ゴーストフェイスを殺すまで

夢日記 20██/02/02

 即席ポップコーンの容器をフライパンに取り付けているところから夢は始まる。自分は台所にいて、カウンターの向こうにはリビングが見える。ガスのつまみを回して火が付くと、リビングに置かれた電話機の子機が鳴った。
 台所を出て子機を取る。

「私は常に君を見ている」

 ボイスチェンジャーを使ったらしいモザイクがかった声が聞こえた。言葉はそれだけだったが、頭の中でノイズがハウリングして跳ね回る。子機を抱えたままカウンターにもたれかかって、背後で爆発音がした。
 即席ポップコーンの袋が燃え上がっている。黒煙を吐き、袋の内側がバボンバボンと炸裂し続けていた。バターの匂いがした。
 急いで火を止めてフライパンの取っ手を掴む。袋が破れ始めた。

 内側で破裂していたのはトウモロコシではなく、眼球だった。

 眼球は破れ目から一斉に自分を見て、炎に焼かれて黒く溶解し始めている。自分はどうすればいいか分からなくなって、フライパンを上へ放り投げた。
 黒く焦げた眼球が、宙から自分へと降り注いだ。


「君の好きなホラー映画は?」

 七町さんは煙草をふかしながら尋ねた。キャスターチェアに自分の家みたく腰を下ろし、組んだ脚を揺らす。空中を漂う白い煙が、ブラインドの隙間から入り込んだ光と同化しているように見えた。

 僅かに咳が出る。吸っていいかと聞かれて頷いたのは自分だけど、自分は呼吸器系が弱いのを忘れていた。余計な心配をかける前に返事をしようとしたが、言葉が浮かんでこない。七町さんの眉が動く。

「大丈夫かい?」
「はい……そっちは。ちょっと考えてるだけです」
「すまないね。私もこれを吸わないと緊張する性で。思ったより煙に弱そうだからすぐに消すよ」

 まだ長い煙草が、ローテーブルに置かれた灰皿で揉み消される。灰皿から立つ煙が、影と光の境目で空気に溶けていく。

 先の曲がった煙草に目を落とす七町さんの顔を眺める。肌は浅黒く、髭は濃い。中東系を思わせる鼻の高い顔立ち。青い眼球。日本人らしき名前とのミスマッチを感じて、「あの」と声が出る。

 当然、七町さんがこっちを向いた。思考の流れで出自を聞こうとして、瞬時に口が固まる。いきなり失礼過ぎやしないか。見た目と名前の感覚的な不一致なんてもっと後で聞くべきだ。

 疑問を飲み込むと、今度は不自然な間が生まれる。何でもないですとは言いにくい。代わりの質問を必死で考え、そのうちの一つに飛びついた。

「あの。カウンセリング、こういうことを聞くんですね」

 大急ぎの方向転換で声が裏返る。今の思考を見透かされないか不安になって、心臓が激しく鼓動する。七町さんは「うーん」と唸るだけだった。

「そうだね。私の場合はまず距離を詰めたいと思ってるし。医療部門の心療内科とは勝手が違うのかい?」
「違いますね……ここはかなりリラックスできるというか」

 医療部門の白い診察室と違って、この部屋は暖かみがある。リビングのような壁紙と木目の床、カーペット。自分が座っているアンティーク調のカウチも柔らかい。煙草の煙も、どこか懐かしさを含んでいて嫌いじゃない。

 灰皿の横にある書類に目がいく。自分の症状について書かれたカルテだ。クリアファイルの隅にロゴマークが見えた。人間二人が向かい合う姿を模した、白と黒のカプセル。

「対話部門らしい、というか」
「君の目にもウチは異端に映るかな、天見くん」

 顔を上げると、七町さんがこちらを覗き込んでいた。青い目が何倍にも大きくなったように感じる。この目からは逃げられない、と思わされた。

「君の職務は……雑務処理とか研究補助とかだったか。仕事で部門を転々として数えられないくらい研究部門を見てきた君でも、ここを変だと考えるのは妥当だよ」
「別にそんなことは」
「いいよ、考えてても。実際おかしいし。精神不安定でウチに回されてきたのに、一通り個人情報を聞いていざ最初に聞くのが『君の好きなホラー映画は?』だもんね。そりゃ、ずっとソワソワしてるはずだよ」

