クレジット
タイトル: 変わりゆく正しき礎の中で -Ⅰ-
著者: ©︎SOYA_one does not match any existing user name
作成年: 2020
使用している画像のソース: pixabay-01、pixabay-02
※どちらも2019年12月以前の投稿であり、CC0です。
変わりゆく正しき礎の中で
- Ⅰ -
偽りの身分、
偽りの令状、
偽りの捜査。
財団から渡された仮面を被って、私達はこの日も任務に臨んでいた。

その日は一段と薄暗い曇りの日で、それでいて山奥の邸宅が目標となる現場だったこともあり、私たちを乗せた1台のバンは視界の悪い山道を延々と登っていった。
険しい道のりに右へ左へ不規則に揺れる車内。私を含めた4名が乗るバンの中で、私は彼らを安全に目的地へ送り届けるためにハンドルを握っていた。
午前5時15分、2月の早朝はまだまだ寒さが弱まることを知らず、暖房の効いた車内でさえ容易く私達の肌に冷気が染み入ってくる。
「斑座さん、まだつかないんすか?」
すぐ後ろから、茉島が寒さで少し震えた声で私に聞いてくる。そしてそれに追従するように、ほかの部下達も続けて会話をし始める。
「もうすぐですよ、この任務の現場は8148からかなり離れていますから、えーっと……あと10分くらいかな」
「10分、あと10分かぁ……つっても、かれこれ40分も車に乗りっぱなしで、退屈っすよー。朝早くから駆り出されて仕事なんて。財団もブラックっすよね? ホント」
「茉島、これから仕事だ、気合いを入れろ。それに真面目に財団に忠誠を示さないと、この先キャリアがないぞ?」
「穂浪先輩ってばマジで堅苦しいっすよね。こんくらい不満垂れても、ちゃんと仕事できりゃ大丈夫っすよ。ねぇ、的場ちゃん?」
「ちゃん付けで呼ばないでよ。それに茉島、言うほど真面目じゃないじゃん」
「全く、少しは静かに出来ないのか。斑座君もチームリーダーならばガツンと言えばどうだ? こんなので統率が取れるとは思えんぞ」
「あははは……まあ、ゆっくり話せるときってこの時くらいしかないし、良いんじゃないですかね」
任務中の私のチームは、いつだってこうだ。
基本、私達のチームはおしゃべり好きが多い。実際に現場に着けば全員指示通りに仕事をこなす財団の有能なエージェント達だが、それ以外の瞬間はいつだってラフな態度で接し合っている。
私はその空気感が好きだったし、それでさして問題が起きたこともないので、特に咎めたりなどはしない。
「さっすが斑座さん。チームのこと、よく分かってるっすね! そうそう、あんまりクソ真面目でも疲れるだけっすからね。ねー穂浪先輩?」
チーム最年少のエージェント・茉島マジマは、このチームのムードメーカー的存在だ。おちゃらけた態度で一件不真面目そうだが、チーム内で誰よりも努力家なのは私もよく知っている。
「穂浪さん困ってるから、いい加減黙った方が良いよ? 勤務態度が悪いって、茉島はこの前減給されたばっかりだし」
その隣に座って財団支給のノートPCと顔を合わせている女性、エージェント・的場マトバは、人並み以上にずば抜けた情報処理能力を持つチームのテクニカルメンバー。実はチームで最もアノマリーに関する情報や知識が詳しい。
「的場の言うとおりだ。君は特に態度に問題があるとしか思えん」
格式張った態度の険しい表情が印象的な中年男性の彼は、エージェント・穂浪ホナミ。チーム最年長で、財団の様々な部門に所属していた経験豊かな人だ。実質的な副リーダーとも言えるかも知れない。
そんな賑やかな会話が続く、任務開始までの和気藹々とした空気が、私はただただ好きだった。
「そういやっすけど」
少し静かになったところで、すかさず茉島が口を開く。彼の辞書に「沈黙」という2文字は存在しないとでも言いたげなほど、彼は話すのが好きだからだ。
「この前、妙な噂を耳にしたんすよね」
「もうすぐでつくんだから、ちょっとは静かに出来ないの?」
「いやー、だってちょっと気になってたことなんすもん。ね、的場ちゃん、良いでしょ?」
「はぁ、それで、なに?」
