零-今宵、月が見えずとも
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『逢着』

この話は誰にも語りたくないのだが、自分の立場を鑑みれば我儘など通すことはできないため、ここに記す。
私があの男に出会ったのは十歳の頃だ。
ケレンケンの部品を手慰みにしている子供たちを遠くから見ている青年、それが中園嘉智だった。
私は自分たちが誰かに監視されていることに気付くとその男の元へ無邪気に近づき、「なんで僕たちを見ているんですか」と尋ねた。
「なんでもないさ。ただ楽しそうだと思っただけ」
男は石のような表情を変えずに答えた。
「変な人。感情なんてなにもなさそうな顔をしてるのに僕たちをずっと見てる。地上の人たちって変な人しかいないの?」
「外には私よりも変な人もいるだろうさ」
数度言葉を交した後、やっと男は私に相対した。
男の体格は矮躯といった感じで(そもそもタエナからすればトウバは皆矮躯なのだが)当時の私とそこまで変わらない中肉中背、短い黒髪はつい最近整髪したようだった。
年齢は20代前半だが、着ていた黒紋付と妙に達観した口調のせいで40代後半のような印象を受ける。
「君は空を見たことはあるかい?」
「空?」
「そう、空だよ。天井なんてないありったけの空間。空にはとても明るい太陽というものがあって、日のおおよそ半分を照らしてくれるのさ」
「誰が太陽をつけたり消したりしてるんですか?」
「いや、誰かがやってるわけじゃないよ。人間というものが産まれる前から太陽というものは存在していたんだ」
「外の世界って全自動で動いてるんですね。ケレンケンとは大違いだ」
「全自動、ねぇ」
それまで硬い表情だった男は口角の端を少しだけ上げた。その表情があまりにも笑い慣れていなかったのが可笑しくて、私はあの男の顔を見て微笑んだ。
「なんでそんなに笑うのが下手なんですか?」
「笑うのが下手で何が悪いんだい?」
男は回答を渋っていた。それどころかあからさまに話題を変えようとして、
「そんなことよりも、君はもっと世界を知ったほうがいい。ケレンケン外の世界よりも高度な技術が用いられているけど、タエナはケレンケンの全てを知ってるわけじゃないだろう?タエナが進出するのなら現状に満足しては駄目なんだ。大事なのは、大局を俯瞰してみることだ。そのためには──」
自分語りを渋る割に、タエナの未来についての口調は流暢であった。
私があの男を好ましいと感じていた理由の一つはここにある。
他人が云うには中園嘉智は機械じみた、例え親の死に際であっても涙の一筋すら流さない冷徹な人間であるらしいが、私からしてみれば中園嘉智ほど感情に富んだ人間を見たことはなかった。
例え能面のような顔であってもわずかな表情の変化はあったし、口調が大人びていても根底に年齢相応の──もしかしたら年齢よりも未熟かもしれないが、若さが垣間見える。
私はそんな中園嘉智に親愛を感じていた。

──あの日。青い陽炎までは。

『荊棘』

早朝。
陽光の届かない海底では無機質なビープ音が朝を教えてくれる。
寝筵から半身を起こして周りを見渡したが、両親と兄姉たちはもう仕事に出ていたようだ。
玄関口にある配膳台を見れば配給された食事が残っていた。今日は白米にあいまぜとみそ汁の朝食。ある時ミタツ(稲)とハタツ(穀物)だけの食事を「蝗じゃないんだから」とあの人は笑ったので、私は「たまにサミツ(麦)も出る」と反論すると今度は鼻で笑われてしまった。

食事を終えると私は嘉智のところへ向かった。
ケレンケンは階層ごとに機能が割り振られており、大細かに分けると浄水や食糧生産を行うのが下層、一般人が居住する中層、そして政治や軍事を執行する上層となる。
私が住んでいるトマエ(家)は中層に位置する。
そして目指す場所は上層、その中でも一番厳格な場所だ。

