20年目の記念日

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「おう新人、やっと来たか。まあそんなに気張らず、とりあえず飲もうじゃないか」
 目の前に立つ初老の職員の顔は既に真っ赤だった。呂律も回っていないが、それでもこちらに気をかけてくれる優しさが少しありがたかった。
 20年続く重大プロジェクトに配属。そう聞いたときは背筋に冷たい定規を差し込まれたようだった。背筋が強張って、先のことを考えると胃から肺まですべて吐き出したくなった。同僚には栄転だとうらやましがられた。笑ってごまかしたが、嬉しさなんて微塵も感じられていなかった。どうしてだろう。世界を救うのが夢で、それは変わっていないはずなのに。この転属で、間違いなくもっと世界に貢献できるようになるのに。
 その疑問の答えが出ないまま、命令を辞退することもできずに月日が流れ、転属初日の今日に至った。扉の前に立ったときは息が詰まって、部屋から漏れるアルコールの匂いに気づかなかった。
 頭の中で事態を整理しようとする。想像していたのは、スーツ、もしくは白衣でビシッと決まった職員たちが、髪を後ろに撫でつけて一心不乱に働いている姿だ。転属初日の自分なんか見向きもされないだろう。自分なんかより重要な仕事が大量にあるのだから。そう思って昨日は眠ることもできなかった。
 しかし蓋を開けてみれば、小さい部屋にいくつかのPC。部屋のど真ん中に置かれた丸机の上にはウォッカやらジンやらウイスキーやらが並べられて、数人の年老いた職員たちが床やら椅子やらで気を失っている光景だ。
 部屋を間違えたかと思って謝ろうとした瞬間、目の前の初老の男性に声を掛けられたのだった。彼は僕の名前を呼んで、椅子に置かれたつまみをどけて、座るように促す。僕の転属先はここで間違いないようだった。混乱しているはずなのに、どうしてか、腐った鍋のようにぐちゃぐちゃだった心が少し落ち着いた気がした。
「はは、困惑するのも仕方ないが、許してくれ。今日は記念日なんだ」
 彼はちょうど僕の向かい側に座って、僕にウイスキーを一杯差し出した。促されるままに口をつける。大学生のときに飲まされた安物と違うことだけは分かった。
「記念日…… 20年目のですか?」
「まあ、そうだな。そんなもんだ」
 彼は床に転がったカバンから500mlのミネラルウォーターを取り出して、それを30秒足らず飲み干した。そして、僕の顔を見て愉快そうに笑う。「せっかく来てもらったのに全員酔いつぶれるわけにはいかないからな」
 彼の笑いの意味はよくわからなかったが、おそらく歓迎してくれているのだろう。僕は笑いに答えるように、ウイスキーをまた一口飲んだ。きついアルコールで、舌がヒリヒリ痛んだ。
「で、お前さんはここの仕事について何を知ってるんだ?」
「機密ということで、何も」
「そうかそうか。そういうことか」
 また彼が笑う。そしてひとしきり笑い終えたあと、彼は急に冷めたように真面目な顔になって、僕の目を見つめた。
「俺たちの仕事は、そりゃもう大変なものだ。普通なら、歴史の残るのは間違いない仕事だよ」
 また、背筋が強張る。徐々に胃がむかむかしてきて、息苦しい。彼が心配そうに僕の顔を覗き込む。
「具合が悪そうだが、大丈夫か?」
「え、ええ」
 無理に息を吸い込んで、声を絞り出す。グラスを乱暴に持ち上げて、ウイスキーを流し込む。喉も胃も焼けるように熱かったが、しばらくするとそれも落ち着いた。彼は空っぽになった僕のグラスにウイスキーを注いで、こちらをじっと見ている。僕が話し出すのを待っているようだった。
「あの、具体的にはどんな仕事を……」
 僕がそう切り出すと、彼は小さく息を吐いたあと、わずかにその硬い表情を崩した。
「あるオブジェクトの秘匿だ。一般人がそれを発見しないように、見張ってる。ここはその司令塔さ」
「司令塔、ですか?」
「ああ。調査自体はいろんなところに忍び込んだエージェントがやってる。俺たちはそのまとめ役ってとこだな」
 まとめ役。まとめ役。まとめ役。要は上司だ。これから、僕は上司になるんだ。部下に指示を出して、それから部下を守る立場。失敗するわけにはいかない立場。
 心がどんどん重くなっていく。ウイスキーを口に運ぶが、意識はまだまだ飛びそうにない。
「なあ、新人。どうしたんだ。辛そうだぞ」
「あ、いえ。大丈――」
 ごまかそうと口をついて出た言葉は、彼の突き刺すようなまなざしに射抜かれて、枯れてしまった。先ほどからちらつく鋭い眼光が、彼が単なる飲んだくれではないことを否応なしに伝えてくる。きっと自分の中にどうしようもない悩みがあることも、見抜かれてしまっているのだろう。
「あの、僕、世界を救いたいんです」
 子供じみた台詞であることは理解していた。笑われることも覚悟の上だった。だけども、彼は静かに頷いただけだった。心臓から喉を通って、言葉が漏れていく。
「重大なプロジェクトに配属って言われて、これで夢に近づくって、頭では理解したんです。でも、全然嬉しくなくて。今も、今もどうしてかすぐ胸が苦しくなるんです。ああ、きっと僕は責任から逃げてるんです。責任が怖いんです」

