エージェント・実家暮らし


 どうしてこんなことに。

 頭を布団に埋めても眠気は蘇りそうにない。朝が来た。太陽は個々人の事情なんか無頓着で、カーテンの隙間から眩しい光を送り込む。
 さっさと一日を始めるべきだ。半年も前の私ならとっくに寝床を出て、フォーマルスーツに着替えていただろう。目覚まし時計の短針が8を指す。大遅刻だ、前までなら。自嘲する気力さえ潰されていた。
 気怠い。腕すら動かせない。動かして何になるんだ。思考が重く覆い被さって身体を熱に包む。涼しい季節だというのに体感温度は下がりそうにない。スウェットの胸元を指で引き、苦し紛れに息を吹き込んだ。
 
 布団の内側が独りでに動く。鈍くなっていた私の感覚を揺すり起こした。
 緊急通達、初期収容手配、臨時応戦用意。
 無縁になっていた単語が脳を駆ける。もぞもぞと動き続ける掛け布団の内側を刺激しないよう手を添えて、一気に布団を取り払った。
 足に絡みついているものを見て、肩を落とす。

 そうだった。
 危険なオブジェクトとやり合う心配なんて、もうしなくていいんだ。

「バニラ、暑苦しい」

 白地に黒の斑点と、若返って戻った青色の目。体感温度が下がらなかったのは、倦怠感だけが理由ではなかったらしい。
 名前を呼ばれたイエネコは、ふしゅうと不満を鼻息で表す。目を細める顔を久々に見た。
 そっちが仕掛けたんでしょ。呟きそうになって、言葉が舌の上で枯れた。

 私に冗談を言って笑う権利なんてない。腕をベッドに降ろすと、バニラが不思議そうに私を眺める。
 分からなくていいよ。無言で目を逸らす。

 視界の端でバニラの尻尾がゆらゆら揺れている。
 炎にも似た動きをする尻尾は、根元で2本に分れていた。


指定収容者制度

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1. 制度概要

 本制度は、財団の指定する個人、法人が一部オブジェクトの収容管理業務を代行する制度です。

2. 制度背景

 ████年██月██日、財団の保有する多くの資産が同時多発的事故により消失しました。消失分の資産はフロント企業の運用によって回収可能だと推測されていました。

 そこに局所的な経済危機が重なるように発生、財団が保有するフロント企業の経営状況が急激に悪化しました。被害は財団にプールしていた資産では補填が不可能な額に達し、最終的に財団はいくつかのフロント企業を手放しました。これは状況が短期間で収束すると想定されたためです。

 しかし、想定に反して経営状況は悪化し続けました。経済学的にも異例であり、財団は超常的要因があるとして独自に調査を開始したものの、状況は改善されませんでした。財団の有するフロント企業は数を減らしていき、財団の資産力は著しく低下しました。

 資産力を減らした財団は国家や要注意団体から経済的な攻撃を仕掛けられるようになり、雪崩式に人員の離脱、研究価値のあるオブジェクトの奪取が発生しました。また、カバーストーリーの流布が困難となったことでオブジェクトは一般社会に露見し、ヴェールは崩壊しました。

 現状、財団はオブジェクトを正常に収容できていません。オブジェクト被害による施設破壊の修繕も完了しておらず、収容施設は劣悪な環境にあります。超常動物保護団体ウィルソンズ・ワイルドライフ・ソリューションズ(WWS)、文化庁文化財第三課など資金援助を行う外部団体からの要請により、オブジェクトの環境改善が早急な課題となっています。

 この問題を解決するため、本制度を制定することとなりました。

3. 制度運用

  • オブジェクトの選定

下記の条件すべてに適合するオブジェクトのみを指定収容の対象とする。

  1. 物質として実在性を持つ。
  2. 異常、特殊な物質が含まれておらず、一般教養のある人間なら管理が可能である。
  3. 隔離が容易であり、収容に特殊な手順を必要としない。
  4. 特別収容プロトコルが破られた場合に、周辺環境に被害をもたらさない。
  5. 存在や異常性が特別な価値を持たない。
  • 指定収容者の選定

基本、財団が指定した個人、法人にのみ指定収容が認可されます。公募は行いません。オブジェクト収容前の保有者などが主な認可対象となります。

  • 指定収容までの流れ
  1. 指定収容対象となるオブジェクトを財団が選定し、そのオブジェクトの指定収容者を財団で決定する。
  2. 指定収容者の承諾後、オブジェクトと必須機材を収容場所に運搬する。
  3. 指定収容者の管理下で、オブジェクトの収容が行われる。指定収容者は定期的に収容状況を送信する義務が生じる。

