Tale「ウチの居場所」
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 ウチが解雇されるのが決まったのは、つい今朝の話やった。


「……どういう、ことなんや」

「既に先ほど手渡した通知にてご説明した通りです。あなたは翌日付で解雇されることが決定しました」

 黒服の男性が、ウチの顔を冷徹な眼差しで見下し、感情さえも込めずに淡々とウチに告げる。
 なんで。なんでや。ウチは手に持った紙切れを眺める。自分でも声が震えとるのがよう分かった。

████/██/██付けで 咬冴舞波 (登録ID: 8148-491-302 )の雇用は終了し、財団職員としての資格を失い、解雇されることが決定されました。本決定事項への異議申し立ては認められません。

 これまた、現実味のない殺風景な紙面に書かれた事実を、ウチは何度も読み返した。
 ありえへん。ウチが何をやったっちゅうんや。なんでなんや。どうしてなんや。
 そんな疑問ばかりが頭にぐるぐると回っていて、冷静な判断すら下せんようになってた、と思う。

「……なぁ、説明してくれ。なんで、どうしてウチが解雇されなアカンのや」

「はい。そのご説明も兼ねて、本日私が直接お伺い致しております。咬冴隊員」

「説明……詳しい聞かせてくれや」

 男性はウチに説明する。変わらない表情で、冷たく、まるで無表情な仮面を被って話しているかのような人間味のない表情で、これからのウチの境遇を説明してくる。

「あなたは解雇された後、SCP-2999-JP-49として再収容されます。あなたは財団倫理委員会およびSCP-2999-JP調査委員会による調査の結果、財団職員としては不適格な身体形質……要するに、異常存在であるということが認められました」


「……は?」

 意味が分からんかった。
 コイツ、何を言うとるんや?

 ウチが異常存在やから? そんな理由で?

「当然、この説明だけでは理解できないでしょう。既に同様の反応は何度も見て参りました」

 男性がウチの様子を見て察したのか、ウチがそいつに反論するより先に、詳しい追加説明を投げつけてくる。

「あなたは財団の理念はご存じですよね。確保、収容、保護。その理念に基づくのならば、財団は異常な存在を確実に封じ込めなければなりません。それはいかに人型で、有能で、愛嬌があり、愛していた故郷を失った哀れなサメの少女であったとしてもです。そんな存在をうかうかと雇用していれば、いずれ大きな収容違反へ繋がる可能性さえある。そのようなリスクを冒してまで、異常存在を雇用し続けるメリットはない、そう財団は判断しました」

「……財団の理念はわかっとる。けど、それとウチが収容される理由が繋がらん。異常を持った人は財団には山ほど、ようけ職員として雇用されとるやん。そんて、あいつらが財団で働くことと、財団の理念とは両立するはずやん。現にそれで今まで上手くいってたやんか!」

 ウチは叫ぶ。

「……それに、それにや。ウチは今日まで、ホンマに今まで財団のために頑張って来たんや。最初の頃は大変やった。つらいことも悲しいこともあった。でも、ウチは故郷をなくして、独りぼっちでどうしようもなくなっても、財団はウチを受け入れてくれよった。それはホンマに嬉しかったんよ」

 ウチの頬に熱い雫が伝うのが分かる。

「"財団は冷酷やけど残酷やない"。そう何度も聞かされた。地上の人らとはウチらサミオマリエ人は全然違うし、下手に外でなんかしようモンなら今よりもっと酷いことになっとったかもしれん。そうならんかったのも、財団がおったお陰や思うとる。ここやと頑張れば頑張るだけみんな認めてくれよるし、故郷とは違う出会いもたくさんあった。全部、ウチにとっては嬉しいことづくめやったんや。せやから今日まで、それを壊したないから、ウチの居場所やから、財団のために必死になっとったのに。それやのに……」

 ウチは堪えきれず、ゆっくりと俯いた。

「……なぁ、ホンマに……ホンマに、それでも、それでもウチが人やないから、人から見て異常な奴やから、サミオマリエ人やから収容するって、そう言うんか……?」

「はい」

 男性は淡々と頷く。
 "財団は冷酷やけど残酷やない"──まさしく、それを体現するかのような態度やった。

「そういうわけですので、報告通りあなたは解雇され、明日には指定された手順で収容されます。なお、本報告後は不要な行動を引き起こされることを防止するため、常時監視状態に置かれますのでご了承を」

