Tale「母の温もりを求めて」

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きっと、私は壊れてしまったんだろう。
おそらく、そんな気がしてならない。

あの日から、私は、















「なんや、また来たんかいな」

 サイト-8152に併設された、とある寮の部屋を開くと、そこには彼女がいた。
 いつもの変わらぬ笑顔。私のことを優しく受け入れてくれる、そんな笑顔を、彼女は向けている。


 彼女の住むこの部屋は、彼女の生活様式に合わせた形になっている。
 広々とした吹き抜けの部屋。
 大きな窓が日光を広く取り込んで照らす海水で満たされたプール。
 海産物を可能な限り多く保管できる冷蔵庫。

 その部屋の全ては彼女がそこに暮らす上で最大限の環境を提供している。
 そう、ベッドに腰掛けて私の顔をじっと眺めている彼女は、人間ではない。
 青灰色と薄灰色の境界が身体の曲線に沿って流れるなだらかな肌を持ち、頭頂部と側頭部、そして背中に伸びるヒレ、そして腰から伸びる魚類の尾のようなそれは、地上の者には不要で、同時に海に住む彼女らには必要なもの。
 「咬冴舞波」──それが彼女の名だ。彼女は鮫だった。サミオマリエ共和国の最後の生き残りだった。幼い身一つで財団という組織に籍を置く彼女は、並々ならぬ経験の果てにここに流れ着いた者だった。

 そんな私は、彼女のために提供されている特別な部屋に表情を見せぬよう俯いたまま入って、彼女のもとへと歩む。





「なあ、今日はえらい一段と疲れとるみたいやな」

 記録に示されているとおり齢12歳と半年しか生きていない彼女に、人ではない彼女に、そんな彼女の座るベッドの横に、私は腰掛ける。
 この時点でもう、私は堪えきれなかった。


「ええんよ、そう無理せんでも。アンタがよう頑張っとるのは、ウチもよう知っとるから」


 ああ、どこまで彼女は優しい子なのだろう。まるで握りつぶした紙のようにぐしゃぐしゃな酷い顔をしている自覚を持ってはいたが、それを隠すだけの気力や平静さもない私が、あられもなく彼女の細い脚へと、鮫特有のざらついた幼い肌へと顔を落とす。
 「うう」──その声が自分の喉元から発されたものであると理解するのに、そう時間は掛からなかった。直後に追い打ちを掛けるように感じたのは、眼から流れる雫の筋と、ぎゅうぎゅうと締め付けられるような胸奥の痛みだった。


「よし、よし。大変やったなぁ。今日も一日お疲れ様やで」


 情けなく泣きじゃくる私の黒髪を、優しく、優しくゆっくりと撫でてくれる。その優しさがなおのこと私の心を揺さぶり、大粒の涙となって流れ落ちる。
 ここ最近はまともに業務に従事できていなかった私にとっては、これだけが唯一の癒しだった。

 オブジェクトの回収任務の失敗に続き、書類の紛失や、報告書の不備など。些細なことであるが、今まで絶対に起こしたことのないようなミスが、ここ最近はずっと、ずっと続いていた。
 その度に私はつらかった。何をしても、必ずどこかでほころびが出るようになってしまった自分に、嫌気が差していた。
 私が財団に提供しなければならない義務を果たせなくなってしまっているということに、どん底にたたき落とされるかのような失望感が募っていった。


「ええ子や、ええ子……気にせんでええんやで。つらいんは我慢せんでええ」


そんな、財団職員としての価値すらなくなった私でさえ、明るく包み込んでくれる優しい手が、何度も何度も私の後頭部を往復してくれる。本当に、咬冴は優しい子で。

 私は彼女の腰側に手を回し、下腹部の柔らかいところに顔を押しつける。ざらざらとした肌が私の鼻先に擦れて少し痛い。それは決して扇情的な様相であるとは言えず、どちらかと言えば、今ここで彼女に頼らなければ私が保てなくなる気がする恐怖から来る行動でしかない。その自覚は間違いなくあった。
 全てを受け入れ、甘く、優しく接してくれる彼女が、さながら、母親が娘に対し掛ける愛情や温もりのごとき優しさが、今の私にとっては必要だった。
 まさしく、今の私にとって、咬冴は「母親」だったんだ。








「……なあ、マダラザ。アンタはいつもいつも、ウチを頼ってくれとるのはええんやけどさ。そないにモモに顔を押さえつけられたら、ウチも、ちょい恥ずかしいなぁ……」


 一糸まとわぬ姿──彼女にとってはこれこそ普段の姿だが──の彼女に無心で身を委ねていた私は、その指摘を受けて自身がどれほど背徳的な行動に出ているのかを無理矢理意識づけられた。年端もいかない異形な鮫の少女に対して、二十数年生きた大の大人が無様に泣いて縋るその歪さに、私はさらに絶望感と自己否定の意識がふつふつと沸き立ってくる。