 椅子に肘をついて、くしゃりと笑う。怒っている様子は見られない。七町さんはただただ愉快そうに話を進める。

「言い訳じゃないけどさ、君の主張する症状が私の悩みと似てたもんだから。もしかしたら趣味も合うんじゃないかってね。煙草とホラー映画。でも、両方とも好きじゃない。映画、あんまり見ない人だよね?」
「そうですけど……あれ。そんなこと、言いましたっけ」
「言ってない言ってない。私が最初に質問したときに明らかに目が迷ってたから。これは見ない人だなと思って」

 それと、と言って七町さんは自身の頬を掻いた。さもどうでもよさそうに言葉を付け足す。

「私は生粋の日本人だよ。明日は驚かないといいね」

 曲がりかけていた背筋が伸びた。勘繰りはしたし、おかしな間だって一拍あった。けれど、内容を悟られるほど不用意な真似はしていない。

 その考えすら見透かしたのか、相手の背筋が伸びたからなのか。七町さんはまた笑みを零し、壁に掛けられた時計を見上げた。

「で、そろそろカウンセリングの時間も終わるし、締めに入るんだけど」

 口許を大袈裟に拭って、七町さんはわざとらしく指を鳴らす。

「自我の剥離、頑張ってどうにかしていこうか」

 軽い音で締めるにはいささか重い症状だと、自分のことながら思った。


夢日記 20██/02/05

 映画館のシートに座っているところから夢は始まる。スクリーンでは古ぼけた白黒の映像がループしていた。映像は最初ぼやけていたが、何度も何度も繰り返されるうちに輪郭から何を撮っているか察することができた。

 スクリーンの中にいたのは自分だった。
 オフィスで書類整理をする自分。実験室で容器を回収して廃棄物の処理をしている自分。サイトの渡り廊下の切れた電灯を交換して、観葉植物に霧吹きで水をかけている自分。それぞれ別の日の業務だが、部屋の番号まで正確に一致していた。
 動こうとしてもシートから身体を剥がせない。何度身体を捻じっても、シートに身体が嵌ってしまっている。

 ああそうか、と思い出す。
 自分は眼球だった。球体だから、シートからは動けないんだった。視神経でつるつるした身体の表面を撫で、粘液が付着する。
 黒目を動かして上映室の中を見た。上映室には自分と同じような眼球たちが座っている。そのうちの一つが自分を見返すように黒目を動かした。

 黒目は楕円に潰れ、笑っているように思えた。


 自我の剥離。解離性障害の一種……離人症とも呼ばれる精神症で、自分が自分でないと思えてくる感覚が主となる。遠くから自分を眺める、まさしく夢の中のような状態が典型例だといわれている。

 以前から自分にはその兆候があった。

 空き時間に考えごとをしていると、自分がバラバラに砕けそうになる。思考が定まらず、散り散りになってぼうっとしてしまう。内側にある空洞を覗きかける一瞬が恐ろしくてたまらない。考える時間を潰すため、日中は仕事を詰めて自分自身を忙殺していた。夜も疲労からすぐに寝つける。自分を不安にさせる時間はどこにもないはずだったが、ここで話は終わらない。

 夢。不可解な夢として、精神不安は現れた。フロイトに言わせれば夢は潜在的な願望の表出らしいが、自分には意味不明な情景の羅列にしか思えない。几帳面過ぎる性格の改善も兼ねて通院し始めた財団内部の心療内科では、夢の内容を記録するように指示された。診察時に提出し、後は専門家の診断待ち。今のところ、具体的な診断結果は返ってきていない。アレルギーの多い身体の調子も含めて、しばらくは安定した日々が続いていた。

 だけどある日を境に、内側の空洞で自分とは違う何かが膨らんでいるように感じた。粘着質なタールが泡立って、表面で鈍い虹色を纏わせながら膨張する。

 何もできずに眺めていると、ぶつぶつした泡が眼球になって一斉にこっちを見た。物欲しそうで、固定されているのに動こうとする視線。膨らみきって破裂して、音圧で意識が吹き飛ばされかけたところで目が覚めた。