SCP-500-JP-EXってわかるか?」

「まあ色々あるんだが、一例を挙げるとめちゃくちゃ効果の高いワクチンだな。これがあれば、発展途上国の可哀想な子供たちの8割を死から救えるって話だ」

「でもEXってことは、異常じゃないってことですよね」

「そうだな」

「じゃあどうして…… 隠す必要なんてないじゃないですか」
毎年500万人だ。

「財団の算出じゃ、このオブジェクトをほっときゃそのうち世界の人口は130億人を超えるって話だ。だが、人がそんなに増えたら、財団の資材が足りなくなっちまう。アノマリーが隠せなくなるんだ」

「でも、別に人口増加の原因はワクチンだけじゃないですよね。いつか自然に……」

「財団は表向きには110億人で頭打ちってことにしてる。逆に言えば――」
「110億人をこえないように、ワクチン以外の技術も秘匿するってことですか。いつか財団の抱える問題が解決するまで」
「察しがいいもんだ」

「ワクチンだけの話で考えようじゃないか。毎年感染症で死んじまう子供ってのは600万人を超える。それの8割って言ったら大体500万人だ。500万人を、俺たちは毎年殺す。そういう仕事をしてる」

「殺しなんて言い方――」

「食い物を奪って餓死させたら殺しだろう。見殺しなんて消極的なもんじゃない。与えられるはずのものを奪ってるんだ。それが積極的な殺し以外になんて呼べる?」

「今日は何の記念日か、言ってなかったな」

「1億人記念日さ」

「どんな独裁者よりも、どんな疫病よりも、どんな戦争よりも俺たちは人を殺したんだ。どうだ、歴史に残る仕事だろう?」

「この先もこれはずっと続く。しかも、追加でSCP-500-JP-EXに入った技術。これで救えた命はカウントしてない。これからどんどん増えるだろうな」

「1950年代の世界の人口は大体25億人なんだ。そんなのすぐさ。もし上がいうように人口が130億人まで増える可能性があるなら、110億人に達した後はより苛烈に間引きをしなきゃならない」

「世界を救いたいって言ってたな。じゃあ世界ってなんだ? 土地か? 違うよな。きっとお前の思う世界ってのは、人間だ。人々さ」

「解決すると思ってんのか? もう20年以上解決してない問題だぞ」

「いいか、世界を救うって言ってたけど、それはお前のほんとの願いじゃない。本当の願いなら、なぜ願うのかを自分の言葉で語れるはずだ。でもお前が話したのは、ほとんど他人の言葉だった。お前がみてるのは崇高な正義とかじゃなくて、他人だよ」

「お前の本当の願いは、周りから認めてもらうことだ。そのためには周りからの期待に応えなきゃいけない。最初は家族からの期待、次に同僚や上司から、終いにゃお前はいつしか世界からの見えない期待を勝手に感じてたのさ。そりゃ耐えられないだろう」

「なあ新人、安心しろよ。お前に世界は救えないんだ。もうお前に世界を救うことなんか求められちゃいない。期待されてないんだ」

「お前の仕事はこれからは世界を殺すことだ。殺されることを期待する奴なんてそうそういないだろ。期待してるのはせいぜい、顔も合わせない上司だけさ」

「もう楽になろうや」
部屋の隅っこで、世界を救いたいと思ってた。でも今は恐怖に震えてる。なぜかわかるか? お前は自分に自信がないんだ。でも世界を救わなきゃいけないという責任ばかりがのしかかる。仕事だから、期待されているからな。でももう安心しろ、世界を救うことは求められちゃいない。お前は世界を殺すんだ。


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