M・K・シュナイダー『宇宙警官ジャック・プロトン』解説

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JACK PROTON - SPACE COP
by
M. K. Snyder
1940







ジャック・プロトンは、日本のSF界隈においては長らく完全な真空地帯となっていた。米国での発表から百年以上経って初めて日本語の完訳版が商業出版されるにあたり、私が解説を引き受けることになったのは、おそらくあなたがが考えているのとは別の理由、別の縁によるものだと思う。

というわけで、あなたが手に取っているのは、その名を知るマニアックな人々に邦訳が待望されていた宇宙冒険大活劇──スペース・オペラの幻の傑作、M・K・シュナイダーの「ジャック・プロトン・シリーズ」の第1作、『宇宙警官ジャック・プロトン』である。長い待ち時間でした。

ジャック・プロトン、血湧き肉踊るその物語の成立経緯については、前ページまでの素晴らしい訳者あとがきで語り尽くされているはずだ。なので、ここではジャック・プロトンが辿った歴史や時代背景といった部分をつらつらと紹介していきたい。




 
さて、まずは日本におけるジャック・プロトンの歴史について述べていこう。

「ジャック・プロトン・シリーズ」が日本で正当な評価がなされることがなかった理由のひとつは、1940年から1972年にかけてというその執筆期間にあったと言っていいだろう。これは、日本において紹介された主な米国のスペース・オペラの執筆時期、すなわちスペース・オペラの黄金時代だった1920年代から40年代とは微妙にズレており、むしろその後、SFがハイ・ブロウな小説へと変化していく過程の時期と被っている。

ジャック・プロトンはちょうどビッグ・スリーだのニュー・ウェーブだの何だのの怒涛の変遷があった近代SFの歴史の中で、シーラカンスのごとく古典的なスペース・オペラであり続けた。故にシリーズ初期作品が展開されていた当時、つまり日本SF界隈の黎明期における翻訳のニーズからも外れてしまったと言えるだろう(これには、当時早川書房で日本でのSF普及に尽力した福島正実氏の「SFは文学として確立させるべき」という方針も影響している)。

結果、日本においては、1959年に葦原出版の児童向け叢書「未来科学小説全集」の1冊として、『宇宙警官ジャック・プロトン』を抄訳したものが『宇宙の警察官』の邦題で刊行されたのみに止まり、独自の魅力を獲得したと評されるシリーズ後期作については、わずかに宇宙軍大元帥こと野田昌宏氏によるエッセイなどで内容が紹介されるのみで、ついぞ邦訳には至らなかったのである。

なお、映画『スター・ウォーズ』第1作が封切られ、スペース・オペラ人気が息を吹き返したように見えた1970年代末には、一時ハヤカワ文庫SFで完訳版の刊行が検討されていたようだが、結局実現せずに終わっている。これは、数年前からハヤカワで刊行されていた70年代版スペース・オペラ、グレゴリイ・カーンの「キャプテン・ケネディ・シリーズ」の人気がふるわず、第5巻で邦訳が打ち切られたことが響いたためらしい。

また、本作はメディアミックス展開の中でテレビドラマ化・映画化が為されているが、日本ではこれまた、1956年の映画版が1967年にテレビ放映されたのみで、10年前の作品ということもあって話題にもならなかった。これには版権関連のややこしい事情があったというが、このあたりは高塚佳奈恵氏の名著『銀幕の封印』に詳しいので、気になる方はご一読をば。

閑話休題。ここまでが1970年代以前の出来事である。結局、ジャック・プロトンはその後、ハリイ・エントン/ルイス・P・セナレンズの「フランク・リード・シリーズ」や、ギャレット・P・サーヴィスの『エジソンの火星征服』などと同様に、「発表された時には話題作だったが、今となっては大勢に知られるほどでもない作品」として扱われるようになったのである。20世紀が終わるまでは。

ジャック・プロトン再評価の兆しが見えたのは2000年代に入ってからである。チャールズ・ストロスやケン・マクラウド、ハンヌ・ライアニエミなどといった作家たちが、いわゆる「モダン・スペース・オペラ」に分類される作品において、量子論や技術的特異点などといったハードSFばりの科学要素を大いに取り込みつつ、あくまで往年のスペース・オペラの直系であり続ける作品を書き始めた時、そういえば、かつてシュナイダーという作家が似たような作品を書いていたな、と、洋の東西で一部のマニアが気づいたのである。

しかし、この時点でジャック・プロトンはある理由によって「封印作品」と化しており、その流れで中古市場からも急激に姿を消しつつあった。当時の私自身、今はなき神田神保町の帝都康文堂で『大カリストの騒乱』(The Great Callisto Caper)の原書を入手したことがあるが、ぼろぼろのペーパーバックに5桁に達するプレミア価格を支払ったことはよく覚えている。

かくして、そのアンバランスとも言える先進性への再評価に加え、稀覯本として衆目を浴びるようになったこともあって、ジャック・プロトンはマニアックなSFファンの間でその名前のみが知れ渡る「幻の意欲作」として認知されることになり、そのまま現在に至る。では、21世紀のモダン・スペース・オペラにも通じるその意欲的な部分とはどのようなものだったのだろうか。

1950年代以降、SF小説が急激に「近代化」を達成していく中、フレデリック・“ニュー”ポールやロバート・シルヴァーバーグといった同世代のSF作家たちが作風そのものを変化させることで時代の流れに乗ったのに対し、シュナイダーは古き良きスペース・オペラの作風を保ったまま、当時最先端の科学技術を物語に挿入することで時代に対応しようとした。と言っていいだろう。

