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[不明瞭な音声]もしもし。聞こえているかな。財団に届いているといいんだが。どうも発信しか出来ないらしいな、これ。まあ、通じていると信じよう。そういう世界だ。
さて。
まず……俺は岩波。エージェント岩波……岩波文哉、そう名乗ってた。任務はカバーストーリーの流布。特に最後……最近は、最近はSCP-████-JP関連図書の回収にあたっていた。俺のこと、財団にはどう認識されてるんだろう。行方不明なのかな。まあ、そんな感じ。
で、第一の報告。俺は生きてる。ここにいる。まあ、ここがどこなのかは皆目検討もつかないんだけど。
……反応がないとどうにもやりづらいな。ともかく、俺の主観で何があったのか、最初から話そう。
まず、俺は同僚たちと同じように暗闇の幻覚に追いかけられていた。部屋の隅とかに、黒い影が蟠ってて、それがどんどん近づいてくるやつ。メモを書き残したあと……あれ、見てもらえたのかな? 何書いたのかもう覚えてないが。……ともかく、その後影に呑まれた。
そして、気づいたら真っ黒で何もない所にいた。まあ、正直自分は死んだんだなって思ったよな。それで、静かな暗いところに漠然と漂っていたんだが、ある時子供がどこかで泣いている声がするのに気づいたんだ。それで、自分以外にも誰かがいるのかと寄っていったんだ。
小さな女の子だったよ。10歳かそこらの子供が暗くて何も見えないって泣いてた。それで、どうにか泣き止んでほしくって、ここは暗いけど少し歩いた先にちゃんと明るい場所がある、俺はその道を知っているって言ったんだ。ああ、もちろん出任せだ。不思議だよな、幻覚を見ていた時はあれほど嘘の言葉が出てこなかったのに、その時はとんでもなく滑らかに出て来た。それで、不思議なのはここからだ。そう言って顔を上げたとき、遠くに光が見えたんだ。だから、俺たちはそこに向かった。それで気づいた事がある。ただ黙って歩いても辿り着かないが、「近づいて来た」「もうすぐだ」と言ったらそうなった。
ただ、言った事が全部実現する訳ではないみたいだ。どう言葉を探しても帰路は見つからなかったし、どうやら何かを得るには何かを為さなければならないらしい。辿り着いた先にあった光は蒼ざめた月が浮かんでいるだけの空間だった。そこで、どうにか俺は適当な建物をでっち上げて休める場所を確保しなきゃいけなかった。
どうにか安全を確保して少し休んでから、俺はここに前からいる奴がいるはずだ、そいつは世界の在り方を知っているかもしれないと適当なことを言った。そうして探したところ、果たしてそいつはいたよ。3つの穴がある箱の中に入った羊だった。姿は見てないし、本人は勇猛で美しい獅子を自称していたが、まあ羊だろうな。メエメエ言ってたし。
羊……そいつはボクシィと言った。色々と教えてくれたよ。大体想像通りだった。ここは地図のどこにも乗らない国で、その在り方は訪れた旅人によって規定される。ただし、何かを得たいのなら何かを為す必要がある。一筋縄には行かないってことだな。ちなみに、これを教えてもらうのにも条件があった。連れて行って、その先で見たものを箱の中に聴かせてやることだ。まあ、どうせ報告は要るからな、大した手間でもない。
それで、その法則ってのを試しがてら通信手段を確保するべく俺は色々とでっち上げて、この音声をお届けしているって訳だ。地下に住む小人と交渉して、かつて人魚から貰ったっていう貝殻を譲ってもらった。そう、俺は今これを貝殻に話しかけて吹き込んでる。笑える絵面だろ。
現状報告できるのはこれくらいだ。少し休んだら、この世界を探索してみる。では、今日のところはここまで。
色々と試した結果、どうも俺はナレーターみたいに喋るのが一番この世界でやっていきやすいみたいだとわかった。見たものを語るし、見せたいものを騙るって訳だ。まあ、日頃の任務とそう変わりはしないな。そういう訳で、今後は絵本みたいな語り口調でやっていく。お約束として、そういう口調の方で語られる世界の方があんまり悲惨な事は起きなさそうな印象があるし。ともかく、別に気が狂った訳でもなければ世界に取り込まれてる訳でもない。今のところはな。
それだけ。あと、どうもこの世界には夜明けは訪れないらしい。何を言っても駄目だった。それで、どうも時間の流れが曖昧だ。まあいいこともあって、どうやら睡眠や食事は必須って訳でもないらしい。冒険にはおあつらえ向きの世界ってことだ。
だから、もう出発するよ。
冒険の始まりってやつだ。
色々と試した結果、どうも俺はナレーターみたいに喋るのが一番この世界でやっていきやすいみたいだとわかった。見たものを語るし、見せたいものを騙るって訳だ。まあ、日頃の任務とそう変わりはしないな。そういう訳で、今後は絵本みたいな語り口調でやっていく。お約束として、そういう口調の方で語られる世界の方があんまり悲惨な事は起きなさそうな印象があるし。ともかく、別に気が狂った訳でもなければ世界に取り込まれてる訳でもない。今のところはな。
それだけ。あと、どうもこの世界には夜明けは訪れないらしい。何を言っても駄目だった。それで、どうも時間の流れが曖昧だ。まあいいこともあって、どうやら睡眠や食事は必須って訳でもないらしい。冒険にはおあつらえ向きの世界ってことだ。
だから、もう出発するよ。
冒険の始まりってやつだ。
さて、一行は歩き出しました。少女と語り手、箱入り羊は腕の中。この世界の事をより知るために。暗い月の廃墟を出た先に現れたのは……現れたのは……うん、麦畑みたいだね。そういう事にしよう。一面に広がる麦畑です。月光を受けた金色の輝きが波のように、海のように揺れている。静かで見晴らしのいい景色です。この調子だとこの先に果樹園とかないかな? それか、この畑の主。おや丁度いい、人影が見えてきた。あれは……いや、違った、カカシか。ああ、きみはカカシを見るのは初めて? 本で見たことはある? そっか。そう、鳥を追い払うためのものだね。
追い払われる鳥がここにもいるのかって? いるみたいだな、ほら、遠い空に黒い点が一つ二つ……いや何か増えてないか。増えたな、急に。……ちょっと怖がるのやめてもらってくれない? なんか反映されてるんだけど。駄目か。仕方ない、俺の後ろに隠れてなよ。ちょっとはマシだろ。お、一羽群れから離れてこっちに向かってきたな。黒いカラスで、眼だけがすごく蒼い。こいつが代表で、どうやら俺に用が……いや、話がある事にするか。ごきげんよう、カラスくん。この旅人に何か話があるようだね、言ってごらんよ。
"大人がどうしてここにいるの?"