相変わらずモニタと睨めっこを続けているのであろう的場は、茉島からの間髪入れないトークに片手間な態度で相づちを打っている。
きっと穂浪はこの様子に目を瞑り眉間に皺を寄せているんだろうな、そんな事を考えると少し微笑ましくなり、私は自然と口角が上がるのを僅かながら感じていた。
「この前、俺の同僚の高崎が、財団を辞職するって決起したせいで解雇されたじゃないっすか。そん時に聞いたんすけど、"蛇の手"って、なんなんすかね? 高崎はそこに行くって言ってたんすけど、財団を離れるって実際ヤバイじゃないっすか。よく分かんないすけど、何かの要注意団体なんすかね?」
この時ばかりは、さすがに車内の空気も一変したのを、私は感じていた。その流れで聞くべき質問ではないことは明白だったが、彼はまだその理由も意図も理解していなかったのだろうか。
すかさず、穂浪が口を開く。
「茉島、好奇心から来る不用意な質問は本当に身を滅ぼすぞ。今の質問は聞かなかったことにしてやるから、少し口を閉じてろ」
「うえぇ? わ、分かったっすよ。高崎、イイヤツだっただけに、あいつが惹かれたそれが何か気になっただけっすよ……」
「茉島のそういうところが命取りになるって事じゃないの?」
「そうですよ。財団職員たるもの、"最低限の知るべき情報以外は目を瞑れ"って考えは基本覚えておいた方がいいですからねー」
私も2人の意見に賛同するように、視界から目を離さずに茉島をたしなめる。
まあ、要注意団体の情報程度であれば、大抵の職員、それこそレベル1や2でも知っている場合も多い。だが、彼の文脈や性格から考えれば、確かに良からぬことが起きてもおかしくない。
多少脅かす程度で留めておくのも、先輩達の”はからい”とも言えよう。
"蛇の手"……「開示フリーク」とも財団では揶揄される、要注意団体の1つ。ほとんどが異常な人間達で構成されているとされる、財団の理念に真っ向から反発する敵対組織。
名前には聞いたことがあったが、既に財団職員にもそれを目指す者が現れるとは。異常なものを光の下に生きる人々から遠ざける、そんな理念の真逆に位置する組織に流れることなど、上層部が許すはずがない。
確保、収容、保護——その標語のもとに、私達は影の世界で日々異常存在と戦い続けているのだから。
やがて、バンは1件のとある豪邸の前に到着する。
私たちエージェントのメンバーは、先ほどまでの和気藹々とした様子とは打って変わり、手際よく降車しては言葉を交わす事なく淡々と準備を済ませる。
私は準備の出来た3名を確認して、邸宅の門戸を強く叩き、中に住まう者を呼び出す。
待つことおよそ2分。門戸が開かれると、中から1人の初老の男性が出てくる。
「何かありましたでしょうか」
男性はおおよそこの邸宅の主人に仕える執事とでも言うべきところか。紺色のタキシードを纏い、銀縁の眼鏡を掛けた濃い髭の男性は、静かに丁寧な物言いで、私達の前に立ちはだかっていた。
「我々は公安の者です。我々はあなた方が違法な物品を所持してるとの通報を受けました。午前6時20分、これより家宅捜索を実施します。よろしいですね?」
私は毅然とした態度で、男性に向かい鋭い眼光を向けて対峙した。
「おや、それは困りますね。捜査令状などは得ておりますか?」
「これが令状だ」
私の横に立っていた穂浪さんが、懐に備えていた令状を取り出す。今回の任務のためにこしらえた、偽りのものだ。
「なるほど……分かりました。旦那様をお呼びいたしますので、今しばらくお待ちいただけますか」
「そのような猶予は与えられません」
「仕方がありませんね、私は何も致しません」
「それを判断するのは我々ですよ。茉島くん、お願いします」
「はいっす」
私達は男性の制止を押さえつけ、屋敷の中に足を踏み入れていく。そして私は茉島に指示を出すと、男性の後ろにすぐに回り込み背後を取って、彼は得意げな顔で彼に手錠を掛けた。チームの中でも際立って身体能力の高い彼は、こういった指示を出すのに最適な人員だ。
「とりあえず、何もせずおとなしくしてるっすよー」
「強引ですね」
「捜査のためですから」
