Tale「地下異変」

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神山はふと腕時計に視線を落とした。午前か午後かも解っていはいないが、そこにはただ単に9時25分という数字を指さしている針があるだけだ。

凡その計測で10分を経過したあたりであろうか。彼の前に立っている赤縁の眼鏡に白衣を纏った男が口を開いた。

「かつて、陸を目指していた生物たちの末裔が、いつの日か延々と地下を求めて邁進している。このお盆の時期に報告をするにしては、あまりに滑稽極まりないですね。」

四角柱であるだけのこの空間には彼と2人。彼らの目の前にある格子状の扉が閉められたのはおよそ12分前で、ここにはエレベーターガールの様な誰かへの奉仕を目的とする役職を割り当てられた者も存在せず、単なる地上から2000mは離れたこの地に人を降ろすだけの籠という最低限の機能しか有していない鉄製の設備という意義しか持ち合わせていない。

「貴方が死者に対して、剰えカンブリア紀にまで遡った人外に対してそのような畏敬の念を抱くとは意外です。梁野博士。」
「今感じたことを今ここで、思ったままに発言しただけですよ。この言葉そのものに大した意味は無いです。貴方なら分かるでしょう。私はそんな人間です。それに、私は貴方の言うそれに対しても、あくまで『他者』としての認識を抱いていますよ。」
「心底、貴方の博愛主義には呆れます。心底ね。」
「あんなに濃厚な時間を共に過ごしたというのに、そちらこそそっけなか過ぎるんじゃないですか? 『神山』博士。」

梁野はそう言い、簡素な電光板に記される地下20階を表す発光を呆然と眺める。神山はといえば、別にそこから何かをするというわけでもなく、ただたその背中を見ているしかやる事がない。かくいう梁野自身も、着ている白衣の両ポケットに己が手を収め、時と場所が異なりかつ薄くかかった雲が日の光を遮るような空の下であるのならば、何を黄昏、恋焦がれているのであろうかと見間違うような出立ではあろうが、残念なことにこの場所は地上から遥か下方に向け放たれた世界でしかなく、あるのは簡素な蛍光灯だけ。全くもって意味をなさない行動で時間をつぶすしか2人には残されていないのだ。

「生憎、私は貴方と会ってそんなに時間が経っていないですし、私の前任であった神山博士と私は言ってしまえば赤の他人です。血縁関係といっても遠い親戚であるため大した面識もありません。確かに私と彼の容姿は見違う程には酷似していますが、他者を重んじる貴方が人と人と混同するなど言語道断ではありませんか? 」

神山は自分でも意識しながら、ほんの少しだけ右側の口角を上げながらそう綴った。その行為自体、梁野の顔を見てもいない状況なのだから何の意味も持ち合わせていない。当然無駄な行動であるとしか言いようがないのだが、多少なりとも存在する神山自身の嗜虐心がそうさせたのであろう。

「いやはや、これは手厳しい。確かに貴方のいう通りですよ、『神山』博士。」

そう答えつつ、梁野はゆっくりを神山の方へと向きを変える。その顔にはいつもの薄ら笑いがこびりついているが、生憎その目の奥は一切笑ってはいない。

「ですが、ある意味これは逆説的な考えを想起させることになるやもしれませんよ?」
「と、言いますと?」
「この私が、貴方と貴方の前任者を見間違い、同一視してしまうほどに、貴方方ご兄弟ならびにご家族はあまりにも近しい存在がしすぎている。そうとも言えるのではないですか?」

ほんの数秒の沈黙がこの場を支配する。時間的にみても、このエレベーターの乗り込んでからの沈黙の方が遥かに長い時間を費やしたはずだが、どういうわけかこの時の数秒の方が何倍も大きい質量をもってここを満たしている様に思える。重く、張りつめ、この延々と下へ下っていく鉄籠よろしく、正に深海の水圧と似ているだろう。

「何て、言ってみただけです。貴方はちゃんと、たった独りの『神山』博士ですよ。『神山』博士。」
「貴方の茶目っ気には、時々ついていけなくなります。」
「それが私の取柄です。いつだって、誰かを置いてきぼりに出来る。この職場ではある意味重要なスキルですよ。」
「つまり、逃げですか?」
「まさか。より研究対象を観察するためです。」
「ほう。」

この梁野の放った言葉に対して、神山はほんの少し興味を持った。その影響なのか、少しばかり2人の間に合った物理的な距離が、神山のほんの数センチの一歩で縮まった。

「観察ですか。その心は?」
「簡単です。何者をも、その場に置いていく。それ即ち、それをより理解できる環境を作るという事です。」

梁野は先程からの体勢も変えずに続ける。

「よく研究者の中で勘違いしがちなのは、観察すべき対象を見るときによりそれを近づく事で心理に近づけるという事です。ですが、その実それは違う。深淵に入れば入る程、私達の視野は狭くなる。その者の本質を見ているようで、内面にしか目を向けず、その外見自体も我々が観察すべき対象の一部であるという事を忘れる。結果どうなるかといえば、深淵に足を踏み入れすぎたものから飲まれていく。あくまでこれは比喩の範疇ですが、私達の職場ではこれが時折現実になる。」
「だからこそ、置いていくと?」
「ええ。俯瞰で見る、いや、俯瞰で見ていること自体、まだ近すぎている。いっその事、私達自身があれらに観察される側になる位に離れなければ。その者の本質は見えてこない、いや、逆に向こう側からそれをさらけ出してくれる、そういう寸法ですよ。」
「些か、現実味に欠ける話ですね。」
「ですが、私自身、このやり方で実績は積んでいるつもりですよ。」
「傍から聞いていれば、まるで恋の駆け引きの様だ。」