それは俺も知りたいね。来たくて来たんじゃないんだが。
"へえ、招かれてここに来たんじゃないのか。だから君たちは友達を連れてないんだね。まあ彼らの調子が悪い今となっては、そうなっても不思議ではないか"
友達? 何のことを……どうしたんだい、前に出てきて。
「あの子のこと、何か知ってるの」
"おや、君はお友達の事を覚えているんだね"
「久々に声を聞いたと思ったらここに放り出されたの。あの子は大丈夫なの」
"君の友達である個体のことは知らないな。でも銀の蹄の一族の危機なら誰でも知ってるぜ"
「誰でも? それじゃボクシィ、あなたもなの」
"ああ知ってるぜ、あいつらの問題は世界の問題だから。でもどうすればいいのかはわからない。何か出来るのは、友としてそいつの名を呼べる人間だけだから"
「どういうことなの?」
どうやら俺たちにしか出来ない事があるらしいぞ。で、何が起きていて、何をすればいいんだ?
"大人には無理だよ。友達の名前どころか自分の名前も呼べなくなってるような人には、特に"
「あたしなら出来る? どうすればいいの?」
"それならこの道をそのまま東に向かうといい"
この子にはえらく素直に教えてくれるじゃないか。
"いずれ誰でもわかることだよ、ねがいもおそれもその方から来るのだと。なら、門の案内者もそこにいるのが道理だろ"
そういうもんか。じゃあ行くよ、ありがとう。
"まあ、あのカカシどもを何とかしてこの畑を抜けられたらの問題だけど"
は? カカシ? 単に突っ立ってるだけじゃ……うわっ、話してる間に増えたな。
"こいつらは畑を東に向かおうとすれば霧を吐く。それに巻かれるうちに、方向を見失ってここに戻ってくるっていう寸法さ。さあ、お兄さんはどうする? さっさと迂回してそれが正しい道だったことにでもするかい?"
とりあえず一回試すか。はぐれないようにしっかり掴まっててくれよな。[咳払い]さて、一行は恐々と、しかし着実にカカシの一体に近づいていきます。冷静に、対処法を見出すべく。そしてかかしからは一筋の霧が吹きだして……霧か?
……おい、これ煙草じゃねえか! 子供の前でもうもうとふかしやがって、恥ずかしくないのか俺だって我慢してるんだぞ! 場所を変えろ場所を!
[沈黙]
すまん、急に大声出して。思ってたのと大分違ったんで、つい。でもアレだな。今ので消えたな。正直何一つ釈然としないんだが、これでよかったのかいカラスくん。君が何も言ってくれないと困るんだけど。
”ごめん、解決法があまりにも思ってたのと違った”
だよな、俺もだよ。じゃあ、俺たちは行くよ。色々教えてくれてありがとう。……なんだ、付いてくるのか? 君は大人が嫌いなもんだと思っていたんだけど。
“そうだよ。でも、あのカカシもそんなに好きじゃないし。それにお前らがどこまで行けるのか興味が出て来たし。その我慢がどこまで保つのかにも”
我慢? ああ、煙草のことか。別に俺、喫煙者じゃないぞ。
“何だって? 嘘なの?”
最近言葉が出なかったもんだから、ここでならどうなのか試したかっただけだよ。君も知っての通り、大人は嘘つきで……痛い、頭に爪を立てるな! 人の頭を巣にするんじゃない!
“別にいいだろ、元々鳥の巣みたいな頭なんだから。ここから連れ出してくれるまでは降りてやらないからな”
はいはい、判りましたよ。
さて、一行に仲間が増え、道中はますます賑やかになってゆきます。箱入り獣にカラスと少女、そして語り手を兼ねる旅人の珍道中。ここらで旅の仲間を改めて紹介することにいたしましょう。まずは箱入りのボクシィ。本人は勇猛な獅子って言うけど、どうかなあ。外からも内からもお互いを直接見る事はかないませんが、最初にこの世界の理を教えてくれた頼れる仲間です。何かを得るには何かを為すか差し出す必要がある、そうだったね。
そして次……の前に、ちょっと待って。麦畑の国はここで終わりらしいですね。目の前には深く流れの速い川、その向こう、遥か彼方に雪の国。そうだね、流れに沿って歩いてみてどんな橋がこの先にかかっているか見てみることにしましょうか。それとも君がひとっ飛びして様子を見てくれるかい? 気乗りしない? そっか。
ああ、君の紹介がまだだったね。こちら、麦畑のただ中、霧の鳥籠で出会ったカラスのクロウ。瑠璃色の鋭い眼をした、美しい羽根の黒い鳥。少々口は悪いけれど、色々な警告を教えてくれます。名前のこと、世界のこと、銀の蹄の一族のこと。そして、ついさっきも教えてくれたね。雪で出来た橋、ちょうど俺たちの目の前にあるようなのは大人の重みにはよくないって。
でも、そうだよな。きみは友達が心配だよな。あの霧の鳥籠みたいに何とか出来ないかって? いい考えだ。……ああ、ここで我らがリーダーの出番です。人の姿のお嬢さん、かどかわ・すずかちゃん。日頃はすずって呼んで欲しいらしいので、今後もそう呼びます。小さいけれど、友達の身を案じて前へと突き進める、優しさと勇敢さと賢さをそなえたすてきな女の子です。そうだよな。この先に進まなきゃいけないもんな、俺たちは。
“大人をやめれば?”
本物の前で子供にはなれないよ。
“一気に駆け抜ければいけるだろ。俺は箱入りだから駆けられないが”
それもそうだな。よーし、一か八かやってみよう。一行には語り手が必要だし、お目こぼしがもらえるかもしれない。みんな先にロープを持って行ってもらえるか。その後で俺が駆け抜ける。この橋も見かけよりは頑丈だろう。ええ、とても頑丈でした! そういう事にならないか。頼むよ。
……いや、実際案外簡単に渡れましたね。今なら虹の橋でも渡れそうな気がする。ロープを解いて、一行は先へと進みます。その先に待つものはいったい……うん? どうしたの?