私は男性の対応を担っていたこともあり、遅れて屋敷へと侵入する。中に入ったところで、既にもぬけの殻だった屋敷。おそらく、ここにいたのはこの執事の男性だけだろうか。
それを知るためにも、私達はここを徹底的に洗わなければならない。
「的場、確かにこの場所で間違いないんだな?」
「これまでの収集データから推察するに、対象の現在位置はこの邸宅内で間違いないと思います、穂浪。それに何十分も掛けてここまで来て、何もありませんでしたでは徒労も良いとこですよ」
「それもそうだが……あの男が生き物を飼い慣らすにしては、どこにもそれらしい設備が見当たらないからな」
先に部屋の奥へ入っていった2人の部下が会話しているのを横目に、私は遅れて部屋の物色を続ける。
さらに遅れて茉島が戻ってくる。全員が揃ったところで、私達はひとまず手分けして邸宅内を探索する手筈となっていた。
そう、この家に押し入った目当てはあの男でも、ましてやここに転がる気味の悪い家具や装飾品の類いではない。
正確には、あの男がある異常物品を取引する会社から購入した動物が目当てだった。
上からの情報として聞いているのは、小さなカワウソであるということのみ。それ以外には詳しいことは開示されなかったし、別段今の私が知る必要のない情報だと考え深掘りはしていない。
カワウソということは、飼育のためにおそらく檻か何かに入れられているのだろう。腐っても金持ちであることを考慮すれば、生態に配慮した設備で飼育しているという線もあるだろうが、常に最悪の事態を想定して行動するのが財団フィールドエージェントの鉄則だ。
捜査とは名ばかりのオブジェクト回収の過程を記録するためにカメラで部屋を撮影している的場の前を、くれぐれも自らが被写体にならないように配慮しつつ、私は部屋の奥へと進んでいく。
見かけ以上に広々とした部屋が多い邸宅内を調べているうち、私は書斎のように見える本棚が置かれた部屋にたどり着いた。
他の部屋と比べればいくらかマシな方の装飾だが、それでもまだあの男の趣味の残滓が垣間見える、無人の書斎。
私は敷かれた絨毯やデスク、棚や観葉植物などを丁寧にどかし、隅から隅まで部屋の中の怪しげな部分を虱潰しにしていく。
一通り書斎の中を徹底的に調べ回ったものの、有効な手がかりは見当たらない。
そしてついに、残るは書斎の最奥に見える巨大な本棚だけになった。
壁一面に備え付けられた、ひときわ大きく、高く設置された本棚の前に立っていた。
一番上の本はどうやって取るのかさえ分からないような、人が使うには不便極まらなさそうな本棚。
大抵のミステリーものであれば、こういうところに秘密の扉を設けたりするものだが、現実にそんな事をする奴はいないだろう、なんてどうでも良いことを頭の片隅に浮かべつつ、念のため本棚を調べていく。
私は置かれていた本を無造作に引っ張り出しては床へと落としていく。
よく見れば動物の学術書や獣医学書、野生動物の写真集などが多数確認できたが、それ自体は特に目立って有益な情報とは思えず、適当に無視して次へ次へと本の角に指を掛け続けた。
「……皆さん、こちらに来てください。見つけましたよ、入り口」
大方手の届く範囲の本を全て床へと放置させたところ。私は部下を呼び寄せ、本棚の奥を指差して言う。
奥には金属のパネルが見える。恐る恐るそのパネルを開けば、暗証番号を入力するための電卓のようなパネルが顔を出す。
「うん? これってなんすかね?」
「見れば分かるだろう。パネルだ。こんな所にそんなものがあるっていうことは、ビンゴか」
「ええ、おそらくは」
呆れた様子で穂浪は茉島を諭している前で、私はパネルに目を向けていた。
間違いない、この本棚に何かがある。私はそう確信していたし、きっと部下もそこについては疑いはないはずだ。
まさか私が密かに想像していた冗談が実際に見つかったことと、あの成金男が私の想像通りの事をしていたこと、2つの事実が同時に重なったことに、私は少し鼻で笑ってしまった。
「ふーん。こんくらいなら私が解錠できそうね」
後ろの方から、ノートPCを片手に的場が得意げに言う。この手の仕事は彼女の得意分野なのは間違いなく、私もちょうど彼女に解錠を頼もうとしていたところだった。