 対話部門を訪ねたのは、心療内科の先生から提案されたからだ。職務を休み、心を安定させるためにカウンセリングの専門部署を訪問しなさい。思いきり打ち明けて、すべて吐き出せばいくらか解消されるかもしれない。半信半疑で提案を飲んだが、信用と疑念の比率はもう三対七ほどに傾いている。

「今日も驚かせてしまったらしいね」

 僕が持ち込んだ日誌のページを指先で弄び、七町さんは呟いた。昨日と変わらず、僕の驚きは筒抜けになっていたようだ。上手く心の整理ができなくて、横目に見てくる七町さんの視線から逃げ出したかった。

 七町さんの瞳には黄色が灯っていた。肩より長い黒髪の先は赤色に染まり、肌は色白。パンクロックが好きな若者のような風貌だ。何より、今日の七町さんの胸には膨らみがあった。伏し目がちになっていた自分に、朗らかな笑いが飛んでくる。声帯も変化しているのか、女性らしい笑い声だった。

「部屋に入って私を直視したのに、昨日の私を探しただろ」
「すみません……七町さんだとは思わなくて。その、何て言うか」
「全部違うじゃないか、って? よく言われるよ」

 クスクス笑いが続く。昨日の中東系男性と同一人物だと気付いたときの反応を延々と楽しんでいた。

 外見が一日毎に変化する。眼球も、髪型も、肌の色も、性別も。

 それが七町さんの持っている悩みの種。研修を受けていた際にオブジェクトの被害に遭い、この異常を獲得してしまったという。

 朝起きたら別の誰かになっている。美しかろうが醜かろうが、昨日の自分はどこにもない。本来の自分の姿は記憶の片隅と、愛用の手帳に貼った写真以外に残っていない。

「自分が自分じゃない。そりゃそうだ。本当にそうなんだから」

 すべては過ぎたこと、気にしても仕方がない。七町さんの淡々とした語り口にはそんな単語が似合う。飄々とした言葉に覆われた諦念が、彼──日替わりだから彼女? 元々の性は男らしいけれど──の口からは零れ落ちていた。

「私は誰なんだろうね」

 煙草の癖からか、七町さんは二本の指で唇を撫でる。目を瞑って、一発強く手を打ち合わせた。

「ハイ、この話は終わり。次は君だ」
「えっ!?」
 
 急な切り返しに思わず声が出た。

「いや、えっと、それだけで飲み込める話じゃないですって」
「君が戸惑ってたから私の異常性の説明をしただけだ。で、その説明は済んだ。第一、このカウンセリングは君がメインなんだから君の話をしないと」
「話って何を」
「いろいろあるだろ。君の症状とか、日々の生活とか、何が好きとか……」

 そこからは例が出て来ず、七町さんは指先で机を叩く。カツカツと硬い音が七町さんの唸り声と一緒に耳へと入ってくる。眉間にしわを寄せ、何かを捻り出そうとしていた。腕組みをするために手を脇に潜り込ませようとして、手に持っていた日誌が二の腕に当たる。分かりやすく「あ」という声が聞こえた。

「夢。夢の話しよう。さっき読んだばっかりだけど」
「夢の話ってそんな明るくするものでしょうか……?」
「するものだよ。いいじゃないか、ハッピードリームトーク」

 パラパラパラ。ただ日誌を捲る動作も、七町さんがやると漫画みたいな擬音が鳴っているように感じる。触れているノートに鬱々しい夢が書き込まれているとは思わせないくらい、動きが軽かった。

 たくさん夢を見てきた。夢を見ない夜はないほどに。目を瞑れば不可解な情景が広がって整理も間に合わずに取っ散らかる。傾向なんて計れないくらい無秩序で、だからこそ無意味だと切り捨てるのは容易だった。最近はそうやって自分を納得させるのも難しくなってきた。線で繋がるように妙な共通項が夢に現れ始めたからだ。

