蛇と焚書のカルテット: 第九頁 - 青空と後悔

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ラムダは挫折を味わっていた。

「こ、こんなはずじゃ──」

任務が万事順調に進むことなど稀だ。いくら周到に計画を練っても、トラブルの虫はどこからともなく湧いてくる。その度に彼女は液体金属の体で跳ね返し、潜り抜け、切り裂いてきたのだ。だが、スタート早々につまずいて──いや、盛大に転倒してしまったのは、生まれて初めてだった。

教室の机で一人頭を抱えるラムダを、同級生たちはどうしたものかという顔で見つめている。遠巻きにして。

話は数日前にさかのぼる。

円 凛音まどか りんねです、よろしくお願いしマッスル~!」

アニメ〈マッチョ売りの少女ユウナ〉の真似をして力こぶを作る転校生を、同級生たちは唖然と見つめている。

当然ながら、転校一日目から孤立することになった。

(何でよ!? 女子高生に大人気だって聞いてたのに!)

港の見える丘公園や外人墓地に程近い高級住宅街に立つ、私立フェリックス女子学園。高い格式とアットホームな雰囲気を併せ持つ、横浜でも有数のお嬢様学校である。敷地内に建つ教会堂から鐘の音が響き、バラの花壇を少女たちが行き交う様は、まさに天使たちの学び舎といった風情だ。

この学校にヅェネラルが目を付けたのは、生徒の家族にかなりの人数の焚書者がいることが判明したからだ。偶然にしては多すぎる。彼はGOCが子弟を保護し、同時に未来の人材を確保するためのフロント組織だと考えた。かくて、配下で唯一女子高生に成り済ませるラムダに、潜入任務が下された。

入学には学力のみならず、ある種の家柄も必要な学校である。通常の手段では潜入は困難だろう。しかし、そこはあらゆる異常な人材を保有する百歩蛇の手のこと、役所のサーバーをハッキングして身分を偽造し、難なく学籍を得ることに成功した。

彼女の使命は、学校関係者に混じっているであろう焚書者どもを特定すること。彼らにスカウトされて、GOC内部へ食い込めれば上々だ。楽勝だと思っていた。自分がまとうミーム歪曲は何者にも見破れない。

それはその通りだった。転校生の正体が謎の金属生命体だとは、同級生たちは夢にも思っていまい──ただの、空気の読めないイタい子だと思っているだけだ。

そう、唯一にして最大の誤算は、女子高生というある意味特殊な人種に成り済ますのが、予想より遥かに難しかったことだ。

(女子高生に関して、あれだけ勉強したのに)

確かにした。主に漫画やアニメやテレビドラマで──そんなラムダに、同僚の雛山は何か言いたそうにしていた。『参考資料が間違っているのでは』と言いたかったのである、勿論。

まあ、さすがに品行方正なお嬢様学校の生徒たちと言うべきか。腫れものに触れるかのような態度ではあるが、接してはくれる。しかし、会話はどうにも表面的で、遊びに誘えば逃げられ──顔には出すまいとしているが、うっすら怯えている様子で──全く懐に飛び込めない。これでは情報収集どころではない。

(ええい、作戦の練り直しだ!)

奮然と教室を飛び出す。その背後で同級生の一人が、勇気を出して声を掛けようとしていたことにも気付かずに。

元町のショッピングストリートをイライラしながら歩く。かつて外国人向けの商店街であった経緯から、今でもこの通りにはおしゃれなブティックや飲食店が並んでいる。どちらも、ラムダには興味の対象外だ。服装などミーム歪曲でいくらでも誤魔化せるし、飲食も不要な体とあっては。

行き交う人々は、誰もラムダを振り返らない。深く関わりさえしなければ、彼女の偽装は完璧なのだ。だが、少しでも触れ合えば、たちまちボロが出る。

『ラムダ、誰がどう言おうと、あなたは人間──ううん、人間の女の子よ。自信を持って』

(って、レナーデは言ってくれたけど──実際、私は薄皮を被って、人間の振りをしているだけだ)

