遠野2

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「国内の山村にして遠野よりさらに物深き所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。」

— 柳田國男『遠野物語』序文

……されど、遠野のさらに物深き所にも、また珍妙不可思議なる伝説が存在した。

遠野妖怪保護区

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概要: 遠野妖怪保護区は岩手県遠野市の異空間上に存在する超常コミュニティです。域内には一般に「妖怪」と呼称される異常実体群が居住/生息しており、人間や人間との間に生まれた「人妖」も少数ながら生活しています。財団に対しては非協力的な姿勢を示しており、政府系組織の立ち入りも僅かな人員を除き制限されています。保護区が立地する異空間は「寒戸郷」とも呼ばれ、複数の神格実体とそれらを信仰する住民からなる共同体が古来より築かれていました。[空間の起源については煮詰める余地あり?]

妖怪保護区の成立は第二次世界大戦の終結直後まで遡ります。明治以降、正常性維持機関による怪異の取り締まりは激化の一途を辿っており、各地の妖怪集団は離散や潜伏を強いられていました。異常事例調査局(IJAMEA)に協力し、「妖怪大隊」に加わることで一定の権利を確約された時期もあったものの、敗戦後は再び追われる身となり、生存圏の確立が急務となりました。1945年[未定]日、蒐集院の怪異擁護派と妖怪大隊の元兵士らが発起人となり、寒戸郷への集団移住が敢行されました。

超常民俗研究家 佐藤某氏による寒戸郷略史

元々、異界「寒戸郷」は遠野に存在する「山と森林の神秘」が具現化した山神様の神域であり、遠野山中であればどこからでも神隠しで迷い込む可能性のある空間でした。当時、そこは山姥や経立などの遠野妖怪や如月工務店の鬼が住んでおり、緩やかな共同体を築いていました。異界の存在は伝承として語り継がれる形で地域に根付いており、民俗学者・佐々木喜善により「発見」され、彼は山神および遠野妖怪と友誼を結ぶことになります。

この平和な異界に、文明の手が初めて入りそうになったのは20世紀初頭のことでした。佐々木と寒戸の原住民たちは帝国異常事例調査局が主導する「白鐸計画」の魔の手を嫌い、存在が白日の下に晒されないよう手を尽くすことになります。その際に重要な役目を果たしたのが、佐々木喜善の友人である柳田國男です。術師でこそなかったものの、蒐集院でそれなりの立場にあった彼の活躍は素晴らしく、調査局の目をなんとか誤魔化すことに成功したのでした。「遠野物語」もその時の策の一環であったと思われます。調査局の興味は以降、朝鮮満洲に向けられるようになり、日本の片田舎は見向きもされなくなったのでした。

二度目の転機は第一次世界大戦の少し前。柳田國男の伝手で人間の移住者が寒戸郷にやってきました。彼女は巫女としての性質が非常に強い術師で、山神との調和度合いは凄まじく、寒戸郷の空間は彼女を巫女として立てたことにより一気に安定します。それが、日奉一族を裏切り、追われる身であった日奉藪でした。入居当初こそ煙たがられていた彼女ですが、やがて住人たちに受け入れられました。佐々木喜善、柳田國男、日奉藪、そしてもう十年ほど後になって寒戸郷と接触する宮沢賢治の四者の存在があったからこそ、遠野妖怪の人間に対する理解が存在したとも言えるでしょう。

1933年9月末、寒戸郷は佐々木喜善と宮沢賢治の両名を失うことになります。寒戸にとってよき友人であった彼らは多くのものを遺しました。その代表例が「イーハトーヴ」と呼ばれるもう一つの異空間です。寒戸郷に隣り合うように出現したこの不安定極まりない異界は、安定に日奉藪の多大なる努力を要しました。イーハトーヴ地区は寒戸郷とは大きく文化が異なり、人間社会を感じさせるものであったため、寒戸郷住人たちの反応は実に様々でしたが、10年も経てばその隣人たちの存在に誰しもが慣れたのでした。

そして1945年7月中旬、三度目の転機が訪れました。日奉藪と柳田國男の共通の知人であり、後に青大将の手のメンバー「Shr.」として活動するようになる大江山士郎を通じて、ある人物から移住の提案が為されました。それが妖怪大隊の一員であり、彼らは調査局及び祖国日本を裏切って新たな故郷とする土地を探していました。様々な問題が想定されたものの、最終的に彼らを受け入れることを日奉藪は決意し、柳田國男もそれに賛意を示していたため、原住民たちはそれに追随しました。

妖怪大隊も一枚岩ではなく、300ほどの構成員のうち反乱と移住を決意したのは凡そ200ほどでした。最前線に従事していた彼らが制海権をほぼほぼ失っていた近海を通って日本本土に安全に帰還することは困難を極め、判官会の協力のもと油槽艇に潜り込んだりでの輸送を経て無事に本土まで辿り着いたのは元の半数の100ほどでした。

元々、妖怪大隊の反乱者たちは良い移住先が見つからなかった場合に備え、山口県に存在する調査局の異界型小規模基地を攻め落とす計画を別途用意しており、彼らはそこに集結しました。問題はそこからどうやって調査局や蒐集院など彼らの敵が溢れている国内を横断して岩手県まで辿り着くかでした。

そこで、寒戸郷が提供したのが宮沢賢治の遺産の一つ、「銀河鉄道」でした。本来は空想第四次元を航行する機能を持つこの機関車は、12年の間で如月工務店と東弊組により修理され、なんとか三次元空間を飛行するだけの機能を取り戻していました。これにより、8月初旬に「百鬼夜行」が強行され、道中を調査局・蒐集院・五行結社などに妨害され脱落者を出しながらも、百鬼のうちおおよそ6割から7割ほどが寒戸郷への移住に成功したのでした。

派手な手段による百鬼夜行は、寒戸郷の存在を調査局や蒐集院に知らせる結果を招き、対外的にどのように振る舞うかポーズを明らかにせねばならない状況をもたらしました。度重なる五行結社の襲撃に対抗した「遠野妖怪独立区」という名称はこの時に発生したものです。

終戦により蒐集院も調査局も遠野とかいう弱小田舎コミュニティに構っていられない状態を活かし、遠野は着実に防衛体制を整えて行きました。しかし当時の蒐集院の姿勢に反対する術師の一派が合流/移住したことを切っ掛けに蒐集院も重い腰を上げ遠野に対策せねばならなくなり、8月末あるいは9月上旬、蒐集官波戸崎愷が派遣され交渉が行われました。その交渉でどのような約定が交わされたかは不明ですが、遠野は妖怪を「保護」する場所として定義されることになります。これが、「遠野妖怪保護区」のあらましです。

蒐集院は遠野を放置することを決め、その消極策は財団にも引き継がれました。蒐集院と縁を切り枢密院顧問官となった柳田國男の庇護の下、遠野妖怪保護区は移住者を受け入れながら安寧の時間を過ごすことになります。


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