ではない神々"の力を身に染みてわかってらっしゃったはずですから。
 それで、じゃあどうにかして強力な神様をお招きしなければということになる。あるところは土地を切り開き、土着の神々の力を奪いました。あるところは勧請いただいた神様を根気強く信仰しました。あたらしい神様を見出した地域もあったようです。
 おっしゃる話は、そういった選択肢の一つでした。"異教の神々"を分解し、混合し、それがそれであるということを奪い去って、我々の神様の型に流し込むのです。そのために、多くの神々の化身を神そのものに見立て、実際に"そのようにした"と聞いております。
 ただご存知の通り、明治時代以降のこの土地の発展……いえ、"和人化"は、目覚ましいものでした。すぐに我々の神様は、この土地にいらしたその時点で十分なお力を発揮されるようになりました。というより、我々の神様にはこの地においても十分なお力があると、人々が信じるようになりました。
 そうして、そういった語り難く忌まわしい、本質的に我々の神様ではない神々は、忘れ去られることになりました。それはあるときは意識的に、そしてやがて無意識に、です。
 では、忘れられた神々は一体何になるのでしょうか。
 元の姿さえ奪い取られたものは、与えられた姿を失ったとき、何になりえるでしょうか。
 その叫びは、一体何を意味できましょうか。


 またいらしたんですね。まあ、驚きはしないです。きっとそうなるだろうとは思ってましたから。
 どうして嘘をついたのかって、話ですよね。あのホテルで事件なんかなかったと。ええ、おっしゃる通り、私はあの惨状を見ました。
 嘘をついたのは単純な理由です。それを誰かに知られて、いいことなんて一つもないんですよ。特に、あなたには。
 忘れられていくことで失われるものもありますが、忘れられることで新しく始まることもあるんです。
 
 もうすべて終わったんですよ。あのホテルももうただの心霊スポットに戻りました。
 それなのに、あなたは掘り返そうとしている。
 あなたは、せっかく忘れているのに、繰り返すだけなのですか。

 娘さんをお探しだそうですね。行方不明の娘さんを。
 そうしてついに、あなたはあなたの娘と思しき女性を見つけた。どうやら娘さんとよく似ているらしい。名前も同じだ。そうしてその足跡を追ううちに、あのホテルに辿り着いたと。
 でも、不思議に思いませんでしたか。その、あなたが持っている写真、よく見てください。それは、いつ撮影されたものですか?
 そうして、その写真に写るその子の年齢は?
 病院の人々はなんと言っていましたか?
 なぜ警察は動いてくれないのでしょう?
 そうしたら、気付けるはずだ。いえ、あなたは気付いている。
 それで、娘さんは、本当に行方不明なのでしょうか?

 名前がどうかしましたか。確かに名前は重要です。名は体を表すとはよく言ったものですね。ですがしかし、必ずしも体が名に先行するわけではありません。名が先行し、名が自分への認識さえ塗り替えて、体を作り変えていくこともあるのです。それはあなたがよく知っていたはずではありませんか?
 
 彼女はずっと悩んでいましたよ。結局、どう結論が出たのかは知りません。
 でも、何かしらの結果が生み出されました。たぶん、許されたやり方ではなかったでしょう。それに、許される結果でも。
 彼女の望む通りの結果になったかさえ、わかりません。悲しいことです。自分の望みを達成するには、自分が押し付けられたことを、他に押し付けるほかなかったわけですから。どちらにせよ、彼女にとっては苦しくも、嬉しい結果であったことを祈ります。
 
 私はあなたを軽蔑していました。吐き気さえ催します。だけども、忘れることにします。 
 だからあなたももう、お忘れなさい。それがあなたがあの子にしてあげられる、最大の支援なんですよ。
 あの子は今、街灯の下を歩いているんですから。


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