「ええ、言うまでもないですが、的場、お願いします。……パス解析が終わり解錠ができ次第、私が先導して調査します。皆さんは後からついてきてください」
私は2人の部下にそう告げ、的場の手際の良い準備を静かに眺めていた。
「なんとも単純な造りのロックですね。ものの数分でこのとおりですよ」
解錠は呆気のないほどに終わった。的場がやはり得意げに私に報告してくる。
巨大な本棚は、彼女がパネルから解析用のケーブルを引き抜いた直後、ほとんど音を立てずに横へとスライドしていった。
重々しい木製の本棚が、襖や障子のようにスライドしていく様と、そこから顔を出す重厚な金属製の扉は、あの男が他人に見せることを何よりも拒んでいるのであろう代物が、この先に待ち受けていることを物語っているかのようだった。
私は先の指示通り、先導して扉に手を掛ける。念のため腰に装備していた財団制式採用のUSPを引き抜き、ノブを押して進んでいった。それに追従して部下たちもそれぞれに銃を引き抜き、私の背後を警戒した。

「うっ……すっごいにおいがするっすね……おえっぷ」
「この程度で堪えていては先が思いやられるな」
「でも、実際相当臭いですよ、穂浪さん……一体この先に何が待ってるっていうの」
上階とは打って変わり、湿度の高いカビ臭い階段が続く地下。部下達は思い思いに現在の状況を実況している。奥へ奥へと進んでいくと、さらにその青臭さは強さを増し、ついには何かしらの腐臭すら混じるようになってくる。私たちは袖で口元を押さえつつ、警戒を怠ることなく下へ下へと降りていく。
やがて階段を全て降りきったところで、いくつかの部屋に分かれている場所にたどり着いた。3部屋ほどの鉄の扉を目視で確認した私は、それぞれ部下と手分けして部屋の探索を行うことにした。
「ここからはそれぞれ手分けして探索します。私は中央、的場は右、穂浪と茉島は左の扉を見てください」
「了解」
私が入った中央の扉。鍵などは掛かっておらず、簡単に開けることができた。
そのまま、私は罠などを警戒しつつ部屋に恐る恐る足を踏み入れる。湿度が高くカビ臭い。死臭もこの部屋から発しているのかと思うほどに酷い。部屋そのものは広く大きいが、何やら大がかりな機械がいくつも置かれているためか全体よりはスペースはない。
部屋の奥へ進む私は、その道中でいくつかの手術台のようなものを発見した。
そしてそこには様々な動物たちが縛り付けられ、嗜虐の限りを尽くされた状態で息絶えていた。
ある手術台には、四肢をもがれ、腹を捌かれ内容物が作業台に置かれたイヌがいた。
ある手術台には、何度も腹部を叩き潰され、肛門や性器から内臓や胎児の残骸らしきものを溢す妊娠したサルがいた。
ある手術台には、頭を固定された上で脳天を開放させられ、脳髄がぐちゃぐちゃにかき乱されたネコがいた。
ある手術台には、白い汚れが多数付着しており、そこに下半身が真っ二つに裂かれた状態で縛り付けられたアライグマがいた。
あまりの事に、この手の任務に慣れているはずの私だったが、思わず小さな悲鳴を上げてしまう。
「……惨い……」
その一言を放り出すのが、今の私の精一杯だった。
私は胃の中のものを全て吐き出したい衝動を必死に抑え、彼らの残骸に目を合わせないように奥へ進む。
目に涙が浮かぶ。私の大好きな動物たちがこんな惨たらしい姿を見せている現実から、何とかして逃れようと足掻く。
もしかすると、確保すべき対象も、この様子であれば無事では済んでいない可能性も否定はできなかった。
きゅう、きゅう、きゅう。
鳴き声が聞こえる。
それは動物の鳴き声。この鳴き方は知っている。カワウソだ。
きゅう、きゅう、きゅう。
私はその声の聞こえる方向へと、駆け足で進んでいく。
いくつもの動物の残骸に向き合い、声の主を駆けずり回った。
冷静な判断ができている自信はない。部下を呼び寄せる余裕すらその時は持ち合わせていなかった。
きゅう、きゅう、きゅう。
一縷の希望に追いすがるように、私は部屋の奥へ奥へと足を進めていく。
