まずは遅ればせながら、サイト管理官就任を御祝申し上げます。そして、貴官より提出された陳述——七度目のSCP-3000-JP収容プロトコルの修正案が此度、日本支部理事会にて否決されたことをお知らせします。
ええ、貴官がそれに納得していないことは、我々は十二分に存じております。——そして、貴官が独自にSCP-3000-JPに関わる事象を調査していることも。
御安心ください。SCP-3000-JPには、秘匿された秘密などは御座いません。そして幸いなことに貴官は今、我々が貴官の提案を否決し続ける理由を知るために必要となるクリアランスと知識を得ております。
前提条件として、貴官が危惧する事態は、我々も把握しています。インターネットが普及するにつれ、SCP-3000-JPの発生確率は緩やかではありますが年々確実に増大しています。これに伴いイベント・ブルーランタンの発生リスクは、楽観的な予測でも20年後には現在の2倍に達するでしょう。そして、それを阻止するためのコストは指数関数的に増加して行きます。改変され続けるクリーピーパスタ群を蒐集し、記録し、更に拡散させることで特定の概念がNiSで結束することを妨げる現在の手法は、将来的に破綻するでしょう。
勿論SCP-3000-JP-β、つまり、アノマリーへの認識が阻害され、改変される事象も深刻です。現在のプロトコルはSCP-3000-JP-βの発生阻止を重視しており、収容中のアノマリーにSCP-3000-JP-βが発生した場合、或いは既に影響を受けているアノマリーへの影響を取り除くことは考慮していません。これは実質的にアノマリーの変化を是とし、財団の理念そのものにも抵触しかねません。
記憶処理薬の使用制限を撤廃し、クリーピーパスタ群の拡散抑制に使用することで、これら収容の難易度や掛るコストを大幅に削減できると、貴官は幾度も主張されました。記憶処理薬を使用すれば、フェーズ6に至る前にSCP-3000-JP-αのフェーズを減退させられること、今を逃せクリーピーパスタ群は更に拡散し、記憶処理を行ったとしても完全な情報統制は困難となることも主張なさいました。確かに、その意見に間違いは御座いません。今ならば記憶処理を行えば技術的にも財政的にも、もっと容易にSCP-3000-JPの発生を抑制でき、人類の文化や宗教への影響も少なくて済むのでしょう。それは、我々も認識しています。貴官の意見が否決されたのは、提案の有効性が問題なのではないのです。
Y-919。そうです、記憶処理薬の原料として用いられる、あの物質が理由なのです。
貴官も、Y-919についての知識は既に得ているでしょう。そして、長期間暴露した際にそれから受ける影響についても。そう、自身の記憶が他者の記憶に侵食される現象のことです。
身構える必要はありません。貴官に対する対抗認識災害措置は既に施されています。
記憶とは自分自身を定義する主要な要素であり、普遍的形而上における意識体の大部分を構成します。脳への物理的干渉以外で記憶が消去され、かつ他者の記憶を得るとはつまり、普遍的形而上空間で意識体が置き換えられることを意味します。 “語られる怪異に関するオリエンテーション”を覚えているでしょうか? あの講義では、普遍的形而上空間におけるイメージや記憶の断片群を海に、自己と他者の区別を舟に例えていました。そして、Y-919はその舟底に穴を開けるのです。その穴はごく小さく、短時間で消失しますが、自他の区別が失われるため、意識体は普遍的形而上空間に暴露され、自身を構成する記憶を断片化して海に放出します。同時に、海からは同量の概念的エレメントが舟の内側に進入し、意識体の一部となります。
一回の記憶処理で流入する概念エレメントは、無秩序で重要な意味の無い情報の断片です。例えるならば、アノマリーを目撃したという記憶が、視界の隅に一瞬映った路傍の雑草や小石、飲料の缶といった情報群に置き換えられるのです。それらの情報も、本来は他者の記憶やイメージですが、自身が持つ記憶との区別がつきにくく、通常は即座によく似た記憶と混ざるため、意識体を改変するには至りません。
