蛇と焚書のカルテット: 第八頁 - 終末と黎明

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朝倉 栞あさくら しおりは正直なところ、父が好きだったかどうか分からない。

幼い頃に母を亡くした自分を、父は男手一つで育ててくれた──と言うには、少々語弊がある。何しろ、仕事が忙しくて、ほとんど家に帰ってこなかったのだ。頻繁に訪ねてきてくれる叔母が、実質的な育ての親だった。彼女はよくこう言っていた。

『叔母さんも詳しくは知らないんだけど、お父さんはこの国を守るお仕事をしているらしいのよ。栞ちゃんが住んでいる、この国をね』

だから、お父さんを許してあげてね。そう言われては、駄々のねようがなかった。いや、そもそも、父にもっと家に居て欲しいと、彼女自身が思っていたのかどうか。

何せ、父が自分を愛していたのかどうかも分からないのだから。

父はとにかく寡黙な人だった。たまの帰宅時に、栞から友人や学校のことを聞いても、『そうか』とか『ああ』とか呟いて頷くだけ。ひょっとすると、父は自分に──と言うより、仕事以外のことに興味がなかったのかもしれない。その可能性に思い至った時には、彼女はすでに親に甘えたがる年頃ではなかった。

何となく、こんなものかなと思った。現実には漫画やアニメのような、濃厚で鮮烈な人間関係なんてそうそうない。好きでも嫌いでもないが、無理して離れる理由もない。だから一緒にいる。現実の人間関係なんて、大半がそんなものだろう。そう思っていたから。

『お父さん?』

玄関に血塗れで倒れている父を目にしても、どう反応すればいいのか分からなかった。

今でも、分からずにいる──。

いつの間にか、栞は小高い丘の上に立っていた。

(ああ、またこの夢か)

あれ以来、栞は毎夜のように妙な夢を見ている。

眼下に広がる、どこか見覚えのある街。古い映画のように色彩に乏しい──その街がぐにゃぐにゃと変形し、どす黒く変色していく。その様子を、栞は何とも寂しい気分で見つめている。子供の頃よく遊んだ空き地が、味も素っ気もない駐車場に整地されてしまったかのような。

(あれ、私、これが夢だって分かってる?)

改めて街に目を凝らす。遠くに見える大きな橋は、ベイブリッジそっくりだ。その手前の家並みは、いつか映画で見たビバリーヒルズに似ている。にょっきりと立つ塔は、叔母に連れて行ってもらった江ノ島の灯台にそっくりだ。見覚えがあるのも道理、あの街は自分の記憶のパッチワークで構成されているのだ。

夢の中でこれは夢だと気付く、いわゆる明晰夢は疲れている時に見やすいという。

(まあ、確かに疲れてはいたかな)

父が死んでからの数日間は、嵐のようだった。警察に事情聴取され、叔母には泣きながら励まされた。挙句の果てには父の部下だという人たちに、現場を目撃したせいでPTSDの恐れがあるからと言われ、入院させられてしまった──その病院はGOCのフロント企業であり、栞をかくまうための措置でもあるのだが、彼女にそれを知る術はない。

目まぐるしく現れ、入れ替わる人々の渦の中、当の栞だけが台風の眼のように静かだった。問いかけに対しては、ひたすら事務的に応えていた。周囲の人々からは、哀れみの目で見られた。ショックのあまり感情が麻痺しているのだろうと。実際は、そう思われている方が楽だから合わせていただけだ。ちょっとずるいかな、とは思ったが。

栞は夢の世界をふらふらと彷徨さまよう。咲き乱れるシオンの花は母校の花壇のものだし、空に浮かぶ風船は幼い頃にうっかり手放して、空に吸い込まれてしまったものだ。アイスクリームの屋台は、いつか父に買ってもらった──ああ、そんなこともあったか。もっとも、その直後に急な仕事が入ったとかで、自分を叔母に預けて飛んでいってしまったが。

(久しぶりに帰ってきたんだし、カレーぐらい作ってあげようと思ってたのに──親父ったら、昔から間が悪いんだから)

栞は足を止めた。道端にベンチが置かれている。どことなく、友人と並んで腰掛けた山下公園のベンチに似ている。そう、ここにある物は全て、彼女の記憶から作られているはずなのに。

(誰?)