 吐き出してしまうべきなんだろう。きっと分かっていてこの話題を振ったんだろうし。日誌を捲る七町さんに「あの」と声をかけた。

「夢だと、気になってることがあるんですが……話してもいいですか」
「もちろんだとも。それで、何を気にしてるんだい?」
「目……眼球について、です」
「眼球かぁ」

 ニヤつきながら、七町さんは日誌の一番新しいページを開く。予想はしていたのかもしれない。日誌を机に開いて置き、話を進めるよう自分に促す。

「夢に目が登場する頻度が、だんだんと増えてきているんです」
「日誌を読ませてもらったけど、元々夢に眼球はよく出てきたんだろう? 気にかかるくらい増えたのかい?」
「はい。目が出てくるのは毎回じゃなかったし、夢に出てきても自分に関わってこようとしなかったんです。でもこのところは、襲いかかってくるまでになって」

 たしかに、今までの夢にも眼球はよく出てきた。廃ビルの街を歩いていたら、巨大な眼球がドローンみたいに空を飛んでいたこともあった。

 けれど、それで終わり。重要事項のように立ち振る舞いもしなかったし、自分に接触しようともしなかった。眼が近づいてくるようになったのはここ最近だ。離人症が再発し始めたのと同じくらい。「なるほど」と相槌を打って、七町さんが切り返す。

「天見くんはその目に何を感じる?」
「感じる……ですか?」
「襲いかかってきたんだろう? 私は嫌だね、ここに書いてあることは。例え夢でも起きてほしくない」

 日誌に目を落とす。即席ポップコーンが破裂して焦げた眼球が降る。映画館で自分が放映されシートに座った眼球に微笑まれる。曖昧になりつつある夢の情景を、頭の中で再生しようと試みる。

 薄く、それでも残る刺すような視線。無数の眼球が僕を包囲する。その視線を受けて浮かんでくる感情を、喉奥から音にしようとした。

 いくら待っても喉に震えは生じなかった。

「何も思わないです」

 七町さんが目を見開く。前に傾きかけていた姿勢を戻し、身体の前で手と手を絡め合わせた。口の端には笑みを留めていたが、黄色の瞳はまっすぐ僕を捉える。

「何も思わないっていうのは?」
「少なくとも怖くないんですよ。目が見つめてくるのは当たり前じゃないですか。何か感じるとするなら……目に見つめられて、自分が自分じゃなくなる感覚はあります」
「目に見つめられると自分が引き剥がされるんだね。それは何故かな?」

 尋ねられ、唾を飲んだ。発した言葉の意味を、落ちていく唾液とともに自分の中で深める。

 夢で浴びた眼球の視線を思い出す。取り囲み、決して逃そうとはしない。延々と監視は継続され、視線の渦へと囚われる。縛るような視線に対して、僕の心は微動だにしない。隣人に挨拶を返すように無表情で眼球に向き合う。

 感情なく眼球を見つめ続け、自分も眼球へ変異する。皮膚も筋肉も剥がれ、眼球だけが頭蓋骨から零れ落ちるような。想像を膨らませるうちに球体となって、落下した僕は床を跳ねていく。ころころ転がる目となった僕を、あの眼球はまだ凝視していた。

 どんな姿になろうと、眼球は常に僕を見ている。

 僕は、自分がどういう人間なのか考えたことすらないのに。

「見つめてくる眼球の方が、僕を熱心に見ているような気がするんです。僕なんかより、ずっと熱心に」

 日誌に並ぶ文字を追いかけても、いまだに何も感じない。危機に晒されているはずなのに恐怖は少しも湧いてこない。

 表情をうかがおうと七町さんを見た。余裕のある笑みを保っていると頭の片隅で思い浮かべていたが、手を添えた口許から微笑は消えていた。代わりに黄色の瞳が僕を射るように見る。夢で出会った眼球を想起させる、まとわりつくような視線だった。


夢日記 20██/02/08

 映画の撮影現場のような場所に迷い込んだところから夢は始まる。天井からはライトが吊るされ、ハリボテの壁に囲まれる。壁の隙間からは大型のビデオカメラが覗いていた。赤い光の粒が四方八方で点灯していた。
 あてもなくセットの中を歩く。どこかのオフィスを再現したような、銀色のデスクとロッカーの並ぶ部屋だ。地震でも起きたのか書類やファイルが散乱している。建物の一部らしき瓦礫まで転がっていた。