「岩波お兄さんの紹介はいいの?」」
岩波? ああ、俺の名前か。 語り手の説明は別にいいんじゃないか?
“お兄さんも旅の一行でしょ”
そうかな。…‥じゃあ、語り手の話もしておきましょう。ナレーターを務めるのは私、かつては岩波と呼ばれていた大人です。実は岩波と言うのは別の名前で、子供だったころは……。
あれ。
本名、思い出せないな。
さて一行は東へ向かってさらに進んでゆきます。雷鳴轟く嵐を潜り抜け、虹の橋を越えてなお東へ。常泣きの芋虫から銀の長靴を譲り受け、道化の蛾から英雄の熱い血のように赤いコートを貰い受け、糸織る蜘蛛から白い防寒具を借り受けて、いよいよ雪の国への到着です。
うん。咄嗟に思いついた名前だけど、おとぎ話の雪の国ってのはいいですね。そこまで寒くも危なくもなさそうだし。月光を反射して地面全体がぼんやりと輝いているうえに足跡が残りやすいから何かを探すにはうってつけだ。きっとここで何かが見つかるに違いありません。一行は注意深く、月に濡れて煌めく世界を一歩一歩と進んでいきます。
一歩、また一歩。雪の中を進んで……おやボクシィ、君が最初に何か見つけるとはね。後ろ? 一体……う、わ。……何だよ、これ。手か。でかい。
「お兄さん?」
いや、大丈夫だ。そう、怖い怪物って訳じゃない。あれはきっと君には何も出来ないよ。君のような、後ろ指をさされるようなことをしていないこどもには。
“それじゃ、君は指をさされるようなことをしてきたわけだ、大人の語り手?”
その通りだよカラスくん。こいつらは……この宙に浮かんでいるいくつもの巨大な手は全部俺を指さしてる。自分の名前も名乗れなくなった嘘つきをな。ああ、いつの間にか四方を囲まれてるな。
くそ、このタイミングでぶり返してきた。声がうまく出ない。ろくに嘘がつけない。
なあ。俺が君たちから離れたら、君らは無事先へ進めるのかな。
「それは違う、と女の子は言いました」
「そうだ。弱気になってはならない、と木箱の中のライオンが言いました。手が怖いなら入って来れない場所まで逃げて隠れたらいい、って紺色の目のカラスが言いました。しぶしぶって感じだったけど。そうしよう、でもどこに逃げたらいいんだろう。女の子は考えました」
「考えて、考えて」
「それで思いつきました。お兄さんがやってくれたのと同じことをしたらいいんだって」
「手を握って」
「ここには本当に怖いものなんて何もないんだって言って」
「それで、いつだって笑いかけてくれて」
「それで、何とか次へ進むやり方を無理やりにでも作り出してくれた。だから考えなきゃいけない、何か思いつかなきゃいけないんだ」
「え──」
「この世界に大人の身は歓迎されていない。君らには重すぎる荷物だろう、とお兄さんは言いました」
「そっか。そうだった」
「ねえ、クロウ君。行ってたよね。雪の端は大人の重みで壊れるって。なら、こういうのはどうかな。実はこの雪の国には地下に空間があってね、一歩でも後ろに下がれば重みで崩れて下に──きゃあ!」
「いたた……本当にこうなんだ。手はついて来てない! 私にもできたよ! どう?」
「……お兄さん?」
「どうしよう。何とかあの大きな手からは逃げられたけど、岩波お兄さんは起きなくなっちゃったし、ここからどうやって戻れるかもわかんない。起きるまで待つしかないのかな」
「ここ、地下の洞窟なのかな。暗くて何にも見えないや」
「遠くから何か聞こえて来た気がする。何なんだろう」
「……でも、最初の時ほど怖くないな。何ならちょっと落ち着くかもしれない。岩波お兄ちゃんが横にいるからかな」
[沈黙]
「目が慣れて来たけどお兄ちゃんはまだ起きない。息はしてるし、大きな怪我はしてないみたいだけど……うわっ」
「小さな手が、浮いてる。ついて来たんだ。……いや、大丈夫だよクロウ。私たちには何もしなさそう。お兄ちゃんの言った通り、こどもには何もしてこないんだと思う。…‥別に、私もそんなに良い子じゃないんだけどな。後ろめたい事だって、ないわけじゃないし」
「あのね。あたしがここに来たのも、きっとあたしのせいなんだよ。あそこに、あの施設にいたくなくって、次の一日が始まるのが嫌になって。サファイアに会いたい、またあの絵本みたいにここじゃないどこかに連れて行って欲しいって思ったんだ」
「そしたら、こうなっちゃった」
「親がいなくなった子のための施設だよ。お父さんとお母さんね、なんか急に帰ってこなくなっちゃったんだ。いや、施設の人たちはすっごく親切だよ。こっちが申し訳なくなっちゃうくらいに。でも」
「事故だったって言うんだけど、詳しい事はなんにも教えてくれないんだ。普通の事故で、そんなにたくさんの子供がいっせいに親をなくすなんて、どう考えてもおかしいのに」
「この手……そっか。一緒にいてくれるんだね」
「お兄さん。ねえ、岩波お兄さん。もう起きてるんでしょう? さっきまで私のそばにいて、私がおちついたらお兄さんを指さしに戻ったその手、お兄さんのだもん。実は起きてて、聞いてるんじゃないの?」
おはよう。奇妙なもんだな。狸寝入りして聞き耳を立てるつもりは毛頭なかったんだが、そういう感じになってる。いや、君のせいというよりは君のおかげと言ったほうがいい。そうじゃなかったらまだ気絶してただろうし。
で、この手。そうだな、君の言う事は正しい。これは俺の手だよ。傷と血で汚れる前の。人は自分の瞼の裏からも自分の手からも逃れられない、そういう事なんだろうな。ああ。俺は、誰よりも、君に言わなきゃいけない事があるんだ。
俺は君が思っているほど良い大人じゃない。薄汚れた大噓つきだよ。必要とあらば他人を騙して燃え盛る焼却炉に投げ込めるような。友達と二度と会えなくなった子供にまたいつかは会えるさと笑いかけて、その友達に関する記憶を丸ごと消し飛ばした事だって一度や二度じゃない。
そうだ。君の友達……君らのペガサス、銀の蹄を持つ一族を君たちから取り上げたのは俺たちだよ。あの絵本を取り上げて、誰の目にも触れないようにした。人には知るべきでない危ない知識がこの世にはあるからと、ありとあらゆるものを暗闇の中に隠した。その結果がこれだ。
ごめんな。確かに君がここに来たのは君に理由があるからかもしれないが、帰れなくなったのは俺たちに原因があるんだ。そりゃあ、弾劾の指も俺を指し示すよ。
「でも、もう指さしてないよ」
本当だ。
「ねえ、お兄さん。ここはとってもくらいの。何か明かりになるもの、見つからないかな」
そうだな。ちょっと目を凝らしてみるか……ああ、あっちに光るキノコが生えてる。小さいのがたくさん、ぼんやりと薄緑に光ってるんだな。洞窟だから湿度が高いんだろう。ちょっと動くか。
「ありがと。ね、お兄さん。確かに人を焼いちゃうのはやめたほうがいいと思うけどね」
“本当にそれはそうだぞ”
「ちょっと黙ってて。でも、ここに怖いものは何もないってお兄さんがどうして何度も言ってくれたのかはわかるから。お兄さんに見えていて、それでも口にしなかったものが何だったのか、あたしにもちょっとわかったから。だから、全部が全部悪い事じゃないと思う」
そうか。ありがとう。
「でも、いつか。私がそれを見ても大丈夫なくらい強くなったら。泣かないくらいになったら、その時は教えて欲しいな。だめ?」
大人になったらな。無事に戻れたら、夜が明けた後の世界をお見せするよ。酷いものも沢山あるけどさ、その先に、酷いだけじゃないものも沢山あるから。だから、君の友達を見つけて帰ろう。ほら、あの手が置いて行った指輪だ。君なら何か使い方を思いつくんじゃないか?
