誰も知らぬ絵

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空っぽの部屋が並ぶ廊下に冷たい足音が響き渡る。足音は人っ子ひとりいない廊下に反響し、そしてどこかに吸い込まれて消えた。

芸術の街、南太島で回収された異常芸術の集積地。さらに言えばその中でも収容が単純かつ容易なオブジェクトの最終保管庫。そんな役割を持つこのサイトに入ってくるのはSafeクラスの中でも収容が簡単なものばかりで、したがってこのサイトの廊下はそれを個別に収容するための画一的な小部屋で満たされている。そしてその廊下は見た目ではどこまで続くのかも定かではない。もちろん部屋の数は有限だ。が、あまりに多いのでたくさんあるとしか覚えていない。今はとても多いということだけが分かっていればそれで良かった。

その「とても多い」部屋は今や、全てが空室となっている。脱色事件の影響だ。南太島が灰色と化して当然このサイトも色を失った。オブジェクトとて例外ではなく、どれもそれまで持っていた色彩を黒と白のモノトーンへと変貌させた。そして可視スペクトルの変化によって異常性の根幹をなす色彩バランスが崩壊し、一斉に異常性を失ったのだ。Neutralizedに再分類されたそれらは短い調査期間の後で処分された。残された色に依存しない異常性を持つオブジェクト群もどこか別のサイトに移送された。そうしてこのサイトに保管されているオブジェクトはひとつたりとも無くなった。

いくつあるとも知れない部屋が並ぶ中を私はただひたすらに歩いていた。用事は大したものではない。部屋に新しい役目を与えるにあたってその状態を確かめなければならないというだけの事だ。財団という組織においてこれが辛い仕事だとは口が裂けても言えないだろう。ただ、廊下に並ぶ全ての部屋をひとつひとつチェックするのが苦痛でないと言えば嘘になる。これから始まる気の遠くなるような単純作業に私はもう既にうんざりしかけていた。頭を振ってそんな気持ちを振り払い、私はチェック作業に入った。

空っぽの部屋をひとつひとつ開いて状態を確かめる。中に入って清掃や整理の状況を確認し、状態を書類に記入する。チェックが終わったらその確認に入り口の番号札を引き抜き次の部屋へ。

繰り返す。ただ繰り返す。それで終わりだ。ひとつひとつ地道にチェック作業をして、何事もなく最後の一部屋まで辿り着いた。ようやく終わりかと思いながらIDを通し、その部屋のドアに手をかけた。

この時、部屋が掲げる番号札を見ていたならば何か気づいたのかもしれない。私が見なかった番号札。そこにはこう書かれていたのだ。

SCP-055と。


一瞬、腐臭が鼻についた。そう錯覚するほどに部屋は死体で溢れていた。痩せ衰えた、ミイラのようになった死体だ。首から下げたIDカードとお決まりの白衣がそれが研究員の成れの果てだと告げていた。何だここは、とただそれだけが頭の中で反響する。思わず後ずさり、体が固い壁に触れた。そのまま寄りかかってへたりこむように腰を下ろした。今は襲いくる吐き気を堪える以外にできる事は何も無かった。

しばらくすると落ち着いてきて、辺りを見回す余裕が生まれた。まず、部屋の奥には一台のエレベーターがあった。階表示は無く、ボタンは下向きの矢印ひとつだけ。ここに収容室が無いということはおそらくこの下が収容室だ。床は所々凹み、書類がバラバラに散らばっている。部屋の壁には無数の浅い傷が走り、そして至る所に乾いた血痕らしき染みがあった。歩き回ってもっとよく観察する。床に散らばっている書類は踏みつけられたり血が滲んだりしていてほとんど読めるものは無かったし、読めても意味が分からないものばかりだった。それでもどうにかまともに読めるものを探し当てて拾い上げる。その報告書にはSCP-055というオブジェクトの事が書かれていた。どうやらこの部屋ではこれを研究していたらしい。報告書から分かったのはせいぜい丸くないということくらいだ。だがこのサイトにあるということは何かの芸術なのだろう。ともかく即座に危険があるものでないようでホッとした。

分からないことは多いが今はこれで十分だ。私は報告をしに帰ろうとした。ところがそれは叶わなかった。どこから入ってきたのか分からないのだ。この部屋には入口から入ったはずだ。だが入口はどこだ?分からない。パニックになって叫びながら手当たり次第に壁を叩く。手応えは無い。両手がジンジンと痛んでも構わず壁を叩き続けた。そのうち壁に血がついた。先ほど目にした乾いた血痕によく似ていた。はは、と乾いた笑いが溢れる。この部屋の死体はきっとこうやって死んだのだ。入ったはいいものの出口を失い出られなくなって。きっとオブジェクトの影響だろう。目にした出口を見る端から忘れさせられているとでもいうのだろうか。何でもいい。重要なのは出られなくなったというその事実だ。

