鉄の処女の蓋が無慈悲に閉じられる。
(がっ!?)
無数の針が彼の胸を、肩を、腕を、足を貫く。想像を遥かに超えた激痛は灼熱にも似ていた。針を中心にぎゅううと筋肉が収縮し、実際の何倍もの太さに錯覚させる。
殺してくれと叫ぶが、その願いは叶わない。逆ハリネズミ状態にも関わらず、血は一滴も流れない。気付くのはまだ先だろうが、飢えとも渇きとも無縁だし、加齢すらしない。たとえ、このまま何百年過ごそうとも。
「楽になりたいか?」
*
どこからともなく、カチコチという音が聞こえ始める。
(ぐっ!?)
体内で歯車やシャフトが回転する異物感に、彼は吐き気を覚える。異常なウイルスに狂わされた彼の細胞は、血肉の代わりに金属を合成し、全身を機械に置き換えていく。いずれ彼は、病むことなき金属の体になるだろう。
とは言え、神経はまだ正常に働いている。当然ながら痛い。のたうち回る程に。ネジが皮膚を突き破り、眼球がバネに押されてビヨンと飛び出す。上げた悲鳴には奇妙なノイズが混じっている──肺が既にスピーカーに置き換わっているのか。
「楽になりたいか?」
*
手術台に拘束された彼の胸に、人面蛇身の像が置かれる。
(うっ!?)
凄まじい不快感が全身に広がる。皮膚の下を無数の虫が這い回っているかのような。絶叫しながら身をよじるが、像は吸い付いたように離れない。たとえ体が自由だったとしても、結果は同じだろう。
医師らしき人々が、彼の全身にチューブを突き刺し、血液を抜き取っていく。のみならず、麻酔も無しに体にメスを入れ、内臓を摘出し始める。やめてくれと吐血しながら懇願するが、心配無用、傷はあっという間にふさがってしまう。自分は便利な培養器にされたのだと、戦慄と共に悟る。
「楽になりたいか?」
*
(どうして)
こんな目に遭っているのだろう、何も思い出せない。ただ一つだけある確信は──。
「楽になりたいか? ならば──」
この誘惑に屈すれば、地獄から解放される。
「──財団の秘密を教えろ」
*
「秘密とは具体的にどのような?」
エージェント・蒼井あおいの穏やかな声は、しかし凍てつく殺気をはらんでいた。
それに気付いているのかいないのか、八家やか尋問官は平然と答える。
「内容までは設定されていません。それを教えると口走ったら失格という、単なるNGワードですよ」
サイトの尋問室にはCTスキャナを思わせる装置が鎮座している。そこに横たえられているエージェント・戸神とがみは、蒼井の初めての教え子だ。穏やかに眠っているように見える──現実の肉体は。
付属のモニターの中では、無間で絶叫し続けている。
(戸神──)
国立大学を首席で卒業、合気道の有段者でもある。とは言え、財団ならその程度の人材はゴロゴロしている。蒼井が驚かされたのは、華々しい経歴からは想像も付かないその謙虚さだった。未だ何色にも染まっていない、最高級のカンバスのような。
蒼井は育てる喜びに目覚めた。指導教官なんて柄じゃない、そう思い込んでいたのが嘘のように。甘やかさず、しかし無茶もさせず。自分のコピーにするのではなく、何が弟子にとって最適解なのかを常に考え。訓練施設でのみならず、時には共に死地を潜りながら教え続けた。
あくまで、仕方なく面倒を見てやっているという体裁で。
『す、すごい! 先輩、一生ついていきます!』
『馬鹿言え、さっさと一人前になって独立しろ』
『冷たっ!?』
つい先日、人事部から本採用の許可が出た。尋問課の対強化尋問テストに合格すれば、という条件付きで。
強化尋問──要するに拷問だ。まさか、実際に試すのか? 返答次第では対決も辞さない覚悟でいた蒼井に、八家は苦笑しながら説明した。尋問課が誇る記憶入出力装置を用いたVRの強化尋問に、一定時間耐えるだけでいいのだと。Dクラス職員から抽出した記憶がベースになっているが、被験者にとっては現実そのものだという。
『テストの記憶は終了時に消去されます。トラウマの心配はありませんよ』
そう言われては反論しようがなかった。自分たちは財団エージェントなのだから。
装置の機能を知っているとテストに支障が出るため、戸神には認知抵抗値の測定だと説明した。これは裏切りだろうかと自問しながら。
「絶対に──言うもんか」
モニターから響く絶叫が、静かな宣誓に変わる。
「僕は財団エージェントだ──蒼井先輩の弟子だ!」
八家が面白そうに眉を上げる。
「変われば変わるものですね。"人狼"蒼井が今や、生徒にしたわれる先生とは」
蒼井の全身を漆黒の殺気が覆う。まさしく人狼の毛皮のように──しかし、殺気はため息と共に霧散する。
「失礼、お褒めしたつもりなのですが」
「そりゃどーも」
結局、戸神は"財団の秘密"を隠し通した。
*
帰路、夕日の差し込む車内にて。
「どうだ、たまにはおごってやろうか」
罪悪感のせいだろうか、似合わないことを言ってしまったのは。案の定、戸神は目を丸くしている。
「どうしたんですか、先輩? 今日は優しいですね」
「ふん、俺はいつだって優し──」
不意に脳裏を過ぎる、記憶と痛み。こんなやり取りを、以前にも誰かと交わした覚えが──。
(──そうだ、教官とだ)
『あー、たまには奢ってやろうか』
『いきなり何ですか、教官? 気持ち悪いですね』
『き、気持ち悪いって、お前なぁ』
(俺も受けさせられたのか、あのテスト)
思わず苦笑する。財団エージェント師弟は、同じやり取りを代々繰り返しているのだろうか。しょうもない連中だ。
「で、どんな店がいいんだ?」
「そうですねえ、美味しい白ワインが飲めるお店だと嬉しいかなぁ」
「けっ、日本人なら日本酒飲めや」
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