「これ……お母さんの指輪だ」
そうなの?
「うん。これをこっそり借りてサファイアを呼んでたんだよ」
そうか。なら、今回もそうしてくれ。俺にはもうできないから。
「ねえ。もしかして、お兄さんにもペガサスのお友達がいたの?」
昔はね。でも大人にはそういうの、いないんだよ。だから君が呼んでくれ。
「わかった。友よ、銀の蹄を持つ友よ! サファイア、来て! どこにいるのか教えて……お願い!」
[沈黙]
嘶いてたな。あっちのほうだ。
「聞こえたんだね。お兄さんにも」
まあな。さあ行こう。この光る洞窟を進んだら、きっと地上に出られる筈だ。
岩波が気絶してたり指輪がドロップしたり蝶舞う森で喋ったりする
さて、蝶舞う森の果ての果て、急に視界が開けました。森を抜けた先にあったのは、幻の動物たちの病院です。羽根の抜けたヒッポグリフ、肩こりが重症化したケルベロス、心臓が悪いケンタウロス、その他もろもろありとあらゆる動物が集う憩いの場所です。へえ、医者役は不死鳥なんだ。それと、杖に巻き付いてる双頭の蛇、あれも医者らしいな。看板かと思った。
それで足跡は……この先か。やあ、俺たちは見舞いの者なんだけど、通してもらえないかな? それとも受付で書類とか書かなきゃいけない? そう。どうも、あんまり歓迎はされていないな。手出しはしてこないようだが。……気が急くのはわかるが、慎重に行こう、な。もう近くまでは来てるんだから。それにしても、これが病室なのか。屋根がないのは奇妙な気分だ。ここには雨も雪も降らないんだろうな。……で、ここか。
「サファイア! よかった、生きてた!」
あー。居るのか。そこに。
「うん、いる。そんなに怪我も酷くないし……見て、ちょっとずつ治ってきた!」
そっか。それはよかった。
「お兄さんには見えないの?」
残念ながらね。俺から見えるのは宙に浮いているツタの首輪だけだよ。何が見えているのか、聞かせちゃくれないか。
「雪みたいに真っ白な毛並みのお馬さんでね。たてがみがちょっと短くて、あったかいふわふわの羽が生えてるんだよ。それで期限がいいと尻尾が揺れるの」
で、青い目をしてるのか。
「そう! なんでわかったの? 見えてるの?」
いや、なんとなく。良かったら触れてみてもいいか?
「いい? いいってさ。このあたりなら他の人が触っても大丈夫だよ」
そりゃどうも。……輪郭が曖昧だが、たしかに暖かいな。
「でしょ? もういいの?」
ああ。積もる話もあるだろうに、悪かったな。今はゆっくり休むといい、俺らは部屋の隅でちょっと話をしてるから。
「うん、わかった!」
クロウ、ボクシィ。お前らに聞くことがある。
"何だい。見えなかったのがそんなにショックだったの?"
違うわ。そんなことはどうだっていい、最初から解っていた事だ。
“では何だ。サファイア嬢のことか? じきに完治すると思うが”
そりゃ何より。それで、完治した後はどうなる? 俺にはどうにも、ここの連中が快く退院患者を送り出してくれるようには思えないんだが。
“そうだね。彼らは銀の蹄の一族には出て行ってほしくないだろうな。今は様子を見ているけれど、あの首輪のロープが断たれる時が平和の断たれる時になるよ”
やっぱりか。どうしてなんだ?
”この世界は空の向こうから流れ込む空想によって成り立っているからね。ここに残った最後の銀蹄族が君らを送り返すべく飛び立ってしまえば、世界は少しずつ欠け落ちて消えていく。連中はそれを避けたいのさ”
俺たちがここに残らなければ世界は潰えるのか。
”少なくとも彼らはそう思ってるね”
君は…‥クロウは違うと思ってるのか?
”終わりが始まるのは向こうとの繋がりが断たれた時だ。ここに残ったとしても、元の世のことを忘れ次第、他の連中と変わらなくなるだろうな。僕みたいにね”
は? 君は……そしてここの彼らは、かつてここに来た人間なのか?