 自分はこの場所を知っている。そこがどこかはわからないのに。
 デジャヴを覚えた瞬間、背後に気配を察知した。前に駆け出して振り返ると、ナイフが空を切った。

 ローブを被った人物がナイフを握る。顔に相当する部分は、複数の眼球によって構成されていた。ばらばらの方向を見ていた眼球の焦点が、互いに合図したかのようにこちらに定まる。
 逃げ出した。心は落ち着いていた。逃げたいと思ったから逃げたのではないように思う。
 逃げなければ不自然だから。いささか抽象的ではあるが、役割に突き動かされたのだと感じる。

 廊下へ出た。走り続ける。ハリボテの壁は終わらない。吊るされたライトは白く自分を照らしているが、どれだけ走っても薄闇が消えなかった。身体が限界に達し、息を切らす。ビデオカメラは絶えず壁の向こう側に存在し、視界の端で赤い点が瞬いていた。

 逃げ場はない。ずっと、見られ続けているから。
 そう悟った直後、ナイフが片目に突き刺さった。ローブの人物はいつの間にか自分の真正面に立っていて、刃を深く押し込んでくる。いくつもの眼球がこちらを覗き込む。

「私は常に君を見ている」

 たしかに言葉を聞いてから、ナイフは真下へと動いた。痛みはなかった。血液すら出なかった。傷口に手を当てると指は内側へ潜り込んだ。裂かれた肌の裏側を、人差し指で感じ取った。

 ああそうか、と思い出す。
 自分には中身なんてなかったんだ。理解が足先まで浸透し、薄っぺらい表皮に自分が変換されていく。理解に震える自分の首を掴んで、ローブの眼球たちはその身体を自分の真上に置いた。
 眼球が零れ落ち、傷口に向かって降り注ぐ。球体は傷口を通って薄っぺらな自分の身体を満たしていった。


 目はいよいよ僕を殺した。降り注いだ眼球の重量が脳に焼き付いている。

 ナイフを突き立てられた側の目を撫でながら、廊下を歩く。あれは驚いた。驚いたが、時間が経てば経つほど、腑に落ちるような感覚を覚える。僕の中身を満たしたいならそうするだろうと、目の行動にどこか納得していた。

 対話部門の談話室が近づいてくる。夢の記憶と並行して、七町の存在を思い出す。

 今日、あの人はどんな顔になっているだろうか。男か女か、子どもか老人か。人種は何だろう。髪の色は……と想像して、瞳の色について考える。この前は青だった。その次は黄色。だったら今日は赤かもしれない。根拠なく、短絡的に予想する。

 廊下の窓に、薄く自分が反射していた。一瞥すると、窓に映った僕はほのかに笑みを浮かべていた。何してんだろ。首を振って、談話室の扉に手をかけた。スライド式の扉を横に引っ張る。

「君を殺してあげよう」

 黒いローブに身を包んだ人間が、扉を開けたそこにいた。手には短いナイフを握り、立ったまま動かない。

 幽霊のような細長い仮面を、その人は装着している。ムンクが描いた絵画のような、目も口も縦に伸びた白いマスク。笑っているようにも怯えているようにも見える。

 殺害を宣告した人間を、僕は黙って見つめ返した。どうすればいいか、わからなかったから。怖がるのがこの状況では正しいのだろう。怖くないかといえば嘘になるが、見つめている時間が長くなるほどその恐怖は薄れていく。

 マスクはシリコン製で、ローブは厚い暗幕。ナイフも押せば引っ込むおもちゃだとすぐに気付いた。細部の作りがあまりにチープで、本当に殺意があるようには思えない。

 微動だにしない僕に痺れを切らしたのか、相手はマスクを取って布を払った。高校生ほどの青臭い顔をした、そばかすにまみれた白人が現れる。金髪で、瞳は茶色い。苦虫を噛み潰したように、彼は顔を歪める。