「あ、あぁ……ちゃうんよ! そういう意味やないんやって。やから、マダラザ、そないに泣かんとってーな……」


 私は逆に慌てた様子で頬を掻く彼女を見て、安心とも後悔とも形容できない感覚に苛まれる。
 私の泳いだ目に気付いた彼女は、さらに続けて私に続けて言う。


「ウチは、ウチはな。アンタが……マダラザが、あん時行動してへんかったら、きっとウチはここにはおらんかったと思うとるんよ。せやから、せめてウチはアンタにお礼がしたい思うとるんや。ウチだけでも助けてくれたマダラザに、お礼がしたい。何もかも無くなったって、マダラザに思ってもらいたないから。ウチは、アンタの居場所になってあげたいだけなんや……」


 私はまた、堪えきれなくなった。
 彼女だってつらいはずなのに、一切その素振りを見せず笑う姿に、堪えきれなくなった。

 袖を顔に当てて涙を拭う私に向かって咬冴は、ぎゅっと静かに胸を貸してくる。
 もはや、その優しさなしでは、私はどうすることもできないのではないか。
 そのような考えさえ、ちらりと脳裏をよぎっては消えていく。


「せやからな、マダラザ。せめて、今だけでも、甘えてええんよ」








 私は彼女の胸の中で、思い出したくない過去について夢想する。

 どうしてこうなったのか。ついそ考えたくは無かった。

 なのに、堂々巡りのごとく私のかき消したい一心で思考退ける私を嘲り笑うように、記憶の中の"過去"が私に襲いかかってくる。



 サミオマリエの生き残り。その情報を聞きつけたSPCの連中。
 奴らによって突破された財団施設の警備。
 サイトの廊下にはじけ飛ぶ大小様々な赤色の模様。
 凝固して腐臭を放つそれを通り抜けてやってくる、返り血に濡れる特殊で堅牢な構造のパワードスーツを纏った、SPCの構成員共。

 圧倒的な力だった。奴らは、奴らは鮫を殴るという目的を達成するためなら、何の後悔も躊躇いも感じないようだった。
 たとえ相手が鮫でなかったとしても、己の「鮫を殴る」目的を阻害するならば、奴らは問答無用で殴ってくる。ただ作業的に、草を刈るように。ゴミを掃き捨てるように。
 一歩、また一歩と、私達のもとへと近づいてくる彼らに、恐怖しないわけがなかった。

 奴らは確実に接近してくる。鮫を殴るために、サミオマリエ人を殴るために、咬冴を殴るために。

 私は戦えなかった。どうすることもできなかった。
 私はただの一介の財団エージェントに過ぎない。
 そんな私が、機動部隊さ-21すらも太刀打ちできず肉塊と化してしまうほどのアーマーを備えた手合いに敵うわけがない。

 私は逃げた。逃げるしかなかった。
 彼女を連れて、逃げる以外に、なかった。

 彼女は泣いていた。私に手を引かれて、血と瓦礫を飛び越えながら、恐怖に打ち震えて泣いていたのを忘れられなかった。
 なぜなら、彼女は見てしまったから。
 彼女が最も信頼していた、彼女の"母親"とも呼べる……嶽柳の頭が、たった一瞬のうちに吹き飛ぶ様を。

 あっけなく倒れ伏す頭のない白衣の女性を見て絶句する彼女の眼を、私は手で押さえながらその場を共に離れるしかなかった。おそらく次に狙われるのは私達。エージェントとしての直感が、アーマーの拳にエネルギーを充填するSPC構成員の様子を見てすぐに察した。
 だから、すぐにその場から逃げ隠れた。

 きっと、あの時、いや、今この瞬間だってつらいのは私より彼女のはずなのに──。

 近隣サイトから増援が来て、SPC構成員共を去なし散らしたのは、実にそれから数時間後のことだったのだが、あの時の私達には、あの瞬間こそが人生で一番長く、苦しい時間だった。










「えへへ、かわええなあ、マダラザは」

 いつしか最初の時と同じ体勢になっていた私は、彼女の太ももを長い長い間濡らし続けていたようで。
 それでさえも彼女は一切それを拒絶せず、私を受け入れてくれた。

 全てが空っぽだったのは、実のところお互いにその通りで。
 故郷を失い、家族を失い、友人を失って、それでも財団へとやってきた彼女が、ただ唯一信じていた女性、嶽柳。
 彼女がオブジェクトとして収容されることになってから、ずっと2人は一緒だったのを、昨日のことのように覚えている。
 私はいつも微笑ましく見守っていた。彼女は、咬冴はいつも嶽柳と一緒にいたのを。
 何をするにしても、どこに行くにしても、本当に2人はいっしょだった。
 それは、その様子はまさに……「親子」とも形容できるような、暖かく尊い輝きに見えた。