”全てじゃないよ。太古からいる者も、人の願いから生まれた者もいる。銀の蹄の一族なんかはそうだった筈だ。でも、僕らについて言えば、そうだな。忘れたいと願えば、いともあっさりと忘れることが出来てしまう世界だからさ。自分が何をなくしたのかもわからないままそれが進めば、自分がかつて何だったかも思い出せなくなっておしまいさ。”
でも、君は何と言うか、他の連中とは違うだろ。
”君という向こう側の語り手に名前と役割を貰ったからね。君の前では旅の案内人だ。でも、君らが去ればただの陽気なカラスだよ。ああ、別に同情してくれなくともいい。僕はここに来たくて来たんだし、それにいくつかの物語をここに持ち込んで世界を広くもした。それなりに楽しく生きてきたさ。向こうにいるよりもずっと居心地がいいし、戻ろうと言う気も起きない。他に似たような連中がたくさんいるから寂しくもないしね。可哀そうだなんて思われる筋合いはない”
そうか。
“でも君とあの子は違うんだろう。だから、気にするな。銀の蹄の一族が最後の一頭になった時点で結末は決まっていたのさ。もう、子供はベッドに戻って夜明けを待つ時間なんだよ”
……そうか。
「お兄さん! サファイアの傷、完全に治ったんだよ! もう立って飛べるようになったんだって。この首輪と鎖、どこかで取ってもらえるのかな?」
わかった。今行くよ。
なあ、クロウ。ボクシィ。この世界さ、本当に空がきれいだよな。時々星が流れてさ。なんでかわからないがここの流れ星を見ると酷く懐かしい気分になるんだ。こんなにきれいに見えるのも、きっと余計な光がないからなんだろうな。
”それもまた君が持ち込んだ空想だよ。その流れ星は君についてやってきたんだ”
そうだったのか……いや、いいんだ。空だけじゃない。手前味噌かもしれないけど、俺さ、この病院の景色も好きなんだよ。こんな状況じゃなければしばらく居着きたかったくらいだ。人の形をした者のためのシーツがあって、獣のための藁のベッドがあって、たぶん鳥のためだろうな、松の匂いがする小枝が沢山あって。
”一体急にどうしたんだ”
本当にさ。俺、この世界が好きだよ。ああ、本当に嫌になる。どうしてこの世界は。
「ねえ、お兄さん? さっきからどうしたの? それに何を作って……今ポケットから出したの、ライター?」
どうしてここはこうも綺麗で、こうも可燃物が多いんだろうな。
放火したら拉致されるシーンと拉致後に喋るシーンふたつ
報告。俺とボクシィは別の部屋に押し込められてる。石造りのがらんとした不愛想な部屋だ。
押し込まれる際にちらっと見えたが、円形の劇場だか闘技場だかの脇にある一室だ。控室ってとこだろうな。それで、ここに俺を押し込んだ連中は裁判の準備が始まるまで待ってろって言い渡して出て行った。裁判。
放火したもんな、それは妥当だと思う。ただ。さっきちらっと劇場の底にやたら大きいドラゴンが蹲っていたのが見えてな。その上に、遠くの上の方からは裁判の傍聴にしちゃあ妙に熱気のある声が聞こえてくると来たもんだ。
どうも裁判と言うよりは公開処刑の前置きと言った方が近いんじゃないかという気がしてならない。うん。誰かの想像が集まる場所なら、そりゃあ攻撃性だって集まってくるよな。
正直、めちゃくちゃ怖い。
迎えが来た。
わかってる。抵抗はしないさ。
"被告人は前に出よ"
あれが……裁判長か。黒曜の石像だ。
"よろしい。そこに立ったまま右手をその石版の口の中に入れよ"
……これ、真実の口か。入れたぞ。
"これより先、一切の偽証は許されない。この世界においては許される他者の為の嘘であっても、この場では例外たりえないものと心得よ"
ええ、心得ました。……そうだったのか。
"では始めよう。被告人。何時は動物たちの憩う治癒の場を火に焚べた。この事実に相違はないな"
はい。ですが故意ではない。横からあの火の鳥が飛んでこなければああも燃え広がりはしなかった。裁かれるならそちらからにしては?
"かの蘇りの鳥は既に頭を垂れて裁きを受けている"
え、本当かよ。
"既に火炙りの刑となった。今は雛鳥になっている"
生活サイクルの一環じゃねえか。
"黙れ。今はお前の話だ。お前はこの世界に炎を持ち込んだ。破壊と威圧の手段として。恐怖と破滅の象徴たりうると知った上でだ"
……はい。
"次に。お前はあの場を焼くために炎を用いたのではないと言ったな。では、何の為だ?"
退院患者を見送るためです。
"それはかの銀蹄族のことだな?"
ええ。サファイアと呼ばれています。
"その者が最後の銀蹄族である事は承知か"
……そのように聞いていますね。
"そうか。被告人。お前は恐怖と破壊の象徴としての炎をこの場に持ち込んだ。その結果生まれ落ちたのがあの炎の竜だ。あれは全てを焼き尽くして破壊する以外の役割を持たない。あれがお前の為した罪だ"
あれ罪状書きだったんですか。処刑道具だとばかり。
"そのどちらでもある。多くの者はお前がアレに焼べられるのが妥当と考えている"
そうでしょうね。
"だがお前にしか出来ない事がある。故に、我らのために一つ働きを為せばそれを償いとして釈放してやろう。銀蹄族をここに呼び戻せ。ここで暮らすように、その友を説き伏せるのだ"
お断りいたします。
"そう言うだろうと思ったよ。だがお前が炎の中で痛苦と恐怖の声を上げれば、必ずや彼女らは駆けつけるぞ。あれはそういった一族だ。余計な手間を減らしたいとは思わないか?"
いいえ。そうはなりませんよ、裁判長。
"何故そう言える"
俺があの竜に勝つからです。
"名乗れもしない者が大きく出たものだな"
いいや、名乗れるさ。俺の名は岩波。確かに偽名だが自分で選んだ在り方の名前だ。
エージェント・岩波。この場における財団の代理人、カバーストーリーの流布を任務とする者。夜闇に潜む怪物を封じてきた人類の一人であり、幻を想うこと──そしてそれを物語ることにかけては長らく命を賭してきた者の名。空想に住まう者たちなら、虚構にこそ真実が宿ることがあると知っているだろう! だから俺は噛まれていない。無傷の腕をここに掲げることができる!
"その名に真実が宿ることは認めよう──だが、それであの炎に何が出来る? 炎に最も強い恐怖を抱いているのはイワナミ、お前ではないか!"