4. 制度運用上での諸注意

  • 収容過程で発生する費用などは、すべて指定収容者の負担となります。
  • 指定収容者は最大限、オブジェクトを秘匿してください。オブジェクトの私的利用、公開などは認められません。
    • 上記は財団理念の他、勢力を拡大した超常破壊主義団体である世界オカルト連合 (GOC)や他の要注意団体の襲撃を警戒してのものです。
    • 襲撃を受けた場合、自身が日本超常組織平和友好条約機構(JAGPATO)に関与していると示し、非合法行為はJAGPATO加盟組織により捜査されることを主張してください。これは、ヴェール崩壊後に社会的地位を向上させた団体に対して有効です。
    • 特に、均衡を維持したい日本政府により未だに財団と権限を同等に設定されているGOCにとって、この主張は十分な効力を持ちます。
  • 収容が維持されない場合、認可対象は指定収容者から外されます。収容の維持を確認するため、制度監視員が地域を巡回します。

5. 財団職員への通達

 財団職員の制度監視員への割り当ては収容スペシャリストから指示されます。

「じゃ、そういうことだから」

 デスクの前に立つ私に、彼はそれだけ言って話を終わらせようとした。

「待ってください。そもそもこの施策に私は納得していません。あろうことか収容対象を一般人に保管させるなんて」
「理解してるさ。だが、我々に何ができる?」

 色の事務机に席を構えた男の眉間には、深い皺が生まれていた。卓上に置かれた「収容スペシャリスト」のプレートを迷惑そうに一瞥して、私に視線を投げる。肩書を正確に表すには「代理」という文字があと七個足りない。
 収容スペシャリスト代々々々々々々理──第七代理が右手のペンの頭をノックする。カチカチという音に反応して、部屋の中に積まれ尽くしたプラスチックボックスの何個かが揺れた。自律移動するだけの単純なオブジェクトが箱に詰め込まれたまま、割れた窓だらけのオフィスに放置されている。

 頼み込むように、第七代理はデスクの上で指を組んだ。

「これも経費削減の一環なんだ」

 経費削減。いつからか、その台詞が彼の口癖になっていた。

 身の上話は別部署ながらもよく聞いている。このサイトに勤務する職員は私を含めて十人にも満たないのだから。ヘッドハンティングで秀才が抜け、環境の劣悪化で奇才が抜けた。給与の無期限先払いが決まったとき、友人たちは一斉に自身の退路を確保しに向かった。
 元事務員が収容スペシャリストの椅子に座っている。さぞ複雑な思いではあるのだろう。

 かけるやる言葉は一つしかない。

「仕方ありませんね、引き受けましょう」
「では任せたよ、梅田 綾くん。関東第三ブロックの指定収容者制度監視員に君を任命する」
「第一と第二があるかのような言い回しはしないでください」

 第一と第二のブロックに配置されていたサイトは立体駐車場になっている。本当はここが馬鹿みたいに広い第一ブロックだ。
 指定収容者制度の詳細なマニュアルと担当する収容者の資料を受け取って、見栄を張りたがる第七代理に背を向けた。立ち去ろうとする私に、第七代理は背後から呼びかける。

「それと別件もある。収容者資料の最後のページを見てくれ」

 資料を後ろから捲り、最終ページを見た。

指定収容対象物品: No. 121

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AO-B███(20██)

アイテム番号: AO-B███

オブジェクトクラス: Anomalous

概要: 通常種とは異なった能力を保有するイエネコ(Felis silvestris catus)。限定的な瞬間転移、未来予知に近い存在知覚を有する。外見の特徴に、尾が2つに分かれていることが挙げられる。

日本の伝承である猫又の一種であるとされ、近似種を財団はこれまでに複数収容していた。能力については未解明な点が多いが、研究価値や発展性がないと考えられたため、Anomalousに指定。

指定収容対象への選定理由:

  • 収容維持に必然的に費用が発生する生物系オブジェクトである。
  • 異常性を除けば身体能力、食性ともに通常種のイエネコと同等であり、収容に危険な状況が生じないため。

指定収容者: 梅田 綾 (Umeda Aya)

指定収容者の選定理由:

  • 指定収容対象の元保有者であるため。

指定収容者からの許可: 確認済

「見づらいが、カラーコピーは厳禁でね」

 見覚えのない「確認済」の印に思考が止まり、資料を落とした。

「じゃ、そういうことだから」
「それ話を締める常套句じゃないですよ?」

 振り向いて静かに見つめ返すと、第七代理はキャスター椅子をギィギィ鳴らして窓を向いた。刑事ドラマさながら、ブラインドのない窓から真っ昼間の街を眺めている。どこを見ているんだ。
 私がしばらく部屋に留まったからか、第七代理はようやく身体をこちらに向けた。

「元々君の家にいた猫なんだろ。こっちで届け出は出しておいたから」

 身勝手な行動を告白して、付け足すように「仕方がなかったんだ」と零す。顔には時折見せる悲壮感がにじみ出ていた。

「生き物はいるだけで金がかかる。餌、フン、寝床。WWSとも連携してるが、超常生物の管理はパンクしそうな程になっていてね。貰い手がいるなら積極的に引き受けてほしいのが本心だ」
「だからって急に言われても困ります。私だってこのサイトに無給で寝泊まりしてるんですよ。世話はできないし、私を指定収容者にしても状況は変わりません」
「実家に戻ればいいじゃないか」