そのベンチに腰掛けている男性には、全く見覚えがない。古風な三つ揃いのスーツをまとい、山高帽を被っている。彼女の気配を感じたのか、振り返って山高帽を持ち上げる。外見だけでなく、仕草も古い映画めいている。

「こんばんは、お嬢さん。やっとお会いできて嬉しいよ」

「やっと?」

「最近、同じ夢ばかり見ていただろう? 何とか此処ここと君の夢を繋げようと、試行錯誤していたんだよ」

「ああ、それで」

現実の世界で言われたら何のことやらだろうが、そこは夢の理屈──道理が通っているようで通っていない、夢でしか通じない理屈──というものか、栞はあっさり納得する。

「立ち話も何だし、お掛けなさい」

「あ、はい」

のみならず、初対面の男性の横に腰掛ける。何の警戒もなく。

「あの、おじさんは──」

そう呼ぼうとして、戸惑う。どうにも年齢が判別し辛いのだ。成人男性なのは間違いないが、父より年上のようにも見えるし、意外と若いようにも見える。全ての"見知らぬ男性"の顔が折り重なっていて、角度によってくるくると印象が入れ替る、とでも言えばいいのか。

栞は何となく理解する。この人は自分の夢の一部ではない。夢を通して接触している、他人なのだと。

「私の名前かい? リチャードとでも──いや、この名前はもう使ったか。そうだな、お嬢さんは日本人のようだし、たまには和風な名前もいいかな。うん、私のことはキューサクと呼んでくれ」

(そこまで古風な名前にせんでも)

としか、栞は思っていない。おそらく元ネタは夢野久作だろうが、一般的な女子高生に振るネタとしては、難易度が高すぎたようである。

ただ、そのズレっぷりは、栞にある友人を思い出させた。心配しているだろうし、声ぐらい聞かせてやりたいのだが、警備上の理由とかで連絡させてもらえずにいるのだ。学校には事情を伝えたそうだが、彼女はまだ何も知らずにいるのかもしれない。

(知ったら余計に心配するだろうし、風邪で休んでるだけとか言ってくれた方が──でも、この先もずっと隠し続ける訳にもいかないし、どうしたもんかな)

殺人事件の被害者の遺族との接し方なんて、心得ている人はそうそういないだろう。そもそも栞自身が、殺人事件の被害者の遺族という"役"をどう演じたらいいのか分からずにいるのに。

『その人と話す時、あんたは誰かの真似をしてる?』

『馬鹿、こいつはそんなんじゃないってば! こいつは世話の焼ける──そう、デカい弟みたいなものなの!』

ただ、あの日のように、また山下公園のベンチで笑い合えたらいいなと、栞はぼんやり思った。

「お父上のことは、本当に残念だった」

「父をご存知なんですか?」

「ああ、知っているとも。お父上の死は、悠久の過去から遥かな未来まで繋がる、復讐の連鎖の一部だ。回避するには、それこそ地球の歴史を一からやり直さなくてはならなかっただろう。かの御仁にできたのは、自らの死を以て鎖を断ち切ることだけだった」

「え? え?」

想像を遥かに超える回答に、栞は目を白黒させるばかり。ただ一つ。

(復讐──)

その忌まわしくもどこか甘美な言葉だけは、ねっとりと耳に絡みついた。

「その、父が殺されたのは、何かの仕返しなんですか?」

「蛇の手が絡んでいる以上、そうだろうね──彼らは仲間思いだから」

(蛇の手?)