正直言って私はあの場所が苦手だ。
あの場所ではどれだけ着飾っても私をみすぼらしくて場違いな人間だと思うだろうし、なによりも私を好奇の目でみる人間たちに慣れなかった。
裏口から彼の元へ行くことができればいいのだが、生憎そんな我儘を許してくれる人はいない。
悶々とした往路を経て目的地に到着した。大口真院の中枢、総裁府。
大口真神(オオカミ)と雌雄の鯛をモチーフにした標章は家紋というよりも、西洋の紋章に近いと今になって思う。
「また来たのかい。あと少しで学校が始まるっていうのに遊んでていいのかな?」
彼の書斎に入るとすぐに彼は軽口を叩いてきた。
「あんたが教えてくれるんじゃないんですか?先生」
軽口には軽口で返す、それが私と嘉智の関係だった。
彼はいつも自分の部屋にいるが、私が訪れるようになるまでは食事と清掃ぐらいでしか人の出入りがなかったらしい。

「タエナの文化、価値観はケレンケンに沿って発達してきた。船内という限られた空間の中で数百年の間生活してきたわけだからな。ケレルケンに墓地はないだろう?死体は火葬したあと畑に散骨して終わり。ケレンケンの中で生活のサイクルを回すために情緒も風情も二の次というわけだ。」
「じゃあケレンケンっていつ作られたんですか?こんな大きな船を一体どうやって?」
「それは何とも言えないね。起源を探ろうとタエナや蒐集院は努力してきたわけだが、タエナの創世神話にケレンケンらしい船が出てるぐらいしか分かってないのが現状さ。中園辰徳も積極的だったみたいだけど、まぁ鳴かず飛ばすだね。よくケレルケンは船と言われているが、それはケレルケンを既存の概念で表現する際に船という言葉が適していただけでケレルケンは船ではないんだよ。人類が船を発明する以前から瓜生島に存在した建築物、それがケレンケンだ」
そう言って嘉智は私の前に一冊の本を差し出した。
正直言って神話に興味などなかったが、嘉智の行為を無下にすることも出来ずに本を持ち帰ることにした。
嘉智の部屋に来て私がやることは彼の話に相槌を打つことだった。
私が一つ話せば嘉智は十で返してくる。
家族には嘉智が私に勉強を教えてくれると言っていたが、実態は独居老人の暇つぶしの相手をしているようなものだった。
「34柱の神々が天から降り2柱の神を創造した。2柱の神は大地を作り直し神を生んだ。火の神を生んだ女神は死んでしまうが、男神は女神を蘇生させる。冒頭はこんな感じだ。34柱の神々が天から降りてくる際に乗っていたのがケレンケンだと唱える学者もいる。」
水差しから水を口に含むとまた語り始めた。
「今では神を奉るものはいない。ケレルケンの中で生活したタエナはケレルケンこそが世界で、その世界の成り立ちを教えてくれない神話は廃れていってしまったのさ。」
彼の話を聞くのもいいが、私が止めなければ彼はずっと続けてしまうだろう。なので話の腰を折ってやることにした。
「会話は言葉の取り交わしで成り立つんですよ、先生」
「え?」
素っ頓狂な声を上げるとそれ以上言葉を発することはなかった。