 デスクに置かれたファイルを開き、第七代理はあるページを私に突きつけた。

「データによると君の担当エリアには君の実家がある」
「確かにそうですが」
「しばらく実家で在宅勤務しなさい。アノマリーも実家で収容すればいい。君もその方がいいだろ、こんな隙間風の吹くサイトなんかより」

 返事をせず、唇を結んだ。
 第七代理の言うことは理にかなっている。私にとっても財団にとっても、この提案はプラスに働く。本来なら無条件で頷いてもいい内容だ。
 単純な話だった。今の私は家族に合わせる顔がない。奥底に横たわった感情が、合理的な判断を否定しようとする。

 また、第七代理がデスクの上で指を組んだ。

「これも経費削減の一環なんだ」

 かけてやる言葉は一つしかない。

「腰が低ければ何してもいいと思ってます?」


 階段を降り、廊下に取り付けられた全身鏡の前を通る。朝食と身支度を済ませ、スーツに着替えたのは起床から三十分以上が経ってからだった。制服代わりに支給されていたスーツは財団がまとめて質に出したから、着ているものはかなり色合いが良くない。
 乱れをチェックしてリビングへ。棚の入れ物を探る前に、リビングと繋がっているダイニングへ顔を向けた。

「母さん。車、今日も借りていい?」
「どうぞどうぞ、ご自由に」

 水仕事の音とともに、母の声は流れてきた。冗談めかした返しに口許が緩みそうになったが、即座に引き締める。面と向かっているならともかく、誰も見ていない場所で自分を崩すわけにはいかない。

「ありがとう。それじゃ」
「転職の方はどう? 上手くいってる?」

 車の鍵を取った後も、変わらぬ調子で会話は続いた。姿を見せないまま、母は矢継ぎ早に言葉を投げかける。

「程々、かな。結果待ちもまだあるから」
「なんにしても大変ね。財団ってところの会社、かなり良くしてもらったんでしょ? あのまま順調だったら良かったのに」
「しょうがないよ。どこも景気悪いんだし」
「ブラックじゃないところ見つかるといいんだけど。転職はしたことないから、参考にならなくてごめんね」
「いいって。泊めてくれるだけでありがたいよ」

 今度こそ、それじゃと言って出かけようとする。ビジネスバッグを担ぎ、玄関へ通じる扉を出る。スムーズに済めば良かったのだが、革靴を探すのに手間取る。その隙を突くかのように、扉の奥から大声が飛んできた。

「今日お父さん誕生日だから、早く帰ってきて!」
「分かってる」

 声の方向は見もせずに、こちらも声だけで返す。革靴は、靴棚の記憶にない位置に置かれていた。感謝と煩わしさが一緒になって心に襲いかかってくる。
 靴を履いて、ささやかに願う。これ以上なにも来ませんように。
 願い叶わず、パタパタとスリッパが近づいてくる音が聞こえた。

「綾」
「なに?」

 振り向く。やはり、母がいる。
 知らず知らずのうちに現役エージェントの背後を取った母は、自分の首元を指さした。

「襟」

 学生の頃、私は制服の襟がくしゃくしゃになっていても気付けない性だった。静かにそれを思い出して、襟首に触れる。
 十年振りに襟を直した。


 調子が狂う。

 母の車に乗り込んだ私は、指定収容者の自宅へと移動していた。今も私は財団のエージェントだ。転職活動などしていないし、する予定もない。信号に引っかかって、赤い光を眺めてハンドルに頬を押し付けた。このところ、環境の変化に翻弄されっぱなしだ。
 カーラジオではニュースが流れている。海外の有名企業がベンチャーに買収された。聞き飽きた話題。よく聞かずとも、この手の話の筋は決まっている。財団傘下の企業が他社に買収される。ニュースに登場した企業はよく持ちこたえていた方だが、とうとう陥落したらしい。

 世界を壊したのは終末のラッパでも、最終戦争でもなかった。金だった。現実は呆れ返るほど単純で工夫がない。
 常識外れの存在を隔離し、人々に平和をもたらす。その理念で徹底して非営利的に動く財団という組織を支えていたのは、巨大な金の力だった。信念で飯は食えず、忠義で銃は鋳られはしない。世界に散らばった手足である営利組織が金を流し、半ば寄生虫のように世界を護ってきた。
 もし、その金が絶たれたら? 以前は失笑ものの疑問だった。世界が滅ぶことはあれど、丈夫な軸である財団と無数かつ関与が隠匿されたフロント企業を同時に潰すなど不可能。現に、財団は幾多もの世界恐慌を平然と乗り越えてきた。歴史が築いてきたパイプが地中を埋め尽くすほど埋まっている。

 だとしたら、このザマはなんだ。

 信号が青に変わる。アクセルに足を添え、前の車が進むのを待つ。
 とにかく、仕事だ。私は財団にすべてを捧げると決めたんだ。例え、業態がまったくの別ものに変わったとしても。
 アクセルを踏んだ瞬間、助手席に置いたバッグが不自然なほど大きく揺れた。

 調子が狂う。本当に。


「ただいま」

 バニラはむぉんと、返事をするかのように鳴いた。


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