しかし時折、重要な記憶やイメージの断片が流入します。例えば両親の顔、故郷の空気の臭い、親しい友人の名前、愛する者の手の暖かさ。そういった個人固有の記憶は異物として意識体に残り続けます。そして、長期間に渡ってY-919に暴露し続けることでそれら異物が流入し続け、同種の異物が幾度も取り込まれ、結合し、巨大化し、やがて意識体が持つ重要ではない記憶をも取り込み、自身に関連する記憶として再構築するのです。これが“他者の記憶”の正体です。
そうです、記憶は例え断片化されて他者に取り込まれても決して失われず、元の自我を復元しようとします。例えどこまで細分化されても“我は我”なのです。そしてそれは、普遍的形而上空間に流出した記憶の断片も同様です。
概念的エレメントの海に投げ出された固有の記憶の断片もまた、“我は我”であろうとし続けます。そして周囲の概念エレメントの断片を少しずつ取り込み、かつての自身を復元しようと試みます。しかし、意識体の内とは異なり、普遍的形而上空間においては膨大な概念的エレメントの断片を貪欲に取り込み、記憶は際限なく肥大し続けます。そうやって再構築された記憶は、いわば代用品を繋ぎ合わせたパッチワークに等しく、肥大化するほどに元の記憶とはかけ離れた存在となっていきます。
やがて、肥大化した記憶は概念的エレメントの断片ではなく複数の概念エレメントの結合体、つまり物語を取り込み始めます。しかし、多数の人間に認知された物語は普遍的形而上空間において圧倒的な存在性を有しているため、解体・再構築されることなく、物語の概念を残したまま融合します。そして、“我は我”の概念を核として、同種の物語概念を積極的に取り込もうとします。
ええ、そうです。その物語こそがクリーピーパスタ群であり、それが取り込まれ、再構築された記憶こそが、我々がSCP-3000-JP-αに指定した概念的実体なのです。
あれらは、未だに自分が自分だと夢見続けている、かつて私や隣人であったものの成れの果てです。 既に自我すらなく、取り込んだ物語に取り込まれ、それでも“我は我”という幻想に捕らわれ続ける生きた物語なのです。自分と同種の物語を取り込むその特性上、物語に差異があればそれは異物となり融合を阻害し、自己不一致を起こして存在性を稀釈します。人類が一つの物語を様々に改変させて語り続ける限り、それらが形而下に現れるほどの高い存在性を得ることは無いのです。
では、人類が語るのを止めればどうなるか?
たとえ人類が一つの物語を忘却したとしても、普遍的形而上空間ではその記憶は概念として残り続けます。かつての我々だった概念を取り込んだ物語は、語る者がいなくなった後も残された同種の物語を取り込み続けるでしょう。語られなくなったことで不純物の少ない物語は容易に結合して更に肥大化し、やがては形而下で我々に認識されるに至るでしょう。
いつの日か、かつて我々の意識体を構成していた概念が、我々がかつて語り、恐怖し、想像した幻想の姿で帰ってくるのです。暗がりの中で対峙した相手を、彼は誰かと問うためには、我は我であることが担保されていなければなりません。しかし、闇の中に佇む彼も我であるのなら、自己と他者の区別は失われます。舟は大破し、自我は概念の大洋へと投げ出され、溶けて行くでしょう。
再び舟が浮かび上がった時、舟の内側にある筈の自我は、果たして自分自身なのでしょうか。
我々は語り続けねばなりません。SCP-3000-JPは、我々人類が物語を語り、想像することで生まれます。しかし、SCP-3000-JP-αを幻想に留めるのもまた、我々の語る物語、そして我々の想像なのですから。
2022年12月3日
財団日本支部理事会
日本支部理事"鵺"
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