だが、栞が尋ねる前に、キューサクは突拍子もないことを言った。

「どうだね、君もお父上の仇を討ちたいかい?」

「か、仇討ち?」

そんなことを言われても、栞には刀を構えた侍が「おのれ、父の仇!」とか叫んでいるシーンしか浮かばない。つまりは、全く現実味がない。

現場の様子を思い出す。父の死体の側に立っていた青年。その手には血に塗れたネイルハンマーが握られていた。彼がそれで父の額を割った犯人だと理性では分かっていても、根本的な部分では結び付かない。無理もない。栞の現実に人の死、ましてや惨たらしい殺人などと言う概念はないのだから。

後はお前の好きにしろ──青年の投げやりな口調が、妙に印象に残っている。好きにしろと言われても、どうしろと言うのか、今も続いているこの状況を。

「実感が沸かないかね」

キューサクは責めるでも、残念がるでもなく、淡々としている。栞の反応は予想していたようだった。

「あ、いや、その──はい、薄情かもしれないけど、正直」

「それでいいんだ。月並みな言い方だが、仇討ちなどお父上も望んでいないだろう。しかし、残念ながら、復讐の連鎖は途切れていない」

キューサクは虚空を見つめながら、淡々と語り続ける。

「復讐の連鎖に関わった者たちは皆、これで終りにするつもりで、殺し、あるいは死んでいったのだろう。だが、悲しきかな、復讐の連鎖とはすなわち死の連鎖なのだから、それは本末転倒と言わざるを得ない。お父上の死は、また連鎖を繋げてしまった──破滅の未来へ」

キューサクがため息を吐いた瞬間、栞の記憶のパッチワークから成る街がぐにゃぐにゃと歪み始める。

(あ、これだわ)

栞が毎晩のように見ていた夢。キューサクによる接続試行の結果だという──失敗とは言えこの光景だけは伝わっていたのは、即ち最も栞に見せたい部分だったからなのか。

今なら分かる。歪んでいるのは、街ではない。空間そのものだ。波のように一見不規則だが、大局的な視点で見れば規則正しいパターンを描く歪み。しかし、栞には何となく分かる。そのパターンを完全に解析することは、人間には出来ないと。

然り、栞の目に映る現象は、投影でしかないからだ。三次元の波が、二次元の水底で描いている光の模様のようなもの。歪みの本体は時間、あるいは因果律──いずれにせよ、そんな軸が存在する高次元で発生しており、三次元宇宙からではその断面しか見えない。だが、過程はともかく、結果は彼女にもはっきり見えた。

"超次元波"に晒された街が、その姿を変えていく。それこそ砂浜に描かれた文字が、波に洗われるかのように呆気無く。ベイブリッジが怪獣の背骨めいた姿になり、ビバリーヒルズの街並みは巻貝のような建物に埋め尽くされ、江ノ島灯台がにょきにょきと角を生やしていく。

見慣れた世界が、異世界に喰われていく。

波は栞とキューサクの元にも押し寄せた。公園の木々が人間の生首を生やした怪植物にとって変わられ、アイスクリームの屋台は球形の木製ゴーレムに変貌し、二人が腰掛けているベンチは、いつの間にか自由の女神サイズの石像の台座になっていた──鎖に繋がれた奴隷を従え、赤子に短剣を突き立てている女性の。

添えられた銘板には、虫がのたうち回っているかのような、見たこともない文字が刻まれている。キューサクはそれを指でなぞりながら「偉大なる女王の即位三千年を祝して」と読み上げる。

「ダエーバイト語か──やはり、ダエーワ年代記の封印が解かれたのか」

キューサクは淡々と語った。遥か太古、ダエーバイトと呼ばれた帝国が栄えていた。悪魔ダエーワを崇める者という意味であり、おそらくは後世の命名だろう。

超常的な力を持つ女王に率いられ、生贄の生命力をエネルギー源とする魔術や、植物を思いのままに改変する技術等に支えられ、周辺諸国を蹂躙じゅうりんし尽くした。そんな悪の帝国も時代の流れには抗えず、奴隷の反乱を切っ掛けに衰退し始め、その名は正史から失われていった──ある本を除いて。

ダエーワ年代記、それは最早誰も知らないはずのダエーバイト帝国の歴史を、詳細に記した書物だという。いや、書物の形をした呪具と言うべきか。年代記の記述は、本来なら紀元前200年頃に、中国の軍隊によって帝国の末裔が攻め滅ぼされる所で終わっていた。

「そう、本来ならね」

しかし、その紙面に不透明な液体をこぼすと、驚くべき現象が起きる。液体は文字を描き、滅びたはずの帝国の歴史の続きを記述しだすのだ。のみならず、記述に合わせて、現実の歴史まで捻じ曲げてしまうのだという。