ラムダは時々考える。そもそもどうして自分に、人間に擬態する能力があるのだろうと。ヅェネラルは彼女が一種の兵器であり、正体を隠してターゲットに接近するための能力なのだろうと、無神経な推測をしていたが。だとしたら、自分に人間のような心があるのも、擬態の一環でしかないのだろうか。

ましてや、性別なんてただの"設定"に過ぎないのでは──。

足元に落ちていたラムダの視線が、ゆっくりと周囲の人々に向かって上がっていく。その目から暗い、暗い淵を覗かせて。

(今、この場で)

ミーム歪曲をかなぐり捨て、衆目に正体を晒したらどうなるだろう──湧き上がってきた思い付きは、空想と呼ぶにはあまりにも粘度が高かった。

何がおかしいのか、カップルがカフェのテラス席で笑い合っている。どいつもこいつも、似たような顔ばかり──あいつらこそ、本当に心があるのだろうか。泥と水の詰まった革袋が、人の振りをしているだけではないのか。

(殺っちゃおうか)

刃物状に変形させた体で、手当たり次第に虐殺したら──世界から正常という幻想は消え去り、GOCはその存在理由を失うかもしれない。それはレナーデを殺した奴らへの、何よりの復讐ではないだろうか──。

ゆらり、ラムダのミーム歪曲が揺らぎ、右腕がしゅるしゅるとねじれだした、その時。

「危ない!」

呪念をたぎらせていたラムダは、らしくもなく気付かなかった。横から飛び掛ってきた人影に。

(え)

抱き抱えられ、共に転がる。一瞬前まで彼女が立っていた場所に、轟音と共に何かが落下した。

(何、焚書者の攻撃!?)

そうではないことは、すぐに分かった。落下物は看板だった。ビルの側面に取り付けるタイプだ。ガラスや金属から成る直径3mもの鈍器が、路面にひび割れを生じさせている。見ると骨組みがだいぶ錆びている。原因は老朽化だろう。

周囲が騒然となる中、ラムダを助けた──つもりの人物は、息こそ弾ませながらも、落ち着いた声で言った。

その刹那せつな──。

「大丈夫?」『怪我はない、ラムダ?』

──緩やかに波打つ亜麻色の髪と深緑の瞳が、ラムダの脳裏をかすめた。

(レナーデ──いや)

母のような姉だった彼女とは、似ても似つかない小娘だ。胸は平板だし、身長も足りない。何より、レナーデのような落ち着いた佇まいは全くない。子供っぽい髪型──サイドポニーテールのつもりかもしれないが、ぞんざいにまとめただけのようにも見える──が、それを象徴している。どうして、一瞬でも見間違えたりしたのだろう。

しかし。

(何やってんの。私が人間を辞めちゃったら、それこそレナーデへの裏切りじゃない)

解けかけていたミーム歪曲を、慌てて元に戻す。ラムダの奥底で首をもたげかけていた怪物は、すっかりいなくなっていた。

「私なんか、助けなくても良かったのに」

気が緩んだのか、つい本音を漏らしてしまう。自分なら下敷きになったところで死なないという意味だったのだが、その少女には違う意味に聞こえたらしかった。目尻を釣り上げ、がっしと肩を掴んでくる。

「ちょっと、駄目だよ! いくら孤立してるからって、自殺なんて!」

「へ? いや、そういう意味じゃ──って」

なぜ、自分が学校で孤立していると知っているのか。そこでようやく、ラムダは気付いた。少女が着ている制服が、自分が着ている──もとい、ミーム歪曲の服装に設定している制服と同じデザインであることに。

「私が友達になってあげるから、ね?」

これがラムダ・シナフスと朝倉 栞あさくら しおりの出会いだった。

その場の誰も気付いていない。看板が設置されていたビルの屋上から、山高帽を被り、三つ揃いのスーツをまとった男が、じっと見下ろしていることに。ラムダがぎごちなく頷くのを見届けて、男の姿は空気に溶けるように消えた。