ああ。一人なら無理だろうな。だが、俺には古くからの友人がいるんだ。そいつとなら勝てるさ。
"古い、友人。そんな筈はない。銀蹄族はあれが最後の一頭だとお前も認めただろう"
そう聞かされてるとしか言ってねえなあ……そうだろう、もう一頭の銀蹄族!
友よ! 我が幼き日からの友よ、銀の蹄を持つ友よ! 頼む、力を貸してくれ! ──ペルセ!
……木箱を被ったまま来るとはちょっと思ってなかったな。
"どうせ君には見えないだろうからね。気づいてもらうには丁度いいんだ。ほら、乗り給えよ"
はいはい。
“乗れと言ったのは私だが。躊躇なく全体重を乗せるんだな、見えもしないものに。怖くないのか?”
そりゃ、もっと怖いものを沢山見てきたからな。それに、見えてるかどうかはどうだっていいんだよ、本当に。
“なるほど。では、飛び立つぞ”
頼む。
ああ。懐かしいな、この空の風は。夜の、冷たくてどこか優しい風だ。それで、地上が遠ざかって行って。あれほど怖かったものが全部、遠いおとぎ話のことのようになって。こんな異常事態なのに、昔の冒険の続きだったような気がするよ。
“覚えてくれていたようで何より。あまりにも呼ばれないから忘れられているのか、それとも気づかれていないのかと思ったよ”
気づかれたいやつが初対面で美しいライオンを自称した挙句メエメエ鳴くなよ。
“嘘吐きの旧友としては相応しいだろう?”
あーあ、まったく。昔はもう少し素直だったと思うんだが。変わり果てちまってよ。
“こちらの台詞だ、リュウセイ。本名までどこかに落としてくるとはな”
リュウセイ。俺の名前か。
“ああ。教えてくれただろう、生まれた日にペルセウス流星群があったのだと。だから自分の名前はリュウセイだし、お前の名はペルセなんだ、と”
そうだった。だからペルセなんだ。不思議だ、お前の名前はすぐ思い出せたのに。
“そういうものだろう、私も君の名しか思い出せなかったのだから。それで、どうする。あの竜はいずれここまで上がってくるぞ”
あいつ、飛べるのか。
“ドラゴンだからな。まあ、私はマッハ1億の速度を出せるから振り切るのは容易い事だが”
待て、急にそんなバカみたいな数字を出すな。混乱する。
“幼き日の君がくれた設定だぞ。で、逃げるか?”
小学生の考えた設定を急に蒸し返すな。あと、逃げはしない。これだけの聴衆の前で大見得を切ったんだ。恐怖との戦い方ってのをお見せするさ。
"そうか。ならば私はあの炎を避けることに徹する。とっとと決めてしまえ"
言われずとも。
さあ……ここに集った者たちよ、俺の声を聞く者たちよ! 君たちも一度は見聞きしたことがあるだろう、あるいはその身に覚えがあるだろう! 恐怖とは、脅威とは時に覆すことが出来るものであると! そして──ドラゴンには流星群が”こうかばつぐん”であると!
……撃てた。マジか。
“凄いな。本当に効いてる”
撃ったのか、俺。流星群を。
“後一撃で倒せるんじゃないのか。撃てそうか?”
同じ威力のは無理だな、とくこうががくっと下がってるし、その前に反撃が来る。……ありゃ避けるのは厳しそうだな。真ん中の一番薄い所、狙えるか?
“もちろんやれるが、君は大丈夫なのか”
大丈夫さ。自称ライオンの相棒だぜ、火の輪も潜れなくてどうするんだ
“……時間もない。信じるぞ”
ああ。
“……来るぞ!”
よし──切り抜けた! 大丈夫か、そんならそのまま下を掠めて直進だ。
“木箱は灰になったがな。脱いだコートが燃えているようだが……自分から燃やしたのか?”
大丈夫だ。これで何とか出来る。
何度も見てきたように、この世界の檻は炎と煙から出来てる。ならばこいつを収容するならこいつによる炎を使うのが一番いいだろ。己の中にあるものからは逃れられないからな。
“そういうものか”
そういう事になったんだよ。見ろ、通ったところに炎の軌跡が残ってるだろ。このまま速度を上げてこいつを縛ってくれ。
“了解。振り落とされるなよ”
よし、ここで右に回って……よし。ありがとう、これで大丈夫だ。
“……出来るものだな。正直、なかなか苦しいのではないかと思ったが”
カバーストーリー部門のエースだからな。虚構を押し通すやり方もそれなりに覚えてるのさ。
“そうか、エースか。大きくなったな”
すまん、エースはちょっと盛った。それより、そろそろ降ろしてくれ。あの裁判長に言わなきゃならない事があるから。うん、ありがとう。
裁判長。
ご覧になった通り、俺の持ち込んだ”恐怖”は無力化されました。そして、ここにはもう一頭の銀の蹄の一族がいる。それを踏まえた上で、頼みたい事があるんだ。
“申して見よ”
あの子らを無事に返してやってくれ。それが出来るなら俺はここに残ってもいい。俺は銀蹄族の友人で、そして竜を無力化する物語を即席で編める程度には口の回る語り手だ。世界を存続させるには十分な柱になれる、そうは思わないか。
さあ……ここに集った者たちよ、俺の声を聞く者たちよ! 君たちも一度は見聞きしたことがあるだろう、あるいはその身に覚えがあるだろう! 恐怖とは、脅威とは時に覆すことが出来るものであると! そして──ドラゴンには流星群が”こうかばつぐん”であると!
……撃てた。マジか。
“凄いな。本当に効いてる”
撃ったのか、俺。流星群を。
“後一撃で倒せるんじゃないのか。撃てそうか?”
同じ威力のは無理だな、とくこうががくっと下がってるし、その前に反撃が来る。……ありゃ避けるのは厳しそうだな。真ん中の一番薄い所、狙えるか?
“もちろんやれるが、君は大丈夫なのか”
大丈夫さ。自称ライオンの相棒だぜ、火の輪も潜れなくてどうするんだ
“……時間もない。信じるぞ”
ああ。
“……来るぞ!”
よし──切り抜けた! 大丈夫か、そんならそのまま下を掠めて直進だ。
“木箱は灰になったがな。脱いだコートが燃えているようだが……自分から燃やしたのか?”