頼む。生きていてほしい。無残な姿でうち捨てられるように放置されているなんてことはまっぴらごめんだ。
声がどんどん大きく聞こえ、近づいていることが分かる。あと少しだ。
きゅう、きゅう、きゅう。
やがて私は、最後の手術台が設置されている、部屋の一番奥の角へと到達する。
この手術台は薄汚れてはいるが、他のそれらと比べて血濡れているわけではなかった。
ただ、そこにも動物は縛り付けられていたのは変わらなかった。幸いにもそれは生きていたが。
台から伸びるアーム型の照明器具が、それを明々と照らしていた。
きゅう、きゅう、きゅう。
見つけた。確保すべき対象を。
生きていた。愛すべき動物が。
それは間違いなく、上から報告を受けた確保しなければならない存在であることは一目瞭然だった。
なぜなら、そのカワウソは辛うじて自由の利く前足を必死に使い、何度も何度も手術台の合皮シートを繰り返し削っていたからだ。
「たすけて」と。
手術台の上で身体を縛られ、うつ伏せで仰向けにされたカワウソが、口や股間部からあふれ出た唾液や体液にまみれながら苦しそうな呼吸を上げていた。
一定間隔で響く、間の抜けたカワウソの呼吸音が無骨なコンクリートの部屋に木霊する。
そのカワウソは毛並みはボロボロにかき乱され、一部は円形に刈り取られていた。近づいて観察するといくつもの注射痕が見て取れる。
うつろな目が私を見ている。その目は間違いなく、助けを求める追い詰められた者の眼だった。
注射痕に気がついた私は、手術台の側に置かれていた作業台に目をやった。
いくつもの使用済みのシリンジが無造作に転がっており、床にこぼれ落ちたいくつかのそれは破損して散り散りになっている。
きっとこのカワウソは、あの男に酷く苦しめられたであろうことは、火を見るより明らかな事実だった。
「今……今助けるから、待ってて!」
回収すべきオブジェクトに掛ける言葉ではないことは分かっていた。財団職員らしからぬ行動なのは理解していた。
それでもなお、私はこの子を救いたいと思った。
私はキツくこの子を縛り付けているベルトを腰から取り出したナイフで切り落とす。
これでこの子を縛るものはなくなった。
そう思った矢先、カワウソは飛び上がるように手術台から走り去って、部屋の隅へと逃げる。
明らかに怯えた様子だった。
――しまった。おそらくナイフを手にしたことで怖がらせてしまったかも知れない。
「……大丈夫、大丈夫だから。私は、キミの味方で、助けに来たのよ。だから……そんなに怖がらないで……ね、大丈夫だから」
私はそのカワウソが冷静な状態ではないことは理解していた。だからこそ、私はなるべく刺激しないように、地面にしゃがみ込んでその子を呼んだ。
怯えた目で見るカワウソと対峙すること2分。
その子は、ゆっくり、ゆっくりと私のもとへと近づいていく。
警戒されていることは承知の上。急に捕まえたりはせず、触れられる距離までじっと堪えて待つ。
「……よし、もう大丈夫。こわかったね」
あれだけ酷く怯えていた小さなカワウソは、しゃがむ私の足下に身体を寄せるまでには信用してくれたようで。
私はゆっくりとその子を抱き寄せた。
「……各メンバーに告ぐ。対象の確保に成功。これより合流ポイントへ戻ります。繰り返す、対象の確保に成功」
「今回の任務、ご苦労だった、斑座。目標を生きたまま確保できたことには、上からもお褒めの言葉を頂いてるよ」
「ありがとうございます、部長。チームメンバーの連携がスムーズだったからこそです」
「ああ、それももちろんだ。君のチームは特に好成績だからな」
サイト-8148、未発見アノマリー調査室。
いつもの私の職場で、部長が私に賛辞の言葉を投げかける。
「それで、あの男、██は酷い動物性愛者だってことが調べで分かった。あの動物の死体もそういう趣味のもとでああしてたらしい」
「……想像すらしたくないですね……」
ただその一言の報告ですら、むせ返るような感情が胃のざわめきとなって表れる。
「それに以前からMC&Dときな臭い取引を繰り返していたようでな。先日の顧客データの接収を期に、今回の突入とオブジェクトの回収、██の身柄拘束を含めた作戦が敢行されたわけだが……滞りなく成功して本当に良かったよ。今晩は祝杯だな」
