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アバブがオーハイ州を7度目の更地へ変えたのは、太陽が沈んだ後のことだった。
彼は隕石の如き男だ。身長は3メートルを優に越え、十人分のブルース・ティムのキャラクターにも似ていた。尚且つ筋肉隆々の大男の怪物でもあった。しかし彼のスーツは財団支給の一般的なものだった。何故なら、特注品でさえ彼のサイズに合わせられることができないのである。
アバブは異常戦術脳筋部門に所属している。
彼は手帳の「To do:へびつかい座プロトコル オーハイを白紙へ帰す」と記載された項目にボールペンで斜線を入れ、手帳を握り潰した。おおよそ彼にとってはタスク手帳は灰に還すに限るのだ。そうして再び後ろポケットから真新しい手帳を引っ張り出し、「To do:スティギアン 接触及び確保」と書き込んだ。そして同様に手帳を握り潰した。
"スティギアン"とは、彼がこれから対面するある人物のコードネームだ。それまでのアバブにとっては、オーハイは自己啓発書が飛び交うだけの少々カルトの盛んな地域であった。しかしある時、オーハイ州は地獄へ落ちた。一帯をドーム状の局所的反現実空間が覆い、完全に隔離された街になってしまった。現実ならぬ領域でカルトは独自の変化を遂げた。
しかし、何よりも彼の頭を抑え付けたのはオーハイであった。反現実からなる進化に成功したのはカルトのみではない。日没の刻が空を覆うと、それは再生する。生物学的な機構を持ち合わせた街は、荒れ狂うコンクリートの踊りに合わせ、グリーンと共に蘇る。アバブは悪態を吐いた。正式には、9度目だ。それは一つの撲滅されるべき生命の誕生であると言っても良い。
グリーンとはカルトのコードネームだ。彼はグリーンについても事前に知らされていた。彼の部門の権力機構は、オーハイが再生するのであれば州ごとグリーンを消し飛ばすのが最善策であると、アバブを呼び出し半狂乱に怒鳴った。しかしオーハイの何が如何にしてその異常をたらしめるのか、彼は知る由もない。仮にナンバーが割り振られていたとしても、彼にとっては知ったことではないのだ。
*
アバブがスティギアンのアジトへ辿り着いたのは、満月が姿を見せた後だ。目的の平屋はオーハイを横切る高速道路から大きく外れた右手にあった。平屋の白樺の大部分が黴で覆われており、断続的な悪臭がアバブの嗅覚を刺激し続けた。窓枠の隙間から名称も覚束ないような蔦が伸び切っていた。外観、居心地、全てがまるでダストシュートの中心にいるように思える。もしここに人間の生活が定着しているようなことがあるのならば、それはもう人間とは呼ばないのだろう。
アバブは慎重に扉の枠組みを通過した。内部は暗く、夜の闇も相俟って彼の不穏を唆すようなものは何一つ配置されていないように見える。彼はタングステン製のペンライトを懐から摘まみ出し、周辺に弱い光を向けた。光の筋を辿ると、かつてエントランスであったもの、シンクであったもの、鏡であったものが四散していた。
「──奴がまたオーハイにクレーターを作るようなことがあったら……カルト?いや良い、もう一度ステップワンから話す──」
恣意的な蔦のトラップを避け、回廊を数十メートルほど進んだ地点で声が聞こえた。その持ち主は青年のようだ。彼の巨体は蠅の集った家具の隙間を大胆に、そして器用に通り抜け、声のする奥の部屋へと接近する。
「──ステップツー、君は──星のシグナル?ああ、そんなもの置いておけば良い。信仰は便利な道具だった──」
アバブは極めて弱く、二回、ドアをノックした。
早口は止めさせられた。
扉は対戦車ミサイルの如き勢いで吹っ飛んだ。それは奥の壁に衝突し破砕され、かつて扉であったおがくずに変わってしまった。
同時にアバブは素早く扉を頭から潜る。部屋は暗く、黒塗りのカーテンが差し込む光の全てを断ち切っていた。その中で、チタンライトとパソコンの液晶のみに依存し、アバブの視界は自由だった。USBキーボード、ケーブルの断たれたスタンドライト、アダプタ、街角で見掛けた異形の植物、自己啓発書、リボルバーが一丁──トーラス85のようだ。本人も何十年と興味を示していないように、パソコンデスクには様々な物品が散らされていた。大量に有り余ったステレオジャックがその傍らに押し退けられている。
彼の視線の左側に、目的の青年は仰向けにへたり込んでいた。扉の猛攻を間一髪で躱したらしく、息を切らしている。
「おはよう」アバブは男に歩み寄る。「配信を見させてもらったよ」
「お……」スティギアンは声を詰まらせる。「お前、誰なんだお前は?」
「アバブ・ゴリーラーだ。私の勤めている組織は──あ──」