 気付けば武装した機動部隊員が、ウチの背後に2名立っとった。
 ああ、既にウチはいつものような扱いは受けられんようになっとるんやな……涙を腕で拭って、静かにそう思うた。

 男が、狭い会議室から立ち去る。残されたのはウチと、ウチをじっと監視し続ける武装職員2名、それだけやった。






 ウチは自室へ戻る。機動部隊さ-21からは既に除隊されてて、"隊員"の肩書きももはやなかったから。
 何もやることはないし、ウチはずっと自室に備えられたプールの底で沈みながら、水面下から大きな天窓越しに空を眺めとった。

 暖かい海水が、ハダカになったウチの身体を包み込む。地上を歩いているより、ウチはこうしとるほうが、ずっとずっとよかった。それやのに、ウチの気持ちは一向に晴れんかった。

「……なんでなんや」

 ウチは水中で呟く。両脇腹のエラから打ち出されたその悲しい声は、誰にも聞かれることなくすぐに波の音にかき消される。

 未だにウチは、あの報告を現実として受け入れられんかった。
 今日まで、ウチは財団のために必死になって働いたはずやった。

 もちろん、それだけやない。
 SPC……サメ殴りセンター。ウチの故郷を、友だちを、家族を、居場所をぶっ潰した、あの忌々しい奴らを殴り返してやるために、機動部隊さ-21への入隊を希望した。
 この"財団"という組織で頑張りを証明すれば、直接戦闘にも参加できるかもしれへん。そう思うたからや。

 でも、もう全部意味なかったんやな。
 ウチの頑張りは、なんの証明にもならんかったんや。

 サミオマリエ共和国の最後の生き残り。そんな希少な存在やから、財団も結局ウチを封じ込めることにしたんかな。
 ははは……ありえへんことやけど、当たり前と言われりゃ当たり前のことやったわ。




 日も沈んで、赤から藍色にかけてのグラデーションが、波の揺れに重なってウチの目に入ってくる。
 ああ、お腹すいたな。そういや、今日はウチ、なんも食っとらんかったわ。

 とりあえず、なんか食べよう。そう思ってウチはぱしゃりと音を立てて、プールから飛び出る。

「うぷあっ!?」

 すると、素っ頓狂な声が直後に聞こえてきよった。なんやなんや、かなりナーバスなウチの部屋に土足で勝手に上がり込む不届き者は。

「もう……咬冴! プールから出る時はもっと優しいやれって言うとるやろが!」

「えっ、あ……た、タケナギ……」

 幸い、どこぞの監視を任された不届き者やなく、ウチのことをよう気に掛けてくれとるタケナギが来ただけやったみたいや。
 ウチの立てた小波を被ってびしょ濡れになったタケナギは、ふつふつと怒りの表情をこっちに向けてきよる。

 ……これ、もしやヤバいんでは?

「お陰でウチの一張羅の白衣が台無しになったやんけぇ! どうしてくれるんや咬冴!!」
「う、うあっちょっ ま、待ってや、ウチは悪気があったわけやな……あだだだだ! 鼻は、鼻だけはやめてぇ!!」

 タケナギが怒った様子でウチの鼻を掴んで、グイグイと引っ張ってくる。
 ウチを叱る時は決まってこんなことをする。すんごく痛い。






「……なぁ、タケナギはあの件、聞いとる?」

 全裸のままじゃいつもタケナギに怒られる。せやからウチはいつもの水着を纏った。
 ただでさえ怒られた直後やから、ここは素直に従ったほうが無難やった。

「ああ、うん。聞いとるよ」

 さすがに話題が話題なだけに、話の進展がほとんどない。
 タケナギが持って来よった寿司を食いながら、ウチはちょっとずつ進む会話をかみしめるように続けた。

 もしかすれば、ウチとタケナギが話せるのは、これが最後になる気がして。

「まあ、うん。こんなんウチが言うんもアレや思うけど、咬冴な。アンタはよう頑張ったと思うよ」
「……うん」
「機動部隊さ-21での活躍かて、ウチはずっと見て来とったしな。隊のメンバーかて、咬冴の成長ぶりにはみんな期待しとったらしいわ」
「うん」
「このまえの作戦行動かて、咬冴の身体の能力あって初めて成功したことやしな……地上の人間には、生物から出とる微弱な電気信号なんざわからへんからな」
「うん……」