それは既に一回起きている。この性質に気付いた所有者が自らの血を捧げたところ、みるみる赤い文字列に変わり、帝国の末裔は辛くも逃げ延びたと記述し始めた。幸いにも、所有者が失血死──何故そうなるまで捧げ続けたのかは不明だが──したところで、今度はチンギス・ハーンに滅ぼされているのだが。

しかし、同じことを繰り返せば、どうなるのか。あるいは生き延び続けた末裔は、いずれ歴史上にダエーバイト帝国を蘇らせ──現代をこんな風に変えてしまうのではないか。

「どうしたら、本でそんな事が出来るのやら──アカシャ年代記アカシックレコードの一部を切り取って、本に仕立てでもしたのかね」

「は、はあ」

というキューサクの話を、栞はファンタジーの設定か何かのつもりで聞いていたのだが。

「よく分からないけど、これってうちの親父のせいなんですか?」

「いやいや、そうは言っていない。お父上はあれを繋げてしまっただけだ」

キューサクがパチンと指を鳴らすと、虚空に半透明の人影がいくつも浮かび上がる。正確には十人。配置によって三つのグループに分かれているようだった。四人のグループが二つに、二人のグループが一つ。人影たちの手足はお互いに鎖に繋がれ、雁字搦がんじがらめに縛りあっていた。

「復讐の連鎖に囚われた者たち」

四人グループの片方は、父の部下だと名乗っていた人たちだ。全員、特殊部隊のような服装だ。その中の一人、いかにも猪突猛進という感じの若者が『お父上の仇は必ず討ちます!』と気炎を上げていたのを覚えている。当の自分がこんな調子で、申し訳ないことだが。彼らの頭上には、国連のものに似たロゴマークが浮かび上がっている。

四人グループのもう片方は、父の部下たちとは対照的な、バラバラな服装の人々だ。パンクロッカーのような男がいるかと思えば、ごく普通の学生服の少年もいる。彼らには見覚えがない。ただ、彼らの頭上に蛇をモチーフにしたらしき紋章が浮かんでいるのを見て、栞はキューサクが口にした"蛇の手"という言葉を思い出した。

そして、最後のグループ、唯一の二人組を見た瞬間。

「え?」

栞は思わず声を上げた。片方は犯人の青年だった。じっくり眺めたのは、これが初めてだ。若者らしいしなやかで均整の取れた体躯と、眠そうにしかめている双眸が、何ともアンバランスな印象を与える。鋭いのやら、鈍いのやら。だが、彼女を驚かせたのは、その隣に立つ小柄な少女だった。幼さの残る可愛らしい顔立ちの割に、やけに鋭い眼差し──。

「凛音!? どうして──」

見間違えようもない。それは同級生で友人の、円 凛音まどか りんねだった。

転校してきたばかりで、上手く周囲に馴染めずにいた彼女。不憫に思って、あれこれ世話を焼く内に親しくなったのだが──そうしてやりたいと思ったのは、栞自身もまた上手ではないからかもしれない。人間を演じるのが。

その凛音が、父を殺した犯人のすぐ横に立っている。鎖でお互いを繋ぎ合っている。

(そう言えば)

現場が暗くてよく見えなかったのだが、犯人は二人組だった。青年の方がラムダと呼び掛けていた小柄な人影。シルエットからおそらくは少女。去り際に何か呟いていたような気もするが、呆然としていて聞き逃してしまった。

今なら分かる。彼女は『栞?』と呟いていたのだ。淡々と驚愕しながら。

(凛音だったの──?)