彼が口を開くより先に、スティギアンは近くに横たわったゲーミングチェアを跳ね上げ、アバブを標的に投擲する。アバブの反応は速く、それを見越していたように片手で受け止めた。そして無慈悲なる握力がそれを粉砕してしまう前に、再びチェアを投げ返した。
スティギアンは身構えるも、予想は彼を裏切った。それは元の軌道に修正されたように大きく捩曲がり、彼の背後のカーテンを巻き込み窓を突き破った。鋭い轟音が夜の平屋に響き渡り、スティギアンは一瞬屈む。月光が招き入れられ、幾分かは視界が改善された。それは液晶からのブルーライトのみで構成された生活を送っていたスティギアンの視界を一瞬のみだが奪った。
アバブがそれを見逃すことはない。スティギアンが肉体の全力をもってして射程圏内からの離脱を試みるも、最後に目視できたのは、残像を伴ったアバブの指だった。
一連のアクションは僅か10秒にも満たない。首筋に鉄筋コンクリートで打ち付けられたような衝撃が走り、彼の視界は暗転する。
*
彼を鎮静状態を保持できたのは洪の数秒間であったが、アバブにとっては十分過ぎる休暇であった。
スティギアンの意識は程無くして覚醒した。彼は宙に舞った黴を吸い込み、少しの間咳き込んだ。そうして現在の彼はタングステン製のワイヤーによって多少の自由を拘束された状態にあることを知った。目の前ではアバブが彼に背を向けて仕切りに部屋の調査を行っており、まるで彼の存在に警戒の念を抱いている様子はない。
彼は喉奥に鉄錆の味を直に感じる。「お前は、誰なんだ?」
アバブは作業を止め振り替える。巨体の背後より月光が照り付け、彼の陰は夜の海に浮かぶ巨石のようにも見えた。
「良いだろう」彼は寛大に答え、縛られた男の前に歩み寄った。
「私の勤める組織は君の存在を許容しなかった」アバブは語る。「どうやら君は私とオーハイの関係については知っているようだ。更に言うと、オーハイの反現実領域についても何かしら干渉している。グリーンを上手く利用したようだが、我々はグリーンについてのレポートをあと数十枚は管理している。君についてのそれは更にその倍だ。君は今の通り確保され、必ず彼らの元に送還される」
スティギアンは口に含んだ血を傍らの木目へ吐き出す。首筋が有り得ないほどに傷んだ。
「最後の計画を教えてあげよう。衛星からレーザーを発射して脳天を一撃だ。出来るんだな、これが。そして跡形も残さず抹消することが可能だ。我々はそれに費やすだけの資金を割くことができると言う。そう考えると、あらゆる生命体に対して完璧なプランなのだろう。しかし上層部はあくまでも媒体の確保を要求している。無茶なミッションだと言われれば実際そうだ」アバブは付け加えた。「ただし、一発だけだが」
全てを語り終えたかのように、彼は腐れ会合った壁に向き直った。しかしスティギアンは次元の亀裂を垣間見た。そこには数値にしてナノ単位にも満たないが、確かな隙が生じたのだ。それはスティギアンの全ての準備が整っていることを意味する。
アバブの反射神経は人並み外れている。しかし現状は例外だ。
彼の背後で微かな乱れがあった。アバブは振り返った、正式には振り返ろうとした。しかし遅い。彼は不明瞭な鉛の一撃を背中に諸に受け止めた。恐ろしい衝撃に身を委ね、彼の体は前方へ吹き飛ばされる。間一髪で筋肉を翻し、男に背後の自由を譲るという最悪の事態は回避した。
アバブは壁に背を付き、人体的に生成したショックアブソーバーで勢いを完全に殺した。そうして縛られていた男の状態を確認する。ワイヤーは端から存在していなかったように、そこには存在していなかった。次の猛攻がアバブに標準を合わせる。それは正面からの追撃でもあり、死角からの奇襲でもあった。
「人間の手や肉体には限界がある」スティギアンならぬ声が聞こえる。「本当にその通りだ」
彼は次の衝撃を完全に予測していたはずであった。しかし彼の無限とも言えるシミュレーションであっても、それはX・Y・Z軸のどれにも該当しない。その思考は最早無意味だ。第四次元のベクトルに薙ぎ倒され、彼の本能は徹底的に守備に応じる。当てのない連撃がダメージを与え、彼を確実に葬った。
アバブは一度膝を付く。それが終幕の合図だった。
銃。彼がその存在に注意を注いでいた時には、既に銃声は終わっていた。次にアバブが銃口を認識した時には、既に彼の左腕は鉛の重みに傷んでいた。
「君は何を望む?」アバブは声を漏らす。「オーハイをどうする?カルトにこれ以上の何を与える?君が対価を支払っていたのは、全てが受け売りの文化だ。そこに超越した意味を持たせることは、無意味に他ならない。君の計画は自然の摂理に除外され、君の母体は財団に収容されるだろう」
「財団?現実は俺を留めたままにおくことはできない」スティギアンは屈み、彼の視神経を覗き込んだ。「お前をその呪いから解放してやっても良い」
