つれてゆく
「おじいちゃんだ」
ダイニングテーブルに着いた僕が出窓の方を向きながらそう口走ったのは、恐らく小学校に入った程度の年齢、外もすっかり帳が下りた真冬の18時を過ぎたあたりの出来事であったはずです。
僕が見つめていた窓の外には犬走りと言えばよいのか、敷地を囲うフェンスと外壁に挟まれた細い通用の空間が設けられていました。フェンスの向こう側には田圃が広がり目立った障壁も無かった為、その奥に伸びる細い道路を走り抜ける車があれば、いつも窓にそのオレンジ掛かったヘッドライトの灯りが当たっていました。そこに僕は、乗用車のヘッドライトに照らされ浮かび上がった人影を見たのです。
当然車が走る道路ならば歩行者もそこを歩けるはずで、事実その遠い人影が広い田圃を跨いでレースカーテンにまで映り込むというのは自分にとっても見慣れた光景ではありました。それがこの時ばかり違っていたのは、その影が妙に輪郭をくっきりとさせた等身大の像であった事です。影はその窓のすぐ外、至近距離に立つものの姿をそのまま直接映しているかのように僕には思えたのでした。
窓の外というと先程も記した通用の細い空間が横たわっています。これは我が家の小さな家庭菜園に通じており、その世話をする祖父などは頻繁にここを通り抜けていました。僕が影を見て真先に「おじいちゃんだ」と認識したのは恐らくこの印象を連想したからなのだと思います。この影の主が居るとするならばそれは窓に極めて近い場所、恐らくはこの通路上であるはずです。自分としては先の発言は目の前に起こった出来事の共有であり、単なる話題の提供、コミュニケーションの試みに過ぎません。何か簡単にでも話を聞いて貰えればきっとそれで満足し、この出来事すら直ぐに忘れてしまった事でしょう。しかし、すぐ隣のキッチンで夕飯を作る母は僕の言う事を聞くなり、そんな訳ないでしょと一蹴するのです。もう外は暗闇だし、真冬のこんな時間にじいちゃんが出歩く訳ないでしょ。菜園に用があるとしたら明るい内に済ませるか、暗くなったのなら明日にまわすはずだよ、と。それでも通る人影を見たのだと言うと、それは奥の道路を歩く誰か通行者の姿が車のライトに照らされここにまで届いたのだと言います。それはもう考えたけれど、あんなにくっきり窓のすぐ側に居るかのように見えたんだ、いつも見えるそれとは違っていたんだ、と伝えてみた所で、最早相手にはしてもらえませんでした。取ってつけたように不審者だったらどうするのとただ、忙しいから後にしてと話を逸らされて、それで終わりになったのです。
話を聞いてもらえない不満にヘソを曲げながらも、脳裡ではその影が窓のすぐ側で大袈裟に両手を振るいながら、まるで水中にでも居るかの如くスローモーションで歩み進んでいたあの奇妙な様相を、繰り返し再生していました。
その頃の自分にはまだ個別の部屋などは無かった為、夜になれば両親の寝室で一緒になって寝るのが決まりでした。寝室内ではダブルベッドとシングルベッドが繋げられ、ダブル側に自分と母が、シングル側に父がと少し広々とした川の字で間に挟まれの並んでいました。分厚い羽毛布団を被ると父母はどちらもすぐに寝息を立て始め、妙に目の冴えてしまった僕だけが、何度も僅かな眠気の波が近寄る気配を感じながらも一向にそこへ沈む事叶わず寝返りばかりを繰り返していました。
何故寝付けないかといえば、あの奇妙な人影を見た事がやはり関わってはいたでしょう。特に怖さを覚えていた訳ではなく、ただいつもと違う、妙な物という印象だけを抱えていました。どちらかといえば一生懸命に伝えんとした話を一切聞こうともしなかった母の態度になんとも言えぬむかつきを抱えて、その興奮が意識を覚醒させてしまっていた様に思います。
一体どれほどそんな寝苦しい時間を過ごしていたでしょうか、1時間か2時間か、ただはっきりした意識のまま無言でじっとしているには気が遠くなるほどの経過があった事を覚えています。目を開けても視界に映るのはナツメ球の
撫でる
2003年7月15日、秋田県湯沢市内のキャンプ場フォレストピア石神(※2005年閉業)に滞在していた市内在住の栗田成之氏長女、栗田結(当時6歳)がテント近辺の散策姿を目撃されたのを最後に行方不明となった。当該女児の捜索は県警と有志の民間人グループ合同で行われ、失踪から2日目の16日午後3時半頃、キャンプ場から1.2km離れた石神山中の小規模な洞で発見・救助に至った。発見当時栗田結は洞内の側部岩盤に深さ約1m,幅20~50cm程開いていた亀裂へと転落しており、その際に負ったとみられる脚部並びに右肩関節の捻挫などが原因で身動きがとれない状態にあった。また僅かに脱水の症状も示していたものの、生命に別状はみられず市内の病院に搬送後は適切な処置を受け数日のうちに回復、退院に至っている。