神山のその一言により、この場に3度目の沈黙が訪れる。しかし、先程と違っている状況といえば、梁野の顔に驚きの表情が現れていることだろうか。剰え、今では体全体を神山の方へと向け、もう2、3歩程、神山の方へと近づいている。

「そうです。そうですよ! 『神山』博士! ええ、正に、これは恋の駆け引き何です! 押して駄目なら引いてみろ。それなんですよ!」
「いつになく興奮していますね。梁野博士。」
「当たり前です! なんたって、これを理解してくれた人は殆どいない! 正に私の真意。そしてこの私の理念の体現! どうですか、『神山』博士! 私を冷たく突き放したことで、私の方から私の中の心理を引き出すことができたじゃないですか! 私は、今猛烈に興奮している! 正に! 恋に焦がれ愛に溺れている2人が行う逢瀬そのものじゃないですか!」

両手を広げ、梁野が神山の方へと詰め寄ってくる。

「やはり、貴方は私のよき理解者だ! 『神山』博士! 私は、貴方の事を、心から……!」

そう言い終えるよりも先に、梁野の口は神山の人差し指によって軽く塞がれてしまった。これに対して、梁野はまるで何が起きたかが分かっていない生後間もない子供の様な表情を浮かべ、文字通りに硬直する。

「それは、『今』の私に対してですか? それとも、『前』の私に対してですか? 梁野博士。」

そういう神山の顔は、これまでに無い程の穏やかさを湛えていた。それを目の当たりにした梁野は、ふいに我に返ったのか、ゆっくりとした動作で最初の位置に戻り、尚且つ最初と同じ姿勢に戻っていった。

「すいません。取り乱しました。柄にもなく、興奮してしまいましたね。『神山』博士。」
「良いんです。ディスカッションの場ではよくあります。」

先程のやり取りを1つの論争であると捉える人間がどれ程いるのかは疑問が残るが、兎も角この2人の中ではこの話題については結論が出たようだった。この間に、エレベーターの降りた階は先程から10階は下り、電光板で地下30階を示している。また、次第に減速している様子からもそろそろ目的地が近いのだと分かる。

「もうそろそろ到着しそうですね。」

神山の方から梁野に切り出す。

「ええ。偉く長かったような、あっという間だったような。」
「貴方とこうして腹を割って話したのは初めてでしたので、とても新鮮でしたよ。」
「それは何よりです。」
「では、行きましょうか。」
「ええ。『神山』博士。」

巨大なワイヤーの軋む音とともに、先程まで高速で降下していた物体の反動による重力の増加を感じながら、エレベーターの動きが止まっていく。内臓部分が慣性の法則になぞった動きをするためか、独特の違和感を腹に残す。そして、それが落ち着いた頃に目の前の格子扉が大きな音とともに開かれ、ビーという警告音とともに赤色ランプの点滅が始まる。

「やあやあ、遅かったね御2人さん。」
「これはこれは『大和』博士。お出迎え、痛み入ります。」
「どうも、大和博士。昨日、このサイトに配属されました、神山です。以後お見知りおきを。」

恰幅のいい体系をした胡散臭さの香る男に対して、神山は軽く会釈をする。

「ああ、前任の神山君には色々世話になったからね。よろしく頼むよ。」

そう言いながら浮かべる笑みも、どことなく胡散臭い。

「さて、では、早速こちらに来てくれたまえ。そろそろ見頃だ。」
「もうそんな時間ですか。」

大和に手招きされ、梁野はそれに軽く反応する。

「こうも時間的遅延が相次ぐと、そろそろ設備の更新をした方が良いんじゃないですかね。」
「何をまた。世界が滅ぶかの瀬戸際だっていうのに、ぼろくなったエレベーターの心配をしたって意味ないだろう。対象は5分程前に覚醒状態に入った。隔壁の閉鎖ももって後10分。出動した機動部隊2班とも通信途絶。状況は絶望的だよ。」

この大和の発言とは裏腹に、にたりとした作り笑いじみた顔はいまだ健在である。

「こういう時こそ、私のやり方ですよ。」
「いっその事、相手を置き去りにしてろ、ですか。」
「ええ、そうです。物は試しで。」
「良いでしょう。付き合います。」
「……一体、何の話をしているのかね?」

2人の会話に付いていけない大和を尻目に、2人の博士は暗黒に閉ざされた廊下へと向かっていく。周囲の岩肌はむき出しで、施設の内部というよりは炭鉱跡と言った方がしっくりくるだろう。

「……本当に、相も変わらず、ですね。」

神山がそっとぼやく。

「何か、おっしゃいましたか? 『神山』博士?」
「いいえ、何も。」
「おい、私を無視するのは止めたまえよ!」

暗い地下の洞窟内で、大和の声だけがむなしく響いた。


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  1. portal:1997942 (03 Aug 2018 07:33)
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