 タケナギは笑いながら言う。ウチはタケナギの顔を見れんかった。
 ウチは寿司を食う手を止めて、頷くことしか出来んままで。静かに俯く。

 タケナギ。ウチ、ウチは、

「せやからな、咬冴。財団は確かに残酷な判断をした。それは間違いないことや。けどな、財団の判断が全てやない。ウチはアンタが初めて財団に回収されて、収容されたあの日のことかて、まるで昨日のことのようによう覚えとるんや。大抵の職員はそんなん覚えとらんからな」

 ウチが泣きそうになってるのを見て、タケナギはウチの頭を撫でてきよる。

「ウチが何を言いたいか、分かるか? ……例え財団が異常持ちの職員を必死に収容しようと躍起になって、その結果悲しい結論に至ったとしても……ウチはアンタを忘れたりせえへんからな」

「た、たけなぎ……」

「もう、アホやなあ。そんな泣きそうになるくらいやったら、ウチにもっと素直に甘えたらええのに」

 そこからはウチもよう覚えとらんかった。多分、今までに無いくらいの大泣きをしたような気がする。
 ただ、ウチは朧気な記憶の中でハッキリ覚えとることがあった。

 タケナギの胸は、ウチの体温より遙かに温かかったってことを。
 ウチはそのことを、絶対に忘れたくなかった。






 翌日。ウチは指示通り、収容サイトの区画に自ら足を運ぶ。
 職員の指示通りに、ウチは纏っていた水着を脱ぎ取った。一切の衣類の着用は今後禁止されることを説明された後、機械によって身体を洗浄される。
 これは自動化されたコンベアに乗っているだけで事足りる作業やった。

「……タケナギは」

「嶽柳主任研究員は本日はいらしていません、咬冴隊員。別件でのオブジェクト収容と実験の担当になりましたので」

「……そうなんか」

 ウチのハダカを見ないようにしとるんやろう。目を背けたままの若い職員が、ウチに向かって説明してくれる。
 タケナギはああでも、やっぱ財団職員なんやなって。ウチを気に掛けてくれとる時はそんな感じせえへんのになあ。

 ……なんて考えていると、年の行った太った男性職員が、若い職員に叱責しとった。

「おい、███。オブジェクトに不要な情報を与えるな。それとそいつはもう咬冴隊員じゃあない。SCP-2999-JP-49だ」
「あ、すみません……」

 ああ。そっか。ウチはもう"咬冴舞波"やなかったんや。ウチは、2度も名前を捨てることになるんや。
 SCP-2999-JP-49──それが、ウチの新しい名前なんや。

 ……やっぱ、どんなに考えても、なんか現実感がないなあ。




 一通りの検査なども終えたところで、ウチは収容室へ入る。
 部屋の内装は、ウチが長らくおった自室とはほど遠く、ただ機能性だけを詰め込みました、みたいな殺風景極まりない感じやった。

 固そうなベッド、丸見えのトイレとシャワー、申し訳程度の海水プール、"餌"を出すだけの穴。
 ……ウチが最初に収容されとった時の収容室より、明らかに程度が低くなっとる気がした。

 でも、そんなんでも文句は言えん。なぜならウチはもはや職員やないから。
 異常な存在に、そんなことを主張する権利なんてなかったからや。






 収容から1週間くらいが過ぎた。と思う。
 収容室に時計とかはないし、勘でしかないけど。

 "餌穴"から整形されたペースト状の食料が流される。トレイに載せられたそれは、とてもウチが好みの味やなかった。
 けど、腹が減るのもまた事実で。せやからウチはそれを手に取って、食べる。