「昔のタエナはケレルケンの外で生活してて、今のトウバがやってきたときに外にいたタエナは…トウタ?ジョウカ? されてケレルケンにいるタエナしかいなくなっちゃったんだって。だから外の土を掘ったら昔のタエナの骨とか家の跡が出てくるらしいよ」
配給された食事を口に入れながら、私は家族の前で今日の出来事を報告する。
ここ最近は書斎に頻繁に出入りしていたため、話題は嘉智の教えてくれた話が殆どだった。
「でさ、嘉智は俺が言ってやるまで自分がめちゃくちゃ話してるのを知らなかったってわけ。いい年下大人が子供みたいに」
兄姉たちは視線を床に落として何も答えない。ただただ、口に食事を放り込む作業を繰り返している。
「アカダ」
「俺がそのこと言ってやったらさ、嘉智のやつばつが悪そうな顔をして黙っちゃった」
「アカダ」
父親が私の言葉を遮る。
そして厳しい表情を隠そうとしないで話し始めた。
「中園さんのところに行くのをやめなさい」
「なんで?」
思いもよらない提案にただただ疑問しか浮かばなかった。
「中園の人たちに迷惑をかけるんじゃありませんよ」
質問に答えたのは母だ。
「アカダはそろそろ学校に行かなきゃならないでしょう? アカダは立派な大人になるんですからいつまでも中園さんのところに行ったら駄目よ」
柔らかな口調で語りかけてきたが納得できなかった。
言葉は私のことを慮っていても、その裏に利己的な思惑があるのは明らかであった。
「あの人と私たちじゃ住む場所が違うの」
「それがどうしたっていうんだよ」
「アカダ、お前は総統府で働きたいのか? そのために中園嘉智に近づいて友達になったんじゃないのか?」
「それは──」
父からの問いに答えられなかった。
そんなことを考えたことはない。
私は今まであの人と話すことが楽しかっただけで、あの人を使って何かをしようと思ったことは一度も──
「やめとけよ。お前には無理だ。あそこで働くにはな、若い時から勉強しないといけないんだ。お前より小さい頃から学校に通って、家でも勉強してるんだぞ? お前が今から勉強したって追いつけるわけないだろう」
何も考えられなかった。
「兄ちゃんも姉ちゃんもみんなサミツを作ろうと一生懸命働いてるのにお前は何だ。いつまで遊んでるつもりだ?」
周りを見ると姉兄たちはじっと私の顔を見ている。
父からの言葉を聞いて怒りや悲しみの感情は湧いてこなかった。
今まで彼との間に築いていた信頼や喜びが粉微塵になって、自分の中で別の感情として再構築されていく。
其れを止めようともしないで見守っている自分にただただ困惑していた。
「わかりゃいいんだ」
私の沈黙を肯定と解釈した父はそれ以上話すことはなかった。
その日の深夜。
同じ部屋で家族が就寝する中、私だけが寝筵の上で起きていた。
寝れるはずがないのだ。
己の中で生まれた感情が己の内側を侵食する。
抑えきれない情動が胸郭を、心臓を締め付ける。
まだ幼かった私にはなぜこんなにも胸が痛むのか理解できなかった。
疼く様な痛みと寝付けない焦燥から何度も寝返りを打つ。
入眠の気配も感じられず、どうしようもないので瞼を開いてみると視線の先に本があった。
暗闇の中で本は白い輪郭を持っているように強調され、部屋の中で存在を主張している。
私は背を掴んでぱらぱらと無造作に頁を捲った。
古代タエナの象形文字は私には理解できなかった。
その後に続いている訳文の厳威ある言葉も同様に。
それを理解すると自分の内に潜む黒々とした感情が鎌首をもたげた。
頭を上げた其れは、私の胸を再度締め上げる。
苦しさのあまり本を床に叩きつけると寝筵の上で横になった。