入院中県警の職員により執り行われた聴取によれば、栗田結は好奇心から両親の目が離れた間を見計らってキャンプ場外縁部の整備用山道に立ち入り、さらに山道を外れて散策を試みた結果遭難に陥った事が判明した。帰還を目指して山中を徘徊するうちに日没が近付き、休息を求めて山肌に開いた洞に侵入したところ、外光の届かない暗部に存在した岩の亀裂に転落したという事である。この情報は自治体等の報告書類並びに女児発見を報道する地方紙に掲載され、Web上にも一部断片的に関連記述が現存している。しかしこれら最終的な情報の他、当初の聴取や周辺人物へ語ったとされる女児の談を詳細にあたってみると、そこにはひとつ、公的な報告においては言及されていない奇妙な証言が述べられている。
亀裂に転落し、一切の光も入らない中起き上がる事も出来ずにいた女児の頭を、何者かがずっと優しく撫で続けていた、というのだ。
栗田結が発見された洞は小さいながら非常に古く、入口から3m程の最奥部壁面にはかつての修験者の手によるとみられる風化した観音らしき彫像の痕跡が残存している。
・・・
当該検体は極めて多量の〈ヒト唾液〉であると推測される。
山間の小さな洞、その暗く狭い岩肌に囲まれた亀裂の中で、身動きの取れない少女の頭を何度も何度も撫で続けたものは何であったか。
少なくとも、柔く暖かで優しい、観音様の大きな手などでは決して無いことだけは確かである。
帰路の夢
夢はみる・みないという訳ではなくて、就寝すれば誰もが必ずみるものの、起床時にそれを覚えているか覚えていないかなのだと、以前耳にした事があります。一般的に用いられている前者の表現を用いるならば、幼少からの僕はかなり夢を見やすい体質であったと言えるでしょう。眠ればかならず何かしらの夢をみますし、その中での出来事や展開が突拍子もない、という点を無視すれば、色彩や痛覚などを含む自らの体感・認識する五感も、現実とほぼ同様といえるものであったと認識しています。これらを文章に書き起こしてみるのが楽しくて、夢日記つけていた時期もありました。
中学生の頃でしょうか。ある晩眠りに就くと、このような夢を見ました。
気が付くと僕は、制服の学ランを着て学校指定の鞄を背負い、どういう訳か時刻も分からぬ程暗い夜に、学校から自宅へ向かう帰路に就いていました。部活か課外作業か、ここまで帰りが遅れてしまった事に強い焦燥感を抱え、誰ひとり通行者も無い田舎道と周囲の風景へ、怯えた様にきょろきょろと視線を走らせていた事を覚えています。
お恥ずかしながら生来の怖がりであるため、今でも夜道を歩くとなれば、僕は実際にこの様な挙動をしてしまいます。ただ、夢の中の光景はここが田舎であるというそれを引いても異様な程に静まり返り、並ぶ家々の窓にも明かりが全く灯らず、ただ古ぼけてちらつく青ざめた街灯ばかりが点々と浮かぶという明らかに異様な空間でした。しかし今思い返してみても、そこは寸分の違いもなく僕の通学路だったのです。
僕の家は、小道から更に枝分かれした細く長い脇道の途中にあります。古い街灯が照らす丁字路を曲がると、そこから道の終わりまで距離は150メートル程あるでしょうか。その道中に、街灯はたった3本。小道からの分岐点と、中間地点にあたる自宅のすぐ側、それから道の終わりに一つ。一度道に入ってしまえば、そこから自宅までは真っ暗闇の細道を歩く事になります。実際には60メートル程度であろうその距離が、僕には厭になるほど長く感じました。
真っ暗い細道に、窓の明かりもない左右の建物がシルエットじみて薄ぼんやりと浮かんでいます。見える光は遠く先、静まりかえった空間では一歩踏み出す毎に感覚が過敏になって、自らのスニーカーがアスファルトを擦る音すら飛び上がる程に大きく感じられました。怯えで視線は一層あちこちを跳び回り— —とうとう、僕は恐怖に負けてその場から全力で走り出しました。
わずかに照らされた家の門のみを見つめて、バランスを崩すほど重く中身の詰まった鞄も、運動慣れせず悲鳴をあげる両膝も、全てを無視して家の前に辿り着くと、そのままカーブを描く様に曲がって門へ飛び込んだのです。
曲がる瞬間、道路と垂直方向を向いた視界の右方が塀で遮られてしまうまでのほんの一瞬、先程自分が曲がってきた丁字路の街灯の下に、ぽつんと逆光で黒く浮かんだ小さな人影が見えました。
夢は、これで終わりです。ただの悪夢と言ってしまえばそれまでですし、実際それでしかありません。ただ、日頃カラフルで突拍子もない、良くも悪くも賑やかな夢ばかりみていた僕にとって、この日の妙にじっとりとした質感の悪夢は、かなり唐突で厭な印象を受けるものでした。何だかげんなりする気分で始まった一日は特に何の代わり映えも無く過ぎ、また夜になって、就寝へと至りました。
奇妙な事に、毎晩眠れば必ずみていたはずの夢を、この日は何も見ませんでした。
その次の晩、最初の夢から2日後になって、僕はまた夢をみました。制服の学ランを着て学校指定の鞄を背負い、真っ暗い夜道を独り帰路に就く、前回の夢と全く同じ状況でした。
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任意A任意B任意C- portal:1942973 (26 Aug 2019 21:34)
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