「やはり知り合いか」

栞は凍りついたように、凛音の幻影を見つめている。

過冷却という現象がある──水を安定した環境下でゆっくりと冷却すると、0℃以下になっても凍らないことがある。しかし、その状態でわずかでも衝撃を与えると、そこを起点に凍結の核となる微小な相が生じ、たちまち全体が凍りついてしまう。

今の栞の状態は、まさに過冷却だった。全てが曖昧模糊あいまいもこな夢の世界が、凛音を核にして凍結し始めた。あらゆるものを境界で隔てる、容赦のない現実へ。父の死では過冷却の核になり得なかったのに、つい最近知り合ったばかりの友人には、それができたというのか。

ごくりと唾を飲み込む栞の額に、冷や汗がにじむ。夢だと言うのに、嫌にリアルなその感触。ダエーバイト帝国の街並みを見下ろす。子供の頃よく遊んだ空き地が、味も素っ気もない駐車場に整地されてしまったような感覚──スケールを除けば、毎晩感じていた感覚は正しかったのだ。整地されてしまったのは、栞の人生を含む世界の歴史だ。

げらげらげら、木にぶら下がった生首が哄笑を上げる。凛音と語り合った山下公園は、もう世界の何処どこにも、歴史上の何時いつにもない。

(破滅の未来──)

「未来って、具体的にはいつ起きるの?」

「おそらく、数日以内」

「す、数日!?」

今時、隕石の落下だって、もう少し早く分かるだろう。たった数日でどうしろと言うのか。

「この丘は高次元に少しだけ突き出している。おかげで、多少は時空を俯瞰ふかん出来る。おそらく、あの中の誰かが年代記を所有しているらしい。そして、復讐の三重奏トリオの果てに、破滅のトリガーを引くことになる。戦いの最中に自分、もしくは敵の血で年代記を汚してしまうのだろう」

分からない。父の死が、そして数日後にやって来るという世界の終りが、どうして友人に繋がっているのか。彼女だって、自分と同じただの女子高生ではないのか。

一つだけ確かなのは、友人が関係している以上、彼女にとっても他人事ではないということだ。

「私は夢の世界の住人だ。未来を見ることは出来ても、干渉することはできない。そこで君に頼みたい。年代記を回収し、世界を救って欲しい」

キューサクは相変わらず淡々とした口調で、とんでもないことを言い出した。

「せ、世界を?」

「君にしか出来ない。彼らに近い位置にいながら、復讐の連鎖には囚われていない、君にしか」

世界を救えるのは君だけだ。漫画やアニメの常套句じょうとうくを、まさか自分が言われるとは。

「お父上のために、とはあえて言うまい。故に、こう言おう。君自身の手で真実を解き明かし、心のもやを払うためにも──やってみないかね」

「で、でも、私はただの女子高生よ? どうやって」

「そんなことはない、君には素晴らしい才能があるじゃないか」

キューサクは立ち上がり、優雅に手を差し伸べる。

「と言う訳で、お嬢さん。一緒に踊って頂けるかね?」

栞は慌てて飛び起きた。

窓からは朝日が差し込み、小鳥がちゅんちゅんと鳴いている。病院の職員たちはもう起きているのか、廊下を行き交う足音や館内放送が聞こえる。絵に描いたような平和な朝の光景だ。

(夢──だったの?)

などと思う暇などあらばこそ。

「ヘイ、相棒! ぼんやりしてる暇はないぜ!」

「ひょっ!?」

素っ頓狂な声を上げて振り返ると、ベッドのサイドテーブル上におかしなものがいた。

山高帽に三つ揃いの古風なスーツをまとった男の子──ただし、身長は十数cmしかない。頭部が全長の三分の一を占め、大きな瞳で栞を見上げている。一言で表現するなら、子供向けアニメから抜け出してきたかのような外見だ。

「あ、あんた、もしかしてキューサクさんの?」

「まあ、分身ってとこかな? リトル・キューサクとでも呼んでくんな!」

えっへんとばかりに胸を張る。分身にしては、まるで言動が似ていないが。声もキンキンと甲高い。

「嬢ちゃん一人に任せるのも不安だしな、おいらはサポート役ってところさ。よっと」

外見からは想像も付かない身軽さで、リトル・キューサクが栞の肩に飛び乗る。重みは全く感じない。本当によくできたCGのようだ──だが、彼女が見ているのは、間違いなく現実だ。

「さて、まずはここを出ないとな」

「う、うーん、病院の人たちに何て説明しよう」

ひどい難題に頭を抱えていたら、無情にも病室のドアがノックされた。

「朝倉さん、朝食をお持ちしましたよ」

「や、やばい、早く隠れて!」

「平気平気、まあ見てなって」

そうこうする内に、栞の返事がないことに看護師が慌て始める。境遇が境遇なだけに、最悪の想像をしてしまっているのだろう。

「朝倉さん、朝倉さん、大丈夫ですか!? 入りますよ!」

女性の看護師が駆け込んでくる。彼女は「あ、ど、どうも~」とか誤魔化し笑いを浮かべている栞、およびその肩に乗っている珍生物を──。

「い、いない!?」

──完全に無視して、空っぽのベッドを凝視している。

(え?)