「ありがとうございます、部長。……しかし、お言葉なのですが」
「ん? ……ああ、そうか。そうだったな。あの邸宅の地下の惨状、お前なら気にするだろうからな。悪いな」
「いえ、そういうつもりでは……何がともあれ、目標物の回収が成功したことは素直に喜ぶべきですね」
思い出しただけでも吐き気を催すような出来事だった、あの任務での一件。
しばらく私は食べものが喉を通らないことは必至だろう。部長はそんな私を気遣い、頭を掻いて目をそらしている。
「……ああ、そうそう。あのカワウソだがな。人と同等の知能を有していることが、その後の調査で分かったそうだ」
「そうなんですか」
「なもんで、立派なSCPオブジェクトに認定されるだろうな、とのことだ。……とはいえ、あの感じだと他にも類似するオブジェクトも多いし、軽くてAnomalous行きかもしれんが」
部長は逸らしていた目をこちらへ戻し、いつものように澄ました顔で結果を報告してくる。
私はひとまず安心していた。SCPオブジェクトとして認定されれば収容室内では安全に暮らせるし、Anomalous行きでもひとまずサイト外に出されることもないからだ。
あの地獄のような場所で苦しむ結果になるよりかは、財団の管理下にいたほうがマシだろう。
あんな可愛らしい子が、ひたすら酷い目に遭う未来なんて、私は見たくない。
「……あ、そうそう。もう一つ報告があるんだが」
「? ……なんでしょう?」
「多分これはお前にとっては嬉しい話かもな」
私にとって嬉しい話……? どんな報告だろうか。
「あのカワウソの件、サイト管理官の██さんから、是非君に飼育を頼みたい、と連絡が来ていたよ」
「……えっ! ほ、本当ですか!?」
「ああ。もちろんエージェントの任務もあるから隔週の交代制で担当になるがね。どうだい? お前には悪くない話だろう?」
「あ、ありがとうございますっ! ぜ、是非私にそのお仕事を任せてくださいっ!」
「はは、乗り気なようで良かったよ。ちゃんと██さんには礼を言っておくんだぞ? お前の働きぶりを見て計らってくれたらしいからな」
「はいっ!」
その日一日、私は喜びに舞っていたのを覚えている。
あの子はきっととても傷ついているだろうけれど、それでも生きていてくれたことが何より嬉しくて。
だからこそ、私は精一杯、責任を持ってあの子を飼育してあげないといけないと、確かな決意を胸に抱いた。
ここは どこ
なんで ここにとじこめられてるの
あのどうぶつたちみたいにころされる?
そんなの いやだ
あんなのになりたくない
もどりたくない
しぬのは いやだ
こわい こわい こわい
たすけて たすけて たすけて
あのひと どこにいるの
あの たすけてくれたひと
どこにいるの
おねがい ころさないで
ちゅうしゃは やめて
からだがあつくなるのは もういやだ
しぬのは もっといやだ
おねがい
たすけて
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フィーチャー
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特定の事前知識を求めない下書きが該当します。
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JPではないカノンや連作に所属しているか、JPではない特定記事の続編の下書きが該当します。
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ジャンル
アクションSFオカルト/都市伝説感動系ギャグ/コミカルシリアスシュールダーク人間ドラマ/恋愛ホラー/サスペンスメタフィクション歴史任意
任意A任意B任意C- portal:2577572 (14 Jul 2020 12:54)
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