例えば、シリーズ後期の作品である『光去るガニメデの夜』(The Night The Lights Went Out in Ganymede)では、悪漢ギネヴィル総督が企てる犯罪トリックに、執筆当時にちょうど確立されつつあった量子色力学が実に効果的に用いられている。今後の邦訳に備えてネタバレ防止のために詳細は省くが、アイデアの理論面のみを見れば、現代の本格SFの代表的な書き手のひとりであるグレッグ・イーガンの某作すら彷彿させる、と言っていい。

しかし、使われるアイデアを別にすれば物語は実に典型的・古典的な勧善懲悪であり、ハードSF至上主義を掲げる口の悪い日本の某SFファンなどは、70年代頭に舶来したばかりのペーパーバックの原書に目を通すや否や「粗製乱造の20年代から一切進化していない子供騙し」と切って捨てていた。時代に併せて作風のアップデートを行った21世紀のモダン・スペース・オペラ群、およびアニメ『宇宙戦艦ヤマト』を転換点とする和製スペース・オペラなどとは違い、当時のSF界隈で余り評価されなかった理由はここにあるのだろう。

しかし、それは作者であるシュナイダーの怠慢を意味するものではない。むしろ、彼はひとりの創作者として明確なヴィジョンを持ち、意識的にその作風を保ったのではないか。そう思うに足る節があるのだ。

シュナイダーは晩年、ジャック・プロトン・シリーズの最終巻『星々へのオーヴァードライブ』(The Overdrive for Stars)の前書きで、自身の作風についてこう語っている。

「科学の進歩が文化を発展させ、人類をさらなる幸福と挑戦へ導く。そこにはかつて夢見たような素晴らしい人々と冒険がある。決して良いとは言えない方向へ変わりゆく現実をどれほど見せつけられても、私にとって未来世界とはそのような素晴らしいものなのだ。そうとしか描けないのだ」



M・K・シュナイダー個人については、「ジャック・プロトンの作者である」ということ以外、知られている情報は少ない。1911年にセーレムで生まれ、若い頃の幾年かは米陸軍航空隊に身を置いていたことは本人の談から知られている。原始的な電波誘導兵器の研究に携わっていたというから、技術的な素養はあったのだろう。

1930年代中頃から〈アメイジング〉や〈アスタウンディング〉と言ったSF誌に短編が掲載されるようになり、1940年から〈サープライジング〉で連載が始まった『宇宙警官ジャック・プロトン』によって、一躍人気作家の仲間入りを果たすことになる。反面、SFファンダムとは距離を置いており、私生活に関しては、フルタイムのSF作家となった1939年から1973年に没するまで、ニューヨークで暮らしたことが知られるのみである。

彼のニューヨーク、正確には颯爽とした大都会であるニューヨークの表面への愛は、その作品の中から明確に読み取ることができる。処女作と目される短編『タイム・タワーの秘密』(邦訳は〈S-Fスキャナー〉1959年6月号に掲載・単行本未収録)からして「すべてが最先端の光輝くビルで覆われた」23世紀のニューヨークが舞台であるし、ジャック・プロトンが属する銀河警察の総本部ビルもまたニューヨークにあることになっている。また、ジャック・プロトンのいくつかの巻で見られるような「迷信的な未開天体」の描写には、かのH・P・ラヴクラフトの影響が見られるとする言説もあるが、むしろ彼がセーレムの生まれであることが関係しているとする見方のほうが正しいのかもしれない。



さて、ここまでお読みいただいた皆様の中には、このような疑問を抱かれる方がいるはずである。かつての「大崩壊」以前に“財団”職員だった私が解説を担当しているのに、なぜSCP-232について触れないのか? と。

1990年代後半、本場米国でかつて発売されていたブリキ玩具「ジャック・プロトンの原子光線銃」に異常性が発現し、今はなき“財団”はこれを「SCP-232」としてSCPオブジェクトに指定した。それに伴う特別収容プロトコルの一環として、一連のジャック・プロトン関連作品すべてが「封印作品」として扱われるようになった。この顛末は、ジャック・プロトンを実際に読んだことのない人々の間でもよく知られている。「“財団”による過剰な創作物規制の実例」としてだ。

異常性が発現していたのはあくまで「原子光線銃」のみであったのにも関わらず、原作から何まですべてを収容してしまおうとした当時の“財団”の選択が、ジャック・プロトンという米国SFの芳醇な財産を不当に奪うものだった。という論旨には、私自身共感できる。しかし、しかしながら、それはジャック・プロトンが古色蒼然たるスペース・オペラとして忘れ去られてしまったこととも、ジャック・プロトンの面白さとも何一つ関係ない!

今となってはいささか古典的な面白さになってしまってはいるが、それでもなお、作品が内包するドキドキ、ワクワク、センス・オブ・ワンダーの本質は何一つ失われてはいない。連載当時に人気を博しただけの魅力がジャック・プロトンにはあり、あらゆる色眼鏡をつけずとも読む理由としてはそれだけで十分なのだ。「滅多にお目にかかれない代物 」や「“財団”による封印作品」といった作品外の出来事とは無関係に、本作は傑作なのである。

あなたに、純粋に1冊の素晴らしいスペース・オペラとしてジャック・プロトンを堪能していただけたなら、同じSF者として冥利に尽きる。この想いは、私が“財団”に雇用されるよりも前、城南大学SF研でジャック・プロトン・シリーズの私家版邦訳に携わっていた昔から、何一つ変わってはいない。

さて、豪語したようにジャック・プロトン・シリーズは傑作揃いなので、今後も順次続刊をお届けしていく形になるとのこと。非常に喜ばしい限りである。7月には第2巻『ジャック・プロトン火星へ行く』が刊行予定。突如不可思議な濃霧に覆われた、火星はマリネリス峡谷に潜むものは果たして何か!? ジャック・プロトンの次なる活躍にご期待いただきたい。

麻倉 志穹(地球外文化知性体学者・SF評論家)




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