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名前: 天宮 帝華
タイトル: 信仰は何の為に
必要素材:
- 何らかの宗教的聖遺物(1点)
- タラ計数機1(12台)
- タラ計数機付きの改造済み神的エネルギー交換炉(1基、作成済)2
- 大理石の台座(12個 30 cm×30 cm×60 cm)
- 看板(1つ、作成済)
- 3種類の金属3を素材とした球体(12個、作成済)
要旨: 神的エネルギー交換炉に燃料を入れて稼働させたら、周囲に12個の台座を円形に配置する。金属球はそれらの上に設置される。看板には作品のタイトルと「お手に取ってご覧ください」という指示が書いてある。観客が金属球を手に取ると即座に変形する──多くの場合、変形後の金属球は接触者の信教における「祈り」と深い関連を持つ物品を模している。金属球の作用によって記憶と想いを奪われた観客は、自らの手に握られた宗教的な物品(のレプリカ)を見て祈り始める。失われたモノを取り戻す唯一の方法は、「自らの内に宿る神との対話により失ったモノを思い出す」こと。テレキル合金でテレパス能力を阻害しているのは事故防止の為の対応措置──試作過程でテレパス持ちの友人にチェックして貰った時、かなり面倒なことになってしまった。
台座に埋め込まれたタラ計数機は祈りによって放出されたアキヴァ値を測定し、モニターに表示する。この数字を神的エネルギー交換炉に取り付けられた計数機の数字と比べた時、台座側の数字が上回ることはほぼ無いと断言できる──1世代前の骨董品でも、人間が個人で出せるアキヴァの量を軽く凌駕する技術を科学は産み出した。この数字は単純に見れば「自分が対話によって取り戻したモノの価値が低い」ことを表しているようにも見える。ただし、僅かでも賢明な観客であれば「数字には表れない価値」というものを感じ取れると思う。大量のアキヴァを放射することは出来ても、機械が悩める者に救済を与えることなど無いのだから。
意図: 信仰が単なるエネルギーの一種に成り下がった時代に人はなぜ祈るのか?私の答えは「内的対話により何かを得るため」という結論に落ち着いた。今回は私なりに出した問いの答え合わせをしたいと思う。
実を言うとこの作品は以前ボツとなった企画案「神の家」のオマージュを多大に含んでいる。当時の私は祈りの意味を自分の中でも見つけられていない状態だった為か、作品自体にも何処か未完成な印象が残ってしまった。博覧会の盛況を陰から見届けた後、自分なりに考えを巡らせた結果、取り敢えず祈ってみる事が一番の近道なんじゃないかと思い立ち実行してみた。
結論から言えば何の役にも立たなかった。そもそも私は無神論者であり、祈りの対象が存在しないのだからどうしようもなかったのだ。仕方なく次の博覧会のための作品構想を練りながら「海星と酒の残り香」を材料に何か出来ないかと試していた──こういう作業の中で思いがけないインスピレーションを得られる場合がある。次の朝、私は凄まじい喪失感と共に目を覚ました。テーブルに転がっている桃色と緑色と雪のような白色の混ざった石を見た時、どういうわけか私は「この石が原因で何かを奪われたんだな」と根拠の無い確信を抱いた。意外なことに失われていたのは芸術への想いでは無かったし、その証拠に私の慎ましやかな作品たちの記憶はハッキリと残っている。何を失ったのか探るためにひたすら自室をうろついていた時、偶然にも写真立てが目に入った。写真には何だかつまらなそうな顔をした私らしき子供と、見覚えの無いもう一人の子供が写っていた。驚いたのは知らないはずの子供の顔つきや髪型が私に良く似ていたことだ。私は一人っ子で兄弟や姉妹などはいないはずなのに。
