協定

ふああと大欠伸おおあくびをして、俺は大学の門を出た。数式だの物理だので、頭がずうんと重いので、行きつけの貸本屋に行くことにする。

扉を開けると、へへへらっしゃいと中から声がした。男だか女だか解らんこの声を、おれは案外気に入っている。見ると、崩れた本に半ば埋もれた奴がいた。背丈は女学生ほどだが、乱れた髪とニタリとした顔のせいでとんと年齢も性別も判らない。

何を読んでいるんだと聞くと、まくすえるの本だという。何だそいつは、と聞き返すと、驚いた顔をして、なにマクスエルも知らずに物理をやっているのか、と奴は心底呆れたような顔をして俺を見た。いいかい、マクスエルは廿年にじゅうねんも前に亡くなった電磁気で有名なケンブリヂの博士だ、まあこれはヘビサイドという学者が、マクスエルの作った式をベクトルの式にしたものだと云う。そのべくとるとはなんだと聞くと、がああとうめき声をあげて、四元数やら何やらについて早口でまくしたてるのが、さっぱりだ。

俺がいるのは地質学科であって、同じ理学部でもそういう方面は駄目なんだ、と言っても奴は不貞腐れたような顔をするだけだ。俺は構わず本を取る。少しでも引き抜く角度を間違えれば崩れ落ちそうな山の中から、俺の手が選んだのは、化学の本であった。うへえと山に戻し、また他の良い本でもないかと物色していると、奴は思い出したかのように俺に声を掛けた。

「君、支那語は話せるかい?」

当然話せラァ、と威勢よく啖呵を切ったが、これは実際良くない切り返し方であった。するとあいつはそうかいそうかい、そうだ九月の前半の予定は空けておきたまえ、なあに心配はいらない、旅費は全部先生持ちだと楽しそうに言い出した。

俺はこのような冒険譚等にめっぽう弱い。構わないが何をするんだ、と踊る心を抑え俺は何食わぬ顔で聞く。いやあ私は獨逸ドイツ語やら佛蘭西フランス語やらの歐羅巴ヨーロッパの言葉ならまあ何とか成るんだがね、支那語はやったことが無いんだ、などと答えになっていない答えを返す。

通詞の真似事でもやればいのか、と聞くと奴はその通りだね、と答えた。北清事変の終結が近い、それに合わせて私と先生と、その他大勢が支那に渡って会うのだと云う。何だ集まって支那料理でも食うのか、と聞くとこれ以上無いって程に蔑んだ目で、奴は俺を見る。私だってお前になんぞ頼みたくはないが、人を選ぶのだよ、と溜息を吐く奴を見て、俺の中にも憐憫の心がふつふつと起こった。

やろう、その先生とやらにも俺が引き受けると伝えてくれ、と云うと奴は読んでいた本を置いて、小躍りするように外へと駆けて行った。何とも楽しげな事である。


大学の教授に頭を下げ、土産と引き換えに何とかして休みを作った俺は、旅行鞄に荷物やらなんやらを詰めて港に居た。ぼんやりとしているところに声を掛けられ、はたと後へ振り返ると軍服に身を包んだ奴がいた。こうして見ると中々端正な顔立ちの青年に見える。何だ軍の仕事か、それならそうと先に云ってくれ、もしかして間諜の類か、などと聞いても、船に乗ってから話をする、とはぐらかすばかりだ。その上、奴の荷物の運び入れまで俺が手伝うことになった。これでは完全に俺は下男か何かである。

君が通詞かね、と船の中で老紳士が俺に声を掛けた。土御門と名乗ったその男はこの一団を率いているらしく、奴が先生と呼んでいたのも彼であった。一体何の先生なのかと聞くと、まじないの大家だと云う。何だ陰陽寮か何かかと奴に聞いたところ、ああ、まさにそれだ、と返すばかりだ。馬鹿馬鹿しい。人を嘲るのも大概にしろ。幾ら俺がものを知らないからと云って三拾年もばかし前に取り潰された組織の名前ぐらい知っている。何故なら俺が地質学の道を何の間違いか選んでしまったのも陰陽道に興味を持ってしまったからだ。そんな事を考えていると、老紳士は俺を見て中々見所のある男だ、君になら話しても良いだろうと呟いた。老紳士の横に立っていた奴が、それがいいでしょう、などと丁寧に言う。何という猫の被り様だ。

会議がある、と老紳士は云った。超常現象ノ確保收容ニ關スル王立財團、皇帝ノ賢人團、獨逸帝國異常事例調査局、全米確保收容いにしあちぶ、異學會などの代表が集まり、今後を決めるのだ、と。天気の話をするような落ち着いた口調であった。それは、陰陽寮と似たような組織なのか、と聞くと、まあそんなところだ、と返される。万国のまじない師の集会のようだ。そんなところの通詞として俺が使えるのか、と奴に聞くと、いや君には宿やら飯やらの手伝いをして欲しい、と云う。何も俺は間違っていなかった。やはり皆で飯を食うし、俺は下男ではないか。

幸い船には暇を持て余していた外国人も居たので、俺は己の語力を鍛えるべく散々に語った。噂には北京が落ちて相当の人が死んだらしイ、いや聯合軍もかなり戦果を上げタ、やはり平和が一番だネ、清朝はこの先如何に成るカ等と、俺は英獨日支と身振り手振りを組み合わせ何とか話をした。時々横に奴が現れて、言葉に悩む俺の助けをしてくれたが、之が又嫌味っぽくて仕方がない。何この単語の意味が判らないか、分解してみたえ、知る語の一つ二つは有るだろう、などと何食わぬ顔で云うのだ。紙に書かれた文ならまだしも、話し言葉をそんな容易に出来る訳が有るまい、等と思っていたが船を降りる頃には出来るように成っていた。全く判らぬものである。


ははあ手妻magicですね。素晴らしい



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