 1週間前、タケナギが持ってきてくれよった寿司の味が恋しい。
 もう、タケナギとも会われへんのかな。また、寿司、食いたいな。

 ……あの日のことは、ウチは絶対忘れたない。絶対に。

 なんてことを、流される飯を食う度、考えとる気がする。
 多分、ウチが考えとる以上につらいんかもな。






 収容から1ヶ月くらいかな。日付や曜日の感覚がわからん。

 収容室暮らしはいつも退屈で、暇で、それだけで苦痛やった。
 なんか本とかゲームとか、そういうのも申請したことはあるけど、ことごとく却下されたしなぁ。

 ウチはとりあえず狭い海水プールの中をぷかぷか浮かんでみてる。




 水面下から見えるんは、色のない天井のみ。
 あの日、ウチが見上げた空の美しさを思い出して、そのギャップに胸を痛めとった。

 もう二度と拝めん空の記憶が、ウチをさらに追い詰めとる気がする。

「……タケナギ……」

 1ヶ月。その期間はここまで暇やと、ホンマに苦痛でしかなかった。
 一体、タケナギはどうしとるんやろか。収容作業、大変やもんな。財団の業務はどこも激務やし。

 でも、きっと元気にしとるんやろう。いつかまた、顔を合わせられればええな。
 それだけが希望やわ。

 シヒヒ……タケナギの笑う顔を想像したら、ウチかて笑ろてまう。
 ……うん。まだ笑えるだけの余裕がある。大丈夫や、ウチかて元財団職員なんや。

 子供みたいに泣き言言うてられへん。






 ……。

 もう、どれくらい経ったか、ウチもようわからん。
 いつの間にか、ウチの身体も大きなっとる気がする。海水プールもちょいウチには狭いように感じるし、収容室も窮屈や。

 外の世界がどうなっとるのか、ウチにはようわからへん。
 収容室の外に、あれから一度も出たことはないし、職員との会話もドア越しでやるばっかりやし。




 ……タケナギ、どうしとるんやろか。さ-21もいろんな作戦に参加しとるんかな。
 一度も面会してくれへんかったけど、多分仕事、ずっと忙しいんやろな。
 みんな、元気なんかな。

 ウチは元気やで。ちょっとしんどいけど。
 いつかまた会えるときを、ウチはずっと楽しみにしとるからね。

「……」

 ウチは1枚の紙切れを手に取る。ウチが頑張って描いた絵や。
 タケナギと、機動部隊さ-21、そしてサイト-8148で関わったいろんな職員の姿を描いた絵。
 あまりにも暇でどうしようもなくて、なんとか申請が通ったのは、紙と鉛筆やったから。

 ウチはそれで絵を描いたんや。思えばこれが初めてのお絵かきやなぁ。

 あんま上手くはあらへんけど、タケナギらとまた会うことになったら、ウチはこれを渡したいな。

 いつになるんやろかな……。





















「はい。あなたは本日付でSCP-2999-JP-49の指定を解除され、収容状態ではなくなります」

 いつか見たあの冷徹な目をした男性が、ウチを見下しながら言う。
 ……なんで。なんでなんや。

「なんで、今になってなんや」

 ウチの疑問は尽きることはない。男性はウチに表情一つ変えず、続けて説明する。

「倫理委員会、SCP-2999-JP調査委員会、O5の共同声明に則り、SCP-2999-JP-49、C分類として登録されていたあなたは本来の業務および役職に復帰となりました」

「……これまで、通り……?」

 意味分からへん。なんでそんな声明があったんや。
 ウチは男性にさらに追い打ちを掛けるように問い詰めようとすると、その前に男性は続けて答えよった。

「はい。財団は異常性を有する職員の厳格な収容を施すより、その能力の有用性を鑑みて本来の職務での活躍を期待すべきとの判断に至ったためです。SCP-2999-JP-49……いえ、咬冴舞波隊員。あなたはこれまで通り機動部隊さ-21の隊員として、職務に復帰となります。長らく収容生活が続いたためすぐに業務を請け負わせられはしませんが、通常のリハビリテーション・プロトコルを受けた上で、また財団での仕事を頑張ってください」

「……」

「……どうされましたか、咬冴隊員?」

「……そんな都合のええ理由で、ウチは封じ込められたり追い出されたりしよったんか」

 ウチは我慢の限界やった。

「ウチはそんなために財団に尽くそう思ったんやない! ウチは、ウチはここが大事な居場所やったんや! 財団での仕事は大変やけど、それでもホンマに楽しいと思ったし、ウチは財団のことが好きやった! 信頼しとった! なのにお前らは、ウチのその気持ちを一切考えず、ウチが人じゃないってだけで封じ込めよったんやぞ!」

「落ち着いてください、咬冴隊員」

「うるさいわ、その名前でウチを呼ぶな! こんなことやったらウチはずっと収容されとったほうが良かった……サミオマリエ人やからって全頑張りを否定されて、それでもしゃーないと思って受け入れて収容されとったのに、今更になって"お前やっぱ使えるから再雇用な"とか、あまりにも都合が良すぎへんか?! よう考えてみいや、なぁ! なぁ……っ!」

 がむしゃらにウチは男に組み付こうとしたが、後ろに立っとった警備員に押さえつけられて、身動きが取られへんかった。
 ああ、長い長い収容生活の弊害や。昔やったらひょいっと抜け出せたんやけどな……。