「お、おはよう、朝倉さん」

「駄目だよ、凛音。友達なんだから、栞って呼ばないと」

「は、はあ」

翌日から早速、栞との"友達付き合い"が始まった。

それは栞がラムダを一方的にあちこち連れ回して「友達とはかくあるべき」と教え込むという、何とも奇妙な関係だった。ゲームセンターでUFOキャッチャーをプレイし、クレープの屋台でバナナコンボをパク付き──ラムダは食べた振りをして体内に収納しただけだが──、アクセサリーショップを冷やかした。

絵に描いたような、女子高生の友達付き合い。ラムダはひたすら困惑しながらも、どうにかこうにか真似していた。まあ、同級生と親しくなるという第一関門は、図らずもクリア出来た訳だが。

(何だかなぁ。楽しいの、これ?)

だが、一通り回ったところで、当の栞がこんなことを言い出した。

「まあ結局、誰かの真似なのよね、こんなのは」

山下公園のベンチに腰掛けて、投げやりな表情で言う。ついさっき、ラムダと並んでプリクラを撮って『ちょっと凛音、こんな可愛いフレームで無表情はシュールすぎでしょ!』と大笑いしていた癖に。

「そ、そうなの?」

「皆の真似をすることで、自分も皆の一員だと思い込む。人間関係なんてそんなものでしょ」

栞はさばさばした口調である。お嬢様然とした他の同級生たちとは大分違う。もっとも、彼女に言わせれば『皆だって先生の見ていない所ならこんなもん』だそうだが。それが本当なら奴らも大した女優だと、舌を巻くラムダだった。

「ま、そういう意味では『よろしくお願いしマッスル~』も間違ってはいなかったかな。あそこが秋葉原のメイドカフェだったらの話だけど」

「う~、あのことはもう忘れて」

レンジにだけは知られる訳にはいかない。いや、知ったところで『そうか』としか言わないだろうが、あの朴念仁ぼくねんじんの相棒は。

「あっはっは、ごめんごめん。まあ、要するに、凛音はサンプル不足なだけよ。その内、私以外の子とも自然に付き合えるようになるから、心配ないって」

(──なるほど)

それが言いたくて、実体験をさせていたのか、小賢しい真似を。でも、そうだとしたら。

(人間たちも私と変わらない。薄皮を被って誰かの真似をしている)

自分が隠しているのが液体金属の体だとすれば、人間たちが隠しているのは何だ? 醜い性根か、それとも──無価値な自分か。

「でも、それでいいの?」

「何が?」

「だって、よく言うじゃない。人真似は良くない、自分だけの道を見つけろって」

「真面目ねえ」

栞はうーんと少し迷う様子を見せてから、スマートフォンを操作した。

「皆には内緒だからね」

画面に映っているのは、某有名動画投稿サイトの動画のようだった。ごく一般的な民家の一室で、マスクを被った少女がステップを踏んでいる。いわゆる踊ってみた動画だろうか。いきなり何を見せるのかと戸惑っていたラムダは。

(こ、これは──!)

曲の始まりと共に、たちまち目を奪われる。

両足はアップテンポな曲のリズムを休むことなく刻み続け、上半身はうねるような動きでメロディーラインを表現している。サビの曲調変更部分では、体が千切れそうな高速回転。

ラムダは初めて知った。踊りで咲き誇るバラを、嫉妬と思慕に狂う女心を、残酷な運命を表現し得ることを。曲と一体化しているかのようなのに、主役はあくまで彼女なのだ。

戦士であるラムダの目から見てさえ、驚嘆するしかない動きだった。

「こ、これ、もしかして」

「うん、私だよ。試しに投稿してみたら、思ったより好評でさ」

ラムダは栞と出会った日のことを思い出していた。なるほど、素人にしては、やけに思い切りがいい動きだとは思っていたが。

再生数は優に百万回を超え、コメント欄は『すごすぎて草』『こんなの見たことない』『ダンスの新時代を見た』と絶賛で埋め尽くされている。それにも関わらず、当の本人はまるで他人事のように呟いた。