「朝倉さん、どこにいるの!?」

看護師はバスルームに走り、クローゼットを開け放ち、挙句の果てにはベッドの下まで覗き込んでいる。その様子を、当の栞はすぐ側で見ているというのに。

「見えていないの、私たちが?」

「正確には、意識から逸らされているって感じかね」

内線電話で助けを呼んでいる看護師に謝りながら、病室を出る。騒ぎを聞いて駆けつけた他の看護師たちともすれ違うが、誰一人として栞に気付かない。

「どうだい? これなら、連中から年代記をかすめ取るのも簡単だろ?」

「そう上手くいくかなぁ」

「自信持ちなって。嬢ちゃんには、キューサクが授けてくれた奥の手だってあるじゃないか」

「もう、軽く言ってくれちゃって──」

自分の肩に乗った小人と、いつの間にやら戸惑いなく会話している自分に気付いて、栞は改めて実感する。

(やっぱり、夢じゃなかった)

全部鮮明に覚えている。終わりゆく世界も、キューサクの願いも、復讐の連鎖とやらに繋がれた凛音も。

分からない。

分からない。

やっぱり、何も分からない。父の死すら持て余している自分に、こんな途方もない事態をどう受け止めればいいのか。自分はただの女子高生なのだ。

それでも一つだけ、確かなことがあるとすれば。

「凛音に会わなくちゃ──」

彼女は友人だ。このまま、何も言わずに行かせていいはずがない。

「そうだな。そいつが年代記を持っているなら話は早いし、持ってなくても協力ぐらいは頼めるかもしれない。まあ、親父さんの仇に物を頼むのは、複雑かもしれねぇが」

「え? そ、そうね」

そこまで具体的なことは考えていなかったのだが。外見に似合わず、リトル・キューサクは現実的な考え方をするようだ。それにしても──。

(親父の仇──凛音が)

青年──凛音はレンジと呼んでいた──が父の返り血に塗れていたのに対して、凛音の方は汚れていなかった。彼女はサポート役だったのではないか。だとしても、共犯ということになるのだろうか、世間一般では。

自分は彼女に何を言うべきなのか。分からないことが、また一つ増えた。それでも。

凛音に会う。その方針は変わらない。

正面玄関から堂々と病院を出る。まばゆい朝日に目を細める。

どんな夜を過ごそうとも、朝は必ずやって来る。そんな当たり前の道理が、今は少し不思議だった。

「やれやれ、久しぶりの運動で疲れた──ような気がするな」

ベンチに腰掛けたキューサクの前で、復讐の連鎖に繋がれた人々が、ダエーバイト帝国の街並みが、ぐにゃぐにゃと歪み、混沌と化していく。

とりあえずは、復讐と破滅の三重奏を解きほぐすことには成功した。しかし、栞という新たなパートを加えた四重奏カルテットが、いかなる最終楽章を迎えるのかは、最早彼にも、誰にも分からない。願わくば、せめて──。

「どこかには、繋がっていて欲しいものだ」

確保・収容・保護、キューサクは小さく呟いた。
 

第七頁 | 第八頁 | 第九頁

心配な点

1. 分かりにくい点はないでしょうか?

2. リトルの予言能力と栞のSCP-3688についての詳細は、後パートに回す予定なのですが(さすがに情報量が詰め込み気味なので)、それでいいでしょうか? 私の案を使わせて頂けるなら、パート10でヤシオリを爆発から救った直後ぐらいに?

3. 栞の「普通のJK」ぶりが上手く書けているでしょうか?


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