しかしながら喪失体験は作品へのインスピレーションをもたらしてくれた。作品のスタート地点で何かを奪い、ゴールでそれを返すとともに新たな「視野」を観客に与えるというのは未完の名宮である企画案「色の無い迷路」でも試みられていた。あの作品が終ぞ日の目を見ることが無かったのはとても残念だが、もしかすると私がそのコンセプトを全く別の形で表現できるかもしれないという期待を胸に作品の試行錯誤を繰り返し、今回の企画案を提出するに至った。「祈りの役割の1つである内的対話によって失われたモノを取り戻し、祈りの価値が単なる数字では表せないという事を観客に気付いて貰う」というのは友人との会話中に出てきた案だ。このような事情から彼女との共同制作という形にしないかと持ち掛けてみたのだが、彼女はどうも乗り気ではなかった。確かに試行錯誤の中で起きた事故は精神的に辛いものだったが、彼女はそれ以前にも何処が様子がおかしかった。聞いたことも無い人物について私に何度も問い掛けてきたから逆に「それはいったい誰なんだ」と聞けば、私の妹で名前を「天宮麗花あまみやれいか」というらしい。確かに今も喪失感は続いているし、その子供については写真と名前の情報以外に何の資料も無いので誰か分からないが、特にそれが問題だという風には思えない。そんなことよりも作品が一先ず完成を迎えたという事を喜ぶべきだろう。
宛先: A.R.T
差出人: 後援者パトロン
件名: "信仰は何の為に"について
企画案を読んだよ。確かに以前見せて貰った「神の家」より数段良くなってるというのが正直な感想だ。神的エネルギー交換炉についても確認したが、事故防止やアキヴァの過剰放出による人体への被害抑制についても考えられている。資金援助や材料の調達についても請け負って良いと思う。しかし支援するには1つだけ条件がある。
君自身の一番大切なものを取り返してからにしてくれ。話はそれからだ。
宛先: 後援者
差出人: A.R.T
件名: Re:"信仰は何の為に"について
申し訳ないが何を言っているのかよく解らない。私にとって一番に大切なものは芸術であって、目下のところは企画案だ。自室をひっくり返してみた所、あの写真以外にも見覚えのない物品を見つけた。ロザリオだ。私は無神論者なのに何でこんなものを持っているのか少し気になりはしたものの、大して興味深い品でも無かった。
友人に写真の子供について何か資料が無いか問い掛けたものの、どうやらその子供は成長して財団で働いているらしく、雇用前の情報は殆どが抹消されているようだ。見つかることは期待しない方が良いだろう。聞くところかなりの高位職員らしく会うことも出来ないのだとか。彼らの秘密主義はまだまだ現役らしい。
宛先: A.R.T
差出人: 後援者
件名: Re:Re:"信仰は何の為に"について
君が以前に提出してくれた企画案「神の家」だが、あの企画案で当時の君が投げかけていた問いは「人は何のために祈るか?」だった。君が問いの答えを求めるに至ったのは、幼少期の君たち姉妹が教会で施しを受けた時に妹が同じ問いを君に投げ掛けたからだ。間違いない、他ならぬ君自身がそう書いている。ロザリオは教会で貰った思い出の品だろうに。どうにかして思い出せないか?
宛先: 後援者
差出人: A.R.T
件名: Re:Re:Re:"信仰は何の為に"について
実は、ああ、どうすればいいんだろう。コーヒーを飲んでも眠気が収まらないし、頭と体が重い。焦っているのに何処か落ち着いていて、日に日に落ち着きの方が強くなっている。なにか大切なモノを奪われた筈なのに危機感が殆ど湧いてこない。これは認めたくも伝えたくも無かった。認めてしまえば後が無くなる、何よりこんなのはCoolじゃない。
宛先: A.R.T
差出人: 後援者
件名: Re:Re:Re:Re:"信仰は何の為に"について
落ち着け。作品のコンセプトがきちんと守られているならば「自らの内に宿る神との内的対話」によって「失われたモノを思い出す」ことが出来れば記憶と想いは戻るんだろう?ならそれを実行してみればいい。
観客が無神論者の場合はどうするつもりだったんだ?
宛先: 後援者
差出人: A.R.T
件名: Re:Re:Re:Re:Re:"信仰は何の為に"について
失われたモノが「過去の経験」に基づいているなら「思い出のエピソード」を記録した媒体を視聴するか、誰か覚えてる者に教えてもらえば思い出せる。
失われたモノが「物品」に基づいているなら、それを実際に見たり触れたりすれば思い出せる。
失われたモノが「人物」に基づいているなら、直接会うことが出来れば、思い出せる。
私はまだ何も思い出せていない。
Voila氏の主催するTouhou Challengeに参加します。使用楽曲は「信仰は儚き人間の為に」です。
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