「何か言ってくれよ……気まずいだろ!?」

 これが今日の七町さんか。想像していたより若々しい姿を、微笑ましく感じた。

「『スクリーム』って映画が好きでね」

 ローテーブルにマスクを放り出し、七町さんは椅子のひじ掛けにもたれかかって座る。ぷらぷらと足を揺らす。今日の姿も相まって、暇を潰す学生のようだった。

「ゴーストフェイスっていう殺人鬼が出てくるんだよ、シリーズを通して。黒いローブに白いマスク。凶器は……状況によって変わるけど、ナイフが代表的かな」
「面白いんですか?」
「面白いよ。ホラー映画にしては真っ当に面白い」

 含みのある言い方をしてから、七町さんは頬を掻く。唇を尖らせ、睨むようにカウチに座った僕を見つめる。ゴムマスクを手に取って顔の横へと掲げ、照れくさそうにはにかんだ。

「こういうグッズも持ってるくらいにはファンでね。渾身の作戦で怖がらせようとしたけど……失敗した」
「すみません、僕がもっと反応していれば……」
「謝らないでくれ。惨めになる、余計に」
「すみません」
「謝るなって」

 慌てて口を押さえる。押さえてから、別に口を押さえなくてもいいと思い直す。手を外すと七町さんが噴き出し、「何やってんの」と呟いた。自分の挙動が恥ずかしくなり、こちらから話を逸らす。

「そもそもなんで僕を怖がらせようとしたんですか?」
「君の感情が動くところを見てみたくてね。悪夢を見ても怖がらないって言っただろ? だったらこれはどうかなと、試したかったんだよ」
「なんでそんなこと」
「素の表情を知りたいのが半分、興味本位が半分」

 悪びれもせず七町さんは言った。

「ほら、ジャンプスケアってあるだろ? 怖い何かが出てきて人を驚かせる演出。演出自体は手垢が付きまくってて嫌いだけど、あれで人が怖がってるのがすごい好きなんだ。怖がり方に人間が出る」
「それで僕を怖がらせて、表情を見ようと?」
「そう。叫ぶのか固まるのか崩れるのか……自分でも意識したことのない、本当の自分が現れる。そうすれば、自分はちゃんとそこにあるってわかってもらえる……と、思ってたんだけどなぁ!」

「普段からそんな感じなのかい? 天見くんは」
「そうですね……何か感情を表出させること自体、少なかったかもしれません」
「天見くんはさ、本当の自分とか深層心理とか、自分の中にあると思う?」

「わかりません」

「今まさに喋っている僕は、僕じゃないような気がします。もっと心の深い場所にいる何かが、僕であるべきで。たぶん、あの目なんでしょうけど……あの目は僕じゃない。だから僕じゃない僕が、本当の僕として自分の中にいるけど、それは僕じゃないから……」

「天見くん、『スクリーム』の話をしてもいいかな」

「いいですけど」
「ここまでの情報から、君はこの映画をどんな映画だと思う?」

「貞子とかジェイソンみたいな、怪物が人を殺していく映画」
「そう思うよね、紹介の仕方が悪かった」

「『スクリーム』はサイコサスペンス映画。正体不明の殺人鬼が人を殺していく、ミステリ仕立てのストーリーなんだ」

「このゴーストフェイスの中身はただの人間。だから主人公からの反撃もめちゃくちゃ喰らうわけ。物陰から出てきた瞬間は無敵なのに、画面に映ってる時間が長ければ長いほど弱くなっていく」

「しかも、映画ごとに中に入っている人間が違うんだよね。ようするに犯人が違うからなんだけど。でもこいつはゴーストフェイスとして、一人の人格を持ってる。キャラクターとして独立して成立してるわけだ」

「だから好きなんだ、ゴーストフェイスが。中身なんてさ、なんでもいいんだよ」

「外側だけでもいいんだよ。それだけでいい。私はいろいろあったからさ、殺人鬼だけど親しみを持ってるんだ。よりにもよってゴーストフェイスに」

「今、存在してる君が君を名乗っていい。本当の自分なんてのは身体の君が決めればいいさ。振り回される必要はない」

「気を楽にしていこう。大丈夫、君こそが本当の自分だよ」


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