「ウチが、ウチが信頼しとった組織が、こんなんとか……ホンマに、やめてや……っ ひぐっ、んぐ……うっ……」

 もう、何も考えとうなかった。
 収容室の扉の前で、ウチは床に突っ伏されたまま、情けなく泣きじゃくってばっかりやった。






 自室。あの日と同じ状態でそのままにされていた自室に、ウチは帰ってきた。
 埃をかぶった部屋の内装は変わらへんかったけど、ウチの身長が伸びたせいか、異様に部屋が小さ感じた。

 聞くところによれば、ウチは10年も収容されたまんまやったらしい。
 そらこんな身なりも大きなっとっておかしないわな。

 ひとまずウチは手に持っとった水着を着る。うっ、小さっ。っていうか、ウチがデカなったんか。まぁ、それでもギリ入るくらいやな。窮屈やけど、これしとかんとタケナギにまた怒られてまうし。


 ……せや、タケナギ。タケナギはどこや?
 収容してた頃、一度もウチに会いに来やんかったわけやし、多分まだ色々収容とか実験とかしとるんやろな。
 ウチはとりあえず、収容室で描いたあの絵を手に取って、自室を出る。






「ん、あれ? 咬冴ちゃん?」

 ウチが足早にサイト内を歩いとると、すれ違った女性に声を掛けられる。

「やっぱり! 久しぶりじゃない、咬冴ちゃん!」
「……えっと、もしかしてマダラザか?!」
「もしかして、って……私のこと忘れちゃわないでよ! 収容から開放されたって聞いて、ちょうど向かってた所だったんだから!」

 エージェントのマダラザは、ウチが10年前にようしてくれた職員の1人や。タケナギの親友らしくて、2人はよう話す仲やったのを覚えとる。

「あ、うん……それは悪かったわ。久しぶりやね、マダラザ」
「うんうん。もう随分大きくなっちゃって……水着だって苦しそう。脱いじゃっていいんじゃなーい?」
「え、あ、いや……それするとタケナギにまた怒られるかもしれへんし、海に入るときだけや!」

 相変わらずマダラザはウチのハダカを見たがっとる。そういうスケベなところはいつも通りで、どこかウチは安心感を覚えた。

 ……けど、同時にマダラザが一瞬暗い表情を浮かべたんを、ウチは見逃さんかった。

「それはそうと、タケナギはどこにおるん? ウチが帰ったから、せめて挨拶くらいはしたいんやけど。忙しいと思うし、手早くでええんやけどさー」
「え? ええ、そうね……タケナギは……」

 ……おかしい。マダラザの目が泳いどる。
 何かあったんやろか?

「マダラザ?」
「え、えっとその……なあに?」
「いやなあにやなくて、どうしたんや? タケナギになんかあったんか?」

 ウチはただ気になっただけや。
 それだけなんや。悪気はない。

 けど、ウチは戻ってきた。クソみたいな財団に振り回されつつも、ウチが信じるタケナギに会いたいという思いが、今のウチを突き動かしとるんや。
 マダラザ、正直に答えてくれ。

「タケナギは、どこにおるんや?」




「……」




 マダラザが、深刻な表情でウチを見とる。けどすぐに目をそらし、ウチの顔を見ずに言う。

「……来て、咬冴ちゃん。タケナギに、会わせてあげる」






 マダラザはウチをサイトの地下へと連れて行く。
 エレベーターの中で二人きり。ウチはその間、マダラザの表情を見る事はなかった。
 というか、見せてくれなかった。

「……ついたよ」

 マダラザの言葉と同時に、エレベーターのチャイムが鳴る。


 到着した頃には、ウチは、なんとなく嫌な予感がしとった。
 この先に行くべきかどうか、迷ったんや。

 だって、この階は、タケナギがいつもおったオフィスの階やなかったから。

「咬冴ちゃん」

 マダラザが言う。

「私は、あなたには隠し事をしないって決めてるの。嶽柳さんとの約束でね。それは、嶽柳さんがあなたを信頼してると同時に、私もあなたを信頼したいから。だから、どんなに残酷なことでも、あなたには隠さず言うつもり」

 マダラザはこちらを向かず、続けて言う。

「この扉を開けた先は、きっと咬冴ちゃんにとって酷くつらいものになると思う。引き返すなら今。もし今ここで引き返すって言うなら、私はあなたの意見を尊重する。引き留めたりしないよ。けど……もしあなたが事実を知りたいなら、それもまた私は止めない」