大丈夫だ。これで何とか出来る。
何度も見てきたように、この世界の檻は炎と煙から出来てる。ならばこいつを収容するならこいつによる炎を使うのが一番いいだろ。己の中にあるものからは逃れられないからな。
“そういうものか”
そういう事になったんだよ。見ろ、通ったところに炎の軌跡が残ってるだろ。このまま速度を上げてこいつを縛ってくれ。
“了解。振り落とされるなよ”
よし、ここで右に回って……よし。ありがとう、これで大丈夫だ。
“……出来るものだな。正直、なかなか苦しいのではないかと思ったが”
カバーストーリー部門のエースだからな。虚構を押し通すやり方もそれなりに覚えてるのさ。
“そうか、エースか。大きくなったな”
すまん、エースはちょっと盛った。それより、そろそろ降ろしてくれ。あの裁判長に言わなきゃならない事があるから。うん、ありがとう。
裁判長。
ご覧になった通り、俺の持ち込んだ”恐怖”は無力化されました。そして、ここにはもう一頭の銀の蹄の一族がいる。それを踏まえた上で、頼みたい事があるんだ。
“申して見よ”
あの子らを無事に返してやってくれ。それが出来るなら俺はここに残ってもいい。俺は銀蹄族の友人で、そして竜を無力化する物語を即席で編める程度には口の回る語り手だ。悪い話ではないと思うんだが。
“好きにするがいい。我らはもはやそれを止める術も訳も持たない。だが心せよ、彼女らが帰るのは彼女らが本心からそれを望んだ時のみだ。この月影の地はこの場を求める子らを決して拒まぬからな”
了解した。助言に感謝する。
“よき物語を、蹄の者とその友よ”
ありがとう。行こう、ペルセ。
やあ。こんばんは、お互い無事で会えて嬉しいよ。
「こんばんは、お兄さん。リュウセイお兄さんって呼んだ方がいい?」
岩波でいいよ。というか、聞いてたんだな、裁判所での一連の事。
「うん。お兄さんが貝殻に向かって話しかけてたのを思い出して、同じことをしようと思って。サファイアに海辺まで連れてきてもらって、色々あって貝殻を探し当ててね。そうしてるうちに、そこの入り江にお兄さんたちの様子が映ってる事に気づいたから、サファイアとクロウと一緒に見てたの」
じゃあ、顛末は全部知ってるんだな。……思い返すとわりと恥ずかしいんだが。
「格好良かったよ」
それはどうも。……まあ、聞いてたんなら話は早い。そういう訳で、君はもうどこにでも行ける。帰れるんだよ、友達と一緒に。
「お兄さんはあたしに帰ってほしいの? 一緒にいちゃダメ?」
駄目って訳でも、居てほしくないって訳じゃない。でも、一度は戻って、向こう側の日の登る所にも居られるようでいてほしい。ここにしか居られないってのは少しばかり悲しいから。俺の勝手な願いだ。
「お兄ちゃんは一緒に来れないの?」
そういう約束だからな。
"反故にしてこっそり帰ったって誰にも止められないぜ。現実を大事にすれば? そういうの、別に苦手じゃないだろう"
ここを蔑ろにするやつは向こうのことも大事には出来ないよ、クロウ。実際向こうにも影響が出てるしな。ここで食い止めなきゃどうなるか判ったものじゃない。
"そうか。ご苦労なことだね"
それに、言っただろ。俺はこの月影の地のことがわりと好きなんだ。だから、夜闇や夜明けが怖いやつがそれをやり過ごすのに来られる場所があるならそれを守りたい。今までさんざん匿われてきたからな。俺に順番が回ってきたってだけだよ。
"君は、僕には帰れとは言わないんだな"
帰りたきゃ帰ってもいいと思うぞ。
"別にいいよ。せいぜい、どれだけのものをここで創り上げられるか眺めさせてもらうよ"
そりゃ頑張らないとな。そういう訳で、すずちゃん。俺はここに残らなきゃいけないんだ。やる事が色々あるからな。
……なあ。この旅は楽しかった?
「うん、とても。色々なものがあって、とっても綺麗で。お兄さんのおかげだよ」
そうか。あれの大半は、俺が向こう側で見聞きしたもの、読んできたものを元にして考えたんだ。つまり、あれの元ネタは大体向こう側にあるってことだ。そう考えたらさ、そう悪いもんでもないだろ? 夜が明けた後にしか見えないものも沢山あるんだし。
「そうだね。でも、岩波お兄ちゃんはもうそこにいないんでしょ。あたし、もう会えないの?」
会えるさ。色んなものを見聞きして、それで休憩したくなったら夢の中ででも遊びにおいで。今回は飲まず食わずだったからな、次は何かお茶会の準備でもしておくよ。それで、向こう側でのことを教えてくれよ。そうすれば、こっちにも何か増えるだろ。ああ、それでさ。
「……うん」
逆に、他の連中にも、ここでの旅のことを教えてあげて欲しい。君が物語を語るんだ。あの時、俺をあの巨大な手から逃がしてくれたように。そうすれば、次に誰かが向こうで何かを思いついて、その断片がこの海に流れ着くかもしれない。そうやって豊かになっていくんだ。もしも銀の蹄の一族がこれから増える事があれば、俺もお役御免になるかもしれないしな。……ああ、そうだ。これのことも君に頼まなきゃな。すまん。これ、向こうに届けてくれないか。
「紙と……貝殻? お兄さんが時々話しかけていたやつ」
そう。これに俺たちの旅の記録が全部残ってる。これをどこか……そうだな。君、プリチャードって学校に通ってるって言ってたな。帰る途中にサファイアと一緒にちょっと寄って、そこの職員室にでもこっそり置いてきてくれ。それで、たぶん伝わる。俺たちが何をしてきたのか、俺たちが何をしでかしたのか。ちょっとした冒険の続きだ。お願い出来るか? それともちょっと難しいかな?
「ずるいなあ。そう言われたら出来るって言うしかないじゃん」
すまんな。まあ、たぶん気づかれないと思う。ここ、色々あったけど一夜も明けてないからな。きっと、一晩の長い夢だったことになると思う。目が覚めたら全部元通りだよ、夢ってそういうものだから。そういう事になるように、俺もこれから頑張るから。
「わかった。……ね、あのね」
うん?