 そんな、彼女にとっての、母親のような存在だった嶽柳を、またもSPCに潰されたのだ。


 それ以降、彼女は一切のものに対して気力を見せなくなった。
 機動部隊さ-21もなくなり、嶽柳も失った今、彼女にとっては何も残ってはいなかったから。
 今の私と、同じだった。


 私が一番の居場所だと思っていた、サイト-8148。財団職員として10年以上も籍を置いて、そこの職員たちとはほぼ家族同然だったあの8148も、あの襲撃によって何もかもが破壊されてしまった。
 SPCの奇襲だけではない。彼らの破壊行動によって引き起こされたスキップの収容違反も相まって、8148は破綻した。
 私の親友も、上司も、部下も、全部が全部、原形を留めずにいなくなった。


 そんな私に、私を理解する者が存在しなくなったこの世界に、私は無力感に押しつぶされそうだった。
 まさに、彼女と同じだったんだ。


「なあ、マダラザ?」 


 私はピクリと反応を返し、横目遣いで彼女の顔を見上げた。

「ウチら、もう、なんもないモン同士やけどさ」

 私は頷く。

「せやから、せやからこそ……ウチらは一緒におる方が、ええんやと思う」

 私は頷く。

「ウチらが一緒やったら、多分、それだけで、もう……悲しいことには、なんもないと思うんや」

 私は沈黙で返した。

「……マダラザ、ウチは、アンタの居場所になったる。せやから……せやから、お願いや。
 マダラザにも……どうか、ウチの大事な居場所に、なって欲しい」





 ……もとより、そのつもりだったさ。
 お互いにお互いの居場所を持つ。それは、財団職員にはリスクの高い価値観であるが、それ以上に"心が壊れていかない"ための有効な方法でもあった。
 事実、私達の心は壊れかけていたし──もはや、壊れてしまっているのかも知れないが、ともかく──彼女はそれを提案したのだ。

 私は少しだけその返答に困ってしまったが、最後には彼女にはちゃんと伝わるほどの、浅く弱く頷いた。






























補遺.01 - サイト-8148の今後について: インシデント: サメ殴りセンターによるサイト-8148襲撃事件によってサイト-8148にもたらされた被害の修復は、コスト的観点からもあまりにも甚大であり、今後の財団運営上の利益とならないことが財団日本支部理事会の賛成多数により認められたため、サイト-8148は速やかに解体され欠番登録がなされました。サイト-8148に収容されていた各種オブジェクトは回収可能なものに限り全て近隣のサイトへと移送されました。

サイト-8148の職員は2名を除きほぼ全員が、サメ殴りセンターが襲撃時に使用した未知の着用型兵装による強力な殴殺行動により死亡しており、生存者である2名についてはその後サイト-8152へと移籍されています。

補遺.02 - 咬冴隊員の処遇について: 生存者の1人である咬冴舞波隊員は、今回のインシデントの直接的原因となった存在であり、再度同様の事態が引き起こされた場合の被害は、咬冴隊員を雇用し続けるメリットを遙かに上回るデメリットであると判断されました。咬冴隊員が再度所属した機動部隊での行動もこれまでと比較して成績が芳しくない傾向を示していること、█月██日に行われた定例忠誠度テストにおいて非常に低い数値であったことも鑑みて、財団が雇用し続けるメリットが薄いものであると判断され、先のデメリットも含めた判断の結果終了の提案がなされました。最終判断は現在財団日本支部理事会の回答待ちです。

補遺.03 - エージェント・斑座の処遇について: 生存者としては2人目であるエージェント・斑座は、事件以降財団の策定する作戦や計画において連続した失敗を繰り返しており、█月██日に行われた定例忠誠度テストにおいて非常に低い数値であったことも鑑みて、財団が雇用し続けるメリットが薄いものであると判断されました。そのため、今後のカウンセリング / インタビューの結果如何では解雇の提案がなされています。最終判断は現在財団人事部門の回答待ちです。



タグ予定:

tale jp エージェント・斑座 咬冴隊員

見て貰いたいところ:

  • 読んでて面白かったか、UVかDVか。
  • シナリオに矛盾するところはないか。
  • 誤字脱字衍字はないか。

また、後半のちょっと強引な展開(SPCによるサイトへの襲撃の理由付けとか)が今のところ思いつかず、悩んでいます。


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  1. portal:2577572 (14 Jul 2020 12:54)
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