「褒めてくれるのは嬉しいけど、別に新しいことをしてるつもりはないのよねえ」

「そ、そうなの?」

「だって、ダンスだよ? 決められた動きを、いかに正確に再現するかじゃない」

「でも、振り付けは栞のオリジナルでしょ」

「オリジナルと言えるかなぁ。色んな踊ってみた動画を参考に考えたんだよ?」

「うーん」

ラムダは分からなくなる。つまり、この世には真にオリジナルと呼べるものなどなくて、人は延々と何かを真似し続けているだけなのか。それでは、新しいものなど生まれないし、問題は永遠に解決しないではないか──焚書者どもとの戦いだって。

しかし、栞はあっけらかんと言い放った。

「真似だっていいじゃない、自分が楽しくて、皆も楽しめれば」

「──そういうものかな」

「それに、何を真似するかは選べる訳だしね。要は真似の組み合わせで、どう新しく見せかけるかってことだよ」

(真似の組み合わせ──私は、ラムダ・シナフスは、何の真似で構成できているんだろう)

レナーデを奪った焚書者どもへの怒り、正常性という歪んだ枠組みからの解放、そして生きること。それは間違いなく、他のメンバーとも共有している。いや、栞の例えを用いれば、真似することを選んだと言うべきか。

しかし、その組み合わせの結果が、ヅェネラルの手のひらで踊らされ続けることなのだろうか?

(違う。少なくとも、唯一の答えじゃない)

この時、ラムダは初めて、百歩蛇の手を離れることを考えたのかもしれない。

ポケットの中の──もとい、体内に収納したスマホが震動した。レンジからだ。彼は今、青大将の手のアジトへの連絡役をしているはずだ。この場で出ていいものか迷ったが、一瞬だけだった。まさか焚書者に追われているのでは。

「ちょ、ちょっとごめん──もしもし、どうしたの?」

『ああ、いや、大した用事じゃないんだが』

しかし、レンジの声には緊張感など欠片もなかった。いつものように。

「だから、どうしたの?」

『アジトの場所を示すサインは見つけたんだが、これどういう意味だったかな』

蛇の手は街のあちこちに、放浪者のシンボルと呼ばれるサインを残すことで情報のやり取りをする。無論、一覧表を持ち歩いたりはしない──万が一にも焚書者の手に渡ったら、えらいことだ──ので、こういう事態も生じ得る訳で。

「どんな形なの?」

『うーん、人がバンザイしているような──いや、角の生えたタマネギか?』

「だあっ、分かるかぁっ! もう、教えてあげるから、画像を送りなさい!」

『分かった』

ため息を吐いて一旦通話を切ると、栞がにやにやと笑い掛けてきた。

「な、何よ?」

「なぁんだ、もう見つけてるじゃない。人真似じゃない、凛音だけのも・の」

「は?」

「その人と話す時、あんたは誰かの真似をしてる?」

栞が何を言いたいのかは、ラムダにもすぐ分かった。いかに女子高生の演技には慣れていないとは言え、同級生たちが毎日毎日飽きもせず、それについて楽しそうに話しているのを見ていては。

「ばっ、ばっ──!」

体がぐにゃぐにゃと歪み、危うくミーム歪曲が解けそうになる。

「馬鹿、こいつはそんなんじゃないってば! こいつは世話の焼ける──そう、デカい弟みたいなものなの!」

「ほうほう、弟系ですかぁ。凛音ならそれもありかな?」

「だからぁ」

横浜港を包む空は、青く、高く澄み切っている。潮風に乗って、カモメが旋回している。もしもその光景を因果から切り離して、時の止まった額縁に収めたなら──きっと、ごく普通の少女たちの、青春の1ページにしか見えなかっただろう。

しかし、世界を幾重にも縛る復讐の鎖は、容赦なく過去と未来を繋げていく。

「朗報だ。娘の──レナーデの仇の家が判明した。やってくれるな?」

(ちょうどいい、殺すのはこれで最後にしよう)

ヅェネラルがちらつかせた餌に飛び付いてしまった自分を、ラムダはずっと悔やみ続けることになる。
 

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