「……覚悟はできてる?」

 最後の一言を端に、マダラザはウチのほうへ向く。
 ウチの胸がざわつく。ホンマにこの先には、良くない物がある気がしてならんかった。

 でも、それでも……ウチは"引き返す"という選択は取りたくはなかった。


「……分かった。じゃあ、行こう」

 頷いたウチの手をとって、ゆっくりと開くエレベーターの扉を通り抜けた。






























「……」



 ウチは、ただ呆然としとった。
 言葉も出やんかった。

 考えたなかったことが、否応なしに突きつけられよった。
 そんなはずあらへん、せやけどっかそうなっとる気がする……そんな思考をなぞったかのように、ウチに、それは、その石碑は事実を突きつけて来よったんや。



嶽柳 千夏
(19██ - 20██)

世界の正常性維持に殉じた者に、永久の安らぎを捧げる。



「……なんでや、なんで、なんでこんなことになっとるんや」

「……」

「答えてやマダラザ、これはどういうことなんや、なぁ……なぁって、マダラザ!」

「……嶽柳さんは」

 マダラザの声が震えとる。
 ウチの後ろにおったから、顔は分からんけど、きっと……ウチと同じ顔をしとる気がする。

「嶽柳さんは、殺されたんです。他の職員に」




「……え」




 ウチは、言葉どころか、声すらも出やんかった。
 ……ころ、され、た……?

「咬冴ちゃんが収容されて、2週間くらいしてからのこと。……サイト-8148で些細ではあったけど、暴動が起きたのよ。異常性を持った職員は収容すべき、という人達が、騒いで……その時、死んでから異常性持ちだと分かる職員も何人も出てきて。そんな暴動を止めるために行動していた嶽柳さんは、嶽柳さんは……っ」

 ……そんな。
 そんなの、あんまりや。

 ウチの、ウチの大事な、大好きやったタケナギが。ずっと会える思うとったタケナギが。
 財団職員に、殺された……?




「……はは、あははは……」

 そっか。そうなんやな。
 もう、ウチは、ここに居場所はないんやな。

 ここが唯一の居場所や思うとった財団は、ウチを裏切りよった。
 ウチを待ってくれとると思うとったタケナギも、もうおらん。
 そして、それを殺したのも、財団職員。

 もう、何も信じられん。

 ウチは、ウチはもう……

「咬冴、ちゃ……」

「うるさい」

 話しかけてくんな、財団職員のくせに。
 結局、あんたかて、そうなんやろ。

「ウチは、もう、財団なんて信用せん。お前もや、マダラザ。……お前かて、結局はタケナギが死んだのをずっと見とったんやろ! お前かてタケナギの親友やったら、タケナギを助けることかてできたやろ! なんでせやのに死んどるんや!」

「違う、違うよ咬冴ちゃん!」

「何が違うんや! 財団職員がウチの一番の仲間を殺した、そんでそれを助けられんかったのはマダラザやろ! もう、もうウチには何も残っとらん、故郷も、家族も、友だちも、信頼してた相手も、組織も……ウチは、もう何もない、空っぽや……っ!」

「落ち着いて、咬冴ちゃん……」

「どうせ、どうせこんなんやったらずっとあそこに収容されとったほうが良かった……あそこで一生を終えられたらどれだけ幸せやったか! なぁマダラザ、いっそ殺してや、こんななんもないウチなんか、生きとる価値なんかないわ。お願いや、ウチを殺」


 唐突に感じる温かみに、ウチは呆気をとられた。
 それはどこか懐かしいて、そんでもって、すごく、悲しかった。

 なんや、なんやねん、マダラザ。なんでウチをそんな……。

「……さっきも私は言ったよね。私はあなたを信頼したい。だから、あなたには嘘偽り無く真実を伝えた。これは、他でもない嶽柳さんとの約束なのよ」

「……」

「あなたは確かにもう、何もないかもしれない。けど、あなたが気付いてないだけで、まだ残ってるものだってあるのよ。それを、忘れないで。……咬冴ちゃん、あなたは、本当によく頑張った。だから、今は、今だけは……」



 ウチは、マダラザの胸の中で、声にならない声を上げて号泣するしかなかった。
 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
 ウチはそんな謝罪の言葉をがむしゃらに叫んで、嫌というほどに泣きじゃくった。
 ホンマに、それしか出来んかったんや。



 手に持っとった絵が落ちる。

 それはちょうど、タケナギの眠る礎の傍らにひらりと舞い落ちた。






























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