首の無き、前に来たる

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レッスン1。立言する、「そこに犬がいる」。

この時、それがどんな犬か、大きいか小さいか、何色をしているか、犬種は何か、こちらに敵意があるか、生きているか死んでいるか、は全く問題じゃない。些末なことだ。限りなくどうでもいい。

重要なのは、憶えておけよ、お前はなぜそこにいるのが犬だと思ったかだ。それは犬によく似た別の生き物かもしれない。それは犬の玩具かもしれない。それはお前の母親かもしれない。それは幻覚かもしれない。そもそも犬という名前のものなんて、この世のどこにも存在しないかもしれない。なぜだ? なぜお前は、そこに犬がいるという思い込みをしている? 犬とはそもそも何なんだ?

わかるな、そこには犬という名辞はいない。絶対にいない。お前が見ているのは、犬に見える何かだ。犬と、そこに実際にいる何かを結びつけるものが、頭の中でお前に語りかけているに過ぎない。

お前が犬を考える時に浮かぶものの集合体だ。何本の足があり、どれだけ顔が尖っていて、いくつの耳目を持つか、その全ての情報の塊。お前の中で、犬を犬たらしめるもの。それは確かにお前の中にあり、お前に「犬がそこにいるぞ」と喚き散らし続けている。愚鈍なお前の精神は盲目にそいつに従い、それを犬だと判別する。目で犬を見れば騙される。頭で概念を探るんだ。お前の頭の中だけを。そうすれば、見える。本当は何が襲ってきているのか。何がお前を殺そうとしているか。そいつが何を囁いているのか。

わかるか? そこにいるのは犬じゃない。そう。     だ。

さて。レッスン2にはまだ早い。

レッスン1、その2。立言する、「そこに死んだ犬の首からなる集合体がいる。」
 
この時、お前は何をするべきか?

 
 
煙草の箱というものは本当に苛立つ形と重さをしていて、全く無用の長物としか思えないものだ。俺が玄関に放置されているそれを蹴って退かすと、世界一どうでもいい音がした。ここの家主はカートン買いを嫌い、こうして幾箱も煙草を買っては、仕舞うのを面倒がって玄関に放置していた。一足だけ乱雑に靴が脱がれた玄関。替えはなく、靴箱は使われていない。たった今後ろ手で閉めた扉にしてもそうだ。ここに入るまで鍵を使っていない。後ろ手に鍵を閉めてチェーンまでかけてから、俺はようやく声を出して糾弾した。

「頼むから鍵を掛けてくれ」
 
「……ここに来るやつで、鍵が必要なのはお前だけ。掛けなきゃそれも要らない」

そう発した人は奥のソファに寝転がっていた。彼女の身体は小さく、耳につけられた棒状のイヤリングは不釣り合いに大きかった。そのソファと言わず壁と言わず煙草の煙が染み付いているのか、本来の色味からは大きく煤けたような様子をしている。

西日のほとんどは分厚いカーテンに遮られて届かず、電灯は消えていた。僅かな光が照らす部屋の中はペットボトルと缶、様々な容器や衣服で散らかっていたが、最も目を引くのはピルケースの群れだった。瓶状のものも、清涼菓子のケースにも似た白い箱もあった。そのうちのいくつかには特徴的なマークが刻印されていた。3つの矢印と1つの円。俺が最後にこの部屋を見た時より遥かに薬の数は多く、空けていた間に衝動が訪れたことを感じさせた。

胸の奥を締められるような感覚と向き合うより先に、間違いなく過量服薬をしただろう彼女の様子を確認することにした。手を頬に当ててこちらを向けさせても顔色は普段と変わらず、焦点は目の前の俺を捉えていた。

手を払い除けられ、掠れた声で「寄越せ」と言われたので、転がった中からひとつ煙草の箱を取り上げてそばに歩み寄った。俺が頼まれもしないのに封を切って一本差し出すと、やや怪訝な顔をして咥えて、枕元からライターを取り出した。彼女は、俺が決してそれに火を点けたがらないことをまだ憶えていた。

火は慣れた調子で灯される。吐き出される煙が顔に届かないように、彼女の横に立った。そこはいつも俺がいる位置で、彼女の表情を全て窺い知ることはできないが、眼の端と煙草を咥える唇がよく見えた。また正面にいる時のように、彼女に怪訝な顔をされたり、鬱陶しそうに脚を蹴られることもなかった。それが苦痛だったわけではないけれど。

「来前」

短い声で名前を呼ばれた。その動きで煙草の灰が落ちそうになったので、俺はとりあえず机の上の灰皿を彼女の前まで持っていって、何か、と返した。

 
 
 

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