『開展』

「それはタエナの典型的な価値観だ」
返却された本の折り目を撫でながら中園嘉智は答えた。
性懲りもなく私は嘉智の部屋へ訪れていた。
己の中に渦巻く感情の正体を知るために。
「ケレルケンはタエナを外の世界から守ってきたわけだが、それはこの船に依存した生活を送ってきたということでもある。今までケレルケンを上手に使ってきたのだから今後もこのままでいいと考えてしまう。なので君みたいな異分子は積極的に排除しようとする。タエナは長い生活の中で最適化されすぎているんだよ。」
「異分子?」
私は反芻するように言葉を繰り返した。
「悪い意味で言ってるんじゃないよ。タエナというものは皆余裕が無さすぎる。君みたいな在るものに疑問を抱く人間を中園辰徳は待っていたんだよ」
「そんなこと言ったって…中園辰徳はもう死んでるじゃないですか」
「そうだけども。彼の一番の功績はタエナに外へ出たいという希望を抱かせた点にある。人の生とはただ食事と睡眠を繰り返すことではない。これは辰徳が聖書の言葉を引用していかにも自分が考えたように言ってるだけなんだが、要するに物質的な充足だけでは獣と同類で、精神的な充足を持って始めて人は人になるということを説いている。」
中園辰徳、大口真院初代総裁。
タエナなら誰でも知っているトウバの名。
彼との関係を嘉智本人に尋ねたことはないが、限りなく近しい関係であることは間違いない。
「彼は外の世界の有り様をタエナに教えた。人の世は生きることに必要のない物で溢れているのだと。最初は嫌気されていたが時間をかけて信頼を勝ち得たことで少しずつ彼の思想がタエナに広まりつつある。──そこまでの苦労をして彼が為そうとしたのがあれでは」
最後の言葉をよく聞き取ることが出来なかった。
「とにかく、君の中にあるものを大事にしなさい。俗人は君を一つの枠組みの中で捉えようとするが君は従う必要はない。足掻いて苦しんで、そういう経験が君を創っていくんだ。それは人間らしい営みなんだよ」
人間らしさ、と嘉智は云う。
この黒々とした気持ちを嘉智は肯定し、私の将来を案じてくれる。
今まで人に言われるまで気付かなかった私の一側面。
それは彼への後ろめたさだ。
彼の話はいつも私の知らない、理解しようともしなかった事柄ばかりだった。
外の世界、タエナの歴史、神話。
私が彼の年齢まで生きたら彼と同等の思慮を得ることができるだろうか?
ただ年齢が離れているだけの差ではない、教養の差。
その差を感じるたびに私の中で彼という存在が大きくなって、私の中の私がどんどん小さくなっていく。
私は彼の友人でありたい。
嘉智と同じ世界に立ちたい。
そのために私は──
「わかりました。ここに来るのはこれで最後にします」
少しの間、彼と離れることにした。
「…私は嫌だと思ってないよ?」
「俺が決めたことです。次に会うときはアンタを見返してやりますよ」
そうかぁと、嘉智は頭を掻きながら答えた。
「じゃあ最後に、アンタの人間らしさってものを教えてくださいよ」
「私の人間らしさ?」
「なんでアンタは笑うのが下手なんですか?」
この問いは彼と私が交わす一つの様式であって、この話になると彼は露骨に逸らすか、こちらが話題を変えるまで押し黙るかの二つしか手がないようだった。
初めて会った日も、私は彼の口から答えを聞きたかったのではなく、ただ彼の子供じみた反応を見るのが楽しくて何度も繰り返したのだ。
だから、彼が胸の内を遂に語りだしたときには、これ以上彼の人間らしさを見ることができないと残念な気持ちが私の中にあった。
「私はね、今まで友人なんてものは存在しなかった。自分は何者で何を為すべきなのか、そういうものは私が産まれた瞬間から決められていた。それに答えるために余計なものを削ぎ落として生きてきたんだよ。」
「何を言いたいんです?」
「初代が死去した時私は君くらいの年齢でね。何分急だったから次の総裁を誰にするか苦労したらしい。多くの血が流れたそうだ」
何の感情も湧いてこないと言うように彼は淡々と事実を伝える。
今の総裁は中園辰徳の懐刀の一人で、蒐集院においては対馬の外院を治める家系の寵児であった。
「二代目にとって私は厄介者以外の何者でもない。ただ辰徳の影響力は今でなお凄まじく、私を邪険に扱えばただでさえ低い求心力がゼロになってしまう。だからこの部屋で私は腐っていたのさ。」
「アンタはそれで満足なんですか?」
「私は中園辰徳のことを尊崇しているわけでもないし、近親者として彼のために何かを為そうという気にもなれないな。あの男の記憶なんてないに等しいし。むしろ中園辰徳が私を避けていた節もある。まぁ今満足かと言われればそうだねえ」
彼は私の目を見て、
「とりあえずは君とこうして話せれば満足かな」
昇降機が上層から中層へと流れていく。
いつも私が総裁府へ


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執筆者: G-ananas
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最終更新: 02 Jan 2022 08:53
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