「断る」アバブははっきりと言い放つ。「そして君は知ることになるだろう」
アバブは小声で唱える。「ザィン スリー フォー シックス。サメク シン」
「何?」
「アエ スター」アバブは唱える。「アエ スター」
「クソ」スティギアンは周りを見渡した。しかし遅い。
アバブは言った。「アエロニ ザエノラエ、発──」
スティギアンは残弾の全てを男の顳に撃ち込む。アバブの声が停止した。
彼はもう一度周りを見渡す。デスクの足元に滑り込まれていた。携帯。彼の意識は全能ではなかった。素早くそれを拾い上げた。音声認証インターフェースが起動している。「停止、キャンセル、戻れ」
しかしそれは不可逆だ。彼の鼓膜の内側で電子音の軍勢は数を増した。スティギアンは焦りを露にする。彼は着実に追い詰められていた。彼がオーハイの存在を認知した時から、全てはアバブの手の内にあったのだ。違う、奴だ。彼は横たわった男を注視する。
一見すると不可解な行為であるそれは、彼を答えに導いた。スティギアンは唱える。「ザ……ザィン」
電子音が止まった。
彼の予想は的中した。ただしそれは一発だけだ。彼は男の傲慢な口振りを想起し、出任せに座標を指示する。「ナイン ナイン ナイン。サメク シン」
彼は唱えた。「アエロニ ザエノラエ、発射」
機械の音声は知らぬ彼方へ嘶き、平屋を去った。計画は死んだ。弾薬は底を突いたが、彼にとっては鉄塊を用いずとも男を消滅させることは容易い。一つの災害が去れば、再びオーハイは蘇る。それは即ちアバブの肉体とそれに伴う環境の全てが、オーハイの内側に留まることを示す。今やオーハイは彼の国だ。
しかし彼の予期していたアバブとは異なっていた。男は陽気にニヤリと笑ってみせた。
「私は他よりは幾分頭が良いのだよ」アバブは言った。絶対的な力を持つスティギアンを前にして。
スティギアンは不穏な顔を見せる。電子音が急激に迫り、彼の主張を裏付けた。「何だと?」
「上を見てみろ」スティギアンは天井を見上げようと試みた。アバブは呟く。「馬鹿め、」
「な─」次のフェーズへ移行した時には、既に彼がアバブの言葉の意味を聞き直す時間はなかった。神経を置き去りにして、視界の全てがフラッシュする。
「ギギイイイィイイイヤヤヤヤャヤヤヤアアァァァァァァァァーー!!!」
アバブは叫ぶ。「それは自滅用のレーザーだったのだよ!」
スティギアンの断末魔が、オーハイ州に、谺して。
*
レーザーの衝撃はアバブの予想を遥かに超越していた。それはスティギアンの輪郭はおろか、オーハイの残骸でさえ消し去った。彼の言った通り、跡形も残らなかったが、些か残らなさ過ぎるまであった。
彼は衝撃波で20キロメートル余りの距離を吹き飛ばされ、郊外のビルに叩き付けられた。彼の巨体はビルの1棟を薙ぎ倒し、瓦礫の上に落ちた。かつてオーハイであった遠方からはキノコ雲が立ち上る。仕事終わりの少しの休暇だ。アバブは仮眠をとろうと目を閉じる。
丁度その時、彼の視界の隅より女性が顔を出した。
「初めまして、」彼女は語る。「私はバビヨン・バッビンボン。貴方の所属する異常戦術脳筋部門のすぐ上の階の者よ」
バビヨンと名乗る女性は手慣れたように彼に手を差し伸べる。
「──あー、」彼は平衡感覚を失った意識をもって彼女に応えた。同時に、彼は自身の属する部署はサイドの最上階だという事実に気が付いた。「私はアバブ。ゴリーラーだ」
「全く、支離滅裂な作戦だったわ」“作戦”という単語にアバブは反応を示す。「──初めに唱えた対象を標準に撃ち抜く人工衛星だなんて」
彼女の言ったことは強引にアバブの意識を呼び戻した。彼女は計画を知っている。「君はその計画について知らされているのか?」
「いえ」バビヨンは答えた。
「なら、」アバブは訊く。「奴は何だった?」
「貴方は反現実改変のSCPを追っているようね──挑忘者(The Ecstasy)。これが欲しかった答えでしょう、アバブ?」
バビヨンは懐からボロボロの携帯を摘まみ上げた。インタフェースは未だに立ち上がったままのようだった。
「──反現実改変?」
バビヨンは指を鳴らした。それは一時的にもアバブの注目を引き付け、彼に瞬きを強いる。アバブが次に目を開けた時には、既にバラバラになったビルの残骸のピースは元通りに完成されていた。
「とにかく、私についてきて──明日の9時、より厳密に伝えると今日の9時、O5とのミーティングがあるの」
*
二人が反現実改変部門へ配属されたのは、翌朝の8時50分のことだった。要するに、反現実改変部門が創設されたのはその10分前のことだった。
ついでに言うと、彼らが夫婦となったのは、更にその5分前のことだ。
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