「……いや、何でもない。それじゃ、行ってくるね。お兄さんも、お元気で。また会おうね!」
……ああ。君の行く先に沢山の良き物語がある事を。
端末上での情報は、これらの音声群が1日~2日につき1度の頻度で記録された事を示しています。音声内での時間進行とこの記録時間は一致しないと考えられるため、"月影の地"において経過した時間については不明です。
また、音声内での"すずちゃん"と関連している可能性があるとみられる児童はプリチャード学院小等部に在籍していましたが、確証は得られなかったため特殊な措置を行う事はなく、最低限の観察のみに留めています。
報告書が更新されています!
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追記(2022/12/15): 2022/12/15未明、岩波文哉という人物がエージェントとして財団のカバーストーリー部門に所属していた事を示す情報がデータベース内に再出現しました。この再出現の状況はデータが新しく作成されたのではなく、データに発現していた反ミーム的影響が消失した事によって認識されるようになったものと考えられます。
また、ほぼ同時にエージェント・岩波と見られる人物が失踪した時点(2009/09/03)とほぼ変わらない状態で発見された事がエージェント・真嶋によって報告されました。これについてエージェント・真嶋は「取り返してきた」と報告しています。以下はインタビュー記録です。
対象: エージェント・角川
インタビュアー: エージェント・岩波
«記録開始»
インタビュアー: お久しぶりです……では、始めましょう、か。
対象: お久しぶりです。インタビュアー、岩波お兄……岩波さんなんですね。
インタビュアー: 10年以上最初からいなかった事になってた奴が戻ってきたっていうんでみんな混乱していてね、何も解って居なかったもので。俺がどこにいたのか一番ちゃんと把握しているのが俺だったんですよ。という訳で、暫定的に俺がインタビュアーです。そのうち俺も君も、別の所で調べられる事になるでしょう。
対象: わかってますよ。
インタビュアー: と言っても俺も何が起きたのかろくに掴めてないんですがね。たぶん、だからこそ今のうちに本人に話を聞けっていう事でもあるんだろうな。
対象: わかりました。で、何から話せばいいでしょう。
インタビュアー: その前に……君、あの”すずちゃん”で合ってるん……ですよね?
対象: 仕事中は角川って名乗っていますが。ええ、真嶋涼香、サファイアの友人。”すずちゃん”で間違いありません。お兄さんが音声のほうで名前を消しておいてくれたからでしょうね、あんまり重たい取り調べも記憶処理も受けずにすみましたよ。
インタビュアー: こちら側でつじつまを合わせた甲斐があったというものだよ。
対象: それにしても、見ておわかりになりませんでしたか?
インタビュアー: 最後に見た時から比べると随分と大人になってたものだから。その、なんだ。その年の女性にお兄さんって言われるの、凄まじく奇妙な気分だな。
対象: 10年以上経ってますからね。そっちではやっぱり一夜も明けませんでしたか?
インタビュアー: ああ。正直今は全部が眩しい。……それで、本題だ。一体何をしたんですか?
対象: まず、あの絵本の読者を増やそうと思いまして。試験的にプリチャードに置くことになりました。そこまでなら監視できるから。でも、私たちがあの銀蹄族を見つける事は出来なかった。
インタビュアー: そうだったんですね。それで、その次はどうしたんです?
対象: 絵本作家に話をつけに行きました。エマヌエーレ・ソルミさんです。
インタビュアー: あの人、見つけるの相当難しいと聞いた覚えがありますが。
対象: 休暇中に会いに行って子供のころ読んでた読者だって言ったら簡単に会ってくれましたよ。
インタビュアー: なるほど。
対象: で、月影の地とか、ソルミさんのベアトリーチェの話とか、わたしのサファイアの話とか、お兄さんのペルセの話をしていているうちにですね。一人の語り部が紡ぐ以上の物語を私たちは持っているんじゃないかって話になったんです。
インタビュアー: と、いうと?
対象: 月影の地に物語が流れ込むような世界の仕組みを作れば、語り部がずっとあそこにいる必要はなくなるんじゃないかって。それで、サファイアを呼んで、何冊かの絵本を届けられるか試してみました。
インタビュアー: 呼べたんですね。大人になった後も。
対象: 岩波さんが呼ぶ所を見ていましたからね。不安はありませんでしたよ。確かに見えなかったけれど、そこにいるんだって事はわかったから。
インタビュアー: よくわかりますよ。
対象: それで、どうやらうまく行ったらしいとわかったので。移動図書館の物語を用意したんです。こっちではソルミさんが、あっちでは私がそれを語りました。お兄さんがやったように。
インタビュアー: 移動図書館。もしかして、それ、馬車だったりします?
対象: ええ。バレてました? しばらくお兄さんには秘密にしておきたかったんですけど。
インタビュアー: 馬車の轍だけが残っていたから、何だろうと思っていたんですよ。事前に言ってくれてもよかったのに。
対象: その、なんだ。驚かせたかったもので。それで、向こうの住民たちが移動図書館を営めるようにしました。それで様子を見ていたら、本が増えて、図書館に関わる人も増えていたので。これは大丈夫だな、と。
インタビュアー: それで俺を迎えに来た、と。
対象: はい。お邪魔でしたか?
インタビュアー: いや。格好良かったよ。とても。速すぎて何が何だかわからないままここに来たけど。そうか、そうだったんですね。
対象: ええ。
インタビュアー: それにしても、よくそんな事を実現できましたね。
対象: ええ。自分で最後に言ってたでしょう。帰りたくない訳じゃないって。もしかしたら、自分もお役御免になるときが来るかもしれないって。だから、やりました。
インタビュアー: ああ、言った。でも正直実現するとは思ってなかった。
対象: そうでしょうね。でも自分でも書いていたでしょう? 人間が想像できる事は、必ず人間によって実現されうる、って。
[5秒沈黙]
インタビュアー: そうだった。そんな事を書いたんだった。
対象: ええ。これで聞きたい事は終わりですかね? 財団の記録としてはこんなものかと思いますが。
インタビュアー: 個人的に聞きたい事なら山ほどありますが、そうですね、これで充分でしょう。インタビューを終了します。
対象: ええ。まだ時間はあるので、どこからでも話せますよ。
インタビュアー: そうだな。じゃ、君の作った移動図書館の話を聞きたいかな。
対象: ええ、喜んで。あ、記録終了ボタンは裏側です。10年前とはだいぶ変わったでしょう。
インタビュアー: もしかして先にそういう事聞いた方がいいやつかな?
«記録終了»
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