このまま私もこの部屋の中で朽ち果てるのか。そう思った時、頭の中に一筋の光が閃いた。原因のオブジェクトが芸術であるとするなら、もしかするとまだ一つだけ手があるかもしれない。エレベーターを振り返る。あれに乗れば、きっと出入口を見失ってしまったようにこの部屋の事もすっかり忘れてしまうだろう。その扉が地獄への入り口のように感じられた。だが、道は前にしかない。私はエレベーターに乗りこんだ。


たどり着いたその部屋は小さく、そして薄暗かった。狭い部屋は死体だらけでほとんど足の踏み場も無い。部屋自体はシンプルなもので、収容室と書かれたプレートの下にドアが一つあるだけだった。間違いない。この先にSCP-055があるはずだ。ドアの前に歩み寄る。ドアには鍵がかかっていたが、その鍵はすぐ横の壁にかかっていた。

鍵を開けてドアに手をかけた。その手に自然と力が篭る。もはやどこからここに来たのかも、前の部屋に何があったのかだって思い出せない。もしもこれでダメだったとしたらもう脱出の手立ては無い。こんな分の悪い賭けに出るよりももっと良い方法があるのではないか。どうにかして外から助けてもらう事だってできるのではないか。そんな考えが頭をちらつく。この扉を開きたくない。結果を知りたくない。だが、開くしかないのだ。

覚悟を決めて扉を開いた。眩しい光に目が眩む。

空気が収容室に流れこむのを感じた。薬剤に汚染された灰色の空気が。そして、それで終わりだった。


あの後無事に部屋を出た私は、端末に残した記録と共に一部始終を報告した。解雇されるかもしれないと思っていたが、上司はよく帰ってきたと私の肩を叩くだけだった。後から聞いた話ではオブジェクトの無力化というチョンボと将来的な犠牲の阻止という功績が相殺されることになったらしい。

そう、無力化だ。南太島の空気、そこに未だ色濃く含まれる薬剤を利用し、色彩の喪失によるオブジェクトの無力化を誘発する。私はそれに、オブジェクトが色を異常性の根幹に持つ芸術であることに賭けたのだ。そして私は賭けに勝った。目を開けた時には全てが灰色になっていて、SCP-055は色を失って無力化された。

サイトはと言えば、バケツをひっくり返したような騒ぎになった。収容されていないはずのオブジェクトがサイト内に存在する。そればかりか多数の犠牲者を出していた。それがどれだけの大事件か語る必要は無いだろう。不正は無かったか。いつから影響を受けていたのか。他に未知のオブジェクトの影響を受けていないか。問題のオブジェクトは本当にSCP-055なのか。調べなくてはならない事は山積みで、いくら外から人を呼んでも足りないような有様だった。

とはいえ全ては過去の話だ。今はもう何もかもが終わって、SCP-055たるその絵画も処分されようとしていた。Neutralized。無力化されたオブジェクトはいずれこうなると知ってはいたが、実際に見るのは初めてだ。

あの絵を目にした時、すぐさま星空に目を奪われた。暗い空に浮かぶ無数の星々。それが空を照らしたせいか、空は暗くはあっても黒くはないように見えた。地面は湾曲して描かれ、ほとんど全天を画面内に収めていた。そして満天の星空の中央にはあるのは五本の光線を発する一際大きな光。全てがそれを中心に構成されている事が素人目にもすぐに分かった。中央の星は描かれたものでありながら、絵の中で紛れもなく光り輝いていた。

良い絵だと思った。目の奥に焼き付くような力強さをそこに感じた。少しだけ見たSCP-055の報告書を思い出す。あの絵がただ忘れ去られるだけのものであるのなら、あるいはそれは忘却の力を打ち破った者にこそ与えられるべき報酬だったのかもしれない。

きっと誰かがあの絵を見て喜び、感動してきたのだろう。けれど皆その姿を忘れてしまった。あの絵に描かれた砂上の楼閣。その姿を知る者は忘却という試練を越えた者だけだ。

けれど灰色と化した今、試練は終わった。一人の突破者も無いままに。

誰かが知ろうとし続けた姿がどうしようもなく汚されて誰にも知られぬままに朽ちていく。その結末を呼び起こしたことに後悔は無い。ただ、少しだけ口惜しかった。もしかしたら、別の方法があったのなら、いつかあの絵の本当の姿が暴かれることもあったのかもしれない。

一抹の寂しさを感じながら白い灰に背を